屋上と廊下の詐欺師

 俺の友人に、岸川宗広という奴がいる。
 高校一年の時は別のクラスだったため、顔を知っているという程度で一度も話したことはなかった。
 しかし、二年に進級して同クラスとなり、出席番号の関係で席順が並んだことをきっかけに、俺達は親しくなった。ちなみに俺の名前は工藤一史という。口が裂けても岸川本人には言えないが、密かに奴は俺の親友だと思っている。
 岸川とは妙に話が合った。というより、奴が俺レベルに話を合わせてくれているのだろう。こいつは全国模試の上位常連者なのだ。父親がどこかの大学教授だと以前にクラスの女子経由で聞いた事がある。別に親が教授だからといってその息子も頭脳明晰だとは限らないだろうが、岸川の場合は周囲の期待や固定観念を裏切らなかった。つまり、奴は文句なしに秀才だった。だが、勉強しか知らない生真面目な優等生ではなく、それなりにだらける事を知っていて、それなりに遊びも運動もこなすという器用な面も備えていた。そして、これが重要な事なのだが、女の子をナンパする時、連れ歩いても邪魔にならないくらいに容貌が整っていた。実際、俺は奴とつるんで、よくナンパをした。成功率の高さは、折り紙付きだ。
 本当に、俺達の下校後はほぼナンパに限定されていたといっても過言じゃない。そういう年頃なのだ。
 可愛い子と遊ぶのは楽しい。騒いで、笑って、最後の締めに、奢った料金分、イイ思いをさせてもらって。けれど俺も岸川も、特定の彼女は作らなかった。単純に遊び回るのが好きなのであって、誰か一人と親密な付き合いをしたり、また束縛したりされたりというのは面倒だったのだ。意見を聞いたことはないが、多分、岸川も同様だろうと思っていた。
 勝手に決めつけていたのだ。
 
