F2:30


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  私たちは無事転移を終え、ラヴァンの神殿に到着した。
 問題はここからだった。
 私は瞬きし、転移時の衝撃に少しふらついている人々を眺めた。初めのころと比べて、ずいぶん人数が増えたと思う。騎士、貴族、神官。色々な身分と、年代と、性別。子供から大人までいる。もちろん、顔かたちや体型なんかも様々。一人一人が作る表情もかもしだす気配も、なにもかもが違っていて、だからこそ逆にまとまりがあった。主義主張の話じゃなく、人間としてのだ。
 そういう当たり前の事実に、私はあらためて驚きを感じた。ここは本当に、たくさんの人々が生きていた世界なんだ。
 少し胸が痛む。
 彼らに一つ、大事なことを言わなくてはいけない。これを言えばまた彼らから非難と拒絶、そして恐れの目を向けられるに違いない。十分以上にそうわかっていても口を閉ざして逃げの一手を選べば、結果、惨事を招くはめになる。
 めいっぱい、と揶揄気味に言いたくなるくらいすでに彼らからたくさんの拒絶をもらってるんだし、また一歩、後退されたってなにも変わりはない。
 人員が増えた。今こそきっと神剣を増やす時だ。
 なぜなら、サザ王子が剣をとって戦うことを皆に宣言し終えている。先手必勝っていうわけじゃないけれど、でも今後、剣の担い手が増えてもサザ王子は戦いの場からおろされずにすむはずだ。もう、皆に告げてもいい頃合いだろう。
 そのためにウルスへ向かうのだから。
 
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 転移の間にとりあえず、イルファイが簡単な結界を築いた。まだお昼にもなっていない時刻だから当然、レイム出現の心配はいらないのだけれど、そのかわり飢えた魔物が獲物を探して周囲をうろついている可能性がある。けれども今ここにはガレ国でもっとも強大な魔力を宿すという率帝や大師のイルファイがいるし、私個人にもベリトという心強い味方がついているため、魔物の襲撃を過度に怖れる必要はない。
 率使と騎士の数人が念をいれて、周辺を視察しに動く。荒廃前の守護が些少ながらも残っているこの神殿を、いまいまの拠点とする目算だ。そのためには人々が最低限生活できるスペースを確保しなくてはいけない。転移の間は広いけれど、それにしたってこんなに人数が集まれば、やはりかなりの窮屈さを感じてしまう。
 だけどあんまり遠方までの別行動は危険だから、まずは神殿内だけの偵察にとどめてもらった。
 その間、仕事のない人々は休憩。今の私たちにとっては休息を取ることも大事な仕事だといえる。
 身体を休める人たちを目の端に映して、私はエルの背に横座りした。エルがうがうがと唸り声を上げて、壁際に寄った。バノツェリに私の世話を命じられているらしいクロラと図嶺院の長らしきメレナの娘であるリダが、なぜか毛を膨らませ始めたエルに少し怯えつつも近くに寄ってくる。私はちょっと困り、無遠慮にならないよう注意しながら二人に目配せした。クロラは戸惑った様子でこっちを見つめたけれど、リダのほうはすぐさま目配せの意味を悟ったらしい。「お飲物をお持ちします」といったあときびきびした迷いない態度でクロラの腕を取り、私のそばを離れた。さすがは頭の良さそうなメレナの娘だ。どことなく学級委員長的な、というか四角四面っぽい硬質な雰囲気があったから接しにくいかなあと思っていたんだけれど、杞憂だったみたいだ。
 と、かなり失礼な感想を抱きつつも、私は次に、結界の構築を終えたらしいイルファイと、偵察には同行しなかった率使たちになにか言葉をかけている率帝に目を向けた。こっちに来て、と視線に確かな重さを乗せてだ。神力の賜物なのか、それとも二人の勘が飛び抜けて鋭いのか、同時に私へと顔を向けてくれた。
 二人がするりとこちらに寄ってきた。
「どうした」
 さきに声をくれたのはイルファイだ。
 私は二人を見返したあと、気持ちを整えるためにもぞもぞと体勢を変えた。なんでだろ、体育座りってすんごい安心感がわくよね。お腹を庇うようなポーズになるためなのかな。いったい何を守りたいんだろう、と自分の考えに不思議を感じた。
