眠れぬ夜の眠り花による詐欺的時間


 リスカはその夜、自室にて、珍しい群青色の花と格闘していた。
 一輪に花びらは六枚。光沢がある大層美しい大振りの花だ。
 実はこの花、数少ないリスカの友である響術師が送ってくれたものだった。
「君の不可解な魔力に耐えうる花だと思い、送らせていただくよ。心身美麗でなおかつ優しく清らかな私の気遣いに対して君は月を仰ぐ度、勿論感謝と崇拝いや崇愛を捧げるだろうね? さあ捧げてご覧、恥じらわずに。きっと恋の奇跡が起こり、そして実に難解な性格の君を惑乱迷夢の甘美な楽園へと無理矢理導いてくれるに違いないのさ」という脅迫寸前の嬉しい手紙つきである。逆らうとあとが恐ろしいので、とりあえず月を見て感謝を捧げると、おや不思議、不可思議。届いた時にはまだ蕾であったというのに、突然、鮮やかに開花したのだった。さ、さすが、響術師。あなどれぬ。
 というわけで、リスカはこのありがたい花を眺めている内、すっかり眠気が覚めてしまい、今に至るのだった。
 ちなみにこの花が届いたのは深夜である。本格的に熟睡し始めた頃である。……まあ、いいけれど。
 眠れぬ。
 うむ?
 この眠れぬ状態をもしや響術師は予想したのであろうか。
 だとすれば、この花は睡眠誘導用として最適だということか?
 様々な推測を立てたあと、試しに魔力を指先に集め、花びらを一枚取ってみたが、残念ながらこれは失敗だった。貴重な一枚を、無駄にしてしまった。
「うううむ」
 媚薬用?
 不老用?
 はたまた美容用?
 分からぬ。
 分からぬゆえに、益々眠れぬ。
「うむ?」
 恋の奇跡と手紙には書いてあったが、果たしてどのような意味を持つのか。暗喩なのか?
 恋。
「うう」
 最もリスカが苦手……というか、実生活において明らかに縁のないものだ。僅かに虚しさを抱きつつ、月がきらめく真夜中に一人寝台の上で胡座をかき、首を捻る。
「ようし、こうなれば」
 時々、それこそ奇跡的な確率で、意味もなく適当に注ぎ込んだ魔力が花の性質とうまく融合し、成功することがあった。偶然の結果仕上がった場合、使用するまでその花びらがどのような効力を持つのか予測できないといった、実に面白い展開が待ち受けている。
 リスカは特に何も考えず、半ば無防備ともいえる状態で魔力を花びらへ注いでみた。
「あっ!」
 何と、成功。
 成功してしまった。
 さすがは響術師……奇跡、だ。
 リスカは大いに満足した。自画自賛もしてみた。勿論、遠い空の下にいる響術師への感謝も忘れなかった。
「さてさて」
 この花が一体どのような効果を発揮するのか。
 それは明日のお楽しみとしよう。
 リスカはすっかりご機嫌な気分で、寝台に寝転んだ。完成させた魔術の花は、寝台の側の小机に乗せておく。
 充実感に包まれながら眠る夜。
 最高である。
 
