花見か花味


この番外は、6万ヒット・キリリク小説です。サト様、ありがとうございました!



 
 秋の終わりに花を咲かせる、タティルという木がある。
 魔力の受け皿にはなりえないが、薄い紫色をした無数の小さな花が枝をしならせて咲き乱れる様は、目が奪われるほど幻想的で、大層美しい。
 折角の花盛り、陽気もいいことだし、どうせならば観賞を兼ねてタティルの下で昼食を取ろう、という運びになった。
 料理担当はいつものごとくセフォーなのだが、今日はリスカも少し手伝うことにした。
 リスカにだとて得意料理の一つや二つ、あるのだ。そう、リスカは花菓子を作るのが得意である。なんのことはない、砂糖と卵とその他の何やらかんやらを混ぜ合わせて小さく丸めた生地の上に、ちょんと飾りの花びらを一枚乗せて焼くだけの簡単な代物だが。
 ま、まあいいではないか。
 というわけで、昼食を用意するセフォーの隣で、リスカは菓子の生地と格闘していた。
「何を」
 と、容器に昼食を詰めていたセフォーが端的言葉で聞いてきた。何を作っているのか、という意味であろう。
「菓子を作ろうと思って」
 卵をかきまぜながらリスカは返答した。うう、横顔に突き刺さる視線がさりげなく痛い。
「もしや甘い菓子は苦手ですか?」
「いえ」
「あっ、そうだ、この中に少しだけ料理酒を加えるのですが……大丈夫ですか?」
「どの程度ですか」
 ううむ、深刻そうな声音で訊ねてくるということは、余程酒が駄目なのだろう。
「ええと、この杯の、三分の一程度でしょうか」
 リスカは手近にあった量り用の木杯を持ち上げた。
 微妙に複雑な顔をするセフォーを見ると、どうやらこの程度も受け付けないらしい。しかし、ある程度の料理酒を入れねば、風味がかなり落ちてしまうのだ。
「少し、減らしますね」
「味は」
「お酒の味は全くしませんよ」
「そうですか」
 まだ複雑そうな顔をしている。珍しく躊躇いをうかがわせる様子に、リスカは思わず腹黒い策略を巡らせた。
「あまり、食べたくはありませんか?」
 わざと悲しそうな顔を作って、ちらっと見上げてみた。
「いえ」
「いいのですよ、無理をせずとも……」
 作戦は成功したらしく、なんとセフォーが戸惑っている。ようし、隙を見計らって少し多めに酒を入れてやろうかな。
「朱蜜を」
「は」
「かけても?」
 なるほど、朱蜜の味で誤魔化すつもりなのか。うぬ、なかなか手強い。
 ちなみに朱蜜とは花の蜜を砂糖と絡めたものである。
「ええ、構いませんよ」
 もう少しからかいたいという強い誘惑に駆られたが、策謀の通りに事を進めれば後々自分の首を絞めかねないので、この辺でやめておこうとリスカは思った。
 そう、驚異的な言動を常とする閣下が相手の場合、次の展開を予想できないだけに恐ろしい。怒りを買って背後からばっさり斜めに斬り捨てられるのもご免だし、などとリスカは大変失礼かつ物騒極まりない独白を胸中でこぼした。
 セフォーの方の用意はいつの間にか終わったらしく、調理台の脇に置いてある脚立を椅子代わりにして腰掛け、こちらをじっと見つめていた。どことなく心配そうな表情に見えるのは気のせいだろうか。
 リスカは内心で苦笑しつつも、やはり災難を呼び寄せたくはないので、料理酒の量を減らした。
 単純に丸めた生地を釜で焼くのみなので、あとは出来上がりまで待てばよいだけである。
 セフォーのために、菓子の上にかける朱蜜と果汁を混ぜたものを用意しようとリスカは思った。
 薄い金色のとろとろした朱蜜に、薄い紅色の果汁をたらし、しばらく煮込むと、さらに甘味が増すのである。
 時々匙でかき混ぜながら、いい具合にとろみが増すのをリスカは待った。
 うむ、このくらいでよいか。
 味見をして、調理台の火を消す。
 そろそろ釜の中の菓子も焼き上がっていい頃だった。
「あ、セフォー」
 何か菓子を入れる容器を取ってほしい、とリスカは頼もうとして、振り向きかけた。
 ふとセフォーが脚立から離れ、リスカの背後に立った。
 うむ? と不思議に思って首を傾げた瞬間、なぜか腰にするりと腕を回された。
 せ、セセセフォー、まさか胴体を締め上げる気ですか、とリスカは恐怖を抱き意識を遠くへ飛ばした。
 微かに、頭の上に軽い重みが加わった。どうやらセフォーが身長差を利用してこちらの頭頂部に顎を乗せているらしかった。
「甘いですか?」
「え、ああ、はあ」
「味見を」
 と言うくせに、セフォーは動かぬ。このぶつぎり言葉は、味見をさせてほしいという意味で間違いないだろう。
 リスカは一度、自分の腹部に回された腕を見下ろしたあと、えらくぎくしゃくとした動作で鍋から一匙、朱蜜をすくった。
 匙ですくったのはよいが……ど、どうすれば。
「セフォー」
「食べます」
 一瞬悩んだあと、少し身体を捻り、恐る恐るセフォーを見上げる。
 ええと、ああ、うう。
 セフォーが軽く身を屈めたので、リスカはどきまぎしつつも、匙を差し出した。ぱくり、とセフォーが匙を口に入れる。
