My dear pretty

※【My dear pretty】 は【My dear cute】の続編(?)です。
こちらはサイト一周年記念ということで書きました。




My dear ; pretty[1]


 最近、総司がよくかまってくれる。
 と言っても、大半はいじめに近いが。
 ……時々、優しい。
 変なの。
 お風呂から上がった笹良は、タオルで髪を拭きつつキッチンへと向かった。
 背を伸ばしたいので、牛乳とか飲んでみる。
 ドライヤーで髪の毛を乾かすの、面倒だな。
 よし、自然乾燥だ。
 笹良は牛乳を飲みながら、居間のソファーにごろっと横たわった。
 うちの両親は共働きで、帰宅時間がいつも遅い。終電頃にようやく帰ってくるのだ。
 今、10時12分。
 一時間は長電話できるな、と企み、友達の顔を思い浮かべた時。
「こら」
 いきなり頭を鷲掴みにされた。
 何だっ、と驚いて振り向くと、片眉を歪めた総司が立っていた。
「何さっ」
「何さ、じゃないだろう。なぜ唐突に喧嘩腰なんだ」
「うるさい。合コン男のくせに」
 そうなのだ。魔王もといお兄様は、本日、大学の先輩に誘われたとかできれーなお姉さん方のいる合コンに行っていたのだ。馬鹿、色魔、ふしだら魔王め!
 きっと帰りは午前様になると思っていたのに、随分早いお帰りではないか。
「何だよ?」
 半眼になってじいっと見上げたら、なぜか総司は愉快そうな顔をした。いや、笹良をからかう2秒前の顔だ。
 からかわれる前に、からかってやれ。
「ふーん」
「何だ」
「ふふふふふ」
「気持ちが悪いな」
「振られたなっ、きれーなお姉さんに!」
「はあ?」
 笹良はにやにやっと笑った。
「きれーなお姉さん、お持ち帰りできなかったんだなっ」
 ざまみろー、という気持ちで笑ったら、総司がとことん軽蔑する眼差しでこっちを見下ろした。
「馬鹿か?」
「何っ?」
「俺が振られるものか」
 その自信はどこから来るのだ? 墓場の底からか?
「お前な。お子様のくせに、変な言葉を覚えるんじゃない」
「振られ男ー」
 総司がえらく爽快な笑みを浮かべた。怖っ!
「へえ?」
「な、何さっ」
思 わず身構えると、総司が空恐ろしい笑みを顔に張り付けたまま、笹良の隣に座った。
「大好きなお兄様が他の女に盗られずにすんで、安心しているわけだ?」
 頭おかしいのか?
「お子様だな」
「馬鹿! 変態っ」
「お前のような餓鬼ではなく、大人の女はいいよな」
 縛り上げて家の屋根から吊るしてやる! という決意のもとに笹良は総司の髪を引っこ抜こうとした。
 が、魔王はあっさり攻撃をかわし、逆に腕をひかれてしまう。ぎゃっと叫びつつ、笹良は顔を魔王の肩にぶつけてしまった。痛い。
「離せっ、怨霊!」
「……蹴るぞ」
「うう、暴力反対だ」
「そんなことより、髪をかわかせ。風邪をひくぞ」
「やだ」
 暑い。面倒。
「全く、お前なぁ……」
「あっち行け」
「無意味に横柄な態度を取るな。ほら、かわかせって」
「ご免こうむるのだ」
「……いつの時代の人間だ、お前は」
 深々と溜息をつく総司に、ふっとニヒルな笑みを笹良は向けた。
「仕方のない奴だな、来い」
「うううっ?」
 いきなり抱え上げられ、洗面台へと笹良は誘拐された。そこに置き去りにされるのかと思いきや、総司はドライヤーを笹良に持たせたあと、自分の部屋へと向かった。ドライヤー付き笹良を抱えたまま。
 コードをセットした総司は、笹良を膝の上に乗せた。ぶうん、という音を立てて、ドライヤーが熱風を吐き出す。
「んむ」
「大人しくしろ」
 どうやら髪をかわかしてくれるらしい。よし、気の利く家来だな。
 わさわさと濡れた髪を熱風に当てる手の感触が心地よい。気分は美容室のお客さん、だ。
 どーして早く帰ってきたのかな。
 外面だけはいいお兄様なのだ。本心では、振られたとは思っていない。
 んぐー、と目を閉じて総司に寄りかかると、忍び笑いされた。
「かわかしにくい、笹良」
 総司はそう言いつつも、肩にはりついた笹良を引き離そうとはしなかった。
 ドライヤーの熱と、髪を撫でる感触にうっとりして目を閉じる。
 ちょっとした至福の時間。