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 朝。
 小鳥が「おはようリスカ!」と元気に目覚めを促しにくる時間である。
 しかし、その朝のリスカは高らかに響く小鳥の歌声なしに、なぜかぱっちりと目覚めた。
 砂の使徒であるとはいえ、術師の勘は捨てたものではない。
 異変を感じたのだ。
「……?」
 リスカは怪訝に思って、寝癖のついた髪を撫でつつ寝台から降りた。夜着の上に肩掛けを羽織ったあと、部屋を出て、恐る恐る隣室へ向かう。
 この時間、いつもはセフォーが朝食の用意をしてくれているのだが。
「いない……?」
 静寂に包まれている無人の部屋を見回し、眉をひそめる。食欲をかき立てる匂いが、しない。
「セフォー?」
 あるはずの姿を見つけられない事実に、リスカは激しく不安になった。
 何事が起きたのか?
 朝食時には必ずまとわりついてきて陽気に鳴く小鳥までが不在である。
「どうして?」
 リスカは混乱した。ありえない。セフォーが何も告げずに消えるなんて!
 驚きと焦りを感じながら、慌てて身を翻しセフォーの部屋へと走る。普段ならば絶対に無断で開けたりしないが、今は緊急事態のため、目をつぶる事にする。
「セフォー!?」
 殺風景なセフォーの部屋。枕元に一輪、花が飾られているのは、ご愛嬌というものだ。
 圧倒的な威圧感を漂わせる主が不在なためか、室内は奇妙にがらんとしていて寂しい。
「せ、セフォー」
 いない。リスカは目眩を起こした。現実が異変の皮をかぶってリスカを惑わせているようだ。
 寝台に手を差し入れてみる。温もりは残っていないが、毛布は使用したあとがある。
「セフォー」
 どうしてどうしてなぜいない?
 リスカは途方に暮れ、口元を押さえながらぐるぐると室内を歩き回った。
「セフォーっ」
 呼びかけても、誰も答えぬ。しん、と乾いた空気が室内に満ちているばかりだ。
 一瞬、リスカの胸が軋んだ。
「セフォー」
 返答をもらえぬことで生まれた孤独感が原因なのか、急に鼓動が早くなり、身体から力が抜けていく。
「い、いないのなら……っ」
 その場にへたりこんでしまいそうになるのを堪えるため、ぐっと拳に力を入れた。
「いないのなら、いないと言って下さい! あんまりです!」
「ぴっ」
 ……あ?
 リスカは瞠目し、振り向いた。
 今、小鳥の鳴き声が聞こえたではないか。
 リスカの視線が、室内を一周し、最後に衣装棚でとまる。
「……」
 リスカは無言で駆け寄り、衣装棚を勢いよく開け放った。
「ぴぴぴ……」
 小鳥さんの気まずそうな声が耳に届いた。
 そして。
 ――そ、そそそそそして!!
「……あああぁぁっ!?」
 リスカは思い切り絶叫した。
 衣服の間に隠れる小さな影。
 小さな――まるで悪戯した子供のように。
 隠れてしまう影がある。
「セフォー!!」
 衣服の隙間から、どこか戸惑う様子で小首を傾げ、ちらりとリスカを見上げる瞳。
 珍しい銀色の。
「せ、せ、せセフォ……」
 リスカが愕然としながら名を呼ぶと、ふいっ、と顔を背けられ、衣服の間に逃げ込まれてしまった。
「な、その姿っ……」
 リスカは目を疑うあまり、裏返った声を上げた。
 ――どう見ても子供の姿、な死神閣下様が、そこにおわすのだった。
 
