わたしたちは石榴の中 7

 遠い日の記憶が蘇る。
 ——ベランダで蝉の死骸を発見した夏の日、子どもの千秋は、ふてくされていた。
 遊園地へ出掛けるはずだったのに、祖父と母は朝からリビングで言い争っている。前妻、子ども、孤独死、という言葉が彼らの口から銃弾のように勢いよく飛び出していた。
 千秋が彼らの足元で会話を聞いているのに気づくと、二人は見たこともないような怖い顔をし、あっちへ行ってなさいと叱った。恐ろしいやら悲しいやらで、千秋はすっかりしょげてしまい、逃げるようにベランダへ出た。ガラス窓越しに、祖父を責める母の怒鳴り声が聞こえてきた。もうここへは帰ってこないつもり? 私だって父さんの子どもでしょ。私たちを捨てるつもりなの。勝手すぎるわ、だいいち母さんになんて言う気なのよ! 祖父がそれにどう答えたのかはわからなかった。だって千秋は空に飛行機を発見し、蝉をつまみ上げていたから。
 母の説得は無駄に終わった。
 前妻との間にできた娘の死を知ってからしばらくして、祖父は失踪した。
 お喋り好きだった母は急に無口になったが、千秋の前で取り乱すことはなかった。そのおかげか、千秋も寂しさを感じることが少なかったように思う。もともと祖父とは同居していたわけではないので、なおさらだったのかもしれない。
 なにより当時の千秋は、祖父がかつて自分たち以外の家族を持っていたという事実を、なんだかおもしろくないと感じていた。勝手にいなくなればいいじゃないか、もう戻ってきてもおじいちゃんって呼んであげない。そう意固地になっていた。
 その反面、祖父の血を継ぐ娘が、この世界のどこかでひっそり死んでしまったという事実に多少動揺してもいた。
 娘自身に対する気持ちは、言葉にするのが難しかった。
 見たことも会ったこともないので、はっきりとこれという確かな感情がわいてこない。年齢的にも共感しにくい。当時の千秋は六歳で、娘は二十九歳だった。
 感覚的には、本や映画の世界に生きている登場人物に近い。決して自分とは道が重ならない存在だ。けれど、ふとした拍子に脳裏をよぎる。そういう微妙な存在だった。
 その後千秋は父方の祖母の家へ預けられたこともあって、祖父が撮影したという動画の騒動を知るのが遅れた。
 隣のアパートに住んでいた大学生の男が、こっそりと教えてくれたのだ。
 千秋は、祖母らに隠れてその映像を見た。
 
 人が、祖父が、藤の木に変わっていく。撩乱と咲き乱れる。
 
 映像の中の祖父と目が合う。彼は真摯に訴える。死は無駄じゃない。孤独であろうと無駄ではないのです。孤独とは自分を知る最良の手段であり、人の根源です。命は巡るものです。死は決して終わりではないのです——…
 
 その映像を見てからの数日間、どうすごしたのか記憶がない。
 あの祖父の一家ということで、嵐のような日々が数年続いた。忍耐の季節だった。記者に、マスコミに、様々な団体に、野次馬に追い回され、撮影された。その誰もが、「おまえたちにプライバシーはない」と確信していた。なにもかも千秋たちは暴かれた。スーパーで買ったものさえも話題にされた。
 何度も住居を移して転校するうち、両親の愛がとうとう枯れてしまった。離婚後、父方の祖母の名字を名乗ることで、やっと静かな生活が戻ってきた。
 それから、時は流れた。
 大学を卒業し、就職のために一人暮らしを始めた途端、千秋は最大の不幸に見舞われた。
 祖父と同じ病に罹ってプログラム推進法の対象にされたのだ。
 千秋に関しては他の人のように選択の自由がなかった。まわりが勝手に決めていった。
 
 ——千秋は、足元の蝉を見下ろした。
 私の壊れる音がする。そう言った小夜子の顔を思い出す。
 壊れ始めた身体の中で私が眠りにつく——。その感覚を千秋は誰より知っている。
 まるで静かな宵闇の中に、ぽつんと膝を抱えて座っているかのようだった。毛細血管が震え、臓器が伸縮する。肋骨が蝶の翅のように左右に開き、胸骨がうねる。骨盤が広がり、大腿骨が割れていく。両腕は枝へ、両足は根へ。変わっていく。自分の壊れる音を耳にするたび、ずくずくと陰部を責められているような衝動に襲われた。あれはなにものにも代え難い、根源的な快楽だった。誰かと初めて身体を重ねた時のような、あの、二人きりで深い海の底へ落ちていくようなよるべない感覚と細やかな痺れ。身の中に、あるいは相手の中に、自分を埋めこみ、受け入れる許容の夜。互いの声の甘さ、肉体の柔らかさを余すところなく味わい、満たされたはずなのに、ひどく寂しくなる。一緒に海へ落ちたはずが、いつのまにか、一人で波間を漂っている。
