My dear baby

この短編は【my dearシリーズ】の三番目です。
一応七夕企画であるはずなのに、内容は全く七夕に関係ありません。




My dear baby[1]

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 友達が今、手作りお菓子にはまっている。
 しっかりと影響を受け、笹良もお菓子を作りたくなった。勿論、自分で食べる為だ!
 よし、とりあえずお菓子作りへの情熱が消えないうちに、必要な材料を探しに行こう。
 気合いを入れ、ついでにお洒落をして準備万端、さぁ家を出ようと思った時、リビングで読書をしていたお兄様にとっ捕まった。
「何さ!」
「薮から棒に突っかかるな。どこへ行くんだ」
「秘密なのだ」
「威張るなって。最終的には白状させられるんだから、余計な面倒をかけずにさっさと答えろ」
 その台詞が、高慢なお言葉が、やれ憎し。
「離せー、離せー」
 襟首を引っ掴む総司の腕にぶら下がり、必死に抵抗したけれど、お兄様は少し眉をひそめるだけで解放してくれなかった。
「買い物行くの!」
 渋々答えると、総司は考え込むような表情を見せ、やがて笹良の肩に腕を回した。
「つき合ってやる」
「ええ!」
「露骨に嫌そうな顔をするな、蹴るぞ」
 何でついてくるのだ?
「いいから。……奢ってやるよ」
 それはかなり魅力的な申し出だが、手作りお菓子の材料を買いにいくと正直に暴露したら、大声で笑われそうだ。
「いい。お小遣い持ってるもん」
 折角の奢りを断るのは中々悲しいが、涙を呑んで堪えよう。
「珍しい、奢りを断るなんて」
「う、うるさいのだ。今日の笹良はリッチだから、奢られなくても平気なのだ」
「何を買うんだ」
「秘密であるのだ」
 動揺を隠して居丈高な態度を取り続けている内に、変な口調になってしまった。笹良は一体どこの殿様だ。
「ふーん。パフェも奢ってやろうと思っていたんだけれどな」
「ぐっ」
「今ちょうど、夏の服が新しく並ぶ頃か……」
「ううっ」
「あぁ、知ってるか? 駅前に、女向けのレストランがオープンしたみたいだぞ」
 次々と誘惑されて、笹良はとうとう敗北し、ばたっとその場に倒れた。
「で、どのくらいリッチだって?」
 意地悪い微笑で総司が訊ねてくる。
「馬鹿ー、悪魔ー! 何さ何さ、可愛い妹をリンチするなんて、外道だ」
「誰がリンチしたんだ」
 玄関先に乙女座りをして涙ながらに訴える笹良の側に総司が屈み、溜息をついた。
「奢ってやるって言っているのに?」
「……ま、また別の日に……」
「却下」
「何でー。どうして一緒に行こうとするのだ?」
 わけが分からず、じとりと睨むと、総司はとても困った顔をした。
「一人で行けるのか?」
 む、失礼な。初めてのお使いじゃないんだぞ。
「そんな恰好して、また変質者に声をかけられたらどうする」
 あ、と思った。この前、そうだ、街中で少女をナンパした青年が、振られた腹いせに、その子を車道へ突き飛ばして――
 それで、一緒に行ってくれようとしてるの?
「でも……」
 買うものが手作りお菓子の材料なのだ。見られるのはかなり恥ずかしい気がする。できっこないと馬鹿にされそうだし。
「いい子だから、言う事を聞きな」
 総司がふっと吐息をつき、腕を伸ばして笹良の髪を撫でた。
 どうしよう、困ったな。悩んで、眉間に皺を寄せた時、背中に総司の腕が回り、引き寄せられた。
「んむ?」
 びっくりして顔を上げると、優しく抱きしめられる。あれ?
「いい子だからさ、笹良」
 何だか、説得しようとする総司の表情が、甘い。



 
My dear baby[2]