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「あの花びらですか……」
 場所は変わって、リスカの部屋である。
 ちょこりと寝台の端に腰掛ける華奢なお子様。ではなく、閣下様。
 リスカはまじまじまじまじと随分背丈が縮んだ剣術師の姿を凝視した。
 今の身長は、リスカの腰より少し上といったところか。はっきり言って、ちまっこい。ちびっ子である。幼いのである。
「あの花びらに、触れてしまったのですね?」
 念のため、事実を確認してみた。
 幼子と化したセフォーは空中を見据えて、しばらく後、こくりと頷いた。ああああ愛らしい仕草! リスカはなかなか子供好きである。
 だが、これはセフォー。
 だが、いとけない。
 リスカは理性と感情の間で揺れ、激しく煩悶した。
 銀色の髪も目も入れ墨も以前のままだ。ただ背丈が大きく縮み、身体つきが柔らかい。伏せられた睫毛がまあ、何とも人形のようで可愛らしい。
 愛らしい、と堪え切れずに胸中で呟いた瞬間、理性と感情との熾烈な戦いに決着がついた。感情が競り勝ったのだ。
 リスカは我知らず、笑み崩れた。どうやら響術師から届いた花は、若返り用として最適なものだったらしい。
「ぴ」
 なぜかセフォーは、小鳥をぎゅっと掴んで離さない。察するに、恐らく小鳥が、昨夜リスカが適当に魔力を注いだ花びらをセフォーのもとへ運び、そしてそして……この驚きな事態を招いてしまったのだろう。
「ああセフォー、そんなに強く小鳥さんを掴んではいけませんよ」
 なぜかリスカの口調は、子供向きの優しいものへと変わっている。
 セフォーはちらっとリスカを見上げて、渋々といった様子で小鳥を放した。ほっと安堵したらしき小鳥はそそくさと飛び立ち、リスカの肩にとまった。
「いい子ですね」
 褒めてから、しまった、と顔をひきつらせる。外見がどれほど変わっても、肝心の中身は徹底的破壊が大得意な閣下である。
 その危険を重々理解していても尚、視覚がいつもの恐怖を半減させてくれるのだった。
 更に言えば、セフォーは想定外の事態に羞恥心を抱いているのか、あるいは不貞腐れているのか、いつものようにリスカをじっと見ようとしないのだ。時々ちらりと視線を寄越すだけで、リスカが顔を向けると、すぐに逸らしてしまうのである。
 一瞬でも目を合わせばさすがに氷河のごとき冷酷さに戦いて仰け反ってしまうのだが、セフォー自ら顔を上げない。至れり尽くせり……ではなく、してやったり……でもなく、何とも安堵してしまう自分がいる。
「セフォー、大丈夫ですよ」
 常になく猫撫で声を出してしまう自分が恐ろしい。どうしても我慢できず、上機嫌になってしまうのだ。
「戻りますか」
 セフォーが不本意そうに、ようやく口を開いた。子供特有の甘い声、であるくせに、抑揚が全くない。
 姿はちゃんと元通りになるのか、とセフォーは聞きたいらしい。
「え? ああ多分……」
 と返答しつつ、実は自信が全くなかった。不老用、若返り用などは、大抵効力が長く持続する。そのため、術を無効化するための花びらがあるのだ。
 果たして、その花びらが効くだろうか。
 今の姿は十分愛らしいから別に戻らなくても、とリスカは強く主張したかった。
 リスカの心の声に気づいたのか、セフォーは緩く首を振った。が、まるで、むずがる子供のようにしか見えぬ。
 あ、頭を撫でたい。
 リスカは内心で、ふつふつと湧き上がる欲望と戦った。
「リスカさん」
 再び、ちらっとセフォーが視線を上げ、すぐに俯く。
「何でしょう?」
 リスカはわざと分からぬ振りをした。セフォーはおそらく「一刻も早く姿を戻してほしい」と言いたいのだろうが、この至福の時間を、そうやすやすと手放したくないのである。
「セフォー、お腹空きませんか? 今日は私が食事を作りましょうっ」
 えらくにこやかにリスカは宣言した。
 
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 可愛い可愛い可愛い、とリスカは殊更上機嫌だった。
 手早くパンを切り、卵と肉を炒めて、野菜を添えて。
 その間、セフォーは所在なげにリスカの服の裾をぎゅっと掴んでいる。
 もの凄く訴えかけてくる視線を、リスカは全て無視している。ふふふふふ、セフォーが我慢できなくなり、口を開こうとする時、先制攻撃をしかけるのだ。満面の笑みで優しく優しく髪を撫でるわけである。するとセフォーは黙り込む。先ほどからこの繰り返しだった。
 で、食事。
 いざ椅子に腰掛けようとして、セフォーは一瞬違和感を抱いたのか、首を傾げた。よいしょ、という様子で椅子によじのぼる。その危なげな動作を目にしたリスカはもう、笑みを抑えきれなかった。
 袖が余る衣服を着ているのもこれまた、すこぶる愛らしい。
 ああ最高、とリスカは心の中で歓喜の声を上げていた。
 
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 実に愉快な光景だった。
 セフォーは急に体躯の大きさが変化したためか、どうもうまく行動できないらしい。
 足の長さや目の高さが以前と異なるため、距離感が掴めないようで、何度もつまづきそうになっている。リスカは母親気分で戸惑うセフォーの手を握り、ゆっくり歩く。
 転倒しないようにとしがみついてくるセフォーが可愛らしい。リスカ、重症である。
「セフォー、外へ遊びに行きましょうか」
「……」
 どことなく恨めしげな上目遣いで見られた。
 すかさず髪を撫でる。
 すると、リスカにすがりつく。……一生このままでいてください、セフォー。
「リスカさん」
「外はいい天気。散歩日和、日光浴日和です」
「リスカ」
「セフォー、お出かけしましょう」
 反論される前に、ひょいっと抱き上げてみた。わずかにセフォーの瞳が揺れ、ぱちぱちと瞬く。
「さあ、いざゆきましょうっ」
 リスカは、うきうきと歩き出した。
 ……それが、間違いだったと気づくのはまだ先のこと。
 外見はどうあれ、セフォーはどこまでもセフォーなのだったと思い知る。
 
