十四歳の雨／７月７日、きらきら奇跡
「十四歳の雨」「７月７日、きらきら奇跡」は両方とも、過去に日記で限定公開したものの再アップです。
※「十四歳～」の時間軸は、本編よりも以前にあたります。
「７月７日～」の方は、s＆s本編の流れ＆時間軸と一致しておりません。この短編は七夕ネタでのパラレルです。
【十四歳の雨】
笹良は、雨の日が嫌いだった。
なぜかというと、幼い頃、総司の友達に水恐怖症をからかわれたことがあるためだ。
その日は横殴りの強い雨が降っていた。屋根や建物の壁を叩く風の音がまるで誰かの唸り声のように聞こえて、本当に恐ろしかったのを覚えている。
ちょうど家に遊びに来ていた総司の友達が、街の全てを激しく打つ強雨に怯え縮こまる笹良を見たあと、確かこういう冗談を言って笑った。「空と地上が逆さまになって、海の水が落ちてきているんだ。それで、こんなに雨が強い」
笹良は海がホントに嫌い、嫌い！ だから、その無神経な言葉にすごく傷ついて、以来、雨も嫌いになった。
●●●●●
以前笹良が通っていた小学校では、「宿泊研修」という楽しいような、そうでもないような、よく分からない一泊旅行が夏の行事に加えられていた。
近所の児童博物館にお泊まりし、展示されている恐竜の模型や化石などを皆で見学しましょうっていう主旨の行事なのだが、確かその日も激しい雨が降っていたと笹良は溜息をついた。
なぜ急に昔のことを思い出したかっていうと、現在、大粒のすごい雨が降っているせいだ。
嵐。
というか、豪風雨。
どっちも似たようなものだ。
本当はあと一時間午後の授業が残っているのだけれどあんまり雨が凄すぎるので、先生方が緊急会議を開き、全生徒下校の運びとなったのだ。都内の学校なら大雨による授業カットなどあり得ないのかもしれないが、笹良の通う中学ってば海までの距離がなかなか近いため、高波や高潮の恐れがあり注意せねばならなかった。
笹良は大きく溜息をついた。無人の教室にぽつりと一人だけ残っているのって、どうしようもなく寂しいというか孤独だ。おまけに、まだ昼過ぎだというのに、空は暗雲がたちこめて真っ暗だしさ。
クラスメイトは皆、親が迎えに来たり自宅が近い友人と仲良く下校したので、教室に残り黄昏れているのはもう笹良しかいないのである。
どうして皆と一緒に帰宅しないのか、答えは簡単。
怖い。豪雨に対する恐怖以外にない。
天候が回復した頃を見計らって帰宅しようとこっそり策略を巡らせていたのだが、一向に雨脚は弱くならず、むしろ激しさを増してしまったため、いつ下校できるだろうかと次第に焦り始めたところなのだ。
でも、仕事中のお母さんを呼び出すのは悪いし。というか仕事中であれば、電話しても繋がらないだろう。
苦悩しつつ、なるべく窓の方を見ないよう注意して黒板の下に小さく座り込んだ。だが視界を無理矢理遮っても、窓の外側を流れる滝のような雨が立てる音は、やはり聞こえてしまう。硝子がびりびりと鳴るほど、雨の勢いは凄まじい。
そのせいで、いやでも小学生の時の「宿泊研修」を思い出してしまう。
今日と同じ、街を乱暴に引っくり返すかのような豪風雨の記憶。
児童博物館に一泊したあとはその場で全員解散するはずだったのだが、先生方が雨の激しさを懸念し、なるべく両親に迎えにきてもらうよう生徒達へ指示を出したのだ。笹良は、困ってしまった。お父さんもお母さんも、仕事中には滅多に連絡がつかない。
自宅が遠い子に関しては先生方に送ってもらえるのだけれど、笹良の家は児童博物館から結構近かったため、なんとなく後ろめたさを感じ名乗り出ることができなかった。ぼうっとしている内に取り残されてしまい、それで最後には、つい意地になってしまったのを覚えている。殆どの子が帰宅したあと、ようやく先生の一人が気づいてくれたけれど、笹良はもう完全に不貞腐れていたので「迎えが来ます」などと嘘をついたのだ。
たった一人博物館の入り口で一泊分の荷物を抱え、荒れ狂う空を見た日。あれは、怖かった。
唸り声。唸り声。硝子窓もびりびりと嘲笑っている。街全体が狂ってしまったみたい。
こんなにも街が普段とは異なる恐ろしい別の顔を見せるから、不安の中に心が迷いこんでしまい、帰り道が分からなくなった。あぁ、たった三年前の話。
その日のように、今も帰り道が分からない。子供だから、自分で道は作れない。
