恋愛真相

 うう、見られてる。
 私は呼吸困難の一歩手前だった。
 神様、どうして体育の授業が、水屋先輩のクラスと重なってしまったんでしょうか。
 目の端に映る美麗な人。
 ああ、奇麗な人はジャージを着ても様になるんだ、なんて馬鹿な感想を抱きながら、私はバスケットボールを味方のチームに回した。
 なぜか、水屋先輩のクラスと私のクラスで体育館を二分し、バスケをしていたりする。ちなみに男子生徒はグラウンドでサッカー。
 水屋先輩も一応授業中のはずなのに、熱心にこっちを見ていて。
 死にそう、と私は思わず呟いてしまった。
 
◆◆◆
 
「西田さん、突き指とかしなかった?」
「はははい、全然、全く、完璧に無傷でございます」
 私は顔を引きつらせながら、慌てて答えた。
 私のチームのプレイが終わったあと、水屋先輩が笑顔で近づいてきて、もう何て言うか恭しい仕草で私の手に触れたんだ。あぁ指が拉致されて……と私は変な焦りを抱いてしまった。
「髪、少し乱れているね」
 片目を瞑って微笑む水屋先輩の指が、私の前髪を整えてくれる。
 先輩、すごく生徒達の視線が痛いです。ある意味、試合中よりも濃厚な緊張感が体育館に満ちています。
 水屋先輩は体育用のジャージの上に白いパーカーを着ていたけれど、ちょっと私を見下ろしたあと、なぜかそれを無造作に脱いだ。そして、えっと驚く私の頭にぽすりとパーカーを被せる。
「先輩?」
 心臓が大きくはねたのを意識しつつ、パーカーを着させてくれる水屋先輩を見上げる。
「いけないなあ、西田さん」
 ちょっと叱るような感じの水屋先輩に、私は戸惑いと驚きの視線を送った。
「白Tシャツって、少し透けそうな感じで心憎いよね」
「……はい?」
「うん、下着の線がね」
 ひぃ、と私は喉の奥で叫んだ。透けてません! それに、他の子も同じようなシャツです。というか話に耳を傾けていた女子生徒が揃いも揃って恥ずかしそうに頬を染め、上着を羽織り始めたんだけれど、皆、水屋先輩の性別を忘れているような気がする。
「それ、着てなさい」
「ででででも」
 無敵の微笑を前にして、私はあっさりと敗北した。水屋先輩、こんなことを思ってしまってすみませんが、日に日に言動というか思考が男前になっていますよね。
 私は遠くを眺めつつ、乾いた笑みを浮かべた。
 そうは思いつつもやはり水屋先輩は女性なんだ、とふと気づく。凄い理由でほぼ強制的に着る事となったパーカーから、ふわりと仄かに甘い匂いがしたんだ。勝手な想像なんだけれど、もしこれが本当の男の子に借りた物ならば、汗の匂いとかしそう、なんて思う。
 ……いや、水屋先輩なら、たとえ本当の男になったとしてもローズ系の香りをまとっていそう。
 かなり脱力しつつ、私はもごもごとお礼を言った。
「イイなあ」
 といきなり水屋先輩が熱に浮かされたような声音で独白した。何がイイんだろう、と私は戦々恐々としながら次の言葉を待った。それにしても先輩、さっきから先生が泣きそうな顔でこっちを見ているんですが、試合に戻らなくていいんでしょうか。
「運動後の輝き。薄らと上気する頬と濡れた瞳。しっとりと汗ばむ白い肌。……西田さん、今からちょっと体育館裏の倉庫に行って、二人で仲良く話をしようか」
 あ、クラスの子が派手に転ぶ音が。
 というか先輩! 倉庫に行って何をするのか、想像するだけで恐ろしいです!
「今、授業中です、よ、ね……?」
 そうですよね、先生。
「うーん、そうか。その辺りはどうとでも小細工できるんだが……、いや、そういう真面目な所も好きだよ、西田さん」
 ばたばたっと女子生徒が次々と気絶する音がしませんでしたか。そもそも小細工する前に、正々堂々と授業をさぼっていると思います。
「昼休み、図書室デートする?」
「んひっ」
 水屋先輩が軽く首を傾げて甘く笑い、わ、わ、私の腰に両腕を回してきた。どこのホストですか、先輩。
「図書室デート、って、あのぅ」
「静かで邪魔が入らない秘密の空間。なぜなら本棚により三カ所の死角が作られるため、校内カップルの密かな逢瀬の場所、平たく言えば手軽な欲望処理所として利用されている」
 生徒だけではなく、ついに先生までが砕け散りました。
 あの、先輩。密かな逢瀬の場所が、恐らく体育館にいる生徒全員に知られてしまったような気が。
 と思ったら。
 いきなり水屋先輩が身を屈めて、私の耳に唇を近づけた。
「大丈夫、一番のオススメ場所は、司書室の机の影。既に司書室の鍵は買収済み」
 悪魔の囁き声が聞こえました……。
 魂を飛ばしかけた時、開放されている体育館の非常口で、何かがちかっと光った気がした。
 気のせいかな?
 
