My dear dandy

My dear dandy[1]

 さてさて。カスタードプリンとチョコ、うまくできたかな。
 作り方の紙とにらめっこし、材料の粉砂糖やココアを時々床にこぼしつつ、キッチンを思う存分荒らしたあと、なんとか冷蔵庫に入れて完成というところまでこぎ着けた。気がつけば、青いエプロンが生クリーム塗れ。キッチン全体に、チョコの匂いが充満している。
 作ったのは、普通のプチハート、エアインチョコ数種類、カスタードプリン。エアインチョコは結構手間がかかった。何度も冷蔵庫で冷やしたりして。あとプリンも……ちょっと失敗したところもあるけれど、多分味の方は悪くないはずだ。
 キッチンの惨状をお母さんが目にしたら卒倒するかもしれないと思いつつも、片付けを後回しにして少し休憩しようとダイニングテーブルに寄りかかった。
「うわ、何だこの匂い。お前、キッチン……」
 振り返ると、やや顔を引きつらせた総司が背後に立っていて、汚れた調理台を凝視していた。
「総司、片付けよろしく」
「こら」
 片付けを総司に押し付けようとして、そそくさと逃げかけた時、襟首をしっかりと掴まれてしまった。ちっ。
「あーあ。手までベタベタじゃないか。こらっ、俺の服につけるな! って、お前、顔にまでついてる……だから、人のシャツで拭くんじゃない」
 よろけたふりしてしがみついてやれ。ふくく、と総司の淡い系な色のシャツで手を拭きつつ密かにほくそ笑む。
「笹良! お前ってやつは。わざとしがみついているだろ」
 ばれてる。
 総司は途中で諦めの境地に到達したらしく、がくりと項垂れ、笹良の頭に両腕を乗せて大きな溜息を落とした。




 My dear dandy[2]

「で、チョコを作ったのか」
 うむ、と笹良はその言葉に対して厳かに頷いた。
 場所は総司の膝の上。ちなみに総司自身は、唯一無事なダイニングテーブルの椅子に腰掛けている。他の椅子はココアの粉が飛んでいたり、容器を置いていたりして、何かしらチョコ被害にあっている。
 総司はこっちをじっと見つめたあと、テーブルに肘を置き、頬杖をついた。
「これだけのキッチン戦争を起こしたんだから、出来は相当いいんだろうな」
 なんて嫌味な言い方なんだ。
「確か、俺にくれるんだったろ」
 そんなこと言ったっけ。
「笹良、目を逸らすな」
「昨日の約束は残念ながらナマモノだったため、もう賞味期限が切れているようです」
「……」
 総司は笑顔で怒るという、実に恐ろしい攻撃を仕掛けてきた。
「何だって? よく聞こえなかったよお兄ちゃんは。もう一度言ってごらん妹よ」
「……き、昨日の約束は」
「約束は?」
 駄目だ、何かすっごく危険な未来が予想できてしまう!
「う、う」
「約束は、何だって?」
 優しい声音に聞こえるが、実は「この野郎、さっきと同じ台詞を言ってみろ本気で蹴り飛ばすぞ」と脅されている気がしてならない。
「……参りました」
 さっきと立場が逆転している。今度は笹良が項垂れて、にやりと笑う総司に寄りかかりつつ溜息をこぼした。






 My dear dandy[3]

