F48

 リュイは私から離れようとしなかった。神剣であるソルトを握り締めたまま、私はじっと足元を見つめた。
 皆の視線を感じる。その多くは、結界を出ることに反対する目だ。
 私は今、何を考えたんだろう。
 片手で額を覆う。先程、神石に衝撃を与えられた名残のためか、触れただけで鋭い痛みが走る。
 今、皆に引き止められて、少し安堵した自分がいる。だってこんなに身体が重く、辛い。そういう思いが胸の底にあって、行くと口に出す反面、リュイ達が引き止めてくれることを実は期待していたんじゃないか。たとえポーズだけでも二人を助けようとしなければ示しがつかない、って。責任逃れのためだよね、と愕然としながら自分に確かめた。
 それに本当は、危険を知りつつも出ていった二人に対する淡い苛立ちまで感じている。だけどその理由を深く追及してはいけないと感じ、必死に目を逸らしているんだ。
 こんな考えを隠し持っているんだから、ディルカレートやその他の人達に警戒されるのは当然だった。
 両手で顔を覆ってしまいたい。自分の感情を突き詰めて見るたびに、嫌気が差す。
「今は休むべきだ。己の意思で行動を起こした者の責任を、あなたが背負うのは間違っています」
 リュイの腕が背に回り、床に座るよう促してくる。
 休みたいという気持ち、投げ遣りな気持ち、助けたいという気持ち、どれが偽りない本当の感情なのか、溶け合って見分けがつかなくなっていた。
 何も聞かなかったことにして休んでいいんだろうか、その考えに傾いた時、大気が震えるのを感知した。痛烈なほどの勢いで助けを呼ぶ声だ。
 誤摩化せない、と思った。苛立ちも責任逃れも、全部本当の思いなんだろう。でも、きっと皆が無事でいてほしいという気持ちも本当なんだ。そうであったらいい。
「ごめんなさい、私は」
 無理矢理にでもソルトに協力してもらい、樹界を構築しようと思った。ソルトはここへ残していく。何も魔物を倒し、レイムの相手をすることはない。頼ってばかりで悪いけれど、もう一度エルにも力を借り、全速力で二人の所へ向かって救い出したあと、こちらに逃げ帰ればいい。今の私ではこの案以外に、いい方法が浮かばない。
 やっぱり結界を出る、そう言いかけた時だ。
「ひゃあ!」
 強引な力でいきなりその場に座らされ、両腕を背の方へ回された。握っていた神剣も素早く奪われてしまう。
「な、何!?」
 言ってみれば手錠をかけられた犯人状態。力ずくで背中へと回された両手首に、何か布のようなものをしっかりと巻き付けられた。慌てて立ち上がろうとした瞬間、動きを封じるように私のお腹へ、誰かの……リュイの片手が回った。
「ここにいてもらいます」
 背後から、リュイの声が聞こえた。信じられない、手首を縛るなんて!
「リュイ、ひどいよ!」
「ひどいのはどちらだ!」
 即座に切り返され、身体がすくみ上がった。
「それほどお行きになりたいか、ならば拘束をとき私を殺したあとにでもお行きなさい」
 そんな言い方ってない!
 束縛をとこうとして振り向き、息を呑んだ。間近な所にあるリュイの目は、真剣だった。
「いい加減にしなさい、限度を超えた行動は子供の我が儘と変わらない」
「な……っ」
 リュイが、そんなことを言うなんて。
 ひどすぎる。かっとした勢いのまま食って掛かろうとし、寸前で思いとどまった。寒気がするくらいの暗さに満ちた激情がリュイの目にあった。それなのに、ひどく奇麗だった。
「なぜ、あなたはこうなのだろう。どこまで無謀な真似を」
 目を逸らし、吐き捨てるようにそう言われた。とうとうリュイにまで見限られてしまうんだろうかという虚脱感を覚える。
「――場所は、お分かりになりますか」
 ジウヴィストが不意に私の前で片膝をついた。
「え……?」
「彼らの場所です。悲鳴が聞こえたと言われたが、私には分からなかった。あなたが結界を出る必要はない。レイムが本格的に襲ってくるまで、またわずかな猶予がある。私が彼らを連れてきます」
 彼が話している途中で、数人の騎士が同じように片膝をついた。
「駄目、魔物が」
「我らは騎士です。武器は揃えましたし、法具もいくつか借ります」
「でも!」
「話し合いの時間はない! 彼らの場所は!」
 叱咤されて、私は口を噤んだ。確かに、こうして議論をたたかわせる間も二人の命は危険にさらされている。けれど、彼らのいる場所を、口ではうまく説明できない。神殿の詳しい構造も分からないし、どの程度の距離があるのかも判断できないんだ。
 その時、きゅん、とエルが鳴いた。
 エルなら、魔物のいる方向が分かるんだ。
「……エル」
 ごめん、何度も危険に向かわせてしまう。ごめんね。
「彼らの所まで、案内を」
 その一言をいうのは辛かった。一緒に行けないのに、頼まなければならない。
 エルは一度私の頬を舐め、それから率帝を見つめた。結界を出るためだ。
 