■■■
 お兄様とお買い物。
 手作りお菓子の材料を買うのがとうとうばれてしまったので、絶対に失敗できない気分になってきた。本当はクッキーを作りたかったのだが……焦がしてしまいそうだ。プリンとかチョコなら失敗は少ないかも、と消極的な選択をしてしまう。
 総司の視線に怯えつつ必要な材料を買って、そのあとは誘惑に流されるまま夏の新作スカートやアクセサリーなんかを見て回った。いやに気前のよい総司がお金を出してくれたんだけれどさ。あとが怖いと思うのは気のせいか?
 煩悩が昇華され大いに満足した頃、駅前にオープンしたというレストランに連れて行ってもらった。確かに可愛い内装で、女性のお客さんが多い。カップルも結構いるみたいだ。
 テーブルにつくと、なぜか奇麗なキャンドルが用意され、ムード満点な雰囲気が漂った。不思議に思ってキャンドルを見つめていたら、カップルと間違われたんだろ、と総司が小声で教えてくれた。ぎゃっ、カップル!
「何だ、その顔。失礼な奴だな」
 総司とカップルに間違われるとは、恐ろしい。魔界転生をつい想像してしまったではないか。
「蹴るぞ」
 嫌だ。こんな暴力男とカップルだなんて思われたくない。
「嬉しいくせに」
 頭に虫がわいているのか?
 魔王め、と横を向きぼそっと小声で呟いたのだが、どうやら総司に聞こえてしまったらしく、すげえ邪悪な目をされてしまった。
「本当に蹴るぞ」
 嫌だ。
 総司は暴力男だ! と悲壮な決意のもと言い返そうとして――昨夜見た「二時間スペシャル番組・家族戦争」という家庭内暴力が題材の、妙にシリアスなドラマが脳裏によぎってしまったため――
「総司って、暴力夫だ!」
 と、叫んでしまった。結構、大きな声で。
「夫」じゃなく、「男」の間違いだ!
 やば、と思った時には既に遅し。
 総司は目を見開き硬直していたが、笹良も冷や汗をだらだらと流しつつ固まっていた。気のせいなんかじゃなくて、周囲のざわめきが一瞬で消え失せ、ただならぬ緊張感が漂っている。ある意味、尋常じゃなく刺激的な静寂ではないだろうか。お皿を片付けようとしていたウェイターも仰天した表情のまま、がちっと凝固している。
 恐る恐る横目で窺うと、隣のテーブルに座っているカップルまでもがすこぶる微妙な視線を笹良達に向けていた。総司に対しては憤っているような厳しい視線、そして笹良に対しては同情や憐れみがこもった視線だ。もしかして、「若すぎる夫婦の深刻な喧嘩場面」といった展開に思い切り誤解されていないだろうか。笹良の役柄って、夫から日々暴行を受ける哀れな妻とか。総司、店内の客全員を敵に回したようだぞ。というか、笹良ってどう見ても中高生にしか見えないと思うんだが。いや、だからこそ余計、総司に批判の目が集まっているのか? 未成年の少女を無理矢理テゴメにした血も涙もない極悪青年に映っているとか。
 どうする笹良、ここは笑顔で「冗談!」と乗り切るか、いや、そうした場合「驚かせやがって」という非難の視線が、今度はこっちの方に集中しそうだ。
 よし。ちょっとばかり罪悪感があるけれど、どうせ冷血漢に思われてしまったのだ総司よ、俳優魂を燃やしてこのまま暴力夫の汚名を受け入れ、非情、無情たる悪人の道を一心不乱かつストイックに突き進むべきだ。これも定めというものだぞ。大丈夫、総司ならできる!
 心の中で力一杯太鼓判を押し声援も送りつつ、笹良は頷いた。
「お、お前な……」
 総司が目眩を起こしたように片手で額を押さえ、苦い感じの声を絞り出した。いかん、ここで誤解をとかれるわけにはいかないのだ。
「もう、ひどいこと、するのやめて……」
 と、笹良は激辛な食べ物を想像して目を潤ませ、弱々しく、しかし、周囲の人々の耳に届くくらいの声で訴えつつ、儚い表情を作って俯いてみた。演技派だな。
「笹良!」
 総司が一瞬唖然とし、すぐさま小声で怒った。怖!
 笹良がびくっとすると、総司は更に壮絶な目を向けてきたが、こっちを見守るお客さん達の強い非難の視線に気がついたらしく、ぐっと押し黙った。屈辱なのか、恥辱のためか、さりげに目の縁が赤くなっているぞ。
 口達者で尊大な総司を完璧にやりこめることができたという奇跡的な快挙に思わず胸を震わせ、感動してしまった。実に気分がいいな。爽快、爽快。
 総司が声に出さず、「馬鹿」と口を動かしたけれど、勝利したのは笹良なのだ!
 ――ちょっとだけキャンドルの明かりにどきどきしたことは、内緒にしておこう。



