【花よりも:1】
※この「花よりも」は3万ヒット感謝として、いただいたリクエストを参考に書いたものです。小鳥視点で、前半ほのぼの、二章までの主要キャラ総出演で、お祭りへ…といった内容です。二章から物語は続いているような感じです。リクをくださった方々、ありがとうございました。
僕は今、大好きなご主人様の肩に乗っています。
僕のご主人様は、とてもとても優しい術師さんです。ちょっとぼさぼさとしている短い灰色の髪の毛を、ご主人様は密かに気にしているけれど、僕は大好きです。だって、柔らかくて暖かくて、引っ張りやすいもの。
一番好きなのは、ご主人様の優しい目です。でも、ちょっと低めの声も大好きです。でもでも、いつも嘴を撫でてくれる手も、大好きです。ご主人様は、僕の命の恩人なのです。
とっても大好きなご主人様の名前は、リスカといいます。
僕の名前?
それは、今、ご主人様が一生懸命考えてくれていますっ。
もう一人、大好きな、というか、面白いなあと思う人がいます。
きらきらした長い白銀の髪を持っていて、顔に入れ墨があって、なんだか毛が逆立ってしまいそうなほど凄い恐怖感、じゃなくて、威圧感を漂わせる剣術師さんです。
彼の名前はセフォーといいます。魔術師さん達の間では、すごく有名な伝説の人です。
実はね、僕、セフォーのことはずっと前から……知っているよ?
今は、まだ、秘密秘密。
あっ! 何かよく分からないけれど、今セフォーに睨まれた気がする。
リスカが僕にかまってばかりいると、セフォーは仲間外れにされたと感じてしまうのか、少し不機嫌になるんだよ。リスカは、セフォーのそういう複雑な思いに気づいていない様子です。
二人を見ていると、とても面白い……ち、違った、ええと、そう、とても不思議なんです。
セフォーはいつもリスカを見守っているんだ。でも、リスカは一つの作業に集中すると、他のことに対する意識を完全に遮断してしまうみたいで、周りが全然見えなくなるんだよ。すると、セフォーが焦れた様子になって拗ねてしまうから、僕は時々、作業に没頭しているリスカの髪を引っ張って「こっちを向いて」と呼びかけるんだ。リスカは僕にすごく優しいから、すぐに気づいて、笑ってくれる。
今、二人は何をしているの、って?
二人は店番中なんです。
今日はお祭り最終日。冬華祭の最終日が、一番多く人が集まって賑わうんだよ。
リスカが教えてくれた、冬華祭の始まりはね。
昔、昔、この町は、冬も秋も、まるで春のようにとても暖かかったんだって。それはね、毎年、四季の神様に町の人々が感謝の気持ちを込めてお祈りを捧げていたからなんだ。奇麗な花に美味しい果物、色んなものをお供えしていたんだよ。
でも、歳月が流れて、人々は町を見守ってくれている神様への信仰心を忘れ、お祈りをやめてしまった。皆の態度を不敬だと感じた神様は怒ってたくさんの雪を降らせ、町を一年中、冷たい風が吹く冬で包んでしまったんだ。皆は慌てて供物を捧げ、神様の怒りを解こうとしたんだって。でも神様は「人は時間の中で移ろう。誓いが誓いとして果たされぬ」と言って、お許しにならなかったんだ。
人々はすごく困ってどうすれば神様の怒りがおさまるか、皆で相談したんだ。それでね、穢れを知らない乙女を七人、神様に捧げることにしたんだって。解決方法が決まったのはいいけれど、どの家の人も自分の娘が供物として犠牲になることを嫌がったんです。皆が拒否してしまったから、最終的に町で一番偉い長老様の判断で乙女を選んでしまったんだ。選ばれた乙女達の家人は、なんとかうまく免れる方法がないかって頭を悩ませたんだよ。それでね、他の町から、何の関わりもない女性を無理矢理攫ってきてしまったんです。
事情を知らされず強制的に連れてこられた女性達の中にはね、結婚していて幼い子供がいる母親も、杖がなくては歩けないお婆さんもいたんだって。
自分達に不運が巡ってきては困ると考えた町の人々は、事実を知っていても、誰もその偽りを咎めませんでした。
身代わりとして捧げられた七人の哀れな女性を見て、神様はもっともっと怒ったんです。
でも神様は、乙女の身代わりとなった不幸な女性達に、憐れみも抱いたんだよ。ほんの少し、少しだけ、慈悲をくださり、夏と春と秋を町に戻してくださったんです。冬の寒さと厳しさは、そのままにしてね。
人身御供となった女性達に火がかけられた日、空から舞い落ちる雪が、召される魂を弔うかのように真っ白な花に変わったんだって。そして神様は町の人々にこうおっしゃいました。「この日を決して忘れてはならない。慈悲は私に捧げられた七人の女のためにある。ゆえにお前達は七日間、祈りを捧げねばならぬ。この誓いが破られる時、町に氷の炎が降るだろう」
うん、こんな由来があるらしく、冬華祭は七日続くんです。
リスカは、苦笑してこうも言ったよ。
「しかし今は、冬華祭の由縁を正しく知る者は少ないのですよ」
そう教えてくれるリスカは悲しそうだったんです。どうしてかな?