●●●●●
 
 案内役のエルを連れて騎士達が結界を出たあとも、リュイは手首の拘束をほどいてくれなかった。エルが不在なためか、より私に注意を向けているような気がする。出て行かないと口約束しても、きっと信用してはもらえないに違いなかった。不自由な体勢で背を起こしているのは辛く、上体が前のめりになってしまうのがバレたため、リュイは片膝を立てるようにして座り、そこに私を寄りかからせてくれた。優しい気配りを知り、余計に悲しくなる。
 誰も口を開かない。重い空気だけが結界内に存在した。
 どこかで爆発音がした。全員がはっと顔を上げた。騎士達が法具を使ったんだ。二人の安否も気になるけれど、助けにいった騎士達も命がけなんだった。ようやくそのことを現実的に考えた。ソルトの言う通り、本当に私は考えが足りない。
 お願い、死なないで。そう願うしかできない。
 
●●●●●
 
「戻ってきた」
 レイム達の鳴き声が響くようになり、誰もが沈鬱な表情をして俯いた時だ。イルファイが扉の方へ顔を向け、ぽつりと告げた。
 率帝が結界のぎりぎりまで迎えに行く。荒々しい気配が近づき、扉が乱暴に開かれた。私は立ち上がろうとして、よろめいた。手首をまだ縛られている状態だったので、バランスが崩れてしまったんだ。床と衝突する前に、リュイが助けてくれた。
「エルっ」
 エルが真っ先に飛び込んでこようとして、率帝にとめられた。結界に弾かれないよう、彼に触れなくてはならない。エルが中に入ったあと、騎士達が姿を見せた。すうっと胸が冷える。怪我をしている騎士がいたんだ。それに。
「バノツェリ殿」
 次々に騎士を中へ入れたあとで率帝が誰かの名前を呼んだ。五十代くらいの男性が、騎士の一人に肩を支えられていた。片腕の衣服が血に染まっている。自分一人じゃ歩けないほどに憔悴しており、荒い呼吸を繰り返していた。
 床に座らされたバノツェリのもとへすぐにクロラが近づき、癒しの魔法を使い始める。癒しといっても、呪文を唱えただけで傷が治るのではなく、殆ど安らぎや温もりを捧ぐような感じに近いものだ。攻撃系統の魔法に比べて、明らかに治癒には限界がある。それほど人を癒すという術は難しいらしい。多分、治癒に制限があるのは、極端な場合、寿命を左右しかねないためじゃないだろうか。
「バノツェリ殿、メイヤ殿は?」
 イルファイが、ぐったりしている彼の前に屈み、囁くようにしてたずねた。バノツェリ、メイヤというのが、結界を出た二人の名前らしかった。
「残念ながら」
 答えずにぼうっとしているバノツェリにかわり、騎士の一人が首を振った。
 それは、まさか。
「……殺されたのではない。自害したのだ」
 突然、バノツェリが口を開いた。忙しない口調で、魔物に殺される前に自分の喉を切ったのだ、と説明する。
 言葉が出なかった。自害するなんて、どうして!
 バノツェリの虚ろな目が、偶然にこちらへ向いた時、大きく見開かれた。私だけに憎悪の照準が定められる。
「なぜっ! なぜ今頃戻ってきた!」
 バノツェリが予想外の俊敏な動きを見せ、私に掴み掛かってきた。驚愕する私へ彼の手が届く前に、イルファイとリュイが押しとどめる。けれど彼は激しくもがき、叫び続けた。