 
 昼休み。俺は屋上に繋がる扉の前に、ぼんやり座り込んでいた。
 隣には、結構俺好みの女の子が座っている。名前をさっき聞いたばかりなのだが、もう記憶に残っていない。下級生だというのは、制服のリボンの色で分かっていた。
 隣に可愛い下級生が座っているというのに、俺はらしくもなく上の空だった。
 なぜなら、俺は間接的告白という面白くもない相談をこの子にされているのだ。
「岸川先輩と、仲いいんですよね」
「まあ、それなりに」
「頭いいですよね、岸川先輩」
「まあね」
 岸川。岸川とこの子、うるさい。
 俺は項垂れた。俺への告白ならうざいとは思わなかっただろうが、岸川の名ばかりを連呼されれば、疲労感が増して当然だろうと思う。
 女の子って、マジでわけの分からない遠回しな攻め方をする。本人に直接告白した方が早いだろうし、得られる情報も正確だろうに。
「あのさぁ、岸川とは確かによく遊ぶけど、こういうことなら、本人を直接呼び出した方がいいんじゃないの」
 俺も大概親切な奴だな。
「でも、岸川先輩と先輩って、よくナンパしているって聞いて」
 話の脈絡が理解できん。俺達がナンパしていることと、この子の告白とどういう繋がりがあるんだ。
 っていうか、俺の名前、知らないのか。いや、俺もこの子の名前、忘れたけれどさ。
「えっとさぁ、で、俺に何を聞きたいのか分からないんだけど」
「岸川先輩には秘密にしてくれます?」
「まあ、いいけど」
 そもそもあいつの友人である俺に秘密を持ちかけるってどうよ。第一、俺達、初対面だし。そんな簡単に秘密をばらしていいんかい。
「岸川先輩、本当にナンパとかしてるんですか」
 岸川のためと、この子の心情のためを思うならば、俺はここで否定するべきだった。
「……まあ、してるけど」
「えー! マジですか。結構遊んでるんですか」
「……遊ぶ時も、ま、あるかな?」
 俺は微妙に罪悪感を抱えながらも、答えた。
 別に、邪魔する気も、妬む気もないけれど。
 ただ。
 ただ、な。
「えっと、じゃあ、岸川先輩って、女子大生と付き合ってるっていう噂、本当なんですか?」
 何だそりゃ。
 確かに、この前、女子大生をナンパしたのは事実だけれど。
 いつものごとく美味しい時間を過ごしたあとは、平和的な別れを告げたはずだ。俺も、岸川も。
「本当ですか?」
 俺が無言でいたら、女の子はもう一度、真剣な目で訊ねてきた。
 付き合ってない。
 岸川はフリーだ。
 この子は、見た目は派手な方だが、案外、しっかりしてそうで、悪くない。
 だが。
 もし岸川がこの子と付き合った場合――
 俺、今度から誰を誘ってナンパすればいいんだ。
「あー、うん、まあ。そうかもね」
 悪い、岸川。
 マジで悪いと思ってる。
 許せ。友の暴挙を。
 俺は心の中で、岸川に両手を合わせて謝罪した。
「ええ! マジで! 彼女いるんですか!?」
「うー、あぁ、んー」
「どっちですか!」
「うん。かな?」
 マジでショック、と女の子が溜息を落とした。
 いや、俺も、マジで焦っているけれど。
「順調な感じですか。女子大生とは」
 あー頼む。結構良心が痛むから、あまり突っ込まないでほしい。
「んー、ま、そんな感じで」
「どんな感じなんですかぁ!」
「仲、いいんじゃないかな」
 岸川、俺、やばいよな。やばいって。
 恨まないでくれ。ってか、親友なら許せ。
「じゃあ、たとえば、あたし、告白しても望み薄そーですか」
「薄そー、かも」
 俺は引きつりつつも、嘘をついた。
 女の子は悲しそうな顔をしながら「そうですかぁ」と残念そうに呟いた。その後「ありがとうございました」ときちんと礼を述べて、去っていく。
 うわ、なんかマジで俺、悪人だっつうの。今の子、かなり性格よさそうだったのにな。
 俺は一人、頭を抱えつつ、その場に転がった。
 ごめん、岸川。
 今度、奢るから。
 もう少しの間、恋愛より友情を優先してくれ。
「俺って、マジで、やべぇー!」
 反省してみるからさ。
 