◆◆◆
 
 とりあえず、脅威の図書室デートには拝み倒して親友のイリちゃんにも同行してもらった。水屋先輩がもの凄く不満そうなのは、多分、久能先輩までが「保護者同伴」なんて軽口を叩きながら、一緒に来てくれたためだと思う。
 久能先輩、今日は制服を着ている。ダークグリーンの制服なんて本来野暮ったいはずなのに、ちょっと我流を加えているのか、とても格好いい。身長が高いから何を着ても映えるんだなあと、私はつい見蕩れてしまった。うぅ赤面。
 名前を呼んでもらえると、それだけで胸がほわほわする。久能先輩の笑顔は、優しくて大好きだ。
 幸せ気分に包まれていた時、隣に座っていた水屋先輩がかたんと音を立てて、足を組み直した。ごめんなさい、私、一瞬、ホストの帝王……、と思ってしまいました。
 今私達は閲覧コーナーでお弁当を食べつつ、お喋り中。本当は図書室での飲食は禁止されているんだけれど、誰も咎めないっていうのはどういうことだろう。
「滝生、去れ。風に吹かれて去るがいい。今すぐ」
 限りなく低い水屋先輩の声音が、死神の宣告のように聞こえたんですけど、錯覚でしょうか。
「俺は別に、陵に用事があったわけじゃない。西田に会いにきただけだが?」
 余裕の笑みで久能先輩が応戦した。
 嬉しいのに、嬉しくない。だって久能先輩が私に話しかけてくれるのは、ホントは水屋先輩のためなんだもの。
 私に向けられた穏やかな言葉と笑みは、偽物なんだ。本音では私のこと、ウザくて邪魔に思っているって嫌でも分かる。
 辛すぎる、私。好きな人に凄く嫌われている。その上で、「付き合おう」なんて言われかけた。
 机に突っ伏したくなる程、心が萎んでしまう。
 久能先輩の隣に腰掛けているイリちゃんが、声に出さず「ガンバレ」って応援してくれた。ありがと! イリちゃん、良い子だなあ。ただ、水屋先輩をうっとりと見つめるのはどうかと思うけれど。
「滝生のお陰で、私の計画は変更を余儀なくされた」
「へえ?」
「西田さんを机に座らせ、私はその膝に寄りかかって幸福な一時を過ごそうと思っていたのに」
「……むしろその計画は変更になってよかったと俺は思う」
「まあいい。今日は西田さん、ミニスカじゃないから」
「ミニスカ?」
「生足は期待できないという意味に決まっている」
 馬鹿め! と水屋先輩は軽蔑の眼差しで久能先輩を見つめた。
 久能先輩の笑みが凍った。かっきり三秒程。図書室全体が氷に包まれたと言っても嘘じゃないと思う。
「よかったな西田。今日はスカートじゃなくて……」
「はい……」
「しばらくミニスカはやめた方がいいと思う」
「……そうします」
「こら滝生。誰が勝手に西田さんと話していいと許した」
 私とイリちゃんは頭上で飛び交う恐ろしい会話を聞き流しつつ、黙々とお弁当を食べた。お弁当はどんな時でも美味しいね、イリちゃん。
 けれど。
 何気なく顔を上げた時、本棚の影でまた、何かがちかっと光って。
 私は、不安を覚えた。
 