 エルの背上で体育座り、というとても怪しげなポーズを取る私に、二人がちょっぴり微妙な顔をした。
「結界、大丈夫そう?」
 そうたずねると、イルファイが大仰に目をむき「誰に向かって聞いているんだ」という表情を浮かべた。
「その聖獣に見境なく暴れられることがなければ、結界の強度に懸念を抱くことはないだろう」
 私はついくすっと笑ってしまった。イルファイの変な表現にも少し慣れてきた。尊大な表情にだってなんだか愛嬌を感じ始めてきてるし。頭も相変わらず鳥の巣状態だしね。あとでとかしてあげよう。
「響様はどうぞ心配なさらず。いざとなれば、私も結界を敷きます」
 率帝の申し出に、ふふんという得意ぶった顔をしていたイルファイが眉間の皺を濃くし、嫌そうに鼻を鳴らした。率帝は率帝で目の色を冷たくするし、本当にこの二人って。
「えっと、もしね、私がしばらくのあいだ結界を抜けても、硬度を長く保っていられるくらい体力や魔力の方は、大丈夫?」
 休憩したりなんらかの作業をしている人々に聞こえないよう、私は若干声をひそめた。声音の変化を聞き取ったのか、エルがわずかに背を低くした。きっと、私の空気につられたんだろう。可愛いなあエル。
「どういうことですか?」
 私の問いには答えず、率帝が眉をひそめて理由をきいてくる。なぜかイルファイまでもが警戒を宿したきつい目をして私を睨んだ。何だろその、「またか!」と厳しく責めるような二人の視線は。
「前にイルファイ、神剣の数が圧倒的に少ないと言っていたね」
「確かに言った」
 ものっすごい警戒の顔でイルファイが悔しそうに頷く。なぜそこで悔しそうにするんだろ。ほんと、イルファイって。
「新たな神剣を、造りにいく」
「何と?」
 二人が驚きを浮かべ、まじまじと私を見た。私は二人の強い視線を払うように、小さく首を振った。
「確実とはいえないけれど、私はできると思っている。ウルスにいけば、つくれる可能性がある」
 そう、ウルスだ。なんの根拠もないけれど、神剣であるソルトがその可能性を指摘した。ということは、それこそが確実な根拠になる。
「おまえ、こちらに到着する前にも同様の話をしていたな。なぜウルスが特別となる」
「それは」
 口を開くのが重かった。本音ではやっぱり言いたくない。
 私はまだ性懲りもなく、自分が糾弾される時間を先延ばしにしようとしている。
「――イルファイ、その目で見てほしい。あなたは私とともに来て。だけど覚悟をしてほしい、決して希望を目にはできない。むしろ私を憎むと思うけれど。それでも」
 私の言葉に、イルファイが目を細くした。
「お待ちください。イルファイ殿だけをウルスに同行させるおつもりなのですか」
 率帝が慌てた様子で割りこんできた。
「ううん、イルファイだけじゃなくて騎士の何人かも。まずは本当に神剣がつくれるのかを――」
 異論があるらしい率帝を制するため、もう少し詳しいことを口にした時だった。
「何の話を?」
 突然、艶っぽくも怜悧な声が降ってきた。
 驚いたのは私だけではなく話に集中していた二人も同様で、大きく肩を揺らして振り向くといった緊張感ある動きを見せる。
 バノツェリを背後に控えさせたサザ王子が怪訝そうな顔をして、私たちを見比べていた。
「神剣が、なんだという?」
 ばっちり聞かれていたようだ。私はほぞをかんだ。できうるならばことを荒立てず数人だけでこっそりと行動したかったのに、どうもその望みは叶いそうにないらしい。
「おそれながら殿下、悪巧みは我らの領分ですぞ。魔術師、魔法使い、そして眷属の見事な三大陰謀図ですな。ああまったく油断ならぬことだ」
 などとイルファイが真顔でとんでもない返答をした。イルファイったらもうっ。ほら、皆、胡乱な目をしたじゃないか。
「ならばその図に王族もくわえてはもらえぬか。我らの歴史もまた侮れない。絶え間ないほど権力を貪り財をせしめ贅の限りもつくしてきたゆえ、策と欲の悪食加減では、並び立つのにいささかも不足はなかろう」
 サザ王子もまたわざとらしい真顔でひたりと私を見据えながらイルファイに返事をした。ってなんでこの流れで私を見るの! 一番与しやすそうって思ってる!
