恋愛偽装・前編

 明宝戦、当日。
 両校の生徒達を集合させた宝城高等学校のグラウンドで、まずは水屋先輩と大谷さん、二人の生徒会長がそれぞれの学校代表として開幕の挨拶をする。スポーツマンシップにのっとり、とか、怪我のないように、とかそういう常套句は校長先生や部活顧問の先生におまかせで、生徒会長達は模範的な宣誓ではなく、生徒達を盛り上げて笑わせるような、ユーモアを交えた挨拶をするのが習わしなんだ。熱血的な雰囲気の堅苦しい言葉よりも、こういうちょっと砕けた感じが漂う宣誓の方が、生徒達も喜ぶ。
 どちらの会長が、より皆を盛り上げるかっていうのも、実は結構気になるところだったりするんだ。やっぱり自分達の生徒会長に皆を感心させるような挨拶をしてほしいって何となく期待をこめてしまうものだと思う。
 水屋先輩はどんな宣誓をするのかなあって、一応生徒会役員の一人である私は緊張しながら、グラウンドの中央に設置された壇を見つめていた。生徒会メンバーは仮売店のセットや学校近隣にある施設への挨拶など、色々と確認することがあったので、他の生徒達よりも早い時間に登校して朝から動き回っていた。水屋先輩も勿論、早い時間に登校してきて忙しく準備をしていたんだ。
 先輩、どこいったんだろう?
 今、大谷先輩が壇に上がり、冗談をふんだんにちりばめた面白い挨拶を披露している。次に水屋先輩が壇へ上がるはずなんだけれど、いつの間にか姿が見えなくなっていた。
 私は生徒会役員といっても下っ端なので、他の生徒達の列に混ざり、壇の後方に控えている先生方や副会長の姿を眺めている。久能先輩はちゃんといるのに、水屋先輩がいない。
 不思議に思って首をひねり、もしかして何かあったのかなあと不安な気持ちが芽生えた時だ。
 ざわざわと生徒達の間に奇妙な波が広がったんだ。
 はっと我に返って周囲を見回すと、どうもざわめきはうちの学校の生徒達に広がっている。
「え?」
 私は無意識に呟いてしまった。
 きりっと背を伸ばして歩いてくるその人に、視線が釘付けになる。すらりとした体つきの生徒。さらさらとした奇麗な長い茶色の髪を軽くなびかせて、迷いなく壇上に上がり、マイクを取ったあと、大谷さんと場所を交代する。
「明葉高等学校生徒会長、水屋です」
 明葉の制服……ダークグリーン色の制服を着たその人がマイクを通して名乗り、にこりと皆に笑いかけた。
 ざわめきが大きくなって。
 作り物のように整った微笑を見せるその人――水屋先輩は、どういう心境の変化なのか、女子の制服を着ていたんだ。
 
 
 勿論水屋先輩は女性なんだから女子の制服を着て当然なんだけれど、なんだかすごく変な気持ちというか、信じられない思いが膨らんでしまい、どうしても目を疑わずにはいられなかった。
 早朝に会った時、髪の毛は確かに短かった。一、二時間程度で肩よりも長く髪が伸びるはずがないので、多分ウィッグをしているんだと思う。服装に関しては、早朝の準備中、作業しやすいよう制服ではなくジャージを着ていたので、多分、その後着替えたんだろう。
 私は呼吸をするのも忘れるくらい驚いていたため、笑みを絶やさぬ水屋先輩の挨拶を聞く余裕がなかった。ただ、その姿ばかりを凝視してしまう。まるで、以前の先輩が戻ってきたような感じだ。上品で美人な上級生。
 どうして、先輩、いきなり女装……じゃなくて、女子の恰好に戻したんだろう?
 戸惑いとはまた別に、どこか寂しいような、不確かな気持ちが胸の中に生まれる。
 女子の恰好に戻った先輩は、すごく奇麗だった。たくさんの視線を受けても決して動じず、余裕をもって穏やかに言葉を紡いでいる。注目を浴びることに慣れていて、多分他人の目に自分の姿がどう映っているのかも理解していて、それを意識しすぎることなくごく自然に受け入れている人の貫禄みたいなものがある。
「冴、驚いたね」
 後ろに並んでいたイリちゃんが、ちょんっと私の背中をつついて、小声でぽつりとそう言った。
「うん」
「驚くっていうのもおかしな話なんだけれどさ。先輩、女性なんだしね? でも、なんか違和感があるなあ」
 イリちゃんの感嘆を含んだ複雑そうな言葉に、私はこくこくと頷いた。
 挨拶を終えた水屋先輩の目が、偶然のようにこっちを向いた。
 どきりとしてしまう。ええと、笑顔、作らなきゃ。
 焦りの中、そう思った瞬間――ふっと視線を外された。
「あ、あれ?」
 イリちゃんの素っ頓狂な声が聞こえた。
 今、なんか。
 ……無視、された?
 