 その特別な感覚は、いつしか薄れていく。恋人が変わるたび、祈った通りの現実を手に入れられるとは限らないと知るたび、子どもの頃に夢見た自分はこんな感じだっただろうかと首を捻るたび、友人より劣る自分を発見し、薄暗い嫉妬や焦燥感を隠して笑顔を作るたび、繊細な夜の切なさは遠ざかる。へとへとになるほど働いて、よくある退屈な日常の中へ溺れていく。
 けれど、自分の壊れる音は、快楽を貪ったあとに訪れる幸福な寂しさを鮮明に思い出させた。祖父が動画で訴えていたように、痛みは少しも感じなかった。壊れることが、気持ちよかった。窮屈な日々も、息苦しさも、誰かに対する劣等感も優越感も不安も、重い病への恐怖も、全部宵闇の向こうへ流し、自分の鼓動だけに耳を澄ます。これから長い夢を見る。自我を失い、過ごした年月の分だけ頭に詰めこまれていた記憶も手放して、身体の形が変わっても、夢を見続ける。
 けれども千秋は、生き延びてしまった。
 稀にだが、樹木化の薬が病原体に働きかけて完治させてしまうケースがある。変化期の直前に、その病気が消えてしまうのだ。
 千秋は死を免れたことを感謝するより、呆気に取られた。
 生き返ったことで、はっきりと気づかされる。
 宵闇の中で得た充足感は、祖父の娘に捧げられたものだ。
 一人孤独に死んだ彼女のために。それだけのために。
 千秋は、自分が病魔に冒されていると知った時、毎日運命を呪ったし、気がおかしくなるんじゃないかとも思った。恋人には別れを告げられ、友人とも疎遠になった。すべてが手のひらからこぼれ落ちた気がした。
 だというのに、何事もなかったように平和な日常が戻ってくる。
 周囲の人々からは「神様がやり直すチャンスをくれたんだ」と祝福された。奇跡が起きたんだよと。
 皆の言葉に、立ち尽くす。
 やり直すって、なにをだろうか?
 子どもの頃に戻れたら、もう一度人生をやり直せたら。そう悔やんだことは数えきれないほどある。些細な失敗だけじゃなく、わりと深刻な過ちも犯して、途方に暮れたこともある。
 そのつらさを握り締め、生きてきたのだ。
 そういう日々は、間違いだったのか。
 なにをやり直していいのかわからないまま、千秋はプログラム推進法に関する仕事に携わるようになった。樹木化を果たせずなんらかの理由で生還した者は、ほぼ強制的に調査官として選ばれるのだと、のちに知った。
 奇跡の生還は、千秋の足元を不安定にした。自分が名無しになったような気がした。仕事の合間にふと思い出すのは、初めてできた恋人の笑顔でもなく、徹夜で友人たちと飲み交わした夜でもなく、六歳の夏だ。手のひらより小さな蝉の胴体に詰めこまれている永遠の夏。
 ある時、樹木化対象者のデータの中に、小夜子の名前を見つけた。
 千秋はその瞬間、あっと声を上げた。
 白井小夜子は、祖父の前妻だ。
 結婚生活は短かったが、孤独に死んだ娘のこともあり、プログラム推進法制定直後は彼女のまわりも騒がしくなったと聞いている。
 千秋の家族同様、転居を繰り返し、名前を変更したことで、数年後には記者も行方をたどれなくなっていた。プログラム推進法に関わる一部の者だけが、彼女の住所を把握していた。
 本当なら、別の調査官が小夜子の担当になるはずだった。
 それを、千秋は強引に替わってもらった。調査官は当然、千秋の素性を知っている。渋りはしたが、強く拒否はしない。
 千秋は祖父がかつて愛した女性を、知りたかった。
 生きている千秋や母を捨て、死んだ娘を選んだ祖父。その娘を生んだ母親の声を聞き、体温を感じられる距離で見つめたかった。
 なにを思って生きてきたのだろう。聞きたいことがいくつもある。祖父と別れたあと、再婚した男性とどんな人生を歩いてきたのか。実の娘の死が、毒のように彼女の心を少しずつ蝕んでいったのか。祖父は本当に、孤独から娘を救えたと思うか。この法律は、自分自身や愛する者の死を受け入れられない者たちに与えられた、安易な逃避にすぎないのではないか?