 引かない様子のサザ王子を前に、無責任なイルファイがあっさり匙を投げて私に顔を向けた。ひどい!
 なんていうか、前々から感じていたんだけれど、イルファイってもしかしなくても諦め癖があるような気がする。それは大抵、人間関係……他者との対話の時に見られるんだよね。深いやりとりになる前に、さっと身を引く感じ。単なる人間嫌いだとは思えない。ひねくれているけど実は思いやりのある人だと思うし。根強い闇がイルファイの中にもあるのかもしれなかった。
「……ちょっと、二人に相談していただけなんです」
「何を?」
「い、色々と」
 と動揺を押し隠しつつ適当に答えたら、サザ王子の背後に立つバノツェリから胃がもたれそうなくらい重い眼差しを頂戴してしまった。
「響」
 サザ王子に低い声でぴしりと名を呼ばれた。思わず背が伸びてしまうような声音だ。
「は、はい」
「私を軽んじるのは、賢くない選択だ」
 と、サザ王子は至極真面目に言った。
「分かっているだろう、騎士の大半、そして神官たちは、あなたよりも私の言葉を重んじる。その言葉の善悪、愚かさはさほど重視されない」
 あんまりといえばあんまりすぎる率直な説明の仕方に、バノツェリが目を見開き、くっきりと完璧なへの字口を見せた。
 バノツェリの脅迫じみた視線が怖くて頷けないけれど、確かにサザ王子の指摘は正しく、この国の人たちは理屈抜きで私の決断より彼の命令を優先する。
「ではもう一度問う。何の話をしていた?」
 ううんと私は胸の中で唸った。要するにサザ王子が言いたいのは「協力してほしかったら無駄な抵抗はせず素直に白状しろ」ってことだよね。
 なんとかごまかせないだろうかと未練たらしく悩みながら、サザ王子をちらちら見上げ、そこで気づいた。泰然としたオトナの態度をとっているサザ王子の目が、ほんの一瞬、不安そうに揺れたことを。ああ駄目だこの王子様、本当はすごく繊細な人だと思うから、きっとここで私がごまかした場合、立場や身分とは別のところで傷つくに違いない。当然、バノツェリたちの前でサザ王子の問いを一蹴すれば、それは不敬と取られるだろう。だからこそサザ王子はあえて自分の不安をわずかに覗かせ、真実を語れと私にわかりやすく促しているんだ。決して弱いだけじゃなくて、必要な時にはその弱さも武器に変えられる人だった。やっぱりサザ王子って、人をよく見ている。頭ごなしに命じたら逆効果だけれど、感情の一部を見せれば最後にはかならず屈するはずだってちゃんと計算しているんだろう。事実、私ってそういうのには動揺してしまう。
 違うか、負けを認めずにいられないのはきっと私だけじゃない。
 だれだって、こんな優しい弱さを無視できないだろう。特別に与えてくれた心の一部だと、ひそやかな喜びとともに受け止めるからだ。
「……一足先に、というか、まずは数人だけを連れて、ウルスへ行きたいんです」
 私はすこしの躊躇のあと、観念して告げた。
「王子、前に言った通り、神剣がつくれるかもしれない。それを確かめにいきたいの」
 サザ王子がじっと私を見つめた。綺麗な色の瞳に浮かぶ葛藤。私はエルの背から降り、許可なくサザ王子の手を握った。大丈夫、と安心させるためだ。
「サザ王子は一緒に戦うと言ってくれた。王族でありながらも、剣をとってともに歩むって。そのおかげで私もやっと覚悟を決めることができた。神剣を増やさなきゃ――」
 言葉の途中でサザ王子がぐいっといきなり私の手を引いた。えっとびっくりしたんだけれど、サザ王子はおかまいなしの様子でバノツェリやイルファイたちに目をやり、「しばし待て」と側から離れるよう命じた。
 三人が驚きを見せながらも従順にそばを離れた。
 サザ王子が私の手を握ったまま、エルの横――少しでもこの部屋にいる人々から離れようとしたんだろう――に移動して、厳粛さがうっすら滲む真剣な顔を見せた。
「神剣をいかにして生み出すか、その方法は今は問わぬ。だが以前に聞いた通り、神剣を扱うには神力が不可欠となるのだろう。ゆえにその神力を、神剣を受け取る者に注いでいくと」
「うん」
「響、私はあなたをもう疑ってはいない。確かにあなたは聖なる者だ。だが、聖なる者が選びし者もまた聖であるとは限らないのが世の常だ」
 私は狼狽した。以前にも似たような話をされたと思う。そう容易く神力を人の中に垂れ流されては困るって。
「誰もがあなたのように、無欲で、稀なる力を使うわけではない。いや、無欲であった者が力を得た途端、穢れを帯びて悪欲に囚われる。私はそういった変化をよく知っている」
「でも、このままだと私たちは全滅する。無欲かそうじゃないかをいう前に、命そのものが消えるよ」