●●●●●
 
「ちょっとどうしたの、水屋さんは!」
 宝城の副会長、飯田さんが驚きに大きく目を見開きながら、私に飛びついてきた。
「何あれ、どうして女装してるの? きっと水屋さんならタカラヅカスターみたいにスッゴイ恰好してくると思ってたのに!」
 実は私も同じ考えを持っていました。生徒達が仰天するような奇抜な衣装で登場するんじゃないかって。というか、水屋先輩は女性なので、女装とは言わないと思います。
「なんか、フツーに女子でしたよ水屋さんってば!」
 身悶えているのか喜んでいるのか嘆いているのか正確には判断できないけれど、飯田さんはグラウンドを転がるような勢いで叫んだ。
 開幕式は恙無く終了し、生徒達もの試合会場となる場所へそれぞれ散り始めている。
「ま、まあその謎はあとで探る事にして。行きましょうか」
「え?」
 ぼんやりする私の腕を、飯田さんは掴んだ。
「生徒会メンバーは、裏方のお仕事でしょ?」
 あっ、そうか。
「お友達も一緒に行く?」
 すぐ側にいたイリちゃんが一度心配そうに私を見たあと、飯田さんの誘いに無言で頷いた。
 私達は、水屋先輩達がいるはずの、放送室へと向かった。
 
 
 午前中の試合はテニスとバスケ。
 勝敗内容をアナウンスする放送室に生徒会役員達は頻繁の出入りをするので、生徒会室と併用している。
「遅くなりましたー」
 明るく告げて、飯田さんが放送室の扉を開けた。ちょうど水屋先輩と久能先輩が部屋を出るところだったらしくて、扉を開いた瞬間、鉢合わせする状態になった。いつもだったら久能先輩の姿に見蕩れ、胸が苦しくなるほど心拍数が上がるのに、どうしてか今日は意識が揺れて、女子の制服を着用しウィッグをつけている水屋先輩の方に視線が向かう。
「飯田、こっち」
 放送室の奥で、他の生徒と話し合いをしていたらしい大谷さんが手を振っている。飯田さんはぎこちない仕草でぺこりと水屋先輩達に頭を下げたあと、大谷さんの方へ行ってしまう。
「あ、あの、水屋先輩」
 何を言えばいいんだろうと頭の中がぐるぐるしてしまった。その恰好似合いますねっていうのはおかしいよね。理由を聞くと、鬱陶しいって思われるかな? 何だか私、一人で勝手に慌てて、躊躇している。
「西田さん、好きな試合見てきていいよ」
「え?」
 とにかく会話のきっかけを作ろうと口を開きかけた私に、微笑を浮かべた水屋先輩がそう言った。
「もうそんなに面倒な作業は残っていないからね。朝からご苦労様。入江さんと試合、見てきていいよ」
「あ、でも」
「あとは片付けの時に顔を出してくれればいいから」
 さらっと髪をかきあげて、微笑を崩さずに水屋先輩が付け足す。何でもないことのようにごくあっさりと告げられ、簡単に視線も外される。
「じゃあ、あとで」
 私が返答する前に水屋先輩は会話を切り上げて、隣に立つ久能先輩を促し、そのまま横をすり抜けて歩き出した。
 私はぽかんとしたまま、雑談の一つもなく去っていく先輩達の後ろ姿を見送った。
「冴?……どうしたの、水屋先輩。喧嘩したの?」
 イリちゃんも私と同様に、呆気に取られた表情を浮かべて、先輩達を見ていた。
「してないと思う……」
「変だよ、水屋先輩。冴にちょっかいを出さないなんて。というか女装も変なんだけど!」
「うん」
 変。すごく変。
「何かあったの、先輩と」
「ううん、朝は普通だった」
 朝に会った時は、いつもみたいに怪しくてきわどい言葉を連発しつつ楽しげな笑顔を見せてくれていたのに。
「イリちゃん……私、何か、先輩を怒らせるようなことしたのかな?」
「冴?」
 何か、頭の中だけじゃなくて、気持ちもぐるぐるしてきた。
 これって、不安なんだろうか。
 どうしてなんだろう。どうして先輩、素っ気ないんだろう。
 本当なら、今のような適度な距離を保った対応が下級生に向ける態度としては、むしろ相応しいんだろうけれど。
 まるで、私に衝撃の告白をする前の冷静な水屋先輩に戻ったみたいで。
 あれ?
「な、なんか、私」
「冴っ?」
 ぎゅうっと胸を押さえて、目眩を堪える。
 ちゃんと視線を合わせてくれなかった。儀礼的な作った笑顔だった。もう興味はないよって、とんと閉め出された気がした。
「イリちゃん、私」
 困った顔をするイリちゃんに、目を向けた。
「よく分からないけれど……くらくらしてきた」
 
