窃盗レディと百年紳士:1

 東條千春は項垂れていた。
 場所は取調室。
 やたら神経質そうな、推定二十代後半の刑事が、目の前にいる。
「さて……」
 刑事は、そのすまし顔と実にマッチした酷薄そうな声で呟き、優雅に指を組み合わせた。
 
 
 
「再犯は実刑つきますよ。とくに東條さんの場合、再々々々犯であるわけですし」
「……ですよね」
「間違いなく刑務所送りですね」
 刑事は躊躇もない慈悲の欠片もない、とことん事務的な声で宣告した。
 千春を五秒未満の言葉でいとも容易く地獄へと突き落とすこの刑事、確か北原ナントカという名だったか。
 くそう、たかが刑事のくせにいいスーツ着てるじゃねえか、と千春は相手が着ている某ブランドのン十万円はするに違いなかろうスーツを見つめつつ、内心でかなり嫌味っぽく僻んだ。ソトヅラをよくするため、目をウルウルさせて「ボク反省してます!」という健気な表情を浮かべるよう努力は続けていたが。くそくそ、マジで羨ましくなんてない!
 しかしこの刑事、侮れん。
 長年のたゆまぬ鍛錬の果てにあみ出した千春の必殺目ヂカラ攻撃「食らえば胸キュンと・ま・ら・な・い」を、鉄壁の無表情で完璧にはねのけていやがる。だがこんなところで諦める千春ではない。手強いじゃねえか何としても攻略してやる、となぜか燃えに燃え、愛と勇気だけを友にして顔をキッと上げた。ちなみになんかアンパン食いたくなってきた。
「ま、執行猶予を考えても、軽く一年はくらうかな」
 千春は一瞬で項垂れた。愛も勇気も一瞬で天に召された。
 実刑か。
 実刑。
 実刑。
 言えば言うほど重い。現在千春の頭の中では何匹ものゴッツイ悪魔が輪を作り、野太いイヤンな声で「ジッ・ケイ! ジッ・ケイ!」と楽しげに歌っていた。はっきり言ってどうでもいい妄想だった。
 言葉って繰り返すほど重みを増すのね、と千春は多感少女の気持ちにリンクした。
「しっかし、セコい犯罪ばかり手を出していたくせに、どうして大山当ててしまうかなあ?」
「そんなこと俺が聞きたいっす」
「今までは、こういっちゃあれですけれど、ショボイというかみみっちいというか、そんな超軽犯罪なのばかりでしたでしょう? だから保釈金で逃げれたのに」
 あら不思議ねえ、という若奥さん風に北原は小首を傾げて、指先で唇を撫でている。
「……さりげに、めちゃ馬鹿にしてねえか」
「何か言いました?」
「いえ、刑事さんのネクタイがあまりにもキューティーなので見蕩れていただけです」
 ジャニ系アイドルにも負けぬ、恥じらいを含んだ微笑を千春は浮かべるよう頑張った。笑顔は角度が大事なのだ。ちなみに利き腕と逆側の顔の方が写真うつりがバッチリ♥というのは事実なのだろうか? こんど試してみよう。
 北原は「ふうん?」というように目を細めた。
 草原の乙女的微笑がやつに多少でも何らかの効果をもたらしたのか、今イチ判断できない。ウインクをオプションでつけてみるか? と千春は内心で葛藤した。ま、そんなことは置いといて。
「刑期、どうにか減らせませんか」
「いや、そりゃ無理でしょう。何せ相手が相手だし」
 ううっ、と千春は口元を手で押さえ、泣き真似をした。
 そうなのだ、是非聞いてくれたまえ。
 東條千春、22歳。性別男。つけくわえて美男。かなり美男。絶対美男。身長ん〜ごにょごにょ。体重知らん。血液型B型。星座何だっけ? 学歴大学中退。
 そして職業――怪盗ルパンと同じと言えば、お分かりだね。
 いや、ルパンと同規模の仕事をこなしてるわけじゃないけどさ。あんま期待しないでいただきたい。
 いいんだよ、そんなことは。虚しくなるのよ、木枯らし吹いてしまうのよ。ふ。
 なぜか女言葉で内心独白しつつ、千春は額を押さえる。