「祭りは本来の、贖罪の意味を失い、単なる祝福の行事として形骸化されてしまったのです。意味を知らずとも祭りは続く。果たして神は――このような結末を予期していたのか。神が季節をとめたのは、移ろう人の心をも、留めるためではなかったのか」
リスカの言葉は、時々難しいんです。
でも、これだけは知っています。リスカはとっても勉強家で、とっても物知りです。色々な言葉を知っていることを、博識っていうんだって。さすがは僕のご主人様なんだ。ぎゅっとリスカにすり寄ると、ほら、こしょこしょ嘴を撫でてくれるんです。
かまってくれて嬉しいけれど、少しセフォーの視線が怖いです。ええっと、うん、目を逸らそう。
それにしても、まだお昼過ぎなのに今日はお客さんがあまり来ないね、リスカ。
「うん? どうしたの?」
リスカは商品棚を拭いていた手をとめて、鳴き声を響かせる僕に笑ってくれた。
「お水が飲みたいのですか?」
ううん、違うよっ。
「外へ遊びに行きたい?」
ううん、違う違う。遊んでほしいんです!
セフォーもきっと遊んでほしいんだよリスカ。
「セフォー」
訴える僕を両手に乗せて、リスカはとことことセフォーに近づいた。僕が落ちたりしないように、両手でそっと包んでくれるんです。
僕は羽根があって、落ちても飛べるけれど、リスカは大事に、大事に運んでくれるよ。
「セフォー、少し小鳥さんと遊んであげてくれませんか? もしかすると、何か食べたいのでしょうか」
あああ、違うよリスカ。
セフォー、何か言ってあげて!
と、思うけれど、セフォーの言葉ってすごく短いせいで、分かりにくいんです。
「リスカさん」
セフォーが一度僕を見下ろして、すぐに視線をリスカに向けた。僕は羽根を広げ、素早くセフォーの頭の上に移動する。だってここだと見晴らしがいいし、何より、セフォーの鉄板さえ貫くような痛い眼差しを直視しなくてすむんです。
リスカはなぜか、僕がセフォーの頭に乗ってくつろぐと、必死に笑いを堪えるんだよ。どうしてかな?
ほら、リスカは少し肩を震わせて、誤摩化すように横を向いた。
「リスカ」
長椅子にだらりと座っていたセフォーが、虚空へと視線を逃がしているリスカの腕を取った。
うーん、リスカは普段はどちらかといえば冷静で飄然としているのに、セフォーを前にすると途端に意志の壁が崩れてめろめろになるんです。恐怖最高潮! という意味で、めろめろのようです。
きっとリスカは「なななんでしょうセフォー、もしや私を頭から齧りばりばりと骨まで食べる気ですか!」って思って混乱しています。
「もう」
「は」
「この辺で」
「はあ」
「いいですね?」
ううん、セフォー、その言葉だけじゃ、何を言いたいのかさっぱり分からないよ。
でもそこはさすがリスカ! 今の言葉だけでセフォーが一体何を言いたいのか、おおよそのところを理解してしまうんです。慣れというのは、不思議です。
「あ、そうですね、皆、祭りに夢中でしょうし、客は来そうにありませんし……随分早いけれど、店を閉めてしまいましょう」
凄いよリスカ……。「もう」「この辺で」「いいですね」の三言葉だけで、セフォーが店を閉めたいって言っているのが分かるんだね。
多分、リスカ以外の誰も理解できないです。というか、それが普通です。
「では」
そう言って、セフォーは僕を頭に乗せたままするりと立ち上がった。何をするのかな?