●●●●●
 
 試合の応援をして、喜んだり嘆いたり。試合中の生徒に声援を送り拍手をしている間は、そのことだけに集中し、皆と一緒に盛り上がった。でも休憩時間や昼食時間、時々、身体を動かす原動力のような熱が一気に冷えてふっと上の空になり、地に足がついていない状態が訪れる。熱気や明るい騒々しさに包まれながらも、ふわふわと頼りなく漂っているような、心細さがつきまとう曖昧な錯覚に苛まれるんだ。
 色々と歩き回る間に、何度か水屋先輩達の姿を見かけたけれど、どうしても近づけなかった。視線が合っても、気にとめる必要のない景色を見たかのようにスルーされてしまう。それに、久能先輩と並ぶ姿があまりに自然で、お似合いで、何だか割り込むことができなかったし、気軽に声をかけられる雰囲気でもなかった。
 煙のように胸を陰らせる仄かな疎外感は、時間が経つにつれ消せない焦燥感に変わって、最後にはっきりとした虚脱感となりじわじわと気力を奪った。
「冴、大丈夫?」
「うん」
 夕方になり、そろそろ今日の最終試合が始まるという頃、イリちゃんが応援席に座ろうとする私の腕を掴み、人気のない通路の方へと導いた。ちなみに今、体育館でバレーをやるところだ。
「なんか魂抜けてるよ?」
「本当?」
 咄嗟に心臓の辺りを両手で押さえてしまった。するとイリちゃんが、どことなく哀れな子を見るような、切なげな目をして私を覗き込んできた。
 急に羞恥心を覚えて、私は一歩後ずさった。
「わ!」
「冴!?」
 あぁもう、私って馬鹿だ!
 後退した瞬間、足の力が抜けて、そのまま後方に倒れてしまったんだ。更に、何かに掴まろうと余計な動きをしてしまったため、壁のざらざらした部分で手をこすってしまった。
「痛っ」
 情けなくへたりこんだ体勢で、自分の右手を凝視した。親指の下あたりに血がにじんでいる。
「大丈夫? 血が出てる。保健室行こうか」
「大したことないから、平気。水で流して、ハンカチで……」
 と水飲み場の方へ視線を向けた時、ぽん、と音がした。振り向くと、イリちゃんが自分の手を合わせて、何か思いついたという顔をしていた。
「よし。元凶の水屋先輩、呼んでくる」
「ええ!」
「設定は以下の通り。冴が傷心のあまり階段から転げ落ち、意識を失った状態で保健室のベッドに寝かされて……」
「イリちゃん!?」
「ということで冴、大人しく保健室に行ってなさい」
「待って、イリちゃん!」
 私が立ち上がる前に、イリちゃんは逃亡するかのごとくダッシュで去っていった。
「どうしよう……」
 ぴりりと痛みが走る手を見下ろした。ちょっとした不注意のかすり傷にすぎなくて、先輩を呼ぶような深刻な理由でも何でもない。
 もし、先輩が来てくれて「この程度の怪我で呼び出すな」と怒られたら、かなりショックを受けてしまいそうだ。
 ――来てくれなかったら、きっともっと、ショックを受ける。
 我が儘で不安に満ちた感情に、私はなす術もなく翻弄されていた。
 