 サザ王子が小さく舌打ちした。苛立ちのためというより、急ぎすぎる私の態度を窘める目的らしかった。
「私はこの国の王族だ。ゆえに民は皆、なによりも尊く、得難くも思う。できるのならば、一人残さず救いたい。しかしながらすべての者が善人だとは決して思わぬ。今、ここにいる者の中にすら、悪しき思惑を抱える者が潜んでいるかもしれない。私はその可能性を否定できない。善が存在するうちは、悪もまた消えぬものだ」
 サザ王子が身を屈め、私の耳に早口で言葉を吹き込んだ。不意打ちのように耳をかすめたあたたかな吐息に、私は少し身を縮めた。
「……うん、そうだよね。たぶん、サザ王子は私よりももっと先を見通してて、最悪の未来を憂いているんだと思う。でも私は、こう思う。もし本当にこの国に再生の余地があるなら、無理をおしてでもここで神剣を増やし担い手を募るべきだ。だって、なにもしなければ必ず滅びる。――その悲劇を回避しようとして担い手を増やしたら、また別の最悪の事態を招くことになって、やっぱり滅んでしまうかも。けれどそれは確定していない。好転するかもしれないもの。だったら、危険であっても残された希望をつかみ取らなきゃ!」
 サザ王子が握りっぱなしだった私の手をさらに強く掴んだ。
「何があっても見捨てないか、この国の者を。どれほど人が悪に落ちても」
「うん」
「気づいているだろう、あなたはまだ受け入れられていない。今後もおそらく繰り返し批判を受けることがあるだろう。それでも、我らに失望しないか」
「逆だよ、失望されるかもって怯えているのは私の方で」
 サザ王子が首を振った。そして一度、私の手を自分の身のほうへとわずかにひっぱった。きつくからむ指に、鼓動が大きくはねる。
「――どうせ滅びるならば、神の炎に焼かれる方がましかもしれぬ」
「王子?」
「許可する。だが、その力を注ぐ相手を見出すときは、忘れず私に声を」
「いいの!? あ、ありがとう、うん。そうする!」
「それから、ウルスまでは少人数で進みたいとの希望だが、全員を引き連れて行け」
「ええ!」
 王子が冷徹ともとれそうな目をした。
「不用意に浅はかな策を巡らせてはいけない」
 ずんと重くお腹に響いた。呼吸がとまりそうになる。
「些細なことまでもっともらしく隠蔽していては、皆の信頼はいつまでも得られぬ」
 私は恥ずかしさで赤面した。糾弾されたくなくて問題を先延ばししようとしていた自分の卑怯さを真正面から容赦なく暴かれた気がした。
「人は愚かではない。隠そうとするものを何より探りたがる。それはやがて強い不信感にも繋がるだろう。皆を従わせたいのならば、なるべく清廉な行動を心がけなさい。今ここで、どうしても少人数で行動せねばならないという重大な理由はないのだろう? ただ動きやすいから、といった単純な損得のみの事情ではないのか。それは裏を返せば、選んだ者以外の皆を重荷としているとなる。こういった意識は、後々必ず露呈するだろう。だから、決して避けられぬ時までは、皆のあいだに差を生んではならない。民とは、態度では強く身分を意識するが、心はもっと複雑だ。己に対する寵というならいざ知らず、同等の弱き立場に座す他者のみが優遇されていると知ると、激しい拒絶と不審を抱く。さらに言えば、こちらが理と論をもって出した答えが、同じ理で受け止められるとは限らない。揺れ動く曖昧な心で受け止められるということを忘れてはならない。いいか、昨日と今日では感情は変わるのだ。だからこそ臣下の心を得はしても、みだりに信じるな。そのせまき信頼は、怠慢だ。わかるだろうか。疑ってもいけない。軽視してもいけない。そして、常にとは言わぬが、自らは人に対し、明らかであれ」
「……うん」
 もうぐうのねもでなかった。耳まできっと赤くなっていると思い、俯かずにはいられない。
 サザ王子の指摘したこと、後半部こそ頭レベルの問題でちょっと理解できなかったものの、あとは全部正解だ。そうだ、私は自分が傷つくのがやっぱり嫌で、そして道の途中で勝手な行動を取られるのが嫌で、連れていく人を無意識のうちに選別してしまっていた。ある程度は私の意思を尊重してくれる人。なおかつ、私の知らない大事な情報をきちん伝えてくれる人。いざという時戦うすべを持っている人。イルファイはまさに思惑に合致した有能な人だ。自分の感情よりも、状況判断の方をたぶん優先してくれる。そう思ったから、一緒に行ってもらいたかった。
 でも、それじゃ駄目なんだ。たくさんの人と歩んでいくのならば、便利なこと、楽しいこと、自分にとって都合のいい有利なことだけを追い求めちゃいけない。たとえ幾度拒絶を受け、回り道を繰り返すことになろうともだ。
 本当に恥ずかしい。私、無意識のうちに皆を足手まといに感じていたんだ!