十四歳は、子供なのかな？
泣かないぞと自分を鼓舞し勇ましく顔を上げた時、突然がらりと教室の戸が開いた。見回りにきた先生かと思い、慌てて立ち上がると、そこには予想外の人物が立っていた。
笹良は少し、目眩がした。
あの日と同じ。
既視感に、目眩をおこす。
連絡なんてしてないのに、必ず迎えにきてくれる人。
「帰るよ」
唇を歪めて、呼びかける奴。
大嫌いなお兄様。
傘など役に立たないくらい雨の勢いは激しく、だから総司は全身ずぶ濡れだった。
泰然としている総司を睨む内になんだか目頭が熱くなってきたけれど、泣き顔を見られるのは嫌だ！
「ほら」
嫌いなのに、迎えに来てくれる。総司は兄なのだ。こんな時に、強く強く思い知る。
笹良は足を踏ん張り、ぎゅっと唇を噛み締めた。
すると総司は苦笑して、すたすたとこっちに近づいてきた。
というか、あなた、土足じゃん。来客用スリッパ、無視したのか。
色々文句やら嫌味やら言いたい事はたくさんあった。でも、真っ先に飛び出た言葉は、一番言いたかったことだった。それがちょっと悔しい。
「お兄ちゃん」
こんな時しか呼べない兄なのだから、仕方ない。だってこんな時しか優しくしてくれないんだもの。
「笹良」
内心の必死さを誤摩化すため遠慮がちにしがみつくと、心得たようにくるりとレインコートの内側にくるんでくれる。じわりと胸に安堵感が広がった。あたたかな体温が心地よい。
あの日と同じ雨の匂いだ。一泊分の荷物を抱えて博物館の入り口で立ち尽くした日も、総司は兄として迎えに来てくれた。
悪魔のような嘲笑はその時だけ消えて、優しくなだめてくれるのだ。
笹良が本当に帰れない日限定だけれどさ。
「総司、総司」
「帰るよ、家に」
うんうんと笹良は何度も頷いた。でも足が動かないのだ。雨は怖い。空と海が逆さまだ。
「ねえ、海の水が降っているの？」
「――あれは、単なる雨だ。海は降らない」
海の水は、大嫌い。
「帰るぞ」
「歩けない、怖いっ」
足が震える。大量に降る雨は、まるで街を水の中に沈めてしまいそうではないか。
「馬鹿だな」
総司は穏やかな溜息と同時に、レインコートにくるんだままの笹良を抱き上げた。
「歩かなくていいさ」
「歩けないっ」
「歩かなくていい。連れ帰ってやる」
どうしていつもは、こんなふうに優しくしてくれないんだろう。
どうして雨の日だけ、優しいんだろう。
歩き出した総司にしがみつきつつ、悲しさを持て余す。
雨に沈む街を歩く時だけ、優しい兄に戻る総司。
ううっと笹良は泣き出した。
だから、雨の日は嫌いなのだ。
●END●
【７月７日、きらきら奇跡】
七夕。それは笹良にとって特別な日だったりする。
一年に一度だけ織姫と彦星が再会できる運命の日。
笹良はその夜、空に流れる天の川を見上げて、叫ぶ。
ハッピーバースディ！
７月７日は、笹良の誕生日。天の川に渡した橋の上で織姫と彦星が手を繋いだ時――笹良は産声を上げたのだ。
両親は「織姫が月の船に笹良を乗せて、私達に授けてくれたんだよ」なんて冗談を言っていた。だから、笹良って名前。ささのは、さらさら。
金銀のお星様がきらきらと輝く夜、皆はどんな願いを短冊に綴るのだろう？
まあ、何の因果か突然異世界に落ちてしまった笹良は、七夕とか誕生日を祝うどころじゃないんだけれどさ。ロマン的情緒を解さない海賊達に、切なくも美しい七夕伝説と笹良の生誕にまつわる逸話を聞かせてもきっと一笑に付されるだけだ。
寂しいな。そんなことを考えながら、どこもかしこも黒い海賊船の手すりにもたれて星空を眺めている内、うとうとしてしまった。夢の中で奇麗な格好をした織姫がにっこり微笑んで笹良の手を握り、きらきら輝く金色の月の船へ導いた。
――……
ふと目が覚めた。
あれ、と思った。夢だろうか。見慣れた景色。だけどなぜか懐かしく遠い景色。笹良は何度も瞬いた。だって、だって。
目の前に、机に突っ伏して眠る総司の姿があるんだもの。
きょろきょろと慌てて室内を見回してみる。ここ、笹良の部屋だ！
ええー！？ と笹良は大きく仰け反った。ななな何でだ！ 夢か、幻か？ 海賊船はどうなったのだ。パニック到来だぞ。どっちが夢？ というか、どうして総司は笹良の部屋で居眠りしているのだっ。