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 お人形さんならぬ、ちまりとしたセフォーを抱き上げつつ、リスカは浮かれ気分で町へ散策に出かけた。
 小鳥はなぜか怯えて、どこかへ逃げてしまっている。
「セフォー、雪飴買ってあげましょうか?」
 雪飴とはその名の通り、白くて丸い砂糖菓子。子供が好む菓子の一つだ。
「……」
 セフォーは無言でぎゅっとリスカの首にしがみつく。
 ああああ何て可愛いのだろうお子様セフォー。
 思わず白銀の髪に頬ずりする。ふわふわとした髪の感触がむず痒く、また心地よい。
 リスカは笑いがとまらぬ状態で、雪菓子の袋を一つ買った。菓子屋の店番に思い切り不審な顔をされたが、かまわない。
「あら可愛らしい子ねえ」
 店番のふくよかな女性が、リスカにしがみつくセフォーをふと見て、微笑む。
「……」
 セフォーは何も答えず、リスカの首筋に顔を埋めて固まっている。
 にこやかに店番の女性と挨拶をかわしたあと、再び散策開始である。通り過ぎる者が、「あら仲のいい家族ね」という微笑ましい視線を送ってくるのが分かる。
 リスカはなぜか意気揚々と笑みを返していた。
 セフォーは人見知りをする子供のように、通行人に声をかけられても決して顔をあげなかった。実際は違うだろうが、一見、恥じらいを含んでいるようなその仕草がまたもこちらの保護欲をかき立ててくれる。
 ご満悦! な気分のまま、途中で見かけた休憩所で、一息つくことにした。リスカは空いていた椅子に座り、膝の上にセフォーを降ろす。どこか放心した表情で、セフォーは瞬きを繰り返していた。
「まあ。あなたの弟さん?」
 セフォーに見蕩れて笑み崩れていたリスカの頭上に、若い女性の声が降ってきた。
 見ると、目の前に、今のセフォーと同年齢(?)程度のあどけない少女を連れた若奥さんがにこやかな表情を浮かべて立っていた。
「ええ! 弟、です!」
 リスカは思わず気合いを入れて元気に答えた。セフォーは瞬きもせず人形化している。
「奇麗な子ねえ」
「いえいえそんなっ」
 若奥さんの世辞に対して、誇らしげに答えるリスカだった。ふふふふ、見たまえセフォー。若奥さんの手を握るお嬢さんがほのかに頬を染めて、セフォーの様子を窺っているではないか。
 もしや小さな恋の物語? などとリスカは高鳴る鼓動を意識しつつ妄想に走った。
「お名前は?」
 若奥さんは少し身を屈め、優しい笑顔でセフォーに訊ねた。セフォーは無言でリスカを見つめる。
「すみません、弟は本当に人見知りが激しくて!」
「あらあら、いいのよ。うちの子も、引っ込み思案で」
 おほほほほ、とリスカは奥さんと二人で和やかに笑い、子供達を見つめた。お嬢さんは恥ずかしそうに、若奥さんの影に隠れてしまう。
「ほら、ちゃんとご挨拶して」
 と奥さんは苦笑して、自分の後ろに隠れたお嬢さんをそっと前へと促した。
 お嬢さんは俯きながらはにかみつつ、こんにちは、と小さな声で言った。
「こんにちは」
 とリスカも笑顔で返しつつ、お嬢さんの頭を撫でた。ようしセフォーも挨拶を、という企みを素早く察知したのか、セフォーは一瞬肩を揺らしたあと、はたっとリスカの腕に顔を押し付けて、動こうとしなくなった。
 リスカは若奥さんと顔を見合わせて、理解ある母親的慈愛の微笑を交わした。
 それからしばらく、若奥さんと二人で楽しくあれこれ世間話をしてしまう。
 仲の良い母娘が去るまで、セフォーは一言も発しなかった。
 