 だが結局、小夜子にはなにひとつ尋ねられなかった。
 彼女の魂は十代の女の子に戻ってしまっていたのだから。
 腹が立った、と隼人は言った。ばあちゃんの中に、俺の知らないばあちゃんがたくさんいたんだよな。それをさあ、知らないまま終わるんだって思ったら。
 ——千秋は、蝉の死骸を見続ける。
 隼人の言う通りなのかもしれない。祖父の中にも、きっと千秋の知らない祖父がたくさんいた。それを知らないまま終わってしまった。あの夏に、勝手に終わらされた。
 凝り固まった意地を捨ててようやく正面から過去と向き合う。
 祖父の死は、千秋が最初に味わった喪失感だ。
 心を落ち着けて悲しむ時間は得られなかった。身近であったはずの人間が別の顔を隠し持っていたという事実にも戸惑った。母たちもまた、祖父の死を悼んで泣き暮れることはなかった。むしろ周囲が騒がしくなればなるほど、頑なになっていった。
 今なら気丈な態度を貫いた母たちの気持ちがわかる。悲しんでいなかったわけじゃない。それ以上に他の感情に翻弄されてしまったのだ。祖父に見捨てられたという怒り、呆れ、屈辱、恋しさ……。母たちだって精一杯だった。
 当時の千秋もやはり、その時抱いた感情を持て余し、たいしたことじゃないのだとごまかしてしまった。だから燻り続けている。今もあの夏に心が置き去りのままなのだ。
 足元の蝉を睨む。
 踏みつければいいのか。そうすれば飴の皮のような腹が砕け散り、喪失の起源となったあの夏をもう一度、やり直せるのか。
 ジーッ、ジィッ、ジィッと蝉の声が降り注ぐ。
 アスファルトから立ち上る熱気は、あの日のベランダを思わせる。空は高く、抜けるように青かった。日差しは痛いほどで、けれどその暑さが快くもあった。遊園地を楽しみにしていた夏だった。六歳は、怖いもの知らずで、ねだればアイスもお菓子も願った通りに手に入った。祖父の節くれだった手は、千秋の頭を撫でるためだけに存在すると信じていた。家という世界は完璧な王国だった。明日も明後日もその先の未来も、遊園地のように楽しく賑やかなものであると当然のように思っていた。神社で手を合わせて祈る必要もないくらい。
 今、千秋は二十九歳だ。祖父の娘が死んだ年齢に追いついた。
 彼女はなぜ一人寂しく死んでしまったのだろう。友人がいなかったわけではない。恋人を作れないほど内向的だったわけでもない。借金もなく、重い病気にかかっていたわけでもない。それなのに、孤独に埋もれるような最期を選んだ。彼女の心の動きを、千秋は想像する。幸福なのか不幸なのか、生き方を変えるべきなのかこのままでいいのか……そもそも他の生き方があるのかどうかさえわからず漠然と不安になって、なんだか明日を迎えることが怖くなったのか。
 しかし、祖父は彼女の死を見捨てなかった。
 今の千秋に、そんな人間はいるだろうか?
