撩乱/月夜遭遇[5]

 リスカはきょとんとした。
 剣術師?
「ええと、つまり」
 男は頭に巻き付けていた布を取り払い、ついでに全身を覆っていた長布や手袋も外した。
 リスカは男の全貌……ではなく、全身を見てぎょっとした。
 目も睫毛も銀なら、肩下まで伸びた髪も銀。限りなく白に近い銀だ。
 ――そして、顔半分を覆う蔦のような、あるいは古代文字のような模様の入れ墨も見事な銀だった。
 入れ墨は顔半分だけではなく、恐らくは利き腕であろう左手の甲にまで描かれている。比較的浅黒い肌をしているため、余計に銀の入れ墨が目立つ。光沢のある鈍色の長衣をまとっているので確かなことは言えないが、流麗な入れ墨が首もとまで続いているところを見ると、多分肩から背中にかけても美麗な蔦模様で覆われているに違いない。
 リスカが昨晩手に取った魔剣と全く同一の入れ墨だ。あれほどまでに精巧な模様、見間違えるはずもない。
 リスカは虚脱感に苛まれ、深く項垂れた。
 どうでもいいが長衣の刺繍までも銀だ。まさに銀づくしな男だった。
 なんというか……とりあえずは、大した美形ではある。
 ただし、この仰け反るような威圧感と、眼差しの驚異的な冷たさを無視すればという寒々しい注釈がつく。
 見蕩れるよりも先に恐怖心が激しく募るのだから、男にとっては随分損なことだと、リスカは少しずれたいらぬ同情を覚えた。素直な気持ちで、美丈夫であると認められない。美醜などこの際どうでもよろしくなる。暗殺者という言葉がこれほど似合う人間が他に存在するだろうか。憧憬よりも畏怖。驚嘆ではなく驚愕。不意に接近されようものなら、神に祈りを捧げつつ全速力で逃亡する。
 ――まあ、リスカの感想は置いといて。
 剣術師。
 ――この人も「砂の使徒」というわけか。
 リスカは複雑な感情を抱く。砂の使徒の特徴である、入れ墨。
 剣術師とは、剣にのみ魔力を注げる魔術師の呼称である。普通の剣士と比較した場合軽く数倍の強さを誇るため戦闘時にはかなり重宝されるが、魔力の性質上、攻撃系統限定となるのが最大の難点であり弱点だ。治癒系などは全滅である。
 ゆえに、剣士達の評価は高くとも、魔術師からは最も嫌悪され、露骨な差別を受ける。
「砂の使徒」の中でも特に剣術師は宿す魔力に偏りがあるとされるため、劣等感や挫折感も強いと聞くが、目の前の彼からは卑屈な様子が一切見られない。
 それもそのはず。
 剣術師とはいえ自分自身が魔剣へ変化できるなど、普通はありえない!
 魔術師全体の一割にも遠く満たない変わり種である「砂の使徒」の中で、例外とされる希有な存在。禁歴の書と呼ばれる魔術体系全本にも掲載されるほどに。一握りどころか片手で足りるほどの人数しか、確認されていないのだ。その、未知なる「砂の使徒」の一人として、確かに剣術師も含まれていた。
 大抵の魔術師は、彼等の名を知っているというくらい有名な――。
「……あなた……セフォード。セフォード=バルトロウですか」
 なんのてらいもなく、男は「はい」と答えた。最早、顔を上げる気力もなかった。
 有名人だ。紛れもなく伝説の「砂の使徒」だ。
 生きた伝説が、リスカの前にいるなんて。
 道理でこの人間離れした強烈な重圧感。魔術師が持ち得る魔力を華々しく上回る超越した存在。どれだけの力量を有するか説明すると、国一つを数刻の間で壊滅させられるほどの能力を持つ強大な悪魔と匹敵する。剣技のみでだ。獣型が大多数を占める魔物の中で完全なる人型を維持できる悪魔は、階級が高い。妖獣よりも魔獣、魔獣よりも悪魔、悪魔よりも聖魔というように、魔物は力関係が歴然としている。ただ、聖魔は人の世界になど顔を出さないし、関心も持たない。長い歴史の中でも、人間の世に干渉し最も危険とされるのは、単なる娯楽や暇潰しとして圧倒的な波乱をもたらす位高き悪魔なのだ。
 その悪魔をも凌ぐ剣術師のセフォード=バルトロウ。彼に関する記述をリスカは記憶の底から掘り起こした。
 剣術師は他の使徒達よりも、極めて酷薄な性質を持つ。攻撃系統が専門の術師であることを鑑みれば、当然だ。
