探偵高野とスラムの王1

 これまで請け負った依頼といえば、元下っ端ギャングという過去を持つ男の浮気調査や復讐相手の詳細な生活習慣、脅迫のために必要な敵対者の弱み、穏便なところではペットの捜索、あるいは畜生にすら劣る腐りきった人間の捜索など、どれもこれも退屈で反吐の出るような仕事ばかりに限られていた。とは言っても今更、舞い込む依頼内容の醜悪さについて潔癖な若者のごとく声高に不平不満を垂れ流す気概や情熱はとんと持ち合わせていない。そもそも依頼人が下種に属する側の人間と決まっているのだから、調査内容もまた、救いようのない下劣な類いのものが大半を占めるのは当然なのだった。
 勿論、くだらない依頼と知りつつ素知らぬ顔で引き受ける俺自身も、壁に塗りたくった糞のような人間に違いない。劣悪の都であるスラム街のどぶを浚うような、価値のない生き方を八年もだらだらと無為に送っていれば、どれほど高潔な志を持つ人間だとて汚臭が身体にしみ付き、やがて萎れていくはずだ。日々、泥と砂を与えられれば水はいつか濁るものと決まっている。
 塵芥さえ焼き焦がす強い日差しの恩恵を注がれすぎた洗濯物の黄ばみは、その後すり切れるほど洗っても決して以前の純白を取り戻せない。それと同様に、人も町も汚濁という名の黒い日差しにさらされすぎて、最早この薄汚さを拭えやしないのだ。
 骨の下の臓腑までひからびている身元不明の死体と、濁った卑屈な目をぎらつかせるぼろ雑巾のような物乞いの姿を望まずとも交互に観賞できる貧困の町で、細々と生計を立て、ようやく今日を生き抜く陳腐な三流探偵の実情など、着込んだ安物の薄っぺらいコートが証明する通り、価値も過去もどうせ高が知れているというものだった。
 糞尿の色で汚染され黄ばんだ空を見上げながら、俺は依頼人のもとへと急いだ。
 正確には、依頼人代理というご大層な肩書きを持つ奴のもとへ。
 