「なぜもっと早く戻らなかったのだ! メイヤが自害したのはお前のせいではないか!」
 私のせい。
 でも、そんな。
 がつんと胸を突かれたみたいな衝撃を受けて私は狼狽え、怖くなった。私のせい? 混乱して、指先が冷たくなり、震え出してしまう。
「よしなさい、バノツェリ殿。娘の様子を見るがいい。彼女も傷を負っている」
 イルファイの言葉を、彼は一睨みで一蹴した。
「この方がすぐにこちらへ戻れなかったのは、我々を守護したため。その後は昏倒していたのですよ」
 ジウヴィストの言葉もはねのけて、バノツェリは胸を抉るような憎しみの視線を向けてくる。
「騎士ばかりを贔屓するか、私達を見捨ててか!」
「よく見なさいと言ったであろうに。なぜ娘が縛られていると思う。結界を壊してでもあなた方を迎えに行こうとしたためだ」
 再びイルファイが険しい声でそう言ったけれど、私の視線はバノツェリから離れない。庇われれば庇われるほど、自分の欺瞞が露呈するような気がした。一人が自害した。そのことで頭が一杯だった。
「何が――何が、迎えだ! メイヤをよくも苦しめておきながら」
 胸が痛いくらい軋んで、身動きできない。身体に衝突する言葉が、心の中でもわんわんとこだましている。
「メイヤを復活させよ。類稀な神力を持つのだろう、我々を人へ戻せたのならば、命を復活させることも可能ではないか!」
「バノツェリ!」
 率帝が遮るように鋭く言ったけれど、バノツェリは私を見据えて、復活させよと繰り返し迫った。――それは、無意識の中で一番恐れ、聞きたくない言葉だったと思う。私は無我夢中で首を振った。リュイに抱き寄せられたのも気づかず、ひたすら彼の言葉に怯えた。
「できません」
「できない!?」
「無理です、人を生き返らせるのは、できな」
「我らを蘇生させたではないか」
「それは、レイムの状態からで」
「どちらも変わらぬ、メイヤを返せ」
「できない、できないんです!」
「ではお前は何者なのだ、その神力は偽物か!」
「違うっ、人を生き返らせるのは、神様でさえも許されないことで」
「そんな都合のいい話が――!」
「よさないか、バノツェリ!」
 イルファイと率帝が彼をとめようとした。それでも彼は喚き続けた。
 身体の震えがとまらない。どうしよう、こんなことって!
 私はずっとこの国の人に会いたいと思っていた。すぐに仲良くはなれないかもしれないけれど、でも手を取り合っていけるんじゃないかって信じていた。こんなふうに罵られるとは考えてもいなかった。どうしよう、ここにいるのが耐えられないほど辛い。
 リュイがなぜか、愕然としている私の耳を塞ごうとした。でも私は、次の叫びを聞いてしまった。
「一体誰が、人に戻してくれと頼んだのだ!」
 
 誰が――?
 
「これほどの苦しみが待っているなら、人になど戻らぬ方が余程幸福ではないか。化け物に囲まれ、国も崩壊したまま! お前は余計な苦しみをメイヤに与えた。絶望から解放されていた彼を人に戻し、再び絶望を見せて、死なせたのだ!」
 銃弾のような言葉に胸を撃ち抜かれ、一瞬、全ての音が遠ざかった。きぃん、と耳鳴りだけがして、意識がもっていかれる。
 