「ああ、すみません、いつも。今日は私がお茶を入れましょうか?」
凄すぎるよリスカ……。「では」の一言で、セフォーがお茶を入れるつもりだって分かるんだね。
「いえ」
「でも……」
「あなたは、ここに」
リスカが少し困った様子で首を傾げ、セフォーを見上げた。
僕、知っているんです。セフォーはね、リスカの目を見る時、実は実は、少し緊張しているんです。だから余計に、じっとリスカを見てしまうんだよ。
だってリスカの目は、本当に奇麗なんです。セフォーは絶対見蕩れているんですっ。
リスカがちょっとセフォーの視線に怯えつつも、にこりと微笑んで、店の中を片付け始めた。リスカはとても真面目で、皆がお祭りに出掛けている時でも、こうしてお店を開いているんだよ。少し休んで遊んでもいいと思うのに、きっと「働かなくてはお金が……」と、もの凄く現実的な悩みを抱えているんだろうな。
だけどね、リスカが誰よりも勤勉で禁欲的な生活をしているのは、多分、お金のためだけじゃないんです。
時々、とても遠くを見る目をするんです。僕にはよく分からないけれど、リスカは本当の魔術師じゃなくて砂の使徒というみたいなんです。不具の魔術師だ、って言われてしまうんだって。側で見ていてやきもきするくらい、そのことに心を奪われているんだ。
大丈夫、リスカっ。誰かにいじめられたら、僕が守ってあげるんです。
それに、セフォーもきっと一緒にやっつけてくれます。……多分、影も残さないくらい完璧に成敗してくれるよ。
リスカ、砂の使徒って呼ばれる意味を僕は知らないけれど、砂は太陽の光をたくさん浴びているので、暖かいよ。
僕はそう言って、リスカを元気づけてあげます。
リスカは僕の言葉が分からないみたいだけど、微笑んでくれるから、大好きですっ。
----------------
セフォーが調理場に行って、手早くお茶の用意をした。
セフォー、セフォー、僕、木の実が食べたいっ。
僕が頭の上でそう訴えると、セフォーは返事をしてくれなくても、ちゃんと木の実を砕いて小さなお皿に乗せてくれる。
お盆の上にお茶とお皿を乗せて、さっと片手に持って、リスカが待つ部屋へと向かう。その途中、僕はセフォーに言った。
セフォー、今日はお祭り最後だよ。リスカを外へ連れ出して楽しませてあげようよ。
「……」
あっ、セフォーの気持ちが揺れている。うううん、リスカをそんなに人前に出したくないんだ。
でもリスカ、喜ぶと思うよ。本当はお祭りに行ってみたいなあって思っているよ。
「……」
最終日はね、圧巻なんだって! 町の皆が窓から花を降らすんだよ。花だよ、花!
「花なら、ここに」
知らないの? 花が降っている時に、男の人は、好きな女の人に、踊りを申し込むんだよ。
「踊りなど」
踊れないの、セフォー。
「馬鹿な」
喜ぶリスカを見たくないのっ。
「……」
恋人達の夜だよ。周りにつられて、リスカもそんな気分になってくれるかもしれないよ。ほら、リスカ、そういうことにはすごく疎いから、こんな時じゃないと!
「……」
リスカの晴れ着姿を見たいよね、きっと可愛いよ。
「……花を」
え? せ、セフォーご免ね、僕にはその端的言葉、理解できないよ。
「術を無効化する、花びらを」
ええ?
僕が戸惑うと、セフォーは溜息をついた。ご免ね、察しが悪くて……。
「リスカさんは、転換の術を」
ああ! そうかっ。リスカは今、男の人の身体になっているんだ。このままだと晴れ着を着れないね。
ということは、リスカをお祭りに連れて行ってくれるんだね。
偉いよセフォー!