◆◆◆
 
 気のせいなんかじゃない。
 盗み撮り――されていると思う。
 ここ数日、頻繁に誰かの視線を感じるんだ。勿論、水屋先輩が姿を現し、色々と恐怖のお誘いをしてくるようになって以来廊下を歩くたびにひそひそ小声で嫌味を言われたり、逆に応援されたり、遠巻きに観察されたり、明確な嫌悪を向けられたりとかしてたんだけれど。
 そういうはっきりとした視線じゃなくて、もっと別の温度を感じるような視線。
 耐えきれなくなってイリちゃんに相談したら、最終的に久能先輩へ伝わってしまった。イリちゃんのお兄さんが久能先輩と知り合いらしくて、話が直ぐさま伝わったみたいだ。お兄さんも多分、水屋先輩の劇的変身が私に関係していることや、久能先輩までその問題に巻き込まれていることを知っているんだと思う。うん、全校生徒、知っていそう……。
 水屋先輩にも言った方がいいかなあと少し不安になったけれど、久能先輩にとめられてしまった。「陵に相談した場合、秒単位で解決するだろうが、その代わり相手は間違いなく死の森で八つ裂きにされる」って諭されて、私は絶句してしまった。
 ――でも久能先輩、本当は私のことなんかで水屋先輩を煩わせたくないって思っているんだろうな。
 こんな迷惑をかけて、ごめんなさい。
 密かに私が落ち込んでいると、事情を知っているイリちゃんに謝られてしまった。お兄さんを経由して久能先輩の耳に入った事を謝罪しているんだと思う。でもイリちゃんは全然悪くない。心配してくれて、感謝してる。
 一番悪いのは、自分で解決しようとしなかった私だ。
 
◆◆◆
 
 久能先輩は迅速に行動を開始した。相談してからたった一時間で、盗撮の犯人は写真部の小沢っていう三年生だと突き止めたんだ。
 私達は小沢さんを強制連行し、無人の音楽室で盗撮の理由を聞き出すことにした。
 けれど、久能先輩の睨みにも小沢さんは負けず、なかなか口を割ろうとしなかった。
 何て言うか、久能先輩のほぼ恫喝に近い空恐ろしい追及に怯えているっていうより、別の誰かを心底恐れている感じがする。久能先輩もそれに気づいたみたいで、黒幕は誰かと詰め寄っていた。
 私とイリちゃんは手を握り合いつつ、演技とは思えない久能先輩の厳しい追及を怖々と見守っていた。嘘だと思いたいけれど、何だか久能先輩、凄く生き生きと楽しげに小沢さんを虐待していませんか。
 小沢さんは大柄な身体を恐ろしげに震わせつつも、絶対に口を開かない。必死に逃げようとしていて、冷や汗がだらだらと額を伝っている。盗撮は許せない行為だけれど、ちょっと可哀想になってきた。
 その様子を観察していた久能先輩の顔が、とうとう般若と化した。怖いです、先輩……!
 久能先輩は凄絶な微笑を浮かべ、小沢さんの耳に何かを囁いた。
 その瞬間、小沢さんの顔が真っ白になり、ふうっと倒れた。
 い、一体何を囁いたんですか!?
「小沢、陥落……」とイリちゃんが感慨深げにぽそっと呟いた。えっとイリちゃん、この人、一応先輩だよね。
 久能先輩の拷問的詰問に屈した小沢さんは、大泣きした。激しく号泣しながら呆気に取られる久能先輩の胸にすがる。私とイリちゃんは、顔を引きつらせつつ小沢さんが落ち着くのを待った。大柄な小沢さんと久能先輩の熱い抱擁は、あまり目にしたくなかったかも……。久能先輩も鳥肌が全身に立っているようなツライ顔をしていたし。
「すみませんでした」
 と小沢さんは、私に謝罪した。あれっと思う。なんだか小沢さんって、私が想像していた変態極悪系盗撮魔の姿とはかけ離れている気がするんだ。むしろ凄く真面目で芸術肌っぽい雰囲気のある人に見える。
「どうして、盗み撮りを……」
 小沢さんは観念した表情で白状した。
「実は――」
 
