恋愛魔法

「というかさあ、そこまで深く考え込まないでさー、気軽な気持ちで楽しんじゃえばいいんじゃない?」
「そうそう、青春の一ページとして」
「別に結婚するわけじゃないんだし」
「水屋先輩も、本気じゃないと思うしさぁ」
 四時限目。本当は生物の授業だったんだけれど突然自習になったため、私の教室は賑やかな憩いの場と化していた。といっても、別教室ではちゃんと授業をしているので、あんまりうるさく騒ぐと他の生徒達に迷惑がかかってしまう。羽目を外さない程度に遊ぶのが基本。ゲームをしたり本を読んだり、爆睡したりなど、各自で好きなことを皆している。
 私はといえばイリちゃんと、あとクラスの女の子達で集まり、机にお菓子を並べてお喋りタイムを楽しんでいるんだ。
 話の内容は校内ニュースからいつの間にか水屋先輩のことに変わってしまい、私はその間中、ずっと顔を引きつらせていた。うう、心臓に悪い話だ。
「面白いじゃん。タカラヅカみたいで!」
 一人の子があっけらかんと告げた言葉に、他の子がうんうんと頷き、同意を示す。
「水屋先輩なら許す!」
 そういう問題だろうかとつい突っ込みをいれたくなってしまう。
「だって恰好いいし」
 力強い賛同の声が上がって、私は仰け反りそうになった。
「楽しめばいいんだよ。普通に恋愛するよりもさ、なんか怪しくてどきどきするじゃない」
 うん、怪しすぎて違う意味で胸がどきどきすることは確かだけれど、それ以上に強く感じる恐怖の方が深刻だったりする。
「滅多にこういう体験できないと思うしー」
 うんうん、ホント、非現実的な体験だと思う。ただその非現実さを受け入れてしまった場合、自分の未来がファンタジー的魔物の世界へと迷走してしまうような気がして、壮絶な危機感が募る。
「あたしも水屋先輩ならオッケーだけどなー」
 え!? と私は思わず叫んでしまった。
「先輩が卒業するまでのことでしょ?」
 そうなの、かな?
 先輩も皆がいうように、残りの学校生活をちょっと刺激的な感じにするためっていう気軽な思いで行動しているのかな。
 卒業までの恋愛ゲーム。少し過激で型破りで。退屈しのぎが目的の恋。そういうものなのかな。
 じゃあ、私が色々と考えすぎるのって、先輩にしてみたらすごくうざいのかなあ。
 私はよく分からなくなって、困った視線をイリちゃんに送った。イリちゃんは他の女の子達には賛同しないで、のほほんとお菓子を齧っている。
「ね、冴。軽い感じでさ」
 ぽんと別の子に肩を叩かれて、私は曖昧な微笑を返した。
 
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 皆の言葉が消化できないまま、ぐるぐると胸の中を回っている。
 考え過ぎだって自分でも少し思うけれど、何だか半端な気持ちが嫌……というか、恋を遊びにしていいのかなという迷いも振り切れなくて、足踏み状態のまま動き出せずにいる。一度そうしちゃうと、どんどん真剣になるのが難しくなって「好き」という気持ちの重みがなくなってしまうような気がする。でも、こういう風に考えるのって、やっぱり面倒だと相手に思われるかもしれない。まだ高校生なのに恋に色々な注文をつけすぎて、がんじがらめにしちゃって、ふわりと清潔な白い羽根を自分で封じてしまっている感じだ。
 もっと軽い感じでいいんだよね?
 軽い気持ちだからって、どうでもいいわけじゃないんだ。
 自分に何度も言い聞かせてみるけれど、私の中の意固地な部分が首を縦に振ってくれなくて、キツイ目で本音は違うでしょって訴えかけてくる。
 普通の恋愛ならこんなに悩まないのかな。
 というか、私、久能先輩が好きなはずなのに、気がつけば水屋先輩のことばかり考えて悩んでいる気がする。
 おかしい、こんなの。
 おかしくさせる先輩に少し腹を立ててみたり。
 先輩のせいだー、なんて自分の曖昧さを棚に上げて責めてしまった。
 