僕、術を解く花びらを、持ってくるよっ。
僕はセフォーの頭から離れて、うきうきと花びらを取りにいった。
偉い偉いセフォー。よく独占欲を我慢したね。
僕はリスカの部屋に行って、小机の上にある花びら入りの小瓶を掴んだ。お、重い。重いよ……。
でもリスカのために頑張るんです。
瓶を掴んで、僕はよろよろと飛んだ。重いんです……。
セフォーはどうしてか、リスカを女神様のように大事にしていて、他の人に見せたがらないんだよ。本当はお店も閉めて誰とも関わってほしくないと思っているんです。
セフォーなら、その気になれば、働かなくても簡単にお金を用意できるから。……手段選ばずだけど。
きっとセフォーは、今まで抱いたことがない感情を持て余して戸惑っているんだね。僕は命を救ってくれたリスカが大好きだけど、セフォーの感情はもっと違う。勿論、とっても大好きなんだろうけれど、そこにはすごく暗い何かが隠されていること、僕は知っているんです。怖くて、狂気のような、真っ黒な感情です。執着とか、独占欲で留まるうちなら、まだいいんです。
僕はセフォーの過去を少し知っているので、分かるんです。
でも、駄目です。
そんな感情を、大好きなリスカに向けてはいけないんだ。
愛する者を殺してはいけないって、リスカは以前に言いました。そのたび、心の何かが失われるって。
セフォー、そう言われた時、とても傷ついたね。そして、言葉で惑わせるリスカを殺そうか、とても迷っていたんです。
けれど、リスカの目が奇麗だったから、セフォーは殺せなくなってしまったんだよ。
初めて愛を説かれたんだよね、セフォー。
リスカは、初めてのことをたくさん教えてくれます。やっぱりリスカは素敵ですっ。
そんなリスカに気晴らしをさせてあげないと、セフォー。
----------------
お茶の時間は、食事をする部屋でします。
僕はよろけつつも、何とか小瓶を運ぶのに成功。力つきて、椅子に座るリスカの膝の上にぽてりと不時着した。
リスカがお茶を飲む手をとめて、慌てて僕を食卓の上に乗せてくれた。
「小鳥さん?……あれ、この花びらは?」
褒めて褒めてっ。
お願いすると、リスカは察してくれて、嘴の下を撫でてくれた。僕はご機嫌になってリスカにまとわりついた。気づきたくなかったけれど、セフォーの視線が棘のように突き刺さって辛いです。
「小鳥さん?」
お祭りだよリスカ。ほらセフォー、言ってあげて! この際、端的言葉でもいいから。
「元の」
と、セフォーが言った。本当に端的だねセフォー。
「え……? 花びらを使わなくても、夜になれば自然に身体は戻りますが」
リスカ、ある意味驚異だよ……。「元の」の一言で、セフォーが、元の姿に戻れって言っているのが分かるんだね。
セフォーが軽く首を振った。駄目だよ、それじゃ伝わらない。奇麗な衣装に着替えて一緒にお祭りを見に行こうって言わなきゃ。
「外へ」
「ああ、何か買いたいものが?」
ううん、それは違うよリスカっ。
「服を」
「衣服を買いに行きたいのですか?」
思いっきりリスカは誤解しているよ。セフォーが服を欲しいと思っているのではなくて、リスカに着替えてほしいんだよ。
セフォーが首を傾げて、じっとリスカを見つめる。ねえセフォー、ちゃんと言わなきゃ分からないこともあるよ。
「祭りに」
「祭り?」
リスカが驚いて、目を見開く。
ああセフォー、見蕩れてないで、もっと詳しく言わないと。大体、リスカは睨まれていると誤解して密かに怯えているよ。
「祭りを見に行きたいのですか?」
途端、セフォーは石のように固まる。
セフォーの気持ちとしては、人出の多い賑やかな場所へは全然行きたくないんだよね。ただリスカが喜ぶならって、かなり渋々なんだよね。反応が正直すぎるというか、我がままだよ。
「あの、祭りと服の関係は」
問われて、またまたセフォーが押し黙る。ううん、奇麗に着飾ったリスカを自分以外の目がある外に出したくないんだね。
ほら、リスカが意味を掴みかねて困惑している。もう、セフォーの馬鹿っ。
早くしないと、リスカは。
「行きましょう」
僕は力なく鳴いた。そんな嫌々な口調で誘ってどうするの、セフォー。
リスカは虚空を見つめて考えている。早く、早く何か言ってあげないと。
「リスカさん」
リスカが一度小瓶を眺め、それからにこりと微笑んだ。手の中の小瓶を、ことりと食卓に置く。
「ねえ、セフォー」
「はい」
「お祭り、好きですか?」
「……」
好きじゃないよね、だけど、嘘でもいいから好きだって顔をしないといけない時があるんだ。
僕はとても歯痒くなった。今まで必要がなかったのかもしれないけれど、セフォーはもう少し我が儘を抑えるべきだと思う。
「私は、そうですね。祭りは楽しいものだと思いますが、人ごみは苦手なのです。だから……」
リスカは柔らかな表情で、固まっているセフォーを見つめながら僕の頬を撫でた。
「今日は折角なので、家の中でのんびりと過ごしませんか?」
優しい穏やかな微笑を浮かべて、リスカはそう言った。
――喜んでどうするの、セフォー! 逆だよ、リスカを喜ばせなきゃいけないのに。もし僕が人間だったら、このうまくいかない状況に、頭を抱えて地団駄を踏んでいたと思う。
リスカは普段鈍いのに、こういう肝心な時には、すごく察しのいい人なんです。気分が乗らないセフォーの様子を読み取って、それでもお祭りに誘ってくれたんだということ、ちゃんと理解してしまったんだ。
術師となる者は大抵勘が働くってリスカは言っていたけれど。
リスカはセフォーに甘いんだ。恐れる気持ちも大きいのかもしれないけれど、多分、人の気持ちをはからずにはいられないところがリスカにはある。あんまり必死で、まるで追いつめられているみたいな感じで、けれどもリスカの中ではそれが当たり前になっている気がするんだよ。心の中の何か、リスカももしかすると、壊れてしまっているものがあるのかな。
「リスカ」
「はい?」
柔和な笑みを浮かべるリスカを見て、僕は悲しくなる。どうしてかな?