 つまりつまり。
 空き巣に入った所がヤクザ様のお部屋で、グッドタイミングってな感じに札束転がってたんですわ。
 思わず札束にラヴビーム。
 それが裏取引の金だと知っていたら、手など出しませんとも!
 ラヴビーム発射以前に、ヤクザ様のお宅だと知っていたら、一歩だって近づきませんとも!
 いつもは下見くらいするのだが、今回は……ほら、昔の友達と麻雀やって、かなり負けこんじゃって。
「……懐が寂しかっただけなんですようっっ!!」
「はあ?」
「反省してます。出来心です。恋心に近いです」
「恋心で七百万盗みますかね」
「それを言っちゃあおしまいだろ!」
「刑事に突っ込みいれないでくださいよ」
 はあ、と北原はこれみよがしに溜息をついた。
「これまでのように、どうでもいい軽犯罪にしとけばよかったのに」
「刑事としてその発言もどうかと思うぞ」
「何ですって?」
「刑事さん、髪型ラブリーですねと言ったんです」
 北原は机に肘を置き、まじまじと千春を熱い目で見つめた。
 おおお? 効果ありかよ、と少し悪寒を感じつつ、千春は笑顔で乗り切ろうとした。
「ふうん」
 と、北原は唸った。片手を上げ「スタンダップ」と千春に合図した。千春はもう、刑期さえ減りゃウインク百回してもいい心境だったので素直に椅子から立ち上がる。何なら両目ウインクでもオッケイだ。
「ふーん」
 じっと全身を熱心に見られて、「あ、何だかグラビアアイドルな気分♥」などと思った。でも冷や汗がでてしまうのは、男に見られても嬉しくねえってな本音があったからだった。
「なるほどねえ」
 北原は一人で感心している。
 何? 俺のスリーサイズまさか知りたいとかあるいは透視して、見ちゃダメッってな所見てるとか。
 やばい俺狙われてる!? と千春は暴走しかけた。
「刑期、減らしたいですか?」
 この展開でそんな台詞囁かれた日には、そりゃもう奥さん、アダルティな妄想しちゃうでしょうっという心境だった。
 千春は生唾を飲み込み、か弱くふるふる震えつつ、こう言うしかない。
「じゅ、十五禁にしてください」
「……何を想像したのか、丸分かりですよ」
「だ、だって」
 この後の展開としては、突然刑事がアウトサイダーな素顔をさらして猥褻な取引を持ちかけ、そしてそして哀れな千春は、とある無機質なマンションの一室に監禁、ビデオの回る前で傷一つないこのきれいな身体を縛られて……ああっそれはイヤッ。
「せめて十八禁にしときなさい」
 さらりと言われて、千春は本気で目眩がした。
「マジですか。十八禁設定で本当にやる気ですか」
 千春は素で泣きそうになった。
「自由――欲しくないですか?」
 北原は身を乗り出し、低く囁いた。一瞬ホストに口説かれてる気になった。
「ううっ、でもでも」
「フリーダム。フリーダムですよ」
 英語で言われるとなぜか価値がアップする気がして、千春は洗脳されかかった。
「何もねえ、裸になれとは言いませんよ」
 北原は苦笑した。
「じゃあ、一体何を企んでるんですか」
 ふっと北原はあくどい微笑を見せた。すげえ悪役な表情だ。優男風ながらさすがは刑事。どんな悪人もこの氷の微笑を見りゃ、ゼッタイ怯む。
「東條さん」
「はいっ?」
「あなた、実に女顔ですよねえ」
「言うな、それを言うな! 結構悩みの種なんだよ。満員電車で痴漢される俺の身になってくれよ、イロイロな所撫でられちゃうんだぞ!」
 千春は思わず刑事サマを怒鳴りつけてしまった。誰にでもタブーはあるのだ。思い出したくない過去の汚点ってものが、千春のヤワなハートを切り裂いちゃうのだ。
「その顔が、必要なんです」
「な、なぜだっ」
 ふふふと北原は目を伏せて笑った。
 