 犠牲ばかりを出す私の一体なにが偉いというんだろう。そんなふうに皆のことを見下す真似がよくできたと思う。ほんと、何様って感じだ。一人で悲愴感に浸って、大バカとしかいいようがない。
「響」
 サザ王子の指が、私の手から引き抜かれた。と思ったら、顎に触れられ、顔を上げさせられそうになった。
「やっ、駄目、今、私、ほんとにもう」
 自分でも何言っているのかわからなくなるくらい心も顔も羞恥にまみれて赤くなっていたため、至近距離で見られるのは絶対に嫌だった。自己嫌悪の波にもまれながらサザ王子の指をすばやく押し戻そうとした。
 だけど、サザ王子の指は抵抗のいっさいを許してくれなかった。頬を包み、その熱と意思で目的を達する優雅で残酷な指。嫌がっているってわかっているくせに!
「あなたはだれより私と対等の場に立っている。その身も、心も。だから隠すことはない。――私にそう言っただろう。恐れてもかまわぬと」
 や、もう今、私が感じているのは恐怖じゃなくて、とんでもないいたたまれなさだから。
「明らかであれ。今し方、言っただろう?」
「い、いや」
 思わず拒否の声を上げてしまった。こんな恥ずかしくて惨めな感情まで誰かに見せたくないし、見られたくもないし、見せる必要なんてないじゃないか!
「やはりあなたは、人めいている。普段はまるで稚い娘のようだな」
 サザ王子の苦笑に、ますます顔が熱くなった。そうなんだ、神力だけが抜群。私自身は呆れるくらいに普通だ。
 意固地なまでに私の顔を包む王子の指を、もぎとるようにしてぎゅっと強く握った。この指が憎らしい。
「――担い手が増えたあと、私から剣を奪い後方に下がらせようとする者が出るかもしれない。その時は私に協力を?」
「う、うん」
 としか、この状況ではいえなかった。
「いつか、私に信頼を」
「うん……え?」
「月迦将軍が他の者より信を預けているのは、あなたの負の部分を知っているからでは? あるいは今のような恥辱、そして過去。軽々しくは言えない事柄を打ち明けることで、人は絆を感じる時がある」
 これもサザ王子の周到な作戦なんだろうか――つい警戒も憤りも捨てて、顔をうかがってしまった。
 でもさっき、みだりに人を信用するなって……、それは相手が家臣さんたちの場合で、おなじくらいの立場の人なら大丈夫ってことなのかな。うまく推測できなくて困る。
「私の弱さを引き出したように、響も」
 目の先にあるサザ王子の表情は、初めて見たといってもいいくらい優しい。どころか、なにか面映くなるようなじりじりしたものをふくむ表情だった。
 少しだけ、心が軽くなっていた。
 サザ王子が私に協力を求め、さらには理解をも求めてくれたと気づいたからだ。
 
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 もうこんな状態を迎えるのは何度目なのか――進歩が見られない、と意地悪い感想が芽生えるような状況を私たちは迎えていた。つまり、意見の対立だ。
 このラヴァンで陣営を整える前にウルスへ向かう、という話を皆に持ちかけた途端、ものの見事に意見が割れて紛糾のていを見せてしまった。
 なぜウルスへ行くのか、という疑問が飛び出るのは当然のことだと思う。私以外は誰もわからない理由だ。
 その他、ラヴァンを先に正すべきという意見、ウルスへ行ってもいいがその前に時間をかけてラヴァン内を調査すべきという意見、何より安全な建物を確保して皆を守るべきという意見、ラヴァンへは少数で行くべきという意見、そもそもラヴァンではなくレイムの出現率が低い森へ逃げるべきという意見、王都に戻るべきという意見までもが飛び交った。