 あぁ、そうだったんだ。
 この国の人達は、蘇生を望んでいないんだ。
 それなのに、人に戻すことが幸せなんだと思い込んでいた。心の支えにすらしている。希望だとか、生きろとか、耐えろとか、救世主を気取り勝手なことばかり皆に押し付けて、私は何に酔い痴れていたんだろう。
 リュイのことも、そうだ。安息がほしいと痛切に願っているのを知りつつ、無理矢理引きずり回して苦しめている。
 私がしたことって、蘇生させて、絶望を再確認させただけなんだ。
 ウルスの人達、神様、リュイ、そしてメイヤ、皆を犠牲にして、私は一体何を。
 根本的なところから思い違いをしていたんじゃないか。
 消えてしまいたい。
 ごめんなさいという言葉までもかき消えていく。
 目を閉じているのか、開けているのか、自分で分からなくなってきた。全部真っ白で、もうどうすればいいのか。
 あのまま、天界にいればよかったんだ。そうすれば皆、苦しみのないままでいられたんだ。
 時間はどうすれば戻せるんだろう? 戻りたい、全部白紙に戻したい。
「俺は、苦しみを選ぶ」
 ふと、潰れかけた心に、誰かの声が落ちてきた。
 ぼんやりと見上げると、無精髭の人が、怪我をした騎士の手当をしながらも誰に聞かせるというふうでもなく言葉を続けた。
「絶望からの解放よりも、人としての苦しみを選ぶ。俺は俺でありたい。そしてこの国が復活する瞬間を見たい。たとえ目にできなくとも、誰かを守り、人のまま死にたい。自害さえも、人の心をもって絶望できるのならば俺は本望だ。いつかの未来でこの歴史を子供達が語る時、誇れる者でありたい。己の生が、国の血肉となればいい」
 生まれ落ち、蘇生を果たしたのは、この世界が自分の命を求めているからではないか、と彼はそう繋げたあと、ちらりと視線を上げ、照れたように微笑した。
「確かに、化け物のまま永久をさまようのはご免だな」
 イルファイが整え途中の頭を再びがりがりとかきながら呟いた。そしてぐるりと皆を見回した。
「だが、己の意見を他人に押し付ける気はない。楽になりたいと思うのもまた人だ。絶望を終わらせたい者がいるならば、苦痛を与えず、人のままその生を閉ざしてやろう」
「イルファイ殿」
 率帝が少し顔をしかめてイルファイを見上げた。
「一瞬で殺してやろうと提案しているのだが。誰もまた化け物に戻りたくはないだろう。ならば私の言葉は親切であろうに」
 イルファイは気難しげな顔できっぱり言い、皆を見回した。誰も声を上げなかった。
「皆、生きるか、ともに? 苦しみの中であがくか。果てには更なる苦痛があるかもしれぬ。だがもしかすれば、いずれは別の景色を目にできるかもしれぬ。歴史の証人となるのも悪くはない」
 嗚咽を漏らす人がいた。バノツェリの叫びは、きっと皆の心を代弁したものだったと思う。だからこそ、突然飛び込んできて現状を好き勝手に掻き乱す私の存在を拒絶した。けれど今、イルファイの言葉も強い柱となり、皆の心に小さな光の根を生やしたようだった。
「一人で苦しむのではないのだ。皆で分かち合う。だとすれば、そう絶望するものでもなかろうな」
「……娘が、二人いた。そして息子が」
 バノツェリが涙で頬を濡らしながら独白した。彼の目が私を貫く。
「息子は騎士になり、娘の一人は嫁いだが、末娘は、そう、お前と同じ年頃か」
 バノツェリが私に指を伸ばした。今度は誰も彼の行動をとめなかった。
 血に濡れた、だけどあたたかな体温を持った指先が頬をゆっくりと撫でる。彼はふと視線をおろし、縛られたままだった私の身を少しよじらせて、戒めを外してくれた。
「間に合わなかったのだ。決して部屋から出るなと言ったのに、娘は私を探すため出てしまった。囮となるはずの私の前で、あの子が化け物に襲われ――助けられなかった、娘の悲鳴が消えない」
 バノツェリは、束ねていた私の髪の乱れを、慈愛をこめているかのような丁寧な手つきで直してくれた。
「なぜお前もあの時、結界を出たのだろう。なぜ、安全な場所に留まってはくれないのか」
「……死んでほしくないの、自分だけ助かるの、辛い」
「そうか。そうか、娘も、辛かっただろうか」
 苦痛を凝縮させたバノツェリの険しい顔に一瞬、かすかな色をはいたように、厳かな父親の表情が滲んだあと、静かに涙が落ちていった。すぐに、溢れ出る感情の全てを隠すように、ぎゅっと目を閉じる。
「もう一度、娘を腕に抱けるだろうか。息子の勇姿を目にできるだろうか。メイヤの家族に、償いをしたい。私が彼を無理に連れ出したのだ。彼はここへ戻りたがっていた。償いたい」
「……祈りは届く。もう一度、子供に会える」
 頑なに変わらぬ厳しい顔つきのまま落涙するバノツェリの頭に腕を伸ばし、抱きついた。
 人って凄い。自分のためだけならいつか折れてしまうけれど、大切な人のためになら苦しみさえも受け入れられる。
 皆、蘇らせてごめんね。
 いつか必ず、償いを。
 この国が満杯になるくらいの祈りを抱こうと思う。そうすれば、悪夢なんてきっと入り込む余地はなくなる。
「私達は騎士、剣を取ったその日に、苦難をも背負うと誓いました。ならばその証をもって、国と人々のために生きます」
 ジウヴィストが体勢を変えて毅然と顔を上げ、私を見つめた。国はまだ生きているでしょうかと、揺らがぬ眼差しのまま、そうきいてきた。
「生きている。――あなた達が、生き抜くなら」
 騎士達が一斉に身を屈め、床に片膝をついた。リュイが、バノツェリを抱えていた私の腕を取り、そっと指を握ってきた。
「あなたと共に、生きます」
 小さな誓いを口にすると同時にリュイは他の騎士たちと同様、深く頭を下げた。
 私はリュイの指を握り返し、皆を見渡した。迷いを残した顔、明日を恐れる顔、希望を忘れた顔、強い意志を秘めた顔、たくさんの表情が並んでいた。この人たちにいつか笑ってほしいと、心の堤防を砕くくらいの大きな祈りが唐突にわき上がった。
「辛い思いをさせて、ごめんなさい。でも、皆がいれば国が蘇る。まずは、この夜を生き抜いてください。そして、明日の夜にまた、生きようと思ってほしい。明後日も、明々後日も」
 大事な人達とまた、巡り会うために。
 過去に痛められた時間に、いつか奇麗な花を添えよう。
 