 剣術師の凶暴さ、残忍さは、セフォードにも当てはまる。筆頭、と断言してかまわないだろう。
 慈悲の念薄く、他を顧みぬ。
 孤高にして強靭、苛烈。破壊を好む戦場の王。
 賛辞なのだか批判なのだか分からぬ大仰な記述が、リスカの脳裏に明瞭に蘇った。あるふざけた本には、死神閣下などと記されていた。ぽんぽんと、片手間に敵の首を刎ねるからと。
 リスカは蒼白になった顔を上げた。
 正直、自分は死んだなと思った。
「……分かりました。もう好きにしてください」
 殺すのなら長引かせずに一息に、という破れかぶれな心境でリスカはそう告げた。他に何が言えるだろう? 
 セフォードは、くすりと笑った。……伝説が笑っている。
「では、このままの姿で」
 相変わらず噛み合わない会話だった。リスカの台詞を違う意味に捉えたようだった。
 そういえば、剣の姿になった方がいいか、というような意味合いの質問をされた気がする。ついでに他の端的に告げられた言葉も思い出してしまった。
 一体、何が「初めて」でどれを「美しい」と思って、「雨のように潤された」とはいかなるものか、冥土の土産に聞きたいくらいだった。リスカはやけくそで聞いてみた。
 すると、セフォードは考えに沈むような顔をした。視線は逸らされなかったが。
 半分死んだ心地でぼうっとしていると、前置きなくセフォードに手を取られた。
 次の行動に、リスカは何度目かの精神崩壊寸前に陥った。
 セフォードが口を開け、花の模様が浮かぶリスカの人差し指を、あろうことか、ぱくりと噛んだのだ。
 リスカは心の中で断末魔の叫びを上げた。指を噛みちぎる気!? と半泣きする。
「あ、あ、あ、ああ」
 ……が、痛くない。
 噛みちぎるというより、軽くくわえているらしいと気づいたのは、多分、数十秒経過したあとだろうと思う。
 ふふっとセフォードが微笑した。
 ようやく指を口から出してくれたが、未だ手は握られたままだ。
「はい、『初めて』。見返りなくあなたが治癒の術を施してくれたこと。あなた自身、ひどく疲労していたにも関わらず。私を治癒したあと、あなたは私のために、よき主を見つけよと祈るばかりで、我欲を見せずに去った」
 いえ、それは単純にあなたをただの魔剣と勘違いしていたためです、とは口にできない雰囲気だった。
「――『美しい』もの。私は魔剣としての形態を保ったまま、長い眠りについていた。私を利用しようとする者、服従させようとする者、全て疎ましく、浅ましい。眠りから図らずも覚めたのは、蓄積していた己の魔力がその歳月の間に失われたためです。魔力を補給しようとした矢先、下劣な人間に遭遇した。排除したのはよいが、残されていた魔力を使い切ってしまった」
 雑木林の屍は、やはりセフォードの仕業だったようだ。
 しかし、「殺害」ではなく「排除」ですか……とリスカは遠い目をした。
「あなたが、あなたの術が、美しかった」
 予想外の言葉を耳にし、思わず飛び上がりそうになった。美しいなどとは物心ついて以来、言われたことがない。
「咲き誇る花の匂い。魔力の芳香。たった一枚の白い花びらを、あれほど神聖と感じたことはない。月明かりの下、乱れ咲いているように映る。百花撩乱。狂おしく力が咲く」
 次第に顔が熱くなる。褒められているのだろうか。散々持ち上げたあとに、奈落へ突き落とす魂胆だろうか。
「渇望していた魔力が注がれる。大地を『雨が潤す』ように」
 なんだか最大級の賛辞を浴びている気分だった。慣れぬ事態にうろうろと視線が泳ぐのは仕方ない。
「魔力が、甘い蜜のようで」
 もの凄く視線を感じる。
 素直に喜べないのは、褒め言葉の大仰さに釣り合わないほど声音が平淡すぎるため……とはあまりに無礼か。こう言っては身も蓋もないが、棒読みすぎて冷気が漂っても不思議はなく、脅迫的台詞の方が余程ぴたりとはまりそうな口調なのだ。いや、別に情感豊かに感謝してほしいわけではないけれど。
「やはり、あなたから花の香りがします。甘い」
「わ、私は花術師なので」
 今日は吃ってばかりだ、とリスカは情けなくなった。