●●●●●
 
 はぁ、何か色々考えすぎて肩こりが。
 放課後、私は首をさすりつつ、生徒会室に向かった。本当は今日、生徒集会はないんだけれど、以前に頼まれていた校内アンケートの書類を提出しなくちゃいけないため、一度生徒会室に顔を出そうと思ったんだ。書類を役員方に渡せばそれで用事は終わるから、イリちゃんと下校後カラオケに行こうって約束した。というわけで今、イリちゃんは教室で私の用事が終わるのを待ってくれている。
 書類を胸に抱えて生徒会室を目指しながら、廊下にたむろしている生徒の姿をぼんやり眺めた。仲良さそうな感じで笑い合っている男子と女子がいて、いいなーと少しだけ羨ましくなった。多分、つき合っているんだと思う。そんな雰囲気。
 高校生における恋の割合はきっと進路と同じくらい。
 なんて変なことを考えつつ歩いていた時、突然、背後から抱きつかれて、私は小さく悲鳴を上げてしまった。
「西田さん、発見」
 軽やかな笑い声が降ってくる。
「……水屋先輩」
 条件反射で吃りそうになってしまったけれど、懸命に堪えて、自分なりにつれなく見えるよう淡白な反応を返した。
 そうだ、いつまでも先輩に振り回されてばかりじゃ駄目! もっと自分を強くしないと。私が毎回馬鹿みたいに狼狽えるから、先輩は面白がってちょっかいをかけてくるに違いないんだ。
 それって、恋じゃない。
 うん。きっと。
 ――恋と思えば楽しいから。そういう軽いノリなんだ。
 思い浮かんだ結論に、なぜか胸がじくじく痛み出したけれど、私はそんな奇妙な感覚を無視して先輩に向き直った。
「これ、先輩に届けようと思っていたんです。この前のアンケート書です」
 私は早口で説明し、書類をぐいっと突き出した。
 水屋先輩は、おや? という様子で片眉を軽く上げ、面白そうに私を見下ろした。私がいつもの反応を見せないから、興味深そうな目をするんだ。ここで負けたらまた同じパターンを繰り返してしまう。
「あの、これで失礼します」
 先輩なんてもう知らない。
 私は理由がよく理解できないまま、歪に捩じれた感情を抱えていた。そんな気持ちを隠すためにきつく蓋をし、顔を背けて、くるりと踵を返す。
「ハニーはご機嫌斜めなの?」
 ぎくしゃくとした態度で歩き出した私に、またしても水屋先輩が背後から抱きついてきた。
 一瞬、ハニーという台詞によろめきかけたけれど、駄目駄目、我慢!
「せ、先輩には関係ありません」
 少し振り向いて強い口調で拒絶すると、水屋先輩はにっこりと余裕の笑みを見せた。
「ふうん。じゃあ関係、作ってみる? ここで」
「ぐひ……ぅう、けけ結構です!」
 私は先輩の退屈しのぎのために存在する玩具じゃないんだから!
「んー、女王様ゴッコも好きだけれどね。そういうプレイ?」
 プレイって何ですか! と心の中でついつい叫んでしまった。あぁもう、やっぱり私、先輩に遊ばれているんだ!
 一度くらいはきちんと自分の考えを口にしないと、今後も先輩の企み通り手の上で転がされてしまうに違いない。
「先輩は、私のことからかってばかりです」
「んん?」
「私が馬鹿みたいな反応をしたり驚いているのが、ただ楽しいから、そんな……そんなこと言ってるんです!」
 あれ、何か私の主張ってどこか変かも。
 そう思って焦るけれど、言葉も自動車も急にはとまれないもので。
「だから水屋先輩は、ホントは、私のことを好きじゃなくて!」
 絶対おかしい。私ってば一体何を責めたいんだろ。
 ぎゅっと拳を握った時、水屋先輩がまだ余裕の表情を浮かべたまま、私の額をつんとつついた。
「好きだよ」
「そそその好きは、恋愛の好きではありません!」
「好き」
 自分一人、なぜか間違った方向にエキサイトしている気がして、目に涙が浮かんできた。
 恋ってもっと、もっと、慌てたり迷ったり苦しんだり、ちょっとした出来事に一喜一憂するものだ。一緒にいるだけで空から降る雪や雨が奇跡のように見えたり、時間が輝いたりするはずだもの。そしてたった一瞬の微笑みが、胸の一番深い所を占める決してなくせない大切な秘密に変わる。千の宝物を授けてくれるのが恋。お気に入りの雑貨店で探しても絶対買えないとびきりの宝物だ。世界中の富を手中にした王様の頭を飾る王冠よりも奇麗で、切なくて価値がある。心がこんなにも豊かになれて、花火みたく鮮やかに日常を彩ることなんて、きっとそう多くはないんだ。でも先輩は飄々としていて何でもないことのように好きって口にする。全然特別な言葉じゃない。
 恋って魔法みたいなものじゃないの?
 我が儘だけれど、重いかもしれないけれど、恋ってそういうたくさんの奇跡であってほしい。涙がこぼれる瞬間みたいに、胸を熱く焦がす想いの結晶であってほしいと思うんだ。