●●●●●
 
 皆の気持ちが落ち着くまで、結界が守る静寂の中、私は身体を休めた。エルに寄りかかり、隣に座るリュイの指の一本にこっそりと触れながらだ。こっそりといっても、触られているリュイは気がついているだろう。
 手当を終えた騎士たちも身体を休めている。ディルカレートやクロラが、室内に備蓄してあった食べ物を皆に配り始めた。結界の方は無事で、なぜかレイムや魔物たちがこちらへ寄ってくる気配はなかった。ここで完全に横たわると、前後不覚な状態になるくらい熟睡してしまいそうだったので、私は様々なことを考えて気を紛らわせた。率帝達がいう聖なる気配が抜け落ちてしまうかもしれないため、本格的な眠りは避けなければいけない。
「響」
「ん」
 安らかな空気を壊さないようにか、私にのみ聞こえるくらいの小さな声でリュイに呼びかけられた。
 視線を向けると、リュイもこっちを見たけれど、深い悔恨と躊躇いを浮かべた表情で沈黙されてしまった。何を言いたいのか、なんとなくだけれど、察した。
「いいの。私が悪いから」
 多分、騎士の宿舎らしきところでかわした言葉について、話したいのだろうと思った。リュイは優しい人だから、また気持ちを封じて、自分を責めるんだろう。だけど、彼に仲間を殺させてしまったのは、私だ。リュイはこれから、とても苦しむに違いない。仕方がなかったとたくさんの人に宥められても、騎士達が蘇るたび、きっと心に傷を増やす。
 もし遠い未来、殺してしまった騎士の家族や友人たちに詰られ、憎まれた時は、私を呼んでほしい。どうして彼らの命を奪わなければならなくなったのか、私には説明しなければならない責任がある。原因を作ったのはリュイじゃないもの。
「――失望しましたか」
「するはずない。そんなこと」
「あなたを、なぜ責めてしまったのか……」
「いいの、それでいいんだよ」
 リュイはわずかに俯いた。こんな顔ばかりさせてしまっていると、悲しくなった。
「まだ、側にいても?」
 どこか不安を滲ませた表情で訊ねられた。いてほしいと答えようとして、急に言えなくなる。私の近くにいると、また心がすり減るほど辛い現実を目にするんじゃないだろうか。
「もう、リュイ、一人じゃないね?」
 皆がいる。異国の人間である私だけじゃなく、今は本当の仲間が側にいるんだ。彼らとともにいれば、時間はかかってもいつか安らかさを取り戻せるに違いない。とても、とても、誰かを求めていたものね。
「これからは、私を庇って悲しんだり傷ついたりすること、ないよ」
 よかったと思う気持ちのどこかで、決して言えない寂しさが胸を通り過ぎた。心細さを誤摩化すために微笑を作る。
 もうリュイを束縛しちゃいけない。皆の所へ返さないと。
 リュイは時がとまったかのように、動かずじっと私を凝視した。なぜそんな目をするんだろうという戸惑いが生まれる。
 この不安定な状況を終わらせてくれたのは、どうやら話しかけるタイミングを見ていたらしいイルファイだった。
「娘、対談中のようだが、問うてもいいか」
「……ん」
 少し安堵しつつ、こちらの正面に座り込むイルファイの方へ顔を向けた。リュイの指からさりげなく手を離し、お腹の前で指を組む。
「先程、この王都を目指していたと言ったな。なぜだ」
 イルファイってば、ものすごく興味津々という顔だ。わずかな表情の変化も見逃すまいって意気込みを感じるよ。
「王子たちを蘇生させるため」
