<S> repeat;Grim Reaper

 黄昏時。
 入り組んだ薄暗い路地裏で、仕事を終えた直後のことだった。
 曲がり角からふらりと姿を現した少年と目が合った。
 ——面倒が増えた。俺は舌打ちを堪え、彼の全身をさっと観察した。
 気怠げに肩にさげられた地味な黒いナイロン製のリュック。白いシャツに紺色の細いネクタイ。グレーのチェックのズボン。見覚えのある制服だったが、それがどの地区の学校で指定されている型なのか、とっさには思い出せない。まあ、制服などどれも似たり寄ったりなものと決まっている。
 少年は初め胡散臭げに、またそれ以上に煩わしげな様子で俺の視線を受け止めた。だが、俺の足下に転がっているものに目をやり、その正体を悟った途端、彼のどこか影のある冷ややかな雰囲気は一変した。
「——」
 彼は驚愕に目を見開き、口を小さく開けた。なにかを言おうとしたようだが、唇をかすかに震わせるだけで結局一言も発することはなかった。
 俺は溜息を飲み込み、遠慮なく少年の観察を続けた。
 成熟しきっていない細い身体。柔らかそうな黒髪。この年頃は、強引に自分のスタイルを作るよりも素のままを晒すほうが周囲にとっては眩しく、また特別に見える。本人だけが、限られた短い時間の中でしか許されぬその貴重な美しさを知らない。若さとはこの世のどんなものより尊い価値を持つ。いや、一日、一年と、年を重ねるにつれ、若さの価値を理解するといったほうが正しいか。そして、金では購えない。
 ただし叩き壊すことはできる。
 俺は一瞬、自分の足下に視線を落とした。そこに転がっているもののように——命の時間をとめれば、肉体は腐るだけになる。
 彼の、意思の強そうな顔に激しい恐怖が浮かぶ。
 それは仕方のないことだろう。
 俺はここで死神の仕事を……つまり『標的』を仕留めたばかりなのだ。
 彼の目が、俺と、俺の足下にある死体を何度も忙しなく行き来する。『地面に倒れているのは、ただのマネキンじゃないのか? 本物の人間なんかじゃないよな?』——内心の混乱ぶりが明らかな、余裕のない引きつった表情で必死にそう訴えてくる。
 残念ながら、彼の期待に応えてやることはできなかった。
 そもそも今回は予期せず舞い込んだ特殊な仕事のひとつだった。ルール違反を起こした同業者の後始末という最も危険の多い、嫌な依頼だ。素人が相手ではない。抵抗する能力を十分に持っているため、向こうもこちらの手の内を読んで反撃してくる。
 だからこそ無理をおしてでも迅速に仕留める必要があった。下準備を万全にし、目撃者に配慮するといった暇などなかったのだ。
 硬直している少年を、改めて見つめる。
 肌の表面に苛立ちのような感覚がひたひたと広がっていくのがわかった。同業者の始末もだが、不測の目撃者を消し去る作業もまた嫌なものだった。俺は殺人行為を趣味としているわけではないのだ。あくまでも仕事にすぎない。
 足下の死体をまたいで、ゆっくりと少年に近づく。猫のように音を立てず。
 少年はびくりと肩を揺らし、後退する仕草を見せた。俺が睨みつけると、一切の動きをとめて無防備に立ち尽くす。肩に下げていた鞄が地面に落ちたのにも気づかない様子だった。
 彼は再びなにかを言おうとした。ひゅっとか細く喉が鳴っただけで、やはりその乾いた唇から言葉が漏れることはなかった。食い入るように俺を見つめている。汚れた壁が左右に迫る薄暗いこの路地裏——それが世界のすべてで、俺以外に存在するものはないとでも言いたげな強い視線だった。
 薄っぺらなその胸に耳を当てずとも、かつてないほど心臓が激しく鼓動しているだろうことがわかる。
 恐怖もあらわに縮こまる少年の首に、手をかける。汗でしっとりし始めた皮膚。伝わる震え。ぬくもり。
 ——ふいに思い出した。
 少年の制服に見覚えがあって当然ではないか。
 俺が昔、通っていた高校の制服だ。
 蘇る記憶に、軽く目眩を覚える。かつてこの制服を着込み、単調な、それでいて平和な日々を生きていた。身体の中にいつもはち切れそうなほど詰まっていた、理由のない怒りと焦り。息をするだけで疲労を感じ、憂鬱だった。毎日がやるせなくてたまらなかった。
 だが受験に失敗した時、暗い日常は突如終わりを告げた。受験が原因ではない。その日、死神と出会ったために。
 あれからいったい何年が過ぎたのか……。
 少年を殺すつもりが、急にその気が失せてしまう。
 とはいえ、感傷に溺れて、このまま見逃すわけにもいかない。
 ——あの時の<えす>も俺という目撃者をどう始末するか、悩んだだろうな。
 震える少年に、在りし日の自分を重ねる。殺人場面を偶然目撃し、囚われ、魅入られてしまった過去の俺。
 死体のそばに、真っ黒いスーツを着込んだ死神が佇んでいた。深い夜の底を浚う瞳だった。静謐で、だが重力の塊のような——。
 いつまでも色褪せることのない幻を振り切り、放心している少年を静かに見下ろす。
 生かしてやろうと思うほどの『なにか』をおまえは持っているだろうか?
 なあ、<えす>、こいつをどう思う?

end.

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