それにしても、密かに安堵しているセフォーが僕は恨めしくなります。計画が台無しな上、リスカに我慢をさせています。
セフォー、駄目だよ、リスカに気をつかわせてしまったら。
「リスカさん」
セフォーがふと立ち上がって、きょとんとするリスカを突然抱え上げ、壁際の長椅子に近づいた。「あわわっ」っていうリスカの奇妙な叫びが聞こえる。
セフォーはすとんと長椅子に腰掛けて、慌てているリスカを膝に乗せる。僕は溜息をつき、すっごく落胆しつつ、ぱたぱたと飛んで長椅子の肘掛けに舞い降りた。
「あの、セフォー?」
混乱するリスカの髪に、うっとりと(リスカはそう見えていないと思う)頬を寄せるセフォーなんだけど、ああ、もう、自分の喜びを優先させてどうするの。
「祭りには花が」
「え? ええ、そうです。最終日の夜には、皆、秋の花を高い場所から降らせるのです。路上という路上に明かりを灯しているので、それは圧巻で、美しいらしいのです」
リスカは少し、ほんの微かにね、「見てみたいな」という切望の顔をした。でも、祭りに興味を示さないセフォーを気遣って、すぐに普通の笑みに戻してしまう。
僕は鳴いて訴えた。セフォー、いいの? リスカの本心を無視してしまうの。
リスカは裏のない目をしてにこりと僕に笑いかけた。ご免ねリスカ。
「私には」
「は」
「あなたが」
「……?」
「花です」
僕はがくりと項垂れ、肘掛けから落ちそうになった。そういう台詞は花が降る場所で言った方が、効果ありだよきっと。
リスカは仰天して忙しく瞬きし、おろおろと不審に手を動かしている。
「え、ええと、私は、花術師ですので……」
リスカ、術師という意味で言われたんじゃないよ。
「そうですね」
って、セフォーも頷いてどうするのっ。
セフォーは本当に嬉しそうだけど……腕の中のお花は、お祭りにいけば、もっと輝くんだよ?
今のリスカはそれどころじゃなくて「あああ一体何がどうして何事が起きて」という恐慌状態の中にいるみたいです。
ううん、セフォーが駄目なら、ここは一つリスカから「お祭りに行きたい」って一言を引き出す方が!
と思うけど、リスカの性格を考えると、おねだりする可能性は皆無に等しい気がする。
放心中のリスカをぎゅっと抱きしめるご機嫌なセフォーを見つめている内に、なんだか虚しくなりました。
僕は諦めて、リスカの肩にぴょんと飛び乗った。はたりとリスカが我に返って、きょときょととセフォーと僕を交互に見た。
「今日は」
「はい?」
「いいですか?」
「え? あ、うう?」
「お願いです」
「あ、はあ、ええ」
セフォーが嬉しそうに微笑した。この流れを考えると、今日はずっとこうしていていい? って聞いたんだと思う。
僕は吐息を落としつつ、それでも、セフォーがこんなに優しく笑うから、うんきっとこれでいいかなって思い直した。
微笑みの意味を知ったんだよね、セフォー。
人間は日々、進歩するんですっ。
---------------
それで……本当にセフォーは長い時間、リスカを腕の中に閉じ込めたままでした。
僕もリスカの首もとにもぐって、ふわふわとした髪の毛と遊んでいる内、居眠りしてしまったのです。
リスカとセフォーまでもいつの間にか微睡んで、ゆっくりとゆっくりと時間が過ぎていったんです。
---------------
気がつけば、鮮やかな夕日の色が窓の向こうに広がっていました。
僕はリスカの髪の隙間から、夕日の眩しさと戯れていました。リスカの髪から覗く光は、まるで木漏れ日のようです。僕は、木の枝に止まって羽根を休めていた時のことを思い出しました。瑞々しい葉の隙間に差し込む太陽の輝き。とても、とても奇麗なんです。
けれど、僕は木の枝にとまって森の命に身を寄せるよりも、リスカの肩に乗って目映い光を仰ぐことの方が好きです。
だってここは僕だけの場所なんです。
すり、と首の横に頭を押し付けると、どうやら僕よりも早く目を覚ましていたらしいリスカが、くすっと笑いました。どうしたのっ?