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 俺がその日、この界隈では絶滅種と呼べるほど小奇麗ななりをした、神経質な顔の依頼人代理から受けた調査内容とは、探偵業に勤しむ者には珍しくもない行方不明者の捜索だった。
 だが、一口に失踪者の捜索と言っても、そいつは今まで俺が生死を問わず探し出した人間達とまるで様子が異なった。町全体をすっぽり覆う偉大な異臭に大きく顔をしかめながら鼻と口を白い絹のハンカチで死守する依頼人代理の、尊敬語と丁寧語が慇懃無礼なほど交錯し乱舞する妙に格式張ったお固い説明によると、俺が捜索する人物は、世界の底辺に位置するこの澱んだ町とは全く縁がなさそうな大財閥の坊やであるらしかった。
 金にも女にも未来にも不自由がなさそうな御曹司を捜索するのに、なぜ町の掃除屋と変わらぬ俺に白羽の矢が立てられたのかという理由については、必要最低限の台詞以外は労力が無駄になるので発してはいけないとケチな主人から厳命されているのか、依頼人代理は徹底して鉄の拒絶を見せ、一切口を割らなかった。とにかく、死にかけているこの町と周辺区域に世間知らずなくだんの御曹司が潜伏しているらしいので、一週間以内に探し出して連絡を入れろという話だった。
 正確な潜伏場所こそ不明とはいえ、少なくともスラム区域には存在していると確認できているならば、わざわざ三流の探偵を雇わずとも一族お抱えの護衛や調査員に命じて捜索した方が余程早いだろうに、なぜチェックメイト目前で不要と思われる手間と費用をかけるのか、正直、警鐘のごとき疑念が腹の底に湧いた。
 俺が猜疑の目を向けると、それについてはやけに淡々と説明された。スラムは混沌の町であるため、実情を熟知している現地の者を採用した方が効率がいいと。実際のところはお抱えの優秀な調査員をスラムの悪徳に染めたくなかっただけではないのかと応酬したくなったが、腹芸の得意な全く信用ならない依頼人代理の台詞は、仮にこの町の惨状を正しく理解しているのであれば、確かに一理あると言えた。不実なパンドラの寵愛を一身に浴びているスラムの闇と悪臭は、外部の者が一夜調査した程度で解明できるほど軽くはない。洗練された話術や物腰、宝石と同値の真新しいジャケットなどでは太刀打ちできぬ深さと老獪さを持っている土地なのだ。彼らが抱える調査員がいくら優秀であっても、町全体が一致団結して道々に隠し置いた粘つく五欲の罠に足を挟まれ、収穫を得るどころか金品全て巻き上げられるという災難に遭遇する可能性が強かった。
 まあ、いい。真相はともかくも、御曹司の背景や出奔理由、金持ち野郎どもにありがちな骨肉相食む意地汚い遺産相続問題など、全く興味はない。
 肝心なのは、すこぶる報酬がよいということだ。なんだかんだとあげつらったが、俺に依頼を断る理由など一つも見当たらなかった。
 この澱んだ町では金が全てだ。
 ただでさえ、俺が普段相手にする依頼人どもときたら、金払いが悪いどころか踏み倒しても当然と勘違いしている野郎が半数以上を占めるのだ。いや、踏み倒すことこそが唯一の正義であり信条である、と平気な顔を見せて嘲笑いやがる。気前よく前払いで、しかも通常報酬の五倍という、まるで夢のような素晴らしい条件を提示されて舞い上がらぬ探偵など、この町のどこにも存在しないだろう。仮に探偵じゃなくとも、尾を振って飛びつきたくなるようなうまい話だった。
 俺は後先の面倒や危険もろくに考慮せず、依頼を引き受けた。
 多分、この時の俺はいつものように金欠で、しかしいつもよりも疲労が深くて、頭が鈍っていたのだろう。
 
