【花よりも:5】
「小鳥さん、セフォーの居場所は分かりますか!?」
分かるよっリスカ!
僕は勢いよく返事をしました。だって、怖い魔術師さんの結界や暗い牢屋にリスカが閉じ込められた時、セフォーを連れてきたのは僕なのです!
僕は、リスカとセフォーの気配なら、どこにいたって分かるんだ。
「どちらですか?」
こっちだよリスカ!
僕はリスカの首もとに潜り込みつつ、大きく屋根が反り上がった美術院の方へ嘴を向けて何度か鳴いた。ツァルさんの乗り布は滑るように宙を駆けていて……僕が飛ぶより速度があるので、こうしてリスカにくっついているんです。
リスカは僕が落ちないように、そっと片手を添えてくれた。
月を映すリスカの瞳が、とても真剣で、びっくりするくらい奇麗だった。リスカもこんなに強い表情をするんだと僕は感心しました。
高い場所を飛んでいるから、リスカにしがみついていないと飛ばされてしまうくらい風が強い。薄い衣が音を立ててはためき、まるで本物の翼のように見えた。
「――間に合うでしょうか」
祈るようなリスカの声に、僕は驚く。
リスカはきっと、セフォーがなぜ側を離れたのか、理解してはいないと思う。けれども、何かの予感は抱いているようだった。
大丈夫だよ、リスカ。
雨雲が遠退いて、月が出始めているからね。
セフォーの気配は、美術院の裏手に広がる荒れ地を抜けた辺りで、一段と濃厚になった。
僕は内心、他の怖い存在と会うんじゃないかと思ってびくびくと怯えていたけれど、セフォー以外の気配は感じられなかった。
リスカの横顔が次第に強張っていく。
それもそのはず。
周囲には、凄まじい死臭が漂っているんだ。
それは明らかに、人の血の匂いとは異なるものだった。
術師であるリスカなら、とっくに何の異臭か察したと思う。
これは、魔物の体液の匂いだ。
乗り布は、緊張するリスカの心に呼応して、更に速度を上げた。
「セフォーっ!」
草木がなぎ倒され、闇を溶かしたように黒く染まる荒廃した大地の一画。死と退廃の気配が充溢する、凄惨な場所。
こんな寂しい場所に、誰も知らない小さな孤独の夜が落ちている。
その中央に、ぽつりと立つ白い影。
――違う、死神がまとうような白い長衣は今、どす黒い魔物の体液で染まっていた。何だかその姿は恐ろしさと同じくらい孤独を匂わせていた。
彼の周りには、無数に転がる魔物の屍。どれも切り刻まれ、息絶えている。
僕は身体が震えてしまうくらい怖くなって、リスカの襟元に潜り込み、顔だけを出して様子を窺った。
「セフォー!」
加速しすぎた乗り布は急にとまれなかった。
セフォーはゆるゆると顔を上げ、どこか焦点の合わない目でぼんやりと、空から現れた僕達を見た。
どこか怪我をしているのかな?
「セフォー」
リスカは急停止できない乗り布から、躊躇いもなく飛び降りた。
僕はびっくりして、慌てて羽根をばたつかせたけれど、リスカは飛べないのにっ。
身動きしなかったセフォーがふと瞬き、咄嗟という感じで腕を伸ばして、飛び降りたリスカを受け止めた。
あああ、び、びっくりした!
僕はいつものようにセフォーの頭に乗ろうとしたけれど、髪の毛も顔も異臭を発する魔物の体液で染まっていたから、慌てて方向転換し、リスカの頭に着陸した。
「セフォー、どうして、なっ、何事が!?」
リスカはあわあわと周囲を見回したあと、自分の衣を裂き、魔物の体液で濡れているセフォーの顔を懸命に拭った。
「――リスカさん」
セフォーはどこか夢覚めやらぬぼうっとした眼差しをリスカに向けていた。銀色の瞳に、普段の壮絶な力が見えない。
「怪我は。怪我をしているのですかっ?」
蒼白なんだけれど泣き出しそうでもあるリスカの必死な顔を、セフォーはじっと見ている。
「なぜ」
「え、ああ、う?」
「ここに」
リスカは怒られたのかと勘違いしたらしく、びくっと身をすくめた。それでも、セフォーの顔にべたりと付着している穢れを、丁寧に拭っていた。
「どうして、どうしてっ」
途中でたまらなくなったように、ぎゅむ、とリスカがセフォーの頭を抱え込んだ。
「どうして、何も言わずに」
「リスカ」
セフォーがようやく正気に返ったような声を出した。ああああ良かった、怖かったよっ。
「帰りましょう、セフォー。もう、もうお祭りはいいのです」
「花は」
「ええ、花はちゃんと降りました。あなたが――セフォーが、こんなふうに、一人で戦っている時に」
「花」
「せめて! 一言だけでも、残してから行ってくださいっ」
普段逃げ腰なリスカにすれば、とっても勇気のいる頑張った発言だと思う。
「ああ――そうですね」
「そうです!」
リスカは怯えつつも、子供を労るように、何度もセフォーの髪を撫でていた。
「家に帰って、髪を洗いましょう。手も顔も奇麗にして、新しい服に着替えて」
「リスカ」
「皆、待っています」
「あなたは」
「セフォー?」
「なぜ」
「え?」
「本当ですか」
「え? は、はい?」
セフォー、何を言いたいの?