 
My dear baby[3]

■■■
 すっかり辺りも暗くなってきたので、そろそろ帰宅することにした。
 駅へと向かって気分よく歩いていると、隣の総司がちょっと顔をしかめた感じでこっちを見た。まだレストランでの一幕を根に持っているみたいだ。駄目だぞ、できる男になりたければ、寛大な心で受け止めなければ。
「お前、信じられない奴。あのレストランに二度と行けない」
 まあ、まあ、いいじゃないか。レストランは世の中に星の数ほどあるんだしさ。
「どうしてくれるんだ」
 どうするも何も……大体、あの店、女性向きじゃないか。
 もしかして、いずれ女の子を連れ込もうと思っていたのか? まさか、今日笹良を誘ったのは、その時のための予行演習とか。
「なんだ、その生意気な目。少しは反省しなさい」
「……変態、タラシ」
「こら、笹良!」
 痛い。頬をつねられた。
「今度、女の子を騙してあのお店に連れてくつもりなんだ」
「何?」
 総司が少し驚いたような顔をして、やさぐれる笹良を見下ろした。
「あのなあ……馬鹿なことを言うんじゃないよ」
 溜息まじりにこぼしたあと、総司はなぜか、説教する時の頑固親父みたいな険しい表情を見せた。
「お前、それを誰に渡すんだ?」
「何を?」
 突如話をすり替えられたため、何を聞かれたかすぐには理解できず、きょとんと聞き返してしまった。
「それ」
 と総司が指をさした先には、笹良が手にしているお菓子の材料を入れた袋があった。
 誰に渡すって……作ったあとは自分で食べるつもりだったんだけれどな。お母さんにもあげるんだ。
「色気づきやがって」
 と何だかよく分からないが、少し乱暴な仕草で頭をぽんっと押された。何なのだ!
「あっ、分かった! 嫉妬だなっ」
「はあ?」
 そうかそうか、きっと総司は今日購入した材料を見て、手作りお菓子を誰かに渡すと誤解したのだな。
「可愛い妹が、他の美少年に奪われそうで、ショックなんだ!」
「……馬鹿?」
 語尾上げで言うな!
 むっとして言葉で反撃しようとしたら、総司は素っ気なく視線を逸らし、既に興味が失せたという態度でさっさと先を歩き始めた。広い背中は知らない人のように見え、まるで唐突に置き去りにされたみたいな不安感を覚えた。
「そ、総司に!」
 何でもいいから引き止めなければと思って、咄嗟にそう言ってしまった。
「総司に、あげる……」
 口にしながら、言い訳を心の中で考えた。総司にあげるんだと言えば、これをネタとして思い切りからかうために、足を止めてくれるだろう。
「……んむ」
 果たして、願いは聞き届けられた。
 わざわざこっちに戻ってきて、抱き込むようにこっちの肩へ腕を回してくる。
「じゃあ、もらってやろう」
 と、随分偉そうな返事をされてしまったが、微苦笑する総司は不思議と楽しげに見えた。
「帰るよ、笹良」
 家までの帰り道、時々思い出したように頭を撫でてくれる手は、とても穏やかだった。
 暴力夫扱いされたこと、実は気にしているのかな、と少しおかしい気持ちになった。

●END●


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