 
【岸川サイド】
 昼休み、工藤が見知らぬ下級生に呼び出されたあと、俺もまた、別の下級生に話があると誘われた。
 無人の廊下まで導かれて、ようやく口を開いたと思ったら、その子は突然工藤の話をし始めた。
「今、私の友達が、工藤先輩といるんですけれどー」
「ふうん」
「えっと」
「あのさ、工藤の話を、俺にしてどうするのかな」
「あ、すみません」
 下級生は怯えたように俯いた。
 なんだ。
 俺は薄々、呼び出された目的に見当をつけていた。
 女の子がよく踏むパターンの一つ。互いに友人の好きな相手を調査して、その結果告白するかどうか決める。そこでいい感触を掴めればよし、もっと言えば、俺を通して工藤にそれとなく好意を伝言してもらい、告白させるように仕向けたいってところか。
 仮に見込みなしならば、失恋が分かっているのに告白などしたくないのだろう。そのための防御手段。
 繊細なのだか、強かなのだか。
 これだけは分かる。
 女の友情は強固らしい。
「それで、用事は?」
 とりあえず話を振ってみた。俺から話を差し向けないと、目の前の下級生はいつまでも俯いていそうだ。
「あの、先輩って、工藤先輩と仲がいいのかなって」
 俺の予感はどうやら的中。
 ということは、工藤は今頃、この子の友人から、俺に関する調査を受けているのだろう。
「仲がいいっていうのは、どういう意味かな」
「あ、えっと、よく一緒に行動したりとか」
 女の子達のように、連れ添ってトイレに行ったり、水飲み場付近に溜まったり……というような行動について聞きたいわけではないのだろうな。
「校内だけの浅い付き合いなのか、それとも校外でも共に行動しているのか、またそこで一体どういった行動を取っているのかを知りたい?」
 わざとそのように訊ねると、図星だったらしく彼女は薄く頬を染めた。
「たとえば、工藤は本当に軽い奴なのか。噂で聞くように、俺と他校の子をナンパしているのか、とか」
 しかし、女の子をナンパする奴が全員、軽薄とは一概に言えないと俺は思う。
 遊びは遊び。
 恋愛よりも別のことに、真剣に打ち込む奴だっているのだから。
 要するに、重きを置く対象が何かということだけなのだ。
 成績の面のみで判断すれば、工藤は優秀とはお世辞にも言えない。だが、あいつの能天気さや気前の良さは評価できる。出来の悪い弟を持ったような感覚に近い。本人は普段格好つけているが、あいつはちょっとしたヒューマン映画で誰よりも早く涙を流す奴なのだ。馬鹿すぎて、飽きない。
「ほ、本当にナンパとかしてるんですか」
 さぁて。
 俺は微笑を浮かべた。
 工藤のために、嘘を吐くか。それともありのままの真実を?
 友情か、恋愛か。
「してるよ」
「え!!」
「この前、女子大生をお持ち帰りしていたけど?」
「ええ!!」
「あいつ、美白、巨乳好きだからな」
「巨……!」
「年上キラーだし」
「あ、あ、あの! ありがとうございました、私、もう教室に戻ります!」
 彼女は怒りか、動揺なのか、顔を紅潮させながら大声で俺の言葉を遮ったあと、振り向きもせず駆け去っていった。
 俺は苦笑し、廊下の壁に寄りかかった。
 恋愛上等。
 だが、工藤は単細胞なだけに、ゲームでも何でも、一度手を出すと周囲が見えなくなるほどハマりやすい奴なのだ。可愛い子に告白でもされた場合、何だかんだ言いつつ本気になって、恋愛至上主義を掲げ友情をないがしろにしかねない。
「友情も、上等だよなあ?」
 俺は笑いがこらえきれなくなった。
 工藤の思考パターンなど考えるまでもなく見通せる。
 恐らくあいつも罪悪感や良心の呵責に苛まれつつ彼女の友人に真実を暴露しているに違いない。
 まさか、俺までも同じ行動を取ったとは夢にも思わず。
 一人戦々恐々として、詫びの代わりに、何か奢るとでも持ちかけてきそうだ。
 お前のそういう単純な性格、悪くない。
 少なくとも、ウケる。
 