「何をすれば信じてくれる?」
「何をって……」
 混乱して考えがぐちゃぐちゃ。
「からかっているんじゃないって、何を見せたら信じてくれる? 心に色をつけては見せられないから、言葉にしているんだけれどね。西田さんが好きな物で周りを飾れば、信じてくれるのかなあ」
「わ、私の好きな物、先輩、知らないじゃないですか」
「じゃあ、教えて」
 口の上手な詐欺師みたいに、私が何を言っても先輩はさらりと言葉を返すんだ。分かっていても、乗せられてしまう自分に益々焦りが募ってしまう。
「女の子は、花が好きなんですっ」
 ここが人目のある廊下だということを忘れて私が叫ぶと、水屋先輩は笑って頷いた。もうこの人って、どうしてこんなに動じないんだろう!
「それから、奇麗な服が好きで!」
「それから?」
「それからっ、甘い物が好きなんです!」
「うん」
「アクセサリーも好きでっ」
 って私、何言っているの。恋の条件について色々と考えていたはずなのに、単なる好みを披露してしまっている。
「宝石みたいに奇麗な何かで飾ってほしいんです。その人のためだけに奇麗になりたいっていうか……女の子は、好きな人にお姫様扱いされたいものなんです!」
 これじゃあいけないと動揺するあまり、顔から火が出そうなほど恥ずかしい台詞を言ってしまった。
「叶えてあげる」
 水屋先輩が真剣な目をして、囁いた。
「え?」
 驚いて顔を上げた時――
「え。え? え?」
 ――廊下の先から、なぜか大きな花束を抱えた女子生徒がこっちに向かってくる。
 目の錯覚かと疑う私の横でその生徒が足を止め、たくさんの赤い薔薇をまとめた花束を、笑顔で水屋先輩に渡したんだ。
「ななな!?」
 水屋先輩は美麗な微笑で当たり前のように花束を受け取り、すぐさまそれを私に差し出した。目に、薔薇が生む鮮明な赤が飛び込んでくる。偽物なんかじゃなくて、くらくらするような甘い匂いを漂わせる本物の薔薇だ。
「まずは花束。可憐なお姫様には勿論、薔薇の花束ね」
「えっ、なっ、どうして……!?」
 何で花束が本当にあるの!?
 花束を手渡されて呆然とする私の前で、更に魔法が起きる。
「水屋会長!」
 という元気のいい声が聞こえて――今度は何と、白いドレスを抱えた女子生徒がこっちに走ってきたんだ。
「えええ!?」
 私はもうパニック状態だった。
「水屋会長、ドレスです!」
 その女子生徒は誇らしげに宣言し、水屋先輩にドレスを差し出した。すごいドレス。ウェディングドレスみたいにひらひらとしていて奇麗なやつ。
 水屋先輩はこれも当然のように頷き、ドレスを受け取った。
 っていうか先輩、何ですかこれ! 打ち合わせしていたんですか!?
 でも花束や奇麗な服が好きって言ったのは、誰でもないこの私なのに、なんでこんなにタイミングがいいの?
「うん、奇麗な服。はい」
 私は殆ど失神状態でドレスを受け取った。
 だけど、これで終わりじゃなかった。
 どう見ても運動部所属って雰囲気の体格のいい男子生徒がどかどかと接近してきて、なななんと、可愛いリボンで包んだクッキーの袋を水屋先輩に渡したんだ。
「ひぃ!」
 ありえない、この現実がありえない!
 水屋先輩はそれでも平気そうな顔で「ありがとう」と男子生徒に笑いかけ、渡されたクッキーを私に差し出した。
「甘い物。西田さん、クッキーは好き?」
「ひぅ、うひっ」
 私は言葉を忘れたみたいに口をぱくぱくしながら、次々に届くクッキーやドレスや花束を交互に見比べた。
 嘘、何で、一体何が起きているの。
 ――でも、まだ続きがあった。
 そう、もう絶対嘘だっていうか信じられないけれど! 保健の先生が近づいてきて、うわー! きらきらの宝石がたくさんついている小さな王冠! を水屋先輩に渡したんだ。
 何でー!!
 何で学校にミニ王冠が、それも保健の先生が持っていて、水屋先輩に渡すのー!
 夢だ、絶対にこれは夢だ。
「はい、西田さん」
 水屋先輩が一度手の中の王冠を掲げたあと、絶句している私の頭に、ちょん、とミニ王冠を乗せた。
「私だけのお姫様」
 格好よくて奇麗な微笑み。
 信じられない、もう何が何だか分からない!
「せ、せ、先輩、一体、ななな何が起きて」
「どんなことでも叶えてあげる。花束もドレスも、欲しいならばいくらでも。ねえ、好きってこれで信じてくれたかな?」
 恋は魔法なんだよ、と水屋先輩が企みに成功した顔をして笑う。
 私はもう何も考えられなくて、ただぼうっと水屋先輩の顔を見返すしかできなくて。
 恋って魔法。
 こんなにも鮮やかに、魔法を使える人がいる。
「大好きだよ、西田さん」
 水屋先輩は優雅に片膝をついて、私の手を取った。
 