●●●●●
 
 保健室には数人の生徒がいて、ベッドに座ってお喋りしている子や勝手に絆創膏を探し出し手当をする子の姿もあった。先生は不在で、多分、試合会場を回り、生徒達の様子を見守っているんだと思う。午前中に具合が悪くなり保健室で休んでいた子が何人かいたらしいけれど、もう遅い時間のせいかベッドはどれも空で、今談笑している生徒達は体調がよくなって起きているというより試合見学をサボる目的で残っているみたいだ。
 私も絆創膏を一枚もらって手当をしたあと、窓際のベッドに腰掛けて、ぶらぶらと足を揺らした。保健室ってどこの学校も似たような作りなんだなあと、所在のなさを誤摩化すために無理矢理色々なことを考えた。
 イリちゃん、遅いな。
 渋る先輩を必死に説得して連れてこようとするイリちゃん、という空想図が頭の中に浮かび、すごく落ち込んでしまった。気づかないうちに、先輩を呆れさせてしまうような間抜けな失敗をしてしまったんだろうか。どうして突然冷たい態度を見せたんだろう。
 私を好きだといっていたのに、という狡くて高飛車な感じの思いが突然心に生まれ、慌ててしまった。おかしいな、好きと言われ、困っていたんじゃないの、私は。こんなに動揺するのは間違っているんだ。
 何だか今の私はすごく嫌な感情にとりつかれている。狡い、狡い、って必死に胸中で叫んで、自分の太腿を両手で一度、叩く。
 先輩は誤りに気づいたんだろうか。何かの間違いで同性を好きだと思い込んでいるって気づき、それで久能先輩とつき合うことに決めたとか。
 どっちに、嫉妬する? 平静を保ちたいと祈るように思った瞬間、そういう疑問がいきなり心に降ってきた。
 ――違う、何考えているんだろう!
 あぁもう私、頭がおかしいんだ、きっと。
 何も選んでいないし、自分の考えを一つも声に出していないし、約束すらしていないのに、先輩を責めるのは卑怯だ。私の曖昧な態度にいい加減うんざりして、興味をなくしたという可能性が一番高いんじゃないだろうか。
 私は両手で自分の頬を押さえた。
 でも、でも。
 やっぱり誤摩化せないくらい、不安。その恐れの殆どは寂しさに満ちていて、悩みに弱い涙腺を刺激する。
 嫌われるの、嫌なんだ。
 いつもみたいなちょっかいはすごく困るし、恥ずかしいし、心臓が破裂しそうなくらい衝撃があるけれど、でも――きっと、嬉しい。
 先輩は優しくて、奇想天外で、楽しい。あんなに奇麗な顔をして、破壊力の絶大な爆弾めいた言葉を口にする人、今までいなかった。
 これって感化されたのかな?
 頭の中がぐちゃぐちゃになってしまい、奇妙な呻き声を上げつつ髪の毛をかき回した時だ。
 がらっと勢いよく保健室の扉が開いて、その音に驚き顔を上げた瞬間、ばさっと何か重いものがかぶさってきた。
「西田さん!」
「うひっ」
 私は潰れた声を上げてしまった。実際に、身体も潰されたんだけれど。ううん、ベッドに倒されたというべきだろうか。
「頭を打ったの? 具合悪い? 怪我はどこ?」
 茶色の髪がさらりと目の前で揺れた。
「せ、先輩っ」
「ああ可哀想に、どこが痛いの?」
 矢継ぎ早に問い掛けてきて、怯える私の頬を繊細な指でなぞる人。ぎゅっと眉間に皺を寄せ、心配そうに目を瞬かせている。
 水屋先輩、来てくれたんだ。
「もしかして記憶喪失? 私が分かる? いや、大丈夫、分からないなら分からないで色々と方法はあるし、これはもう襲うのに絶好のチャンスともいえるし、この際、あることないことでっち上げて我が家に囲ってしまうという手も」
「ぐひ」
 さっきまでの苦悶や寂しさが、どうしてか一瞬で掻き消えました、先輩。
「あ、あ、あの、先輩」