◆◆◆
 
「陵ー!!」
 絶叫する久能先輩、倒れる私、爆笑するイリちゃん。
 うん、真犯人は、男装の麗人、水屋先輩だった……。
 
◆◆◆
 
「誤解だ。私は一枚だけ写真を撮れと命令した」
「盗撮を同級生に依頼する馬鹿がどこにいるんだ!」
 場所はまたまた図書室の閲覧コーナー。私とイリちゃん、水屋先輩、久能先輩、そして小沢さんを含めた総勢五人で話し合いの最中。
「盗撮とは人聞きの悪い! カメラを意識せず可憐に微笑む西田さんの写真が欲しかっただけだ」
 水屋先輩は悪びれもせず、むしろ誇らしげに告げた。
 イリちゃんは俯いて涙を滲ませながら笑いを堪えているし、小沢さんはおどおどと私達を見比べている。
 水屋先輩、あなたは本当にあらゆる意味でショッキングな人です。
 魂を溶かしかける私の前に座っていた久能先輩が、髪を掻きむしった。
「そしてその写真を胸にそっと秘めておきたいと夢見るこの切ない恋心がお前には分からないのか?」
「あのなあ! 西田がどれほど恐ろしい思いをしたか分かっているんだろうな」
 そこで、水屋先輩がうっと口籠った。
 と思ったら、眉間に皺を寄せ、氷のような眼差しで背を丸めている小沢さんを睨んだ。
「馬鹿者、私は一枚だけでいいと言ったはずだな。それ以上は私の西田さんを見つめるなと」
「ふぐひ」
 私はつい奇声を上げた。
 あああああ、こんな動機で私は盗撮されていたんですか。
 もう怒る気力もありません。
 私ががくっと項垂れた瞬間、机が割れるくらいの勢いで小沢さんが頭を下げた。
「すみません。確かに一枚だけという命令でしたが、つい、最高のショットを、と願う心の声が強くなり」
「ぐひ」
「馬鹿だ……、お前達、本物の馬鹿だよ……」
 と、久能先輩が虚ろな目で呟いた。
「小沢は阿呆だが、写真の腕だけは確かだ。私が撮るよりいいものをあげてくれるだろうと期待し、ついつい命じてしまった。西田さんを困らせたくはないので、一枚だけとしたのだが、小沢め! それは勿論、最高の写真が欲しいが、何枚も撮影しファインダー越しに西田さんを視姦したな? 窓から飛び降りろ、小沢。私が許す。大体、カメラの達人ならば、最初の一枚で最高の瞬間を撮れ! 言い訳は聞かん」
「はい、すみませんでした」
 いえ小沢さん、そこは素直に謝るところではない気が。
「あのですね、いつも西田君は、人目のある所ではひどく緊張しておりまして、それでつい何枚も撮り直す結果となってしまい」
「黙れ、弁解をするな小沢の分際で。小賢しい」
「すみません」
 下僕と主人の関係……!
 今までの上品かつ清楚なイメージはどこへ消えてしまったんですか、水屋先輩。もしかして、命令し慣れたこの独裁者的な雄々しいお姿が、本当の水屋先輩であったりとか。まさか、そんな。
「待てよ陵。話をちゃんと聞いていたか?」
 衝撃から復活したらしい久能先輩が、少し眉をひそめて口を挟んだ。
「西田さんの声ならば百パーセント記憶できるが、その他は二パーセント未満でさらっと流れていくな。忘却という名のベルトコンベアに乗って」
「……西田に関する話だ」
「聞こう」
「……。その前に小沢、お前の話だと、西田はいつも緊張しているんだな?」
「え、ええ。はい」
 話をふられた小沢さんが、ぎくしゃくと頷いた。
 言われてみれば、いつも視線を感じて肩に力が入っていたみたい。
 久能先輩はテーブルに頬杖をつき、小沢さんから水屋先輩へ視線を移した。