 
My dear ; pretty[2]


 ショックな事は、いつでも日常に潜んでいる。
 たとえばちょっとした悪意なんて、石の数だけ転がっている。
 笹良はその日、街へ出てふらふらと買い物をしたりして、一人の休日を楽しんでいた。
 日曜日だから、たくさんの人出がある。目の前を高校生くらいの女の子達が歩いている。ぼんやりと可愛い恰好だなあと思っていた時、ちょっと遊んでいそうな若い男性がその子達に声をかけた。漏れ聞こえる会話から、ナンパしていると分かる。よくある光景だ。
 女の子達は気が乗らなかったのか、調子良く話しかけている男性を完璧無視していた。
 つれない態度に脈がないと理解したのか、男性が沈黙する。その時ちょうど信号が赤になって女の子達も、男性も、他の通行人達も立ち止まった。勿論笹良も足を止める。
 流れる車。ざわめき。ひとごみ。動くものが無数にあるというのに、その時間はまるで無人のような、無関心な空気が漂っていた。悪意はそういう時に、滑り込む。
 男性が、無視された腹いせなのか――女の子の背を、車道へ向かって乱暴に突き飛ばしたのだ。
 笹良は目撃してしまった。まだ信号は赤のままで、車の数は多くて。背を押され、バランスを崩した女の子の身体がふらりと車道に飛び込む形となった。クラクションとタイヤがスピンする嫌な音。ざわめきが一瞬途絶える。
 笹良は動けなかった。女の子の身体すれすれの所を、車が通り抜けたのだ。
 悲鳴が上がる。間一髪で轢かれずにすんだ女の子も、仲間の子達も、魂が抜けたように呆然と立ち尽くしていた。
 笹良の心臓が大きくはねた。指先まで一瞬にして冷たくなる。
 だって……ほんのわずか、タイミングが違っていたら間違いなく人身事故が起こっただろう。
 殺人未遂、という言葉が脳裏に浮かんだ。こんなに容易く、一人の人間の命が危険にさらされてしまう。
 凝固する笹良の視線が、男性をとらえた。周囲の人々は、女の子の不注意で危うく轢かれそうになったのだろうという非難の空気を発している。違うってこと、笹良だけが気づいているようだった。
「!」
 男性が振り向いた。笹良は思わず息を呑んだ。
 男性がにっこり笑いかけてきたのだ。
 嘘、何この人、変。怖い。
「ね、暇?」
 声をかけられて、笹良は暗闇の中に足を入れた気分になった。声が出ない。だってこの人、今、女の子を突き飛ばしたばかりじゃないか。得体の知れない恐怖が一気に膨らんで、唇が震えた。何でこの人、平気な顔で笑っているの。
 笹良は勢いよく首を振り、信号が変わると同時に駆け出した。
 走っても走っても、いつか追いつかれて捕まってしまう気がした。こんなに人が多いのに、誰も助けてくれない。
 ぐるぐると走り続けて、だけど振り向いてもう安全なのか確かめる勇気が持てない。もし背後にその人がいたら。
 笹良は途中で見かけたコンビニに飛び込んだ。バックの中を必死にかき回して、震える指で携帯電話を取り出す。
 でも誰を呼び出せばいいんだろう。友達じゃ駄目だ。女の子の姿は、さっきの光景を思い出す。
 怖い。日中なのに。街にはたくさんの声があるのに。
 笹良は目眩を堪えて、呟いた。
「助けて」  