「ごめんね西田さん。可愛い子猫ちゃんにこれほど深刻な苦痛を与えてしまうなんて、私は悪いご主人様だ。この無邪気な子猫ちゃんは丁寧に愛でてあげないと、籠の中で孤独に震える兎のように悲しむんだからね!」
 何の設定ですか!
 混乱しつつ視線を巡らせると、保健室の入り口にイリちゃんの姿があって、笑いを堪える感じの表情を浮かべながら小さく手を振っていた。イリちゃんの後ろには長谷川先輩がいて、目が合った瞬間、こっちに近づいてくる。イリちゃんも真面目な顔を繕って、先輩のあとについてきた。私は慌てて先輩の下から抜け出し、ベッドの端に座り直した。
「こら、寄るなハセ。私は今から記憶喪失の西田さんに、インプリンティングを開始するところだ」
 ごめんなさい、私、記憶を失ってません。
 側に寄ってきた長谷川先輩が、確認するように私の全身を眺めた。
「怪我は?」
「あ、大したことないんです、少し掌を擦りむいただけで」
 必死に説明すると、長谷川先輩はちらっとイリちゃんを見て、軽く頷いた。
「いいんだよ西田さん、是非このまま記憶喪失の方向で行こう。折角保健室にいるんだし」
 保健室と記憶喪失の繋がりが見えません、先輩。というかその繋がりの向こうにある結末に、濃厚な恐ろしさをひしひしと感じてしまいます。
「あのな、西田」
 しがみついてくる水屋先輩をどうしたらと悩む私に、長谷川先輩がのんびりとした口調で言った。
「数日前にな、教頭から文句をいわれた。明宝戦には、部活動に携わる生徒以外は制服着用が義務づけられている。行事関係はやはり最低限の規律が必要だと。生徒会役員は特に」
 あ、そうか、と思った。うん、私だって今日は制服を着ている。
「ハセ!」
 唐突に水屋先輩が怒鳴った。何だか少し慌てている感じだ。なぜか保健室にいた他の生徒達が戦々恐々といった感じで逃げ出していく。喧嘩が始まると誤解されたのかな。
「水屋が男子の制服で通そうと目論んでいたのを察したらしくてな。先回りされたんだよ。で、一応優等生な水屋は、渋々女子の制服を」
 そうなんだ、私も当然のように、先輩は男子の制服を着てくるんだと思い込んでいた。最近はずっと男装を通していて、その姿に見慣れてしまっていたから。
「うるさい、それ以上言うと、足払いをかけるぞ」
「分かった」
 睨む水屋先輩にあっさり頷いたあと、長谷川先輩はぽんっとイリちゃんの肩を叩いた。ふむふむと話を聞いていたイリちゃんはぎょっとした様子で飛び上がった。
「俺はこっちの方で西田の友と茶を飲む。気にしないで語っていろ」
 と長谷川先輩は、怯えるイリちゃんの腕を掴んだあと、さっとベッド横の白いカーテンを引いた。それで完全に視野が遮られることになり、ある意味、水屋先輩と二人きりな感じになってしまった。
「――あ、西田の友、菓子食う?」
「お菓子持っているんですか?」
「こんなものならポケットに入ってる」
「……うわ、凄! 四次元ポケットですか!」
「たんと食え」
 などと、イリちゃんと長谷川先輩の呑気な会話がカーテンの向こうから聞こえた。
 あの、長谷川先輩、ポケットの中に一体どれだけのお菓子が入っているのか、カーテンで遮断されて見えない分、すっごく気になります。
 お菓子食べたいなあ、とちょっとつられてカーテンに手を伸ばしかけた時、水屋先輩が改めてぎゅむっと抱きついてきた。
「うひ」
「オーマイダーリン、ごめんね。私がつれなくしたせいで、その可憐なハートを痛めたんだって?」
 誰からそんな話を聞いたんですか。イリちゃんが伝えたのかな。

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