混乱のあまり、つい暴挙に出てしまった。枕を掴み、居眠りしている総司にぶん投げてしまったのだ。その拍子に――ベッドに立て掛けていたらしい笹の葉がぱたんと倒れてしまった。なぜ笹良のベッドに笹の葉が、と怪訝に思った時、一枚だけ飾られた短冊が目にとまった。
『戻ってこい、馬鹿笹良』そんな言葉が書かれた短冊だった。あっと思った。総司の字だ。
その瞬間、全て分かった。夢であって夢ではないこの不思議な時間。七夕に願った奇跡。一年に一度だけ織姫と彦星が再会できるように――笹良も夢の中で月の船に乗り、星々輝く天の川を渡って帰ってきたのだ。
呆然と立ち尽くしていると、目を覚ました総司が顔を上げ、どこかぼんやりとした表情をこっちへ向けた。
「……笹良？」
「……う、う、うん」
夢うつつな感じの総司の瞳がゆっくりと何度も瞬いていた。思わず笹良は身構えた。
「笹良」
「なっ何さ！」
総司は手招きした。恐る恐る近づくと、総司はまだ寝惚けた表情のままだったが、大事な宝物を包むように笹良を抱きかかえた。
「夢か？」
戸惑う笹良の頭を撫でる総司がやはり夢心地な声で呟いた。
「……うん」
少しの間を置いたあと、頷く。だってまた笹良は月の船に乗って、海に浮かぶ海賊船へ戻るから。きっと。
「馬鹿笹良」
「んんっ？」
「なぜ家出なんてしたんだ」
家出ということになっているのか？
「帰ってきたんだな？」
「……ごめんね、これ、夢なんだよ」
「そうか。夢なんだな」
半分眠りかけているような目をした総司がくすりと笑った。寝惚けているくせに、髪を撫でる手も眼差しも、とても優しかった。あ、少し髪型が変わってる、などと今している話に全然関係ない発見をして何だか胸が痛くなった。笹良がいなくても、ちゃんと普通に生活しているんだ。当たり前のことだが、どうしてそれが寂しいと思うのだろう。
「誘拐されたわけじゃないな？」
「違うよ」
心配そうに揺れる眼差しを急に見返せなくなり、わざと怒った顔を作ってしまった。
「これね、夢なんだよ」
「いいんだ。夢でも」
「え？」
ぶっきらぼうに、夢だ、と切り捨てたのに、総司の声はどこまでも柔らかかった。
「辛い目にあっていないか？ 誰かに酷いことをされていないか？」
「夢、夢だよ、総司」
「泣いていないか、笹良。苦しい目にあっていないだろうね？ 食事はきちんと取っているのか」
「……」
「生きているな？ 笹良」
「うん、……うん」
問いの一つ一つがたまらなく思え、ぎゅうっと総司にしがみつく。そうしたら、総司もぎゅっと抱き返してくれた。
あたたかい腕の中、総司の胸に頬を押し当て、とくとくと響く鼓動の音を聞いていると、わけが分からないままに叫びたくなった。
「生きて帰っておいで。無事に戻ってくるんだよ。父さんも母さんも、いつまでもお前の帰りを待っているから」
「……夢なんだよぅ、総司」
「いいんだ、夢でもこうして伝えられた」
ここで泣くと、笹良がまたいなくなったあとで総司がちゃんと目を覚ました時、ひどく悲しむような気がしたから、無理に笑顔を作った。
あったかい、離れたくなくなる腕の中だった。いや、この腕はいつまでもこうして甘えることを許してくれるのに、なぜそれが許されないのだろう。
「幸せだよ、笹良、ちゃんと生きているからね」
「そうか」
考えるのはあとだ。今、総司がくれた言葉を噛み締めてしまえば、どうしようもなく泣いてしまう。
鼻の奥がつんとして困ったけれど、それを誤魔化すためにすり寄って、もっと笑うことにした。総司が目覚めた時、いい夢だったとほんのり笑みを浮かべてくれるよう。
「総司がね、短冊に書いてお願いしてくれたから、夢だけど戻ってこれたよ」
「お前が戻ってこれるまで、いつも願おうか」
「七夕は一年に一度だよ？」
「毎年書くよ。何年かかってもいい――帰っておいで」
ああ家族だ。やるせないくらいに、家族なのだ。
大好き。大好きな家族。
会えて嬉しい。
会えて、悲しい。
胸が張り裂けそうなほど、辛い。
「誕生日おめでとう、笹良――」
ぽろり、堪えきれない涙が落ちた時、霞がかかった意識の奥で、月の船が出航の合図を出したことを知った。
――……
目が覚めたら、笹良はやっぱり海賊船の上にいた。
様子を見にきたらしいガルシアの胸にすがり、月も悲嘆に暮れるほど、笹良は声を上げて泣いた。
●END●
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