腹上の[31]

「セフォー、セフォー! どこですかー!!」
 ぽかんとする侍女やら下働きの男やらの脇を目にもとまらぬ勢いでリスカは駆け抜けた。
 ついでに通りかかった執事の首を締め上げて、思い切り揺さぶる。
「フェイは! 貴方の主人はどこにいるのです、白状なさい!」
 まるで押し掛け強盗のような礼儀を欠いた問いかけだったがリスカは必死である。
 フェイが生きるか死ぬかの瀬戸際なのだ。
「はっ……? お、お待ちを、フェイ様は…」
 執事にしては若い男は、リスカの剣幕に怯えてしまったのか、どうも要領を得ぬ答えしか返さない。
「何です、とっとと答えなさい! 生きているのですか、その辺で屍と化して朽ちていないでしょうねっ」
「は!?」
 駄目だ、埒が明かない。
 愕然とする執事を放り出し、リスカは再び全速力の旅に出た。
「セフォー、フェイー!」
 ええい、なぜ返事の一つも寄越さぬのか。
 こうなれば、頼れる者はただ一人。一人と数えていいのか悩むが。
「小鳥さーん、どこにいるのですかー」
 男どもは役に立たない。リスカは濃紺の絨毯が敷かれた、やたら美麗な階段の途中で立ち止まり、大声で助けを呼んだ。
「ぴっ?」
 廊下の曲がり角から、ぱたぱたっと羽音を響かせて登場する小さな救世主。
「小鳥さーん!」
 感動の対面である。思わずはしっと小鳥を抱きしめ、頬ずりする。
「ぴ、ぴぴ……?」
 リスカの過剰な接触と喜びに、いささか怯む様子を見せる小鳥だった。
「セフォーを知りませんかっ。フェイは細切れにされていませんか!?」
「ぴぴっぴぴっぴぴ」
 怒濤の勢いで問うと、小鳥は何だか微妙な鳴き声を上げた。「リスカまた何かやらかしたの?」と言われた気がした。
「お願いです、セフォーの居場所まで案内してください!」
「ぴ……」
 非常に苦渋に満ちた小鳥の様子に、リスカは不審を抱く。
 ――し、知っているのだな小鳥さん、セフォーの居場所を!
「どこですか、教えてくださいっ」
「ぴぃ……」
 人間ならば恐らく頭を抱える状況に小鳥は陥っているらしかった。
「ぴっ」
「ああっ!? 小鳥さん!?」
 なぜかいきなり、小鳥はぱっと飛び上がった。いかにも逃亡します、といった切羽詰まった様子だった。
「ぴぴぴぴぴぴっぴぴぴぴ」
 手を伸ばすリスカを振り切り、奇妙に切ない鳴き声を残して小鳥は脱走した。「ごめんねリスカ、それだけは(セフォーに殺されるから)教えられないよ許してっ」という意味を含んでいるような苦痛塗れる鳴き方だった。
「そ、そんな……」
 通路の向こうへ逃亡する小鳥を見送るリスカは、最後の望みの綱が断ち切られた気分だった。
 小鳥はセフォーに懐柔ならぬ脅迫を受けたのか?
「ううう」
 リスカは階段の途中で屈み込み、ひとしきり呻いた。
 今頃フェイはセフォーの手にかかり、どこかの茂みの陰で朽ち果てているのか? いや、窓からつり下げられているとか。あるいは、口にも出せぬ恐ろしい拷問を受けたあと、手足を細かく刻まれたのか。
 すみませんフェイ、あなたを見殺しにして……とリスカは想像の中でフェイを既に亡き者として捉え、悲嘆に暮れた。
「何をしているのだ?」
 と、一人涙を拭い冥福を祈るリスカの背後で、不思議そうな声が響いた。
「フフフフフェイ!?」
「……何だ、その反応は」
 幾分くだけた衣服に着替えてこざっぱりとしたフェイが、そこに立っていたのだ。
「フェイー!」
「な!?」
 思わず飛びつき、命の無事を確かめながらぱしぱしと背を叩く。
「あああぁよかった、野ざらしにはなっていなかったのですね! 神よ感謝します」
「な、何の話だ。野ざらしとはどういう意味だ!」
 唖然としながらもフェイはこちらの台詞に言い返してきた。
「いいのですいいのです、世界には知らぬ方がよい拷問方法があるのですよ」
「拷問?」
 腰の引けているフェイを無視して、リスカは彼の腕をぎゅっと握った。
「いいですか、今すぐ部屋に戻って厳重警戒なさい。必ず鍵をしめて……いえ、鍵など意味がないですね。そうだ、ジャヴは一応魔術師。そうです、フェイ。ジャヴの所へ行って避難なさい」
「おい、何事なのだ」
「色々あるのです。フェイ、何とか生き延びるのですよ」
「はあ?」
 これが今生の別れになるやも知れぬ、とリスカは急に感傷的な気分になり、フェイの手を強く握って目を潤ませた。
「なっ、お前、何が……」
 訳がわからぬ様子で動揺するフェイに「いざさらば」と告げて、リスカは再度、全力疾走の人となった。
 