 私は半ば、茫然としてしまった。どうしてなんだろう。嘘のように統率が取れない。余所者である私と意見がぶつかるだけなら、まだ理解できる。けれども、同国の人々の間でも、これほど激しく各自の主張が対立するなんて。まるでガラスの反射を見ているようだ。あっちこちはねるだけはねて収拾がつかない。
 たぶん、ここにいる人々の大半が、命令に慣れた従順な平民ではなく一定以上の身分を持つ者で占められているためなのかもしれなかった。それとも、心に余裕を持てないせいでちょっとした諍いをすぐに招いてしまうのか。理由は何にせよ、良好な状態であるとはいえない。
 また私は同じ過ちを繰り返してしまうのだろうかとふいに恐れがよぎった。この、誇りと意志を持つ人々を説得しきれず投げ遣りになって、最終的に重大な間違いをおかしてしまうのか。
 その不吉な予感に、身が震えそうになった。
「――静まれ」
 感情の乏しい、けれども反論を許さぬ重い響きがこめられた一言が、皆の勢いを一瞬で鎮圧した。
 サザ王子が私の横に立ち、ぴたりと口を閉ざした人々を理知的な目で見回した。
「ウルスはこのラヴァンほど堅固ではないが、それでも国有地なのだから、他の村々よりは建物も確かだ。少なくとも夜間に関しては、そもそもの人口数がこの地よりも少ないはず。ならば、その分、レイムも少数と判断できるだろうから安全も増す」
 私は思わずサザ王子の横顔を凝視しまくった。うまい説明だ。実際のところはどんな場所だろうと安全なんてなきに等しいんだけれど、その根本的な問題には触れず、あくまでラヴァンとウルスの比較だけにとどめて冷静に述べている。
 だけど一番のポイントは、王族であるサザ王子がウルス行きを明確に支持しているというところだ。
 本当にサザ王子の信頼を得られたんだ、と私は緊張を覚えた。失望されないように頑張らなきゃいけない。
「しかし、ウルスを優先する理由は?」
 バノツェリがその質問を、私に向けた。うう、サザ王子と衝突したくないからこっちに矛先を向けたっぽい。
 困ってしまった。ウルスに行くのは神剣のためだ。けれども現段階では私だけが神剣作りを「可能」だと信じているわけで、それが絶対に正しいとは断定できない。万が一、失敗してしまったら皆にどう謝罪すればいいのだろう。
「神剣を増やすためだ」
 苦悩の中を回っている間に、サザ王子が実にきっぱりあっさりと答えてしまった。うう。
「なんですと」
 皆のざわめきが広がり、束の間転移の間が騒々しさに溢れた。
「驚くことではないだろう。現在、人を蘇生させる神剣がわずか三本しかない状態だ。これではどうあっても国の復活などありえぬ。だが、この娘は国を救いに来た眷属。なればこそ、神剣を増やす術を持っていても不思議はない」
 う、うまい、サザ王子ってば本当に!
 なんていうか、どこにも根拠なんてないし、よくよく聞けばなんの説明にすらもなってないんだけれど、そうさらっと当たり前の口調で言われたらつい納得してしまうかも。
「人の蘇生を助ける神剣を増やすことに、なにか異論が?」
 んもう、ほんとうまい! そんな感じに平然と言われたら、異論を持っていても口に出せない。
 サザ王子って策略家というか、本当、政治家というか。
「神剣のみに目を向けているのではない。やはりラヴァンの規模の大きさは、今の戦力では厳しいと言える。全員が例外なく武器を手に取って昼夜を通し戦うというのならば話は別かもしれぬが」
 ある意味、究極ともいえるサザ王子の無慈悲な発言に、皆沈黙した。違う、どっちかといえば撃沈した。
「規模の面も鑑みて、ウルスならば、という結論だ。無論、ウルスの位置は呪術的意味にもかなっている」
 もう最高、サザ王子。
 サザ王子の言葉マジックに、皆、屈服した。

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