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 大人しくなったセフォーの頭を撫でたあと、若奥さんとの会話の余韻に浸りつつも、リスカは袋から菓子を一つ取り出した。
「ほらセフォー、美味しいですよ」
 雪菓子を見せて、セフォーの口の中に入れる。もの言いたげに、それでも素直に雪菓子を食べるセフォーを見て、リスカはひたすらうっとりしていた。
「……リスカさん」
「疲れましたか? 飲み物でも買ってきてあげましょうか」
「リスカ」
「何ですか?」
 無敵の笑顔でリスカは答えた。
「……」
 なんとなくいじけているように見える。
「ああ愛らしい……」
 たまらずに恍惚として呟いた。セフォーは凝固していた。
「そうだ、衣服、買いませんと。うーん、その他にも小さな椅子とか」
 奇跡的に保管していたリスカの子供の頃の服をセフォーに着せているが、それも少し大きいようなのだ。
「リスカさん」
 セフォーは俯きながら、妄想を膨らませて夢の世界に突入しているリスカの袖を掴んだ。
「どうしたのですか?」
「嫌です」
「え?」
「この姿は」
「何を言うのです、可愛いですよっ」
 大袈裟に反応し、本気で力説するリスカだった。
「しかし」
「まあまあ、可愛いのですからいいでしょう?」
「……」
「あー可愛いっ」
「リスカ」
 ぎゅむ、とセフォーを抱きしめるリスカだった。
 と、絶好調に幸福を味わうリスカの上に、影が落ちる。
「……ん?」
 見上げると、人相の悪いお兄さん達が薄笑いを浮かべて立っていた。
 怪訝に思う余地もない、お約束の展開である。いわゆる追いはぎ。金を出せ、というやつだ。
 この時リスカは咄嗟に、可愛い子を逃がさねば! という確固とした強い使命感を抱いた。最早その可愛い子が、平和を血の色に染め上げる殺戮王のセフォーだという事実は、すっかり記憶から吹っ飛んでいた。
「セフォー、お逃げなさい!」
 セフォーは実に、微妙な顔をした。
 早く早く、とリスカはせき立てる。今日はちゃんと花びらを持ってきているのだ! 追いはぎには負けぬ。
「大人しくしろ」
 と追いはぎの一人が威喝し、リスカの腕を乱暴な仕草で掴んだ。
 身を挺して子供を守らねばと悲壮な決意をもって、その腕を捻り上げようとした時――
 
 ばきりっ、と凄まじい音がした。
 
 ……。
 追いはぎ三人とリスカの周囲で時間がとまった。
「……」
 真っ赤な雨。
 ではなく、ちちちちち血!
「うわっ、うわっ」
 リスカの腕を掴んだ男の手が、肘の上あたりからちぎりとられている。
 リスカは青ざめた。そして追いはぎ達も染料を塗ったかのようにひどく青ざめていた。
「せせせセフォー!?」
 お子様セフォーが、リスカの可愛い無垢な天使さんが……な、な、なんと、片手で、追いはぎの腕を、ひねりちぎったのである! 
 セフォーは無表情のまま、ひきちぎった腕をぽいっと地面に捨てた。
 血塗れの腕を押さえて泣き喚く追いはぎの男と、魂が飛んでいる残りの男二名。追加で、リスカも魂を飛ばしていた。
「触れるな」
 セフォーはそう呟いたあと、絶句しているリスカにぎゅっとしがみつき、男達を睨んだ。
「……」
 我に返ったリスカは形相を変えて、懐から治癒の花びらを取り出し、絶叫している男の腕に押し付けた。
 もがれた腕は、今すぐならばなんとか治癒の力が届き接合できる。
 治癒後、廃人同様の体でへたりこむ追いはぎ三名を残し、リスカはセフォーを抱えて、脱兎のごとく逃走したのだった。
 
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 その後、店に帰ったリスカは、真っ先に術を無効化する花びらをセフォーに渡したという。
 以来リスカは、雪菓子を見ると、この時の光景を思い出して寒気を感じずにはいられなくなった。
 逆にセフォーは、雪菓子を好んで食べるようになったが、その真意は……謎である。



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