 答えると、近くに腰を下ろしていた騎士たちや率帝に注目された。うう、気軽な口調が許されない雰囲気だ。
「王子たち?」
「うん」
 そこでイルファイが、ふぅむと唸り、またしても髪の毛をかき回し始めた。どうしよう、すっごくイルファイの髪を梳かしたい衝動が芽生える。
 率帝ももしかしたら私と同様の欲求を抱いたのか、イルファイの髪を意味深な目で見つめつつ、大人びた口調でたずねてきた。
「しかし、殿下方をどのように見分けるおつもりですか」
 問題はそこだった。当然、王子達もレイムの姿なんだ。
 帰巣本能があるらしいという点を考慮した場合、王子達は多分、馴染みがあるお城にいるんじゃないかと思う。
「ええと、この近くにお城ってある? 王子達が普段生活した宮城とか」
「宮城はありますが……。この神殿から本城まで、かなりの距離があります。日中の移動ならばレイムは現れませんが、王都は恐らく、他の町々よりも危険は多いでしょう」
 どういうことだろう?
「宮城がある分、人も多く、警備も整っている。魔術師や召喚士たちが飼っていた魔獣の類いが溢れているということだ。また、その獣を狙って、魔物どもも多く集まる結果となっただろう」
 どこか気まずそうにイルファイが説明してくれた。あ、そうか。イルファイも魔術師で、召喚した獣とかがいたのかもしれない。
 なるほど、それだと移動は結構危険が多そうだ。
「転移の法具があれば、この神殿から本城へ移れるのですが」
 残念そうに言った率帝を、思わず注視してしまった。
「お城に転移できるの?」
「はい、ですが、災厄時、転移の法具を誰かが持ち出してしまったらしく」
 言いにくそうに答える率帝を眺めつつ、私は胸中で、やった、と叫んだ。
「転移の法具って、符針だよね」
「はい」
 突然喜び出した私に驚きの目を向けて率帝が頷く。
 符針、実は持ってきてるんだ、私。そう、ラヴァンで転移の陣を描いた時、使い終わった符針を、上着の帯に差し込んで……と、はりきりながら腰帯をさぐり、凝固した。
 ああ! 思い出した、上着は、率帝に貸したんだった!
 神殿の外で率帝を蘇生させた時、帯を外して、上着を着させた。その時、符針を地面に落としたに違いない。
 私は頭を抱えた。すっかり忘れてたよ、符針の存在。
「あの、一体どうされ……」
 と恐る恐る訊ねてきた率帝に、私は這いつつ寄った。
「な、な…!?」
 仰天して仰け反る率帝にしがみつき、彼の腰帯を急いで外そうとした。ううん、諦めきれない! もしかしたら、帯のどこかに引っかかっているとか、そんな奇跡がないかな。
「こら娘!」
「何をする!」
「響!」
 という、イルファイとディルカレートとリュイの声が重なった。ちなみに、エルのきゅん、という声も重なって四重奏の制止になっている。
「符針、あるかもしれなくてっ、……?」
 慌てて説明しようとし、皆の顔色を目にした時、はたと気づいた。全員、呆気に取られているというか、愕然としている様子だ。
「……」
 私は怖々と視線を戻し、自分の状況を見直した。放心している率帝と目が合う。
 なんだか、血の気が引いてきた。思いっきり率帝を押し倒して半ば乗り上げつつ、腰帯を外そうとしている自分の行動にだ。
 率帝の上着が脱げかかって、かなり、その危険な姿になっているかもしれない。うわぁ率帝ってば肌が白くて奇麗だとか細いとか、人前でとんでもないことしてごめんなさいとか、もうどうしようもない方向に意識を飛ばして現実逃避してしまった。
 