「そうですか。……そうですね」
 顔をひきつらせながら頷きつつ、この握ったままの手はどうすればいいのか、真剣に悩む。
「すみませんでした」
 と、唐突に言われても、何に対しての謝罪か分からない。まず説明をしてほしい。
「治癒の後、去るあなたをすぐに引き止めようとはしたのです。だが、魔力が馴染むのを待たねば」
 ああ、とリスカは納得する。完全に力が失われていた状態だったのが、急に満たされたのだ。しばらくは動けなくても仕方がない。
「魔剣の姿では、声も出せず」
「あ、いえ、そんな気にせずとも」
 よかった、どうやら殺される心配は無用らしい。
 何の目的でリスカに会いに来たのかは未だ不明だったが、今は些細な問題に思えた。
 意外と義理堅い真面目な人なのだなあという新鮮な驚きの方が強い。ううん、禁歴の書の記述、かなり誤りがあるようだ。確かに瞳の威力は半端ではないが、声の調子はともかく実に丁寧だし、容姿も優れている。
「あなたが追われていることは気づきましたので」
「はあ」
「でももう安心ですね」
「は、はあ……?」
「しかし、仲間がまだ他に潜んでいないとも限りません」
「は……」
「復讐にくるかもしれませんし」
「復讐……?」
「探しましょうか」
「……?」
「やはりその仲間も始末しましょう」
「……」
 再び見詰め合う時間が到来した。凝視するという表現の方が正しいかもしれない。
 ……仲間、も?
 も、の意味は……?
 リスカはもの凄く奇妙な顔をした。考えがまとまる前に、冷や汗が額に浮かぶ。
「あの」
「何ですか」
「仲間も、というのは、一体……」
 ああ、とセフォードは何でもないことのように言った。
「全て始末したと、私、先程言いましたが。まだ隠れている者がいる可能性も」
 すうっと血の気が引いた。地獄の門が開かれた錯覚に苛まれた。
 確かに、それは確かに、セフォードは先刻、全て始末したと言っていた。だが、始末の対象はあの雑木林を血で染めた屍の山のことで、運悪く彼と遭遇した者達のことで、利用されるのが疎ましかったからと――排除した。
 排除!
 排除の対象と、始末の対象。
 表現の仕方が……異なるその真意は。
 リスカはぱくぱくと口を動かし、戦慄した。
 まさか、もしや。
「わ、わ、私を追い回していた者まで、その、始末した、と」
「はい。目障りだったでしょう」
「でででも、中には魔術師もいて」
「あんなもの」
 ふっと凍える眼差しで笑われた。赤子の手をひねるに等しい。言外にそう教えてくれる。
 ああそうだ、セフォード=バルトロウは、魔術師が操る術すら叩き斬るのだ。術を破るのではなく、斬るのである。ついでに魔術師本人まで斬ってしまうだろう。圧倒的な力量の差で、面倒な手間を一切省き押し潰す。
 リスカは握られたままの手を見下ろした。
 この手で。
 いかにも剣士らしい、大きく指の長い手で。
 雑木林で目撃した屍の山とは別に、更なる屍の山を築いた、と……。
 そして、まだどこかに潜伏しているかもしれない盗賊の仲間も、始末してかまわないと。
 始末。命を。
「……」
 リスカは目を瞑った。
 現実逃避しよう、と固く誓った。
 リスカは意志の力で、気絶した。
 
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 こうして、今ある全財産どころか生涯賃金を譲り渡しても足りないほどの用心棒を、リスカはなぜか雇うことになった。いつの間にか雇わされる形になったのだが。
 そのような大それた空恐ろしい現実など、リスカは一度も望んだことはなかったと、とりあえず強く弁明しておく。
 日常が波瀾万丈の幕を開け、次々と刺激的以前の災難やら揉め事に巻き込まれる羽目になるのはもう必定。
 まあ……意外に、悪くはない日々かもしれない。
 
 と、思えるのはいつの日だろうか……。

●第一章【一花撩乱/月夜遭遇編】 END●

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