「陵が付きまとうから、西田に負担がかかっているんじゃないのか」
 ――え?
 私は驚いてしまった。指摘された水屋先輩も、目を見開いている。
「もうこの辺にしとけよ、陵。西田が可哀想だ」
 私は俯いてしまった。違うよね、先輩。私じゃなくて、水屋先輩が大事だから――
「嫌だ」
「おい」
「引くものか」
「お前、西田の迷惑を考えろ。日常が脅かされているぞ」
 ぐっと水屋先輩は詰まった。何だか気まずい沈黙が降りる。
 空気を真っ黒く染めそうな凄まじい目で久能先輩を睨んでいた水屋先輩は、ふと顔を背けて、私を見た。
 途端、瞳の威力は消失し、迷い猫のようなか弱く儚い表情に変化する。
 今にもふっとかき消えてしまいそうなくらい繊細な感じで。
「西田さん。私は迷惑かな」
 悲しそうに瞳が揺れていて、私はどきまぎしてしまった。
「ええと、その」
「迷惑?」
「いえ、そんな……っ」
 うわぁ、そんな打ちひしがれた顔をされると、どうしていいのか分からない。
「おい、陵」
「分かっている、西田さんに辛い思いをさせていることは。そうだね、私が悪い。もう二度と姿を見せないから」
 ええ!? と全員が驚きの声を上げた。
「今すぐ消える。飛び降りる。窓から落下し、腐乱死体になる」
「まままま待ってください先輩!」
「気にしなくていい、私がいるせいで迷惑をかけたのだから責任を取らなければ」
「いえもう私、迷惑だなんて思ってませんから、とととと飛び降り自殺だけは!」
 立ち上がりかけた水屋先輩の腕を慌てて私は掴み、引き止めた。
「あ、そう?」
 ころっと水屋先輩が口調を変えた。一瞬で。
「……せ、んぱ、い?」
「そうか、迷惑ではないか。うん、これで問題はなくなったな」
「!!!!」
 立ち直り、早!!
 というか、演技?!
 ふっと水屋先輩は笑った。きらきら輝く目で。
 その目を邪悪と感じてしまうのは、私の心が歪んでいるせいでしょうか。
「西田さん」
「はひ」
 肩に両手を置かれ、真剣な顔で見つめられて、私は思考が停止した。
「ごめん、怖い思いをさせたね。これからはやはり私が撮影しよう」
「違う、陵。根本的に何かが違うとは思わないか、いや思うだろう……っ」
 久能先輩がぴくぴくと死にかけながら訴えたけれど、暴走世界に突入している水屋先輩は聞いてはいなかった。
「スタジオを借りて撮影しようか。衣装も準備せねば。花嫁衣装は未来のためにとっておくとして、さあ何がいいかな。着物もよいな、風流で。花魁姿は想像するだけで胸を掻きむしりたくなる程そそる。真紅のドレスもなかなか。制服のままでもいい。……看護婦、婦警、メイド服は王道すぎるか?」
「ああああぁあ」
「会長! スタジオのセットは僕に組ませて下さい! 看護婦や婦警などはただのコスプレです。ここはビジュアル重視で、テーマを明確に決めて撮影するべきです。たとえばそう、月夜に舞い降りる天使とか檻の中の小悪魔とか」
 小沢さんは既に何かのイベント撮影と誤解している。目が、プロです。
 写真にかける小沢さんの情熱は気絶したくなるほど理解できたけれど、あの、話がどんどん危険な方向へずれているような感じがする。
「く、小沢。お前、なかなかよいことを言うな。西田さんを視姦されるのは生涯の伴侶の立場で言えば許し難いものがあるが、ここは芸術と美のために我慢するか。よし、これまでの狼藉には目を瞑ってやる。その代わり、史上最高の一枚を撮れ」
 小沢さんは感涙して、はい必ず、と熱い口調で返事をした。