 そろそろ冷蔵庫から取り出そうかなという頃、出掛けていたお母さんが帰ってきて、キッチンの惨状を知られてしまい、特大の雷を落とされた。お母さんは、怒ると怖い。なぜか側にいた総司までもとばっちりをくらって、「お兄ちゃんが注意しないと駄目でしょ」と説教されていた。……あとで総司に仕返しされるかもしれないと、笹良は密かに戦いた。
 反省しつつ片付けして、夕食を終えたあと。
 冷蔵庫から出したチョコレートをいそいそと部屋に持ち込んで、奇麗に箱詰めしてラッピングした。
 カスタードプリンはお母さんに奪われて、夕食のデザートにされた。ちょっと食感がイマイチだったな。よし、この失敗は次にいかそう。
 三つの箱に分けてラッピングしたチョコを眺め、笹良は頷いた。お父さん用、お母さん用、悔しいが総司用だ。
 なかなか可愛くリボンをつけられたと満足した時、はたと気づいた。しまった、自分用に分けるのを忘れたのだ。
 唸って苦悶したが、もうラッピングしたあとだったので、諦めた。
 チョコの箱をまず二つ抱え、リビングでくつろいでいるお母さん達の様子を扉からそっと確認したあと、別室へ向かう。向かう先は、お母さん達の寝室だ。
 お母さんが普段使用するバッグに一つ、お父さんの仕事用鞄に一つと、こっそりチョコを入れておく。明日、鞄を開けてびっくりなのだ。ほくそ笑みつつ、チョコ配達任務を終えたあと、再び忍び足で寝室を抜け出し、自室に戻った。サンタの気分だな!
 残るは総司。どうしようかな。総司にもこっそり配達したいのだが、奴は自室にいるので忍び込めない。
 チョコを抱えて、総司の部屋の前でうろうろし、悩んだ。まだ時間が早いから寝てないだろうなあと思いつつも、気配を窺おうと思って、扉に耳を押し付けてみた。……物音、聞こえない。もしかして居眠りしているのだろうか。
 そっと静かに扉を開け、室内を覗いた時……ベッドに寝転がって読書していたらしい総司とばっちり視線が合ってしまった。思わず悪霊退散と呟き、急いで扉を閉めてしまった。心臓に悪い。
「……何やってるんだ、お前」
 廊下で胸を押さえていたら、扉が開き、呆れ顔の総司が声をかけてきた。
「何でもない」
「嘘付け。何隠してる?」
 チョコを背に隠しつつ、ぶんぶんと首を振って誤摩化したのだが、読書を邪魔されて少し苛立っている総司に意地悪く睨まれてしまった。
「何も隠してない!」
「明らかに隠してるだろう」
 駄目だ、このままでは力づくでチョコを奪われる! いや、そもそも総司に渡すために来たのだが、こんな状況は笹良の計画になかったのだ。
「あ、こら!」
 総司の腕をかわしつつ、ダッシュで室内に飛び込み、勝手にベッドの上に座ってみた。眉間に皺を寄せた総司が、据わった目をしてこっちに近づいてくる。どすんと乱暴な動作で笹良の横に座り、思いっきり睨んできた。
 なぜか見つめあうこと、数十秒。疲れたように総司が溜息を落とした。
「うるさいから、部屋へ戻れ」
 面倒そうな声音に少し腹が立ったが、今の笹良は寛容なのだ。
「これ、あげる」
 こっそりと配達するのは無理と諦め、正々堂々とチョコの箱を差し出した。両手で差し出したら、何だか、賞状を渡している気分になった。
 きらきらとした水色のリボンをつけたチョコの箱を見て、総司はちょっと驚いた顔をした。
「なるべく甘くないやつ、入れたー」
 甘みのないココアの粉をまぶしたチョコ。渋いチョイスだな! と思いつつも、妙に気恥ずかしさがこみあげてきたので、照れ隠しに笑ってみた。
「お父さんとお母さんには、内緒で配達しておいたから、言っちゃ駄目」
 総司は少し首を傾げて瞬いたあと、無言でチョコを受け取った。どうも本当に渡されるとは思っていなかったらしく、戸惑っている様子だった。
「お母さん達、喜ぶかな?」
「……まあ、それは、子供からもらえたら、どんなものでも親は喜ぶだろう」
 どんなものでも、という言い方に引っかかったが、総司は偏屈魔王だから、ここは広い心で許してあげよう。
 総司も嬉しいかな、と疑問に思ったが、どこか困った様子で総司は視線を伏せていたので、聞くに聞けない感じがした。
「笹良」
「んむ」
「……小遣い、やろうか」
「……」
「……何だよ」
「総司……」
 小遣い。
 それって、それって……。
 なんか、こう言っちゃ悪いけれど、未成年者にお金を渡して猥褻行為を働こうとするおじさん的な空気を一瞬感じてしまったぞ。いや、チョコのお返しとして、お小遣いをやろうって発想だったんだろうけれど。
 引きつった笹良の顔を見て、総司も自分の発言が結構怪しいと気がついたらしく、しばし硬直した。
 笹良はつい身をひき、視線を逸らしてしまった。
 どうする、この緊迫感。
「さ、笹良、部屋に戻るね」
「待て」
 慌てた態度で総司が引き止めてきた。
 大丈夫、分かっているから! という慰めの意味をこめて、ぽんぽんと総司の肩を叩いたら、哀愁漂う表情をされてしまった。
「お前の思考が読めて、嫌だ……」
 逃げ出そうとする笹良を掴み、総司は更にたそがれた。
 大丈夫だって、信じているよお兄ちゃん!
 わざと明るい笑みを作ったら、総司は落ち込んだ様子を見せつつ、笹良の頭を撫でた。





 My dear dandy[4]

 翌日のこと。
 サンタ気分で配達したチョコは無事、二人が仕事へ行く前に発見されたらしかった。
 お母さんもお父さんも喜んでくれたので、笹良も嬉しいのだ。
 お母さんは今度一緒にデパートへ行こうと誘ってくれた。やったね、服とか買ってもらえそうな感触だ!
 それで、お父さんはというと。
 嬉しそうに、こう言ってくれた。
 お小遣いあげよう、って。
 ……そうか。
 総司の思考は、お父さん譲りなんだな。
 嬉しげに財布を開くお父さんを見て、お母さんが苦笑しつつ爆弾発言を落とした。「お父さんったら、女の子を誑かす変な人みたいよ」と。
 硬直するお父さんに同情しながら、笹良の思考は間違いなくお母さん譲りなんだと納得した。家族だな。
 少し離れた場所から、総司がすこぶる複雑そうな表情を浮かべて、こっちを眺めていた。





 My dear dandy[5]

 余談だが、その日の夜。
 リビングでしみじみと酒を酌み交わすお父さんと総司の姿があった。
 麗しい親子愛だな!

●END●

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