 
「女であって女じゃなく、女よりも美しい、そういうレディになりませんか?」
  
 
 自由。
 ときに人は、自由のために自由を犠牲にするものらしい。
 
●●●●●
 
 レディ。
 レディときたか!!
 千春は飛び上がり、狭い取調室の壁にはりついた。
 その拍子に椅子を蹴倒してしまい、何とも不吉な金属音が響く。運命の鐘ならぬ「地獄の黙示録」への序章を暗示するかのような、嫌な音だった。
「おおお俺はダンディズム信奉者なのでご遠慮させていただきたく」
「ダンディズムを真っ向から全否定するような顔してるくせにナマイキなこというんじゃありません」
 なぜか説教された。しかもすげえ理不尽だった。
「なんで。なんでレディ? ミスターレディかよ、くそっ」
「東條さん。あなた、高校時代、文化祭などの行事で女装させられて、結構トラウマ持ってるクチでしょう」
 ずばりと嫌な思い出ナンバー3を言い当てられて、千春は「ぐはっ」と呻いた。
「あー、ちなみに私、そういう行事は面倒だったので、サボって他高の女の子と遊んでましたけど」
 こ、こいつサラッと自慢してやがる!
「いいじゃないですか、この際。トラウマがあと一つくらい増えても。よく犯人も言うでしょう? こうなったら一人やっても二人やってもかまうものか、と」
 違う。意味が違う。やってもいい、の意味がまるで違う。
 その、やってもいい、の「や」の字は、漢字にすると「殺」と書くだろう。
 うう、なんか俺すごく辛い。めちゃ脅迫されてないか?
「……げはっ!!」
 ふと我に返ると、いつの間にか北原が不必要なほど接近していた。つかなんでそんなねっとりした視線を寄越すんだ。
「いいでしょう? レディですよ。立派なレディになりましょうよ。目指すは淑女日本一。ね」
 わけがわからねえ。
 千春は本気で泣きたくなってきた。
 何だろう、この状況は。
 千春は小動物のように怯えつつ、間近に迫った北原を見上げる。
 壁際に追いつめられた千春を威嚇するように北原は立ちはだかっている。しかも千春の顔の横に腕を置いて、逃げ道を塞いでいる。
 ほら、よく漫画やドラマであるではないか。現実には「ありえねえ!!」っていうキミとボクの、不純な乙女がときめいちゃうこの緊迫した位置関係。だが、普通は男女が主人公だ。間違っても悪徳刑事と可憐な犯罪者の設定ではない。
「それとも、ここで傷モノにされたいですか、処理済みの生モノになりたいですか。傷だらけの天使に思い切ってなっちゃいますか?」
「ひはあああっう」
 どんな悲鳴だ、おい。と、千春は自分に突っ込みを入れた。
 目がマジだ、ゼッタイこいつは本気で「ま、やってもいっかなぁ〜」なんて気楽に思っている。
「うううっ、ひどい、ひどいよママン! やっぱ『イヤ〜ンッ』ってな未来図を描いてるんだろ!? 畜生、ここで傷モノにされるくらいだったら俺、実刑くらって真面目にオツトメした方がましっ」
 覚悟を決めて叫んだら、北原はあきらかに小馬鹿にした笑みを浮かべた。
「お、ば、か、ちゃん。誰がママンですか」
「キモッ」
 つい本音が出た。
 北原は片手で千春の顎を掴み、顔を上げさせた。千春はちょっぴりときめいて……じゃなく、ちょっぴりおののいた。
「その顔でムショに入ってみなさいよ。間違いなくヤラレますね。私が保証します。あんなことからこんなことまで、それも毎日毎日複数の酸っぱい匂い漂うケダモノ達に」
「その言い方すげえリアルな想像しちゃうよ。俺怖いようっ」
 千春はとうとう泣き出した。北原の同情を引き出す目的が60%ほどを占めている。
 あ〜ここで弱々しくこいつの胸に縋り付きゃいいのかもネ、そうするとこいつの支配欲プラス性欲も満足? みたいな感じか。
 なんてことを考えた瞬間、激しい拒否反応に逆らえず、千春は戦慄した。鳥肌も立ってしまった。キモイ、キモすぎる。
「多分、あなたオツトメしたら、20禁のめくるめく禁断世界へ否応でも連れてかれると思いますよ」
「レディになります。ならせてください。僕前からなりたかったんです嬉しいな」
 即答だった。
「はじめからそう答えればいいんですよ」
 北原はあっさり机に戻って、壁際で硬直し嘘泣きしている千春を手招いた。
 心臓がくがくばくばく鳴らしつつ、千春は椅子を直して、北原の前に座った。
「でも刑事さん。俺がなんで女装なんか……」
「ああ。理由をお話しますよ」
「あなたの趣味?」
「まあそれもあながち間違いではないけれど、今回はれっきとした事情がありましてね」
 すらっと本音混じりの返答を寄越された。
「どんな事情?」
「それはね、聞くより体験するのが一番」
 千春は仰け反った。
「た、体験?」
「初体験、ですね」
 北原はなぜか顔をほんのり赤く染め、かわゆく恥じらった。搾れそうなほどの濃密な殺意が湧いた。
「さっ、行きましょう」
「え、え? どこに?」
 千春は、こうして、刑事に誘拐された。
 っていうか、こっちの返事聞く前からもしかして準備万端だったのかよ、と思わずにはいられなかった。

(倉庫TOP) ()