「なあここは未成年の少年少女が健全に学び育つ、学校、という場所だよな……。悪の魔城とか奇人変人結社とかじゃないよな……」
 久能先輩は机の上に崩れつつ、掠れた声で独白した。
 私も本当にここが健やかな精神を育む学校という場所なのか、自信がありません、久能先輩。
「ところで西田さん」
「ふひ」
 私はまだ、水屋先輩に肩を掴まれたままだった。
「水屋先輩、と呼ばれるのもそれはそれで甘酸っぱさが漂い心地いいが、たまには、陵、と呼んでみないか。いや、この際、水ちー、とか、りょーたん、とか愛称でも」
 ぐふぅ、とイリちゃんが笑いなのか絶叫なのか分からない声を上げて床に沈んだ。
 久能先輩の身体も椅子から転げ落ち、床で半死状態になっている。
「脳細胞が腐っていく……! ウイルスか、そうだきっと悪の病原菌が陵の頭の中で繁殖しているんだな。バーナーで燃やすか、誰か本能寺に火を放て」
 久能先輩の精神が、なぜかウイルスではなく織田信長に支配されています!
「いや自害の前に、陵を討ち取るか。待てよ、陵を野放しにした学校にも責任はあるな、放火するか」
 どうしよう、久能先輩までが危険人物に変貌しかけてる。
「黙れ異端者。十字架に張り付けるぞ。私が神だ」
 水屋先輩、思考が本能寺の変から魔女狩りの世へとトリップしてませんか。
「滝生、その邪教に染まった考えを捨てれば、火あぶりだけは許してやる」
「誰が邪教だ、そもそもお前が邪道を傲岸不遜に歩んでいるだろうが」
「私が歩めば邪道も聖道へと変わるんだ。足元の蓮の花が見えないか」
 ブッダ降臨、とイリちゃんが言った。
 でも、さりげなく久能先輩も水屋先輩の話についていっているというか、同レベルに達しているように思える。
 二人の話は果てしなく広がって天界大戦争にまで発展しつつあった。
 止めないと、このままだと私もイリちゃんも生きて帰れない!
「あ、あああの!」
 聞いていない、二人とも。
 お願い、聞いてください!
「――陵!」
 と私は叫んだ。そのすぐあとに、先輩、と付け足したけれど。
 水屋先輩も久能先輩も、はたと口を噤み、私に顔を向けた。二人が沈黙すると一気に静寂が押し寄せた。しーんとしたこの空気が、痛い。
 ああぁごめんなさい、一瞬呼び捨てにしかけました、恐れ多くも水屋先輩を!
 水屋先輩が瞠目し、まじまじと私を見て。
 次の瞬間。
 ぐふっという声を発し、口元を押さえてよろっと倒れた。
「きた、今心臓にぐっとキタ。くそ、エロ可愛いな西田め! ここでヤッチマウカ、欲望のままに。むしろ監禁するか。二人で共にレッツ・スウィートヘヴン」
 先輩が怖い……!!
 もう思考が女性じゃないです!
 それに「レッツ・スウィートヘヴン」って、何ですか。
「……逃げろ、西田。俺が時間稼ぎをするから」
 覚悟を決めた顔で告げる久能先輩に、私は英雄を見た。勇者です。
  
  
 私とイリちゃんと小沢さんは、久能先輩の尊い自己犠牲のお陰で、無事逃走できた。
 
 ◆◆◆
  
 翌日、久能先輩は学校を休んだ。
 あのあと、一体久能先輩がどうなったのか、怖くてとても聞けない。
 イリちゃんは夕日を眺めつつ「もう諦めなよ冴。犠牲者が増える前に……」と呟いた。
 夕暮れの輝きが、目に染みて涙が出るね、イリちゃん。
 
●END●

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