 なななな何だなぜこのようなまるで新婚さんのような、とリスカは混乱の中で考え、絶句した。
「少し」
「はい!?」
 目まぐるしく妄想を巡らせすぎて仰け反りそうになるリスカだったが、背後から抱きしめられているため、後頭部がセフォーの肩に当たり、後ろに倒れることはなかった。
「果汁を」
「え、ああああ、そ、そうですか、果汁が足りませんね、ええ」
 何だそう言う意味か、とリスカは奇怪な方向へ思考を暴走させた自分を恥じ、また、安堵した。それにしてもセフォー、なかなか味にこだわるのですね。
 リスカはおたおたと果汁を入れた瓶を手に取った。意識の全ては背中の体温に否が応でも集中していた。ほぼ強制的に集中させられていると言ってもいい。
 混乱しすぎているため、瓶を取り落としそうになり、リスカは小さく奇声を上げた。
「ひえっ」
 どぼどぼと果汁が鍋の中に溢れ……ただけではなく、瓶を掴むリスカの手も、咄嗟に腕を伸ばしたセフォーの手も、いやいや、蕩けそうな香り漂う果汁塗れとなった。
「す、すす、すっ、す」
 すみません、という謝罪の一言が、焦りと恐れと動揺により吃りすぎて言葉にならない。
 リスカは蒼白になると同時に凍結した。
 ひょい、と汚れていない方の腕だけで、セフォーは軽くリスカを持ち上げた。攫われる拉致される、とリスカは脳裏にちらつく拷問の幻影に心底怯え、身を震わせた。
 脚立に再び腰掛けるセフォーの膝に、リスカは座らされた。
「セセセセ」
 セフォー、と言いたいが、言語を司る神経が麻痺している。
 セフォーはぱちぱちと瞬きしたあと、呼吸困難の状態で苦しむリスカの手を取り、ぱく、と食べた。いや、手についた果汁を、あああ、な、舐めている。
 途端に心臓がばくばくし始めた。ひええええ新婚さんですかいやそれとも恋人同士の若い二人によくありがちなある意味お約束の展開を実現していると見せかけて、このまま指を噛みちぎる気十分なわけですか、とリスカは無闇に長い奇妙な解説を心の中でした。何だかやたらと心拍数が上がり息苦しい。絞め殺されそうな力で抱きかかえられているわけではないのに、うまく呼吸ができない。なぜこのようなとんでもない展開に。もしやセフォー、先程酒を多く入れてやろうと密かに企んだ瞬間を見抜いて立腹したのですか。
 セフォーの唇がゆっくりと、リスカの指先から手首へ動く。軽く噛まれ、そそそして柔らかな熱い舌先でぺろりと舐められた時、ざわざわっと首筋に鳥肌が立った。ひどく感覚が鋭敏になっている。身体中の神経が、自分の手に集中しているようだ。
「ああああの」
 ちら、とセフォーがこちらを斜めに見た。矢のような鋭い瞳と激しい威圧感が、先程咄嗟に予想した妄想惑乱的展開を奇麗に切断しているように思えてならないのだが……果たして、いいのか悪いのか。
 リスカは石像と化していた。美麗な人の姿へと変化した凄まじく獰猛な獣に身を束縛されている気がした。
 ふ、とセフォーが微笑した。リスカがまだ目にしたことのない、不思議な微笑だった。
 あ、と思った時、顎をそっと掴まれ、突然、口の中に指を一本入れられた。甘い、甘すぎる果汁の味と香りが、口の中にふわりと広がる。
「甘いですか」
 リスカは答えられなかった。はっきり、漂白されたくらいに、意識が真っ白になっていた。
「この甘さに、酔う」
「……」
「ゆえに」
「……」
「酒はいらないでしょう」
「……!?」
「菓子とは、ねえ、リスカさん」
 顎から手を離され、果汁で濡れた指を絡められて、リスカは更に無の境地へ落ちかけた。
「菓子とは、甘いものでしょう」
 いやはやいやはや何と答えればよいのかいや答えていいものか?
「しかし」
 その反語が恐ろし……ではなく!
「私は」
 ど、どこに視線を向ければいいのだ。というよりも、セフォー、手を、手を、離して――
「別のものに」
「うあ、あう」
「酔いたいのです」
「!?」
「人を酔わせるものは、この世界に数限りなくあるが」
 セフォー、その中には、殺戮とか血とか処刑とかも含まれていますか……と、リスカは恐慌状態の中でも、つい無礼なことを考えた。
「一瞬で醒めるものなど興味がない」
 えっ殺戮は嫌いだったのですか? と思い切り勘違いな方向に悩むリスカだった。
「価値を覆すほど、いつまでも酔わせてくれるものは」
 不意に、目の前に白銀の帳が降りた。
「酒でも菓子でも言葉でもなく」
「ひ」
「たとえば――」
 冴えた銀色の瞳がやけに潤んで見えるほど近づいて、あああああ、と内心絶叫し、リスカが瓦解しかかった時。
 
 
「ぴ」
 とすん、とセフォーの頭の上に、小さな白い天使が乗ったのだった。
 
 
「……」
「……」
「……ぴ……?」
 
 
 その後、しばらくの間小鳥さんは、セフォーに近づこうとしなかった。


●END●

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