リスカも僕と同じように、セフォーにもたれかかっています。先程の動揺ぶりは、時間の経過につれてなんとか収まったようです。
「リスカさん」
セフォーもぱちっと目を覚ましました。もしかすると目を閉じていただけで、実は眠っていなかったのかな。
でも挨拶は大切です。目覚めた時はこう言うんです。おはようリスカ、おはようセフォー!
リスカが腕を伸ばして、こそりと僕の嘴の上を撫でてくれた。僕は嬉しくなったので、はむはむとリスカの指を軽く噛みました。
「もう夕刻ですか?」
リスカはセフォーの胸にもたれているので、窓の方を窺えないようだったけれど、室内に満ちる橙色の光を見て夕方だと判断したみたいだ。
「はい」
セフォーがいつものように短く答えて、窓に顔を向ける。どことなく眩しそうに目を細めて、夕暮れ色に染まる大地と空を見つめている。
「美しいですね」
僕は驚いた。セフォーが、リスカ以外の何かを見て、賞賛の言葉を口にしたんです。
世界を美しいと思えるようになったんだね?
リスカが側にいるからだよね。僕はとても感動した。偉い偉いっ、セフォー。
「ええ――本当に」
リスカも嬉しそうに微笑んだ。僕は、あれ? と思った。
だってリスカは、窓の外に溢れる神聖な光を見ているわけではなく、セフォーの肩にこぼれた白銀の髪を目に映しているのです。
「本当に、美しいです」
そんなふうに、リスカは言った。やっぱりセフォーの髪の毛を見つめたまま。
うーん、と考えて、僕は気づきました。
そう、僕と同じなんです。
森の木漏れ日よりもリスカの髪の隙間から注ぐ光を僕が一番好きだと思うのと、セフォーの髪を淡く彩る光を見ている時のリスカの思いは、同じなんだ。
秘密秘密。僕とリスカの秘密です。セフォーにはまだ、教えてあげません!
---------------
穏やかな雰囲気のまま時間が過ぎて、夕食も終え、夜がやってきました。
今頃町は祭りの終幕を惜しむ人々で一番賑わっているんだろうな。花を降らせるのは、日付が変わる直前なんだって。
見れないのは少し残念だけれど、今日はリスカがゆっくり休めたみたいなので、よかった。
夕食後の和やかな一時でも、セフォーはまるで宝物のようにずっとリスカを腕の中にしまっていた。僕も寂しいので、リスカの手の中に入れてもらいました。かなりセフォーの強い視線を感じたけれど。
やっぱり一番幸せそうなのはセフォーだと思う。
リスカは幸せかな?
と思って、顔色を窺うと、離れようとしないセフォーの態度にリスカは少し動揺しているらしかった。「もしや抱き枕がわりにされているのでは?」という悩める心の声がばればれだよ。
今更だけど、まだ術は解けていないから、このリスカは男の人の身体なんだよセフォー。……というか、全然気にならないみたいだね。
セフォーは時折唇を微かに綻ばせて、そっとリスカの髪や背を撫でていた。リスカは緊張した顔でちらちらと僕を見下ろし、セフォーの胸に身体を預けていた。
リスカを窒息させないでね、セフォー。
「あ、あのセフォー」
「何か」
「ええ、その」
セフォーが僅かに身じろぎして、頭の中がこんがらかっているらしいリスカの顔を覗き込んだ。
「リスカさん」
「はい」
「――いいですか?」
「な、何でしょう?」
突然、いいですか、と聞かれると、いくら端的言葉になれたリスカでも分からないよ。
セフォーがどこか躊躇うような、でも悩ましい目をした。僕は少しどきどきした。
しばらくの間、沈黙が続いて、僕も迂闊に鳴けないような感じになった。
セフォー?
「――セフォー?」
リスカが小さく呼びかけた時だ。
こつん、と窓に何かが当たる音がしたんです。