My dear ; pretty[3]


 こんなことじゃめげないぞ、と言い聞かせて自分を鼓舞し、何とか家まで戻る。
 負けるもんかって心の中で呟きながら歩いてきたせいか、ひどく身体が強ばっていた。
 はあぁ、と大きな溜息をついた瞬間、脚ががくがくしてぼたっとリビングの中央に座り込んでしまった。
 家の中は安全なんだ。大丈夫。そう思うのに、どうしてか安心できなくてそわそわと周囲を見回してしまう。
 沈黙が駄目なんだと気づいて、テレビの電源をつけ、オーディオも動かして、更にはお父さんのレトロなラジオもつけて、最後に携帯電話の音楽も鳴らす。複数の機器から流れ出す音が窓や壁にぶつかり、飛び跳ねて、割れて、家を揺るがす凶器に変わってしまった。もう音楽じゃなくて、騒音。フライパンの中の卵をぐちゃぐちゃにかき混ぜて完成するスクランブルエッグみたいに、騒がしい。
 びりびり痺れる音の洪水。身体を切り刻むスクランブルミュージック。
「――笹良!」
 頭が痛くなり始めた時、突然名前を呼ばれて驚いた。
 慌てて振り向くと、顔をしかめた総司がこっちを見下ろしていた。
「何やってんの。近所迷惑だろ」
 少し苛ついた様子で手早く音を閉ざしていく。総司は騒がしいのが苦手だ。
「駄目、駄目っ!」
 スクランブルミュージックは今、笹良の精神安定剤なのだ。
「うるさいんだって。馬鹿な遊びをするな」
 遊びじゃないよって、泣きたいくらい焦れる気持ちを吐き出せない。
 せめてもの反抗で、携帯電話を強く握り締める。
「ほら、とめろって」
 そう溜息まじりに言う総司の手が、携帯電話を奪おうとして、笹良に触れる。
 ぎゃっと笹良は鳥肌を立てて総司の手を振り払った。女の子を車道へ押し出した手がびっくりするほど鮮明に蘇ってしまう。悪意を滲ませた大きな手。ただ、ぽんと突き飛ばすだけで完成される悪意は、スクランブルエッグよりも簡単。
「笹良?」
「うー、うー」
 怖くなんかない。家の中は安全なんだ。
「どうした?」
 総司が困った顔をして、笹良の前に屈み込んだ。
「……知らないもん」
「何が」
 お兄ちゃんぶらないでよと反発する気持ちは一瞬で、本当の兄妹なんだから喋っても大丈夫なんだとすぐに気づいた。
「笹良、逃げた」
「何から」
 家族ってどうしてこんなに不思議なんだろ。ちゃんと会話が成立してる。
「女の子、どんって押された」
「誰に」
「知らない男の人」
「どこで」
「信号で」
「押された女の子は?」
「びっくりしてた。車いっぱい通っていた」
「お前、何かされたの、その男に」
「暇、って聞かれた」
 そこで総司が少し黙った。
「怖くて、逃げた」
「そうか。偉いな」
「偉くない。女の子もきっと怖かったよね? 何で叫べなかったのかな。悪い事した人に、どうして何も言えなかったのかな」
 あぁそうなんだ。逃げたから怖いんだって、ようやく理解した。あそこで勇気を出して、何するのって言えていたら、きっと何かが違っていた。狡いんだ、笹良は一人だけで逃げてしまった。
「笹良――逃げていいんだ。俺が許すから」
「そんなの駄目って知ってるもの」
「知っていようがいまいが――頼むから、そういう奴と手の届く距離で向き合おうとしないでくれ」
「なんで」
 総司は真剣な顔をした。
「いいかい笹良。そういう状況の時に、反省する奴なんて滅多にいない。他人への暴力を日常にし、自分の正当な権利と思っている奴なら尚更」
「でも」
「でもも何もない。こっちが真剣であればあるほど、笑いながら踏みにじる人間は予想以上に多いんだよ」
 とても悔しいって思った。理不尽な暴力をただ黙って見ているしかないなんて、そんなの嫌だ。
「約束しなさい。無謀なことはしないように」
 ぐっと唇を噛み締めて睨み上げると、総司は何だか悲しそうな、それでいて緊張した表情をしていた。
 腹立たしい気持ちが途端にしゅんと掻き消える。
 総司は深く息を吐き、困惑する笹良を軽く抱きかかえた。
「無事でよかった、笹良」
 その声が、なぜか震えている気がした。