 ――猥褻娘。
 
 ぼそっと告げられたソルトの言葉、すっごくぐさりと胸に突き刺さったんだけれど!
「ち、違……」
 弁解しようとする私の身体が、リュイの手によってそっと率帝から引きはがされた。違う、本当に、違う目的が!
 私はその後、本気で皆に弁明をした。率帝に上着を貸す前、腰帯に符針を入れていたことを。
 
●●●●●
 
 誤解がとけたあと、多分外に落ちているだろう符針は夜明けがきてから回収するという話で決まった。益々ディルカレートには警戒された気がする。誠心誠意、謝罪して、事情を理解した率帝には快く許してもらったんだけれど、自分的にとても辛い。
 落ち込む私に、イルファイがなぜ王子たちを先に蘇生させる必要があるのか、たずねてきた。
「神剣を扱える人が必要だから」
「待て、どういう意味だ」
 訝しげに問われて、ちょっと驚いた。魔術師のイルファイでも、神剣でレイムを人に戻せることは知らなかったらしい。
 そこで私は、神剣を使えば蘇生が可能ということを話した。皆が唖然とした。どうもこの国では神剣って、武器ではなく飾り物として保管されていたような感じがする。
「神剣はこの国に、二本あるんだよね?」
「お前の持っている剣も神剣か」
 うん。
「二本のうちの、一本か」
「え? ううん、違う。この剣は……」と言いかけて、一体ソルトについてどう説明すればいいのか悩んだ。神様から借りたって言ってもいいのかな。でもオーリーンはこの世界に存在しない状態になっている。私、説明するのとか苦手なんだ。
 そもそも、彼らは、この国を覆った災厄の事情を、どこまで知っているんだろう?
「なあ、娘。基本的な質問から解決した方がよさそうだ。都合のよいことに、朝まで存分に時間がある」
 イルファイが指先でこめかみを撫でつつ、気難しげにそう言った。私は一体何をきかれるのかとどきまぎした。
「肝心なことをまだ聞いていなかった。娘――そなたは、誰だ?」
 結界内にいる全員に、見つめられてしまった。
「私は」
 彼らの顔を眺めた。なんて言おう。真実を、どこまで伝えればいいのかな。
 
 信じてもらえるだろうか? 
 自分がどこから来たのか。何者なのか。
 終わりを目前にした、壊れた世界の始まりを、ふと思い出す。
 ここに至るまでの、たくさんの出来事が頭をよぎった。
 呪術の痕跡があるという小さな島国の中、ただ生まれた日の数と時間によって、フォーチュンの目にとまった。
 それは、いうべきだろうか。伏せておくべきだろうか。
 首を傾げ、少しの間、悩んで。
 凍えた世界に再び命の灯火を掲げる人々に向かって、まずは最初に何を言おう。
 
「私は、遠い地から来ました。この国の人々を蘇生させるために。失われた神々との誓いをもって――」
 
 私の現実が、皆の現実と交差した。
 うん、始めよう。
 険しく愛しい、この物語を。

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