●●●●●
 
「ねえ冴?」
「……ん」
 下校後。
 衝撃からまだ立ち直っていない私に、ぽつりとイリちゃんが言った。
「昼前に皆で話したことについてなんだけどさ」
「ん」
「私はさぁ」
「ん」
「本気だと思うよ」
「……?」
「水屋先輩、本気だと思うな」
 私は派手に転んでしまった。
 地面にうずくまる私に呆れた目を向けつつ、それでも嬉しそうにイリちゃんは笑った。
「だってさあ。髪を切って、服装も変えて、久能先輩を振って。本気じゃなきゃできないよ」
「うううう」
 恋はパワーだね、と最後にイリちゃんは断言した。
 
 
【恋愛魔法の舞台裏-長谷川観察記-】
 
 女の子は花が好き。奇麗な服に甘いお菓子。宝石。
 恋人だけのお姫様。
 何とも我が儘で罪のない、愛らしい願望。
 しかしいくら水屋でもすぐさま西田の願いを叶えることは不可能だろう……と同情したら。
 さすがは水屋。運とタイミングを味方につけた。
 そういえば今日、美術の木下先生が生物の前川先生と婚約した祝いとして、クラスで花束を渡すという計画があったのだった。前川先生は俺達のクラスの担任でもある。更に言えば美術の授業を水屋は選択している。ゆえに水屋がクラス代表として、花束を贈呈する予定だった。本当は今朝渡すはずだったのだが、肝心の前川先生が風邪のため本日学校を休んでしまったのである。そこでクラス会議の結果、放課後に前川先生の自宅へ見舞いをかねて突撃するということに決定したのだった。一応、婚約者である木下先生の許可は得ている。
 水屋、その花束の代金、クラスの奴らが出したのだが……まあいいか。とりあえず、こうして第一の花束の謎が生まれたわけだった。
 第二のドレスの謎。
 何の事はない。演劇部で使用するドレスだ。
 水屋は時々頼まれて、演劇部の手伝いをしている。というより複数の部をかけもっている。数日前、ドレスの採寸に失敗し布が足りなくなったとかで演劇部の生徒が水屋の所に泣きついてきたことがあったな。で、水屋の出番だ。布をどこからか調達してきたのだ。完成したドレスに感激するあまり、演劇部の生徒が世話になった水屋に見せにきたというのが真相だろう。
 三番目のクッキーの謎だが。
 どう見ても体育会系でコワモテな男子生徒達だが、あいつらは皆、調理部所属である。恐ろしいことに。
 水屋はあいつらと仲がいい。今日だけじゃなくて、結構頻繁に部で作った菓子をもらっているらしい。生徒会室で用意される菓子は、調理部から入手したものが半数を占めるという事実、西田は知らないのだろうか。
 最後の、ミニ王冠の謎。
 これも何の事はない。勿論演劇部の小道具だ。
 なぜ保健の先生が所持していたのかという謎だが、解き明かしてしまえば簡単な事である。保健の加納先生はビーズアクセサリーの達人なのだ。密かに作ったアクセサリーをネットで販売しているという噂もあるが、それは深く追及しないでおこう。
 というわけでその腕前に目をつけた水屋が、調子のいい言葉で先生をおだて、演劇部の小道具をタダで作らせたのだろう。
 めくるめくタイミングで、全ての条件がこの時に揃ってしまったわけだが。内心では水屋もひやひやだっただろうな。
 実は王冠が加納先生によって届けられた直後、サッカー部の生徒が「激辛ハム」という余計な土産物を水屋に渡そうと接近していたのだが、それを西田に発見される前に葬ったのが俺だったりする。いや、あのタイミングで激辛ハムなどを見せられた場合、一気に興醒めではないか。このくらいの手助けはしてやらねば。
 もう一つ。加納先生の登場については、少し作為的かもしれない。いや、もともと加納先生は水屋に王冠を届けようとしていたらしいのだが、どうも二人の会話を立ち聞きし、タイミングを見計らって渡したように思える。なかなかやるな、先生も。
 知れば単純な事実。
 けれども、知らなければ神秘の魔法。
 魔法のために、真実は秘密にしておこう。
 恋愛成就の日のために。

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