My dear ; pretty[4]


 香水って、どうしてこんなにいい匂いがするのかな。
 薄いピンク色。透明な水色。ジュースみたいな奇麗な色。瓶も可愛い。宝石みたいなカットの小瓶とか、丸いやつとか、色々。大好きだけれど、結構高くて、あんまり買えないのが辛いところ。
 たくさんつけたくなっても、我慢我慢。
 総司が普通の態度で、当たり前みたいに香水をつけていた。笹良にとっては特別な儀式みたいに思えるのにな。
「香水って、飲んだら、身体の中からいい匂いするのかな」
 何気なく呟くと、総司がぎょっとした顔で振り向いた。
「物欲しそうな顔で香水をいじるなって。飲み物じゃないぞ」
 じいっと香水を見つめた時、総司に慌てた感じで取り上げられてしまった。
「お前の思考がオソロシイ」
「向こう行けー、悪霊退散」
「そこで突然居直るな」
 ばしばしっと総司を押しのけたら、疲れた口調で突っ込みを入れられてしまった。
「あっ、いい匂いだ」
 つけたばかりの香水の匂い。近くに寄って、ようやく気づく程度の香り。どうして適量が分かるんだろう。どのくらいつけたらいいのか、笹良にはよく分からないのにな。
 総司にしがみついて香水の匂いを確かめる。すると総司が呆れたように微笑した。
「お前にはまだ早いなあ」
「何でさっ」
 女の子を子供扱いすると、痛い目に遭うって法則を知らないな。
 文句を言っても、総司は全然取り合ってくれない。いいもん別に。
「笹良だって、いつか普通につけるんだ」
 力強く宣言すると、総司は小馬鹿にしたような顔を一瞬して、でもすぐに目を伏せた。
「ほら、笹良」
 おいでおいでと総司が呼ぶ。笹良は渋々という態度を取りながらも、やっぱりいい匂いにつられて、とすっとしがみついてしまう。瓶から直接嗅ぐときついのに、適量でつけられた香水は羨ましいほどふわっといい香りがした。
「あぁ、匂い、移ったかな」
 総司がふと呟いた。
 知ってる、それ。
「移り香だ!」
 得意になって叫ぶと、総司がなぜか絶句した。ちょっと勝った気分だ。
 


My dear ; pretty[5]


 人が何か食べているところを見ると、空腹じゃなくても誘われるもので。
 お母さんがケーキを買ってきたので、ありがたくいただいた。
 二つ食べて満腹。少し胸焼けするかもって思ったばかりなのに、焼きプリンを口に運んでいる総司を見てまた食べたくなった。うう、美味しそう。
「……食べたいのか?」
「別にっ」
「あ、そ」
 つらっとした顔で総司が言う。ご立腹だ、その態度。
「これ、最後のプリンだけどな」
「あっ」
「あーウマイ」
「あう」
 最後、という言葉に弱いのはどうしてなんだろう。
「……意地汚い奴だな。プリンで泣くな」
「いらないもん、欲しくないもん!」
「へえ」
 ぱくぱくと見せつけるようにして、総司がプリンを食べる。なんか本当に視界が涙で滲んできた。
 必死に堪えて俯いていたら、ぐいっと顔を上に向けられた。何をするのだっ。
 抗議しようとして口を開いた瞬間、スプーンの感触。
「むぐ」
 口の中に広がるプリンの味。ウマイ。激ウマ。
「最後の一口な」
 総司が苦笑してそう言った。
 最後の、っていう言葉でかなり気分がよくなってしまう。そういう小さなこだわり、教えたことなんてないのに、ちゃんと分かっていてくれるのが不思議だった。

●END●

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