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 御曹司捜索は早期解決を厳守するよう依頼人代理に何度もしつこく念を押されたので、その日の内から早速仕事に取りかかった。
 スラムに八年暮らしていても、全貌を見通しているとは未だに言いがたい。何しろ蝉が短い一生を終えるよりも早くそこに暮らす者がぽろぽろと死んでいく。あるいは、ある日忽然と姿を消し、影さえ残さぬほど完璧に消息を絶つ。そうして次の日には住人が入れ替わっている。この町に居着く奴らは競うようにして死のゴールに飛び込むのだ。
 俺はまず町の情報屋に連絡を取った。絵空事ではない真実の貧困を知らぬ遊び盛りの道楽坊やが住みつきそうな場所はどこかと思案した時、真っ先に浮かぶのは、足を開いて日銭を稼ぐ女たちが集まる区画だった。欲望というやつだけは貧富の差がなく平等である上、緊急時であっても消滅しないものなのだと皮肉に思う。
 昼に賞味期限切れの黴びた食料品を売り、夜にはろくに使えやしない壊れかけの拳銃を取り扱う阿漕な情報屋に小金を握らせたが、女遊びに精を出していると思われた道楽御曹司の生息は掴めなかった。情報屋が握るネタも九割は、破損している拳銃と同様、屑に過ぎない。小金の払い損だと俺はほぞを噛んだ。
 短くなった煙草を靴の先で消し潰したあと、俺は斜めに傾いている電柱に寄りかかって次の手を考えた。町中で不用意に立ち止まると、必ずと言っていいほど、路傍に咲く野花まで食い散らかす逞しい孤児が亡者のように群がり、図々しく小銭をせびる。こいつらに甘い顔を見せたり、財と保護者を持たぬその寄る辺ない境遇に同情したりするのはお門違いというもので、一瞬でも隙を作ると路地裏に連れ込まれ、金品のみならず下着の一枚まで盗まれるのがオチだった。
 俺は最初に手を伸ばしてきたガキを軽く突き飛ばした。一旦ガキどもは大人しく引き下がるが、いくらも経過せぬ内に再度俺の懐へ手を伸ばそうとする。手荒く追い払うことに罪悪感を抱く必要はなかった。どうせこいつらは、日本人の血を半分持つ俺のことを内心で成金ジャップと罵り、笑っている。
 さあて、どうするか。
 俺はサングラスを弄びつつ思索に耽った。御曹司の名は、リジェイル=グラファス=アン=ジャン=パールヴェル、と舌を噛みそうなほど長い。年齢は十九歳。性別は男。金髪、碧眼という金持ち典型の華やかな色素を持つ。行方不明となったのは、二年前。その理由については明かされなかったし、聞いても無駄だと察していたためこちらもあえて訊ねはしなかったが、特に推理を必要とせずとも容易に想像がつく。
 名門パールヴェル家の醜聞は、新聞に目を通す奴なら誰でも記憶にあるはずだった。金持ちが巻き起こす滑稽な騒動には噂というどぶ色の羽根がついており、神出鬼没な狂った新聞屋の胸中で飼われている、好奇心の皮を被った猫の餌食になると決まっている。これもおそらく貴き神の御業というものだろう。印刷液の匂いに塗れている新聞には聖書の冒頭を模しているかのように、矛盾と混沌が平等に存在する。夜会のドレスを優雅に着こなす淑女のごとき顔をした経済関連記事の隣に、下世話なゴシップが平然と並んでいるのだ。
 ただしスラムにおいての情報紙のレベルは学問書にも等しいため、世界の情勢を窺い知識を吸収する、あるいは世間話の種として芸能の裏側を知るなど、そういう新聞本来の活用法は見事に失われているといっていい。ろくに文字すら判読できぬ町の連中には口頭で伝えない限り、紙面を華々しく飾る有名女優の下半身事情すら物理学者が頭脳の冴えをもって掲げる難解な論文に変貌するのだ。尻にこびりついた排泄物を拭き取る時以外、やつらの間で新聞が活躍することはない。
 パールヴェル家の狂った当主が確か病死したはずだ、と俺は奇跡的に頭の片隅に残っていた情報を蘇らせた。数十人は存在すると噂される妾の誰かが産み落としたガキの一人が、リジェイルなのだろう。当主がどれほど気違いであろうと、金の威力は核兵器に勝る。
 そうとも、金というのはプルトニウムと同等の威力をもって、老いも若きも問わず数多の人間の理性を完膚なきまでに溶かす。砂糖に群がる虫のごとく、階層も容姿も千差万別の女達がパールヴェルの名に魅せられ、城の奥底で製造される甘い金の蜜を啜ろうと飛びついてくるのだ。お陰で、クローン戦争でもおっ始めるのかと評したくなるほどわんさとガキが大量に生産されたため、名門一族の内部構造は、まさに地中に張り巡らされた蟻の巣のごとき複雑怪奇な様相を呈している。
 だが、直系の子でなくとも家督争いには十分参加できる資格がある。財産を相続する権利だとて、それなりに知恵の回る頭と残忍な排他的情動があれば立派に主張できるだろう。
 俺は己に縁のない金の匂いが漂うゴシップに失笑しながらも、意識の別のところでは次のような考えを幾分真面目に追っていた。
 金髪碧眼で、仮に顔立ちが端正ならば男だって高く売れる倒錯したご時世だ。飴をしゃぶれる口さえあれば排泄行為と同じくらいに容易く欲望を吐き出せる。闇市場を仕切る脂肪塗れの奴隷商人に目をつけられ、その身をもって性技を散々仕込まれた挙げ句、棺桶に片足を突っ込んでいるような変態野郎に監禁されているという可能性も一概に否定できるものではない。
 リジェイルの写真を借りるべきだったが、依頼人代理は寄越さなかった。狐めいた白い顔で、写真はない、などと冗談にもならぬ戯言を預言者のお告げのごとく真剣にほざきやがったのだ。
 写真の有無で、捜索にかける時間と費用と面倒さが大きく違ってくる。容貌の確認を取れないというのは、逃げ回っている人間を捜索する時、圧倒的に不利なのだ。
 まあいい。この程度の問題が枷となるならば、不貞の掃き溜めであるスラムで仕事はできない。
 俺は嘆息し、真っ昼間から客引きをする顔見知りの女達に接触する覚悟を決めた。
 