●●●●●
 
 ――セフォーが見つからぬ。
 激しく息をきらしながらリスカは悩んだ。
 月が煌々と輝く夜。
 屋敷中をかき回し、衣装部屋や棚、調理場なども覗き、更には浴場、厠なども確認したが、影も形も見あたらない。
 見張り番と出会うたびに掴まえて問いただしたが、誰も見かけていないと返答するし、実際、敷地内から出た形跡はない。
 リスカは走りすぎて、今すぐ寝転びたいと思うほど疲労していた。自慢じゃないが、体力には自信がない。
 まるで、セフォーと初めて会った夜のよう。ひどく疲れて、目も足も限界に近い。
「セフォー」
 なぜいないのか。こうまで徹底的に捜索しているのに。
 無駄に広大な庭園を必死に駆け回ったあとは、もう万策尽きて探す場所がなく、項垂れながら宝石を沈めた例の噴水へ近づいた。
 噴水の爽やかな水音でも、リスカの疲労感と焦燥感は一向に拭えない。
 リスカは噴水のふちにくたりと腰を降ろし、額を押さえた。
 あれほど容貌が目立つ人なのに、どうして発見できないのだろう。こちらの視線をかわすため、故意に隠れているとしか思えぬ。
 ……拗ねているとか?
 想像して、何やら壮絶なものを感じ、つい絶句してしまうリスカだった。
「セフォー」
 疲れた。しかし、このまま捜索を打ち切って休むわけにもいかぬ。
「ねえセフォー」
 問う声は、耳を傾ける者もなく、すぐに夜の気配に溶けた。
 光の粒子をちりばめたかのような、星で彩られた華麗な夜空の下、小さく吐息を落とす。
 瞬く星々は見とれるほど美しいはずなのに、今のリスカの心には響かない。
 セフォーの言っていたことは、こういう意味だったのだろうか?
 不安で寂しいと、美しいものも美しく見えない。
 ――あなたがいなくて。
「……ん?」
 と、考えて、リスカは硬直した。な、何だ何を考えているのだ。恐ろしい。感傷に浸りすぎる自分が怖い。ありえない。
 説明できぬ焦りを払拭するため、疲労を押して勢いよく立ち上がり、噴水の水で顔を洗った。
 拭くものがないことに気づき、迷った結果、衣服の裾で拭う。侍女が用意してくれた上等な絹の上着だったが、気にしない気にしない。
「セフォー」
 名前を呼んでも、返る言葉はない。
「私は、あなたを追っているのです」
 時々でよいから、追えと言われた。
 こうして今、リスカは静かな夜に駆けている。
 もう少し追わなければ、あなたには辿り着けないのか。
 リスカはふっと息を落とし、空を見上げて、歩き出した。
 
 
 ふと、気配を感じた。
 月を仰いでいたリスカは一瞬、変化のない周囲の様子に首を傾げ、秋花が咲き誇る花園へと足を向けた。
 風の行方とともに香る花の匂い。花術師であるリスカには馴染みの深い香りである。
 奥へ奥へと進み、迷路のような花の門をくぐり。
 それでも見当たらないのに、リスカの勘はここだと告げる。
「セフォー?」
 リスカは逡巡したあと、庭番の者に心の中で謝罪して、花の壁をかき分け、突き進んだ。
 よほど腕のいい庭師を雇っているのか、奇麗に整えられている花園には、花と蔦、草のみで造られた巨大な花の彫像が点在していた。それらは天使の姿であったり、妖精の姿であったり、乙女の姿であったりと、ひどく幻想的な美を描いている。
 花園内を探し回って途方に暮れたリスカの目に、微睡む天使の花像が映った。
 ああ――。
 リスカは確信し、微睡む天使の花像の羽根を両手でかき分けた。淡い色の花々で造られた天使の羽根。月と星が、瑞々しく輝く花びらを照らし出す。
「あ」
 媚薬のように香る花が、甘く切なく心を溶かしていく。
 くらりとするほど強い芳香に酔い、月明かりに身を浸し――。
「セフォー」
 微笑む気配。
 花像の中の空洞に手を伸ばした時、リスカは捕えられた。
「せ、セフォー」
 一転する景色。空洞の中へと引き寄せられ、驚いて顔を上げれば、目映くきらめく銀づくしな人がいる。
 花々の隙間から差し込む月明かりが、更に香りを高めていた。
「遅いです」
 この可憐な状況に似合わぬ淡々とした声に、リスカは思わず笑ってしまった。
「すみません」
 まるで花に抱きしめられているようだった。体内に染み込む馴染みの深い香りが、優しい安堵感をもたらしてくれる。
「リスカさん」
 そっと肩を抱かれ、髪を撫でられた。疲れのせいか、香る花のせいか、ほうっと緊張が解け、リスカはいつになく素直にセフォーの胸へもたれかかった。
「少し、疲れました」
 そう言うと、労るように頬を撫でられる。
「ゆっくり眠りたいな」
 短い日々に、目まぐるしく様々なことがあった。出会いと別れ。痛みと喪失。平坦だった世界に、突然多彩な色が与えられたようだ。
「眠ってください」
 静かな声が、月光のように降る。
 リスカは深い吐息を落とした。
 花と月と翼に抱かれ。
「ありがとう」
 リスカは微笑み、目を閉ざす。
 
 
 ちなみに――目を覚ました時、リスカは見慣れた自分の部屋に寝かされていた。
 どうやらセフォーは花園で眠ったリスカを抱きかかえて店まで運んでくれたらしい。荒れていたはずの店内は、出来る範囲で小奇麗に清掃されていた。多分、寝ている間に、意外と几帳面なセフォーが片付けてくれたのだろう。
 ううむ、フェイに何も言わず戻ってきたことになるのだろう……色々と世話になったのだし、やはり、一度挨拶に行くべきか。セフォーの視線をかわせたらの話だが。
 というより、今店に戻っても、売りに出す商品がないのだがなあなどと悩んだ次の朝。
 フェイから大量のクルシアやその他の花が届けられたのだった。
 その後も数日の間、食べ物やら宝石やらが届いたが――。
 自分は食べ物さえ足りぬほど貧困に喘いでいるとフェイに思われているのだろうか、とリスカは一人、項垂れたのだった。

●腹上の花END●

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