「あの」
「昔」
「は」
「あの魔術師と、何が」
「は、はい!? ジャヴですか? ななな何のことですかっ」
「何が素敵だと」
セフォー、無視しているのかと思っていたのに、ちゃんとジャヴ達の話、聞いてたんだね。
「こんな時に、何の話ですか!」
「答えなさい」
まさかと思うけれど、魔物の存在を気にしてじゃなくて、拗ねていたからリスカを見なかったとか?
「こここ答えって……何もありません」
正直に答えた方がまだ助かる確率高いよリスカ。
「嘘です」
「せ、セフォー」
リスカは今にも気絶しそうな顔をしていた。僕、逃げる用意をしたい。
「本当です、以前に少し、食事をしたりとか、せせせ世間話をですね」
「話」
「他愛ない会話です」
「リスカ」
「はい」
「本命とは」
「ひ」
「情死とは?」
情報屋のご主人さんの話もばっちり聞いていたんだね。
「それは大いなる誤解です。あの、ほら、死に至るという媚薬を探していただけで!」
リスカの額にたらたらと汗が流れていた。僕は、見てみぬふりをした。今のセフォーには逆らいたくない。
「リスカさん」
「はいいいっ」
「嫌です」
「うぐ」
「今、私は――」
「は」
「気が立っていますから」
ひええええ、というリスカの心の声が聞こえる。
「踊りなど知らないのです」
「セフォー」
「そんなものは、もう忘れました」
「いいのです、私とて、上手に踊れるわけではないのですっ」
「着飾るのは、踊りのために」
「ち、違います。それに、こんな、もう濡れているし第一男性体のままで着飾っても、男娼にしか」
と自分で言って、深く落ち込むリスカだけど。
「追ってくれたのですか」
「は……はい」
「追って」
「セフォー」
セフォーは、ふと、微笑んだ。
「嬉しい」
「は」
「――嬉しい、です」
セフォーは呟いて、静かにリスカの肩へ額を落とし、目を閉ざした。
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それから、ツァルさん達と合流して(ツァルさん、いつの間に、そんなにお土産を買ったんだろう)、何だかんだと時間は過ぎて、結局帰路を辿ったのは、もう明け方近くのことだった。
その間、セフォーは誰に何を言われてもリスカを抱き上げたままだった。
現実逃避しようとしたのか、リスカは気絶するように眠ってしまい、家に戻っても目を覚まさなかった。
リスカを一旦長椅子に横たえたセフォーは、汚れた長衣を捨てて、さっと湯浴みをすませた。
そのあと、またリスカを抱きかかえている。
僕は、セフォーに聞きたいことがあった。
獣型の魔物の死骸はたくさんあったけれど、肝心の、水を操るあの強大な存在は――。
セフォーは首を振った。
ああ、倒せていないんだ。
「名を」
だから、名を告げてはいけないんだね?
セフォーも――僕も、名を口にすれば、きっとあの存在に振り向かれてしまうから。
悪魔はとても耳聡くて、そして狡猾なんだ。
僕はセフォーの過去を少し知っているけれど、全てを覗き見ていたわけじゃない。もしかするとセフォーは、あの存在を以前から知っているのかもしれない。
セフォーは、じっとリスカを見下ろして、額を撫でていた。
「――奇麗です」
あぁセフォー、そういう台詞はリスカが起きている時に言わないと。とことん常識を外しているよ。
僕が肘掛けの上で思わず溜息をこぼした時、ちらっとセフォーが視線を寄越した。
丸焼きだけはやめてセフォー!
僕、美味しくないですっ。
「着替えを」
え?
僕は凝固した。
意味が分からなかったんじゃなくて。
リスカの着替えを持ってきて、という意味なんだろうけれど。
一体誰が、リスカを着替えさせるの?
僕とセフォーは、少しの間、無言で見つめ合った。
……。
僕……、
それはやめた方がいいと思うよ、セフォー。
「なぜ」
な、なぜって。
「このままでは風邪を」
うん、でもね。
「早く」
あのね、セフォー。
僕は、焼き鳥覚悟で、こう言った。
リスカ、女の子に戻っているよ?
●花よりもEND●