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 荒れた肌を厚い化粧で隠す女達の豊かな胸元に小銭を押し込み、リジェイルの消息について手がかりを求めたが、これといって有益な情報は得られなかった。誘拐、殺人、暴力、強姦、麻薬流通などの犯罪が、貧困という名の免罪符により、大手を振ってまかりとおる無節操な町だ。たとえ名門の御曹司が奴隷の身に成り下がり、十人十色の青臭い精液の海で息も絶え絶えに喘いでいたとしても、その悲惨な境遇を涙を流して悲しむ聖人はいない。
 次に俺ができることといったら、路上の脇に築いたダンボールの城で暮らす奴らを、いちいち確認することだった。地味な上に、きつい作業だ。何より彼らの体臭は、この町に住み慣れた俺ですらも刹那的な殺意の衝動を抱かせるほどの破壊力と絶望を秘めている。だが彼らに敵対されれば夜道どころか日中でも一人で外を歩けなくなるだろう。何せ二人に一人は懐にバタフライナイフや鋭利な硝子の破片、その他の殺傷能力を持つ凶器を隠し持っているため、話しかける時は愛想だけでは足りず、気前よく酒を振る舞う必要がある。
 俺は数日を費やして町を練り歩き、腐りかけているダンボールの中を片端から覗いた。
 いい加減、諦めの心境に陥りかけた頃、事態に不審の影がちらつき始めた。
 やはりというべきか。俺以外にもリジェイルの捜索をしている者が存在する。商売敵の登場に面食らうよりもまず苛立ちが生まれたし、靴の底をすり減らすばかりで一向に進展が見られぬ状況に焦りも湧く。
 調査を続けるうちに、その同業者はどうやら俺に依頼した代理人に雇われているのではなく、別の人間の命令で動いていることに気づいた。全く、厄介な事態だった。スラムの複雑怪奇な構造を理解していないらしい同業者は、住人達の口を賄賂ではなく脅迫でもって割ろうとしているようなのだ。横柄な部外者にテリトリーを荒らされれば当然住人達は普段よりも更に警戒するため、益々調査は難しくなる。
 そいつが住人達によって袋叩きの刑に処されるのは自業自得だが、穏便な方法での情報収集を望むか弱い俺の捜査にまで支障が出るのは歓迎できぬことだった。
 実際、俺も幾度か、不意打ちのように狙われた時があった。犯人は不明だ。目出し帽を被った奴らに突然物陰へ引きずり込まれそうになり、ひやりとしたのは昨夜のことだ。日頃のささやかな賄賂が幸いしたのか、近隣のバーに勤める青年に助けられて難を逃れたが、どうにもきな臭い状況であるのは間違いなかった。
 また、俺の不在時に室内へ無断侵入している形跡も発見した。アパートの鍵穴が無理に広げられていたのだ。何も盗まれていないことが逆に不穏であり、嵐の前の静けさを予感させる。
 それにしても、警官より町の事情に詳しいはずの女達や乞食でさえリジェイルについて何も知らないというのは、尋常な事態ではない。誰一人として全く情報を握っていないのだ。徒労に終わるだけの実りない日々を繰り返す内、リジェイルがスラムに潜伏しているというネタ自体そもそも誤りなのではないかと疑いを抱くようになっていた。
 