 
【工藤サイド】
「工藤、お前、さっき下級生に呼び出されていただろ?」
 本日の授業が全て終了し、帰り支度をしていた時、岸川が唐突に、今一番触れてほしくない話題を口にした。
「あ、ああああ、ああ、まあな」
 動揺し過ぎだろ、俺よ!
 っていうか、頼む、その話題はやめてくれ。
 こう見えても俺は繊細な男なんだよ。
 緊張のあまり顔が引きつりそうになるが、俺は懸命に平静を装い、微笑をたたえている岸川に視線を向けた。
「お前、まさか、告白でもされた?」
「えっ、ええ、まあ、あはは、まいるよな、俺って美男子だから」
「で、返事はどうした?」
 違うんだ、岸川。
 本当は俺への告白ではなく、お前目的の呼び出しだったんだ。
 とはいえない卑怯な自分に冷や汗が出てきた。
 そういう苦悩におかされているせいか、今日はやたらと岸川の微笑が菩薩のように清々しく、神聖に見えた。
 汚い。そうとも、俺は友達をあっさり裏切る薄汚い奴なんだ、そんな清潔そうな目で俺を見ないでくれ!
「いや! うん!」
「工藤?」
「何言っているんだよ岸川君! 僕が恋愛にうつつをぬかすような軽い男に見えるかね! 学生の本分は勉学ではないか! そう、芥川君も言っている、真相は薮の中と!」
「真相は……?」
「いいいいや、俺って文学青年だからつい!」
「へえ」
「要するにだ! お前という親しき学友がいるのにだね、まさか女の子と付き合うはずがない。そう、俺は友情に生きる男なのだ」
「成る程」
 畜生、俺の嘘つき。詐欺野郎!
「工藤」
「ななな何かね、岸川君よ!」
「女の子よりも、友情を取ってくれるわけだ」
「もっ、勿論ではないか!」
「それは――嬉しいな」
 と、岸川が、ガンジス河で祈りを捧げる聖人のような顔をして、俺の肩を叩いた。
「お前は俺の親友だよ」
 岸川は曇りも邪気もない笑顔で嬉しそうに言い、俺をとことん打ちのめした。
 ああ、俺って奴は!
 こんなにイイ奴を、自分のエゴだけで欺いてしまったのか!
「岸川……、俺、実はっ」
「お前だけは、信用に値する奴だと思っているから」
「……そ、そうか!」
 言えねえ。
 こいつの笑顔が目映すぎて、本当のことを打ち明けられねえ。
 すげえ重い!
 自分がついた嘘が、重すぎる!
「岸川、俺……、俺」
「何だよ」
「お前のためなら、死ねるさー!!」
 まだ教室に残っていたクラスメイト達が、突然絶叫して岸川にしがみついた俺を、何事かと驚きの目で見ていた。
 俺は決めた。
 友情に生きる。
 この世は友情だ、友愛で世界は成り立っているのだ!
 女なんか……、女の子なんか、ちょっと可愛くて柔らかくていい匂いがして気持ちいいだけじゃないか!
 それに比べて男というのは、臭いしデカイし可愛くねえし……、うわっ、こう考えると、何で世の中の女は男を好きになれるんだ。好意の要素が見つからん。というより理解できん。
 既にして意志が挫けそうになり頭痛を堪える俺の肩に、笑みをたたえた岸川が腕を回してきた。
「工藤って、いい奴だな」
 うっ……、えれぇ良心がずきずきと痛むんですが。
「いいいや岸川、俺なんて阿呆だし単細胞だし馬鹿だし色々とやばいし、たまに罪のない嘘というか、つく時もあるわけで」
「ははっ、お前の馬鹿な所、結構いいと思うけどな」
 岸川、お前は神だ。でもそのフォローは微妙に傷つくぜ。
「俺、兄弟がいないからさ、弟ができた感じで、嬉しいよ」
 皆さーん、後光がさしていますよ岸川君に! くそ、お前のガンジー度は未知数かよ、どんだけ神聖度ハツラツなんだよ! 何、その優しい目! 愛か、俺に対する愛ですか。L・O・V・E、ラブですか!
 うっそ、俺、頭撫でられてるよ、お前の中に「パパ」を見たよ! お帰り、父さん。今夜はシチューだ!
「僕がこれから炊事も洗濯もする! 風呂上がりセクシー仕立てな僕を奪っちゃってもいいから! どこにも行かないでパパ!」
「えっと、つまり俺は今、お前の中でパパか?」
 真顔で返されてしまった。
「お前は奇跡の子か? 俺は生誕三ヶ月で新たな命を生み出していたのか」
 ちなみにこいつの誕生日は俺より三ヶ月早い……というか、お前のベビー時代はどれほどタラシだったんだ。パパ設定は駄目か!
 俺は心の中でパパ設定を昇華し、新たなドラマを作った。
「あ……」
「あ?」
「兄貴ぃー!!」
 俺は叫んだ。いやもう、ここは叫ぶしかないだろう。
「おっと」
 と驚きつつも、岸川は寛容な微笑で熱く抱擁……というより突進した俺を受け止めた。
 よく分からんが、クラス中からぱらぱらと拍手が起こった。
 とりあえず。
 そう、とりあえず。
 今日の罪悪感を少しでも減らすために――
 
「無礼講じゃー! 何でも好きな物、奢ってやるー!!」
 やけくそで俺が絶叫した時、岸川はひどく嬉しそうな顔をし、声を上げて笑った。

end.

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