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 今日もまた空振りで終わるのかと濃い疲労感に襲われながら、とある安ホテルの受付を通って客室を見張っていた時だった。
 このホテルでは倍の料金を払えば部屋に娼婦を呼べるため、勝手に持ち込んだらしき丸椅子に気怠く腰掛けて客の声を待つ女達の煙草をふかす姿が、壁紙の破れた通路や非常階段付近で多く見られる。
 派手な柄のスカートをはいた女の一人に俺は声をかけられた。俺がリジェイルを探していると仲間の娼婦から聞いたのか、女は強張った顔をして周囲に視線を配ったあと「話がある」と意味深に囁き、酒の匂いが混ざった吐息を吹きかけてきたのだ。
 胡散臭いとは思ったが、リジェイルを知っている客に心当たりがあると言われたため、女にいくらかの情報料を渡したあと、俺は指示された場所へ向かった。
 斜向いに建つ、このホテルと似たような外観のビルだ。今は使用されていないため、建物内は静寂に包まれ、全く人の気配が感じられなかった。
 故障中のエレベーターを横目で確認し、非常階段を上がって女が耳打ちした部屋に近づいた時、俺は背後から何者かに後頭部を強打されて気を失った。
 意識が落ちる直前、手を引けという、捻りのない脅しの台詞を聞いた。
 結局女に騙され、情報料を奪われただけかと、俺は自分を笑った。
 
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 俺は勿論、調査を続けた。
 
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 町にとっては腐敗を一時洗う恵みの雨が降った日の午後。無論、俺にとっては何の喜びもない舌打ちしたくなるような午後だった。
 倒壊しかけのぼろアパートに外付けされた螺旋階段の下に、俺は雨を避けるため、一時避難していた。
 そこには先客がいた。言わずと知れた町の悪党である孤児だった。隣に立った瞬間、僧侶のごとく厳かに座り込み目を閉じていた孤児は、それが運命によって定められていたかのように躊躇いなく俺の懐へ手を伸ばし煙草を盗もうとした。収穫のない日々に苛立ちを募らせていた俺は、手加減を忘れて薄汚いなりのそいつをはり倒した。薄っぺらい体つきの孤児は面白いほど吹っ飛び、油分が浮いている水たまりの中へ落ちた。
「ガキ。消えろ」
 相手が弱者か強者かも関係なく、とどめをさしてやりたいほど、俺は腹を立てていた。己の無能さと、恵みの雨でも完全には消せぬ町の汚臭に理性を潰され、時折狂暴な衝動が目覚める。
 ガキは腫れた頬を押さえながら、唸っていた。がりがりに痩せていて、顔も髪も垢と泥で黒く汚れていた。見た目は人間ではなく粗大ゴミそのものにしか思えなかった。おそらく中身を知っても、聖者の心を持たぬ俺はやはり粗大ゴミと感じるのだろう。
 身の内で吹き荒れる下劣な衝動を辛うじて抑え、消えろとわざわざ忠告してやったというのに、ガキは警戒心に欠けた顔でへらりと薄く笑った。十四、五歳あたりだろうか。薄気味の悪い孤児だ。目の焦点が合っていない。
 俺は孤児の目を注意して見つめた。灰色の濁った瞳。ふっと殺意が萎える。こいつは盲目だ。
 ガキは一度立ち上がったが、見事に転倒して水たまりの中をもがいていた。
 俺は深い溜息をつき、蛙のような体勢で水をかくガキの腕を乱暴に掴んで、引きずり起こした。助けるような真似をしたのは、泥の中でもがく滑稽な姿が今の自分に重なり、見ていられなくなったためだった。
 そうして雨粒を遮る螺旋階段の下に押し込む。これ以上の慈悲を与えるつもりはなかったから、俺はその場をすぐに離れた。
 が、ガキは覚束ない足取りで、俺のあとをついてきやがったのだ。
 
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 俺は腹を立て、天を仰いだ。
 怒鳴っても蹴り飛ばしても、このガキは懲りずについてくる。盲目だったが耳はいいようで、俺がどれほど足音を消しても正確に追ってくる。走って逃げるのも大人げなく、どうにもならない状況だった。
 俺はついに、折れた。そいつが背後で車に潰されそうになったためだ。
 どうにでもなれと投げ遣りな感情が急に膨らんだ。俺はそいつを連れて、自分のアパートに戻った。

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