 彼女は死という最終手段でもって、祖父を奪い返そうとしたのかもしれない。
 たとえ彼女に復讐されたのだとしても、祖父に切り捨てられたのだとしても、千秋は生きている。この瞬間だって脇目も振らずに心臓は、生きよう、さあ生きようと、鼓動している。
 千秋は足を動かした。
 息を飲み込み、蝉を踏む。
 靴の底から、かしゃっと、乾いた紙が潰れるような音がする。
 千秋は目を見開き、足をよけた。
 ——踏んだのは蝉ではなく、ただの、丸まった落ち葉だった。
「なんだこれ」
 唖然とする。紛らわしい色のせいで、見間違えたのだ。
 脱力感に襲われ、その場に屈みこみそうになる。
 しばらく潰れた落ち葉を睨みつける。
 再び自転車が千秋のよこを通り抜けた。
 きっとそれも幻なんだろうと思ったら、自転車はきゅっとタイヤの音を鳴らし、少し先でとまった。行き過ぎた、というようにゆるゆるとバックしてくる。
 乗っていたのはワンピースの小夜子ではない。
 隼人だ。
「よかった、追いついた」
 彼は、ほっとしたように言った。肩にかけていた鞄から古びた手帳を取り出し、千秋に差し出す。見覚えのある手帳だ。
「そういえばこれ、ばあちゃんが千秋さんに渡すよう言っていたなって思い出したんです」
「小夜子さんのヴォイニッチですか」
「え? なに?」
 不思議そうにする隼人から手帳を受け取る。
 千秋はそれをまじまじと見つめた。こうして手に取ると、想像以上に古い手帳だった。表紙は合皮製で、海外の古書のような装丁だった。それっぽい雰囲気だが、実際はありふれた大量生産のものにすぎないとわかる。
「見ないの?」
 焦れたように隼人が言う。
 小夜子から手帳の話を聞いたとき、千秋は密かにこう考えた。祖父を奪った千秋の家族に対する憎悪が渦を巻くほどびっしりと記されているんだろうと。十代の少女に戻っていても、その憎悪だけは心の底にこびりついたままだったのではないか。
 千秋は手帳をぱらぱらと開いた。
 間に挟まれていた様々な種類の葉が落ちた。くまつづら、いぐさ、おおばこ。それでも視線は手帳の文字に釘付けだった。
 憎悪は見当たらない。誰かを呪う言葉も、あるいは自分を呪う言葉も見当たらない。
 脈絡のないちょっとしたスケッチと、日常の一場面を切り取ったような短い文章がどのページにもしっかりした文字で記されていた。一言日記、または一言絵日記。そんな感じだった。心情を示す文章はなく、あくまで日常の出来事を短く綴ったものだ。一日の中で最も印象的だった出来事を忘れないよう書きとめた、というより、明日になれば忘れそうな他愛ない出来事しか書かれていない。
 ところがどうしたことか、一ページを読み、二ページを読み、三ページを読み終わる頃には妙に楽しくなってくる。心躍る冒険小説や、思わずじたばたしたくなる甘い恋愛小説のように、記された文字から小夜子の日々が勢いよくほとばしり、千秋を圧倒する。長い月日を生きてきた小夜子がここにいる。びいどろのグラスを買った日。庭に栗鼠が現れた日。栗ごはんを食べた日。朝から晩まで映画を観た日。一人でレストランへ行った日。たった一言なのに、読み続けるとくっきり情景が浮かぶ。小夜子の体温を感じる。
 手帳の中の彼女と、視線が合う。
 千秋は思わず、心の中で彼女に言う。胸を張ってもいいような、ささやかで美しい毎日をすごしてきたんですね。人生とはなにか、二十字以内で答えます。『他愛ない出来事の積み重ねが生きるってこと』。案外これ、合っていませんか?
 小夜子は「そうかしら?」と言うように首を傾げ、手帳の中へ消える。
 手帳の登場人物は小夜子だけだ。祖父の名も、新たな夫も、隼人も出てこない。
 一ページ目に戻る。最初のページにこの手帳を渡したい人物の名前があると小夜子は言っていた。確かに、それらしき言葉があった。「○○へ」と。
 だが、名前の部分は黒く塗り潰されていた。
「なにが書かれてます?」
 隼人が焦れったそうに尋ねる。
「ばあちゃん、動けなくなる日までその手帳になにかを書きつけていたんだ」
 それを聞いて、千秋は思う。
 もしも六歳の夏に戻れたら。
 祖父にすがりつき、どこにも行かないでと泣いて訴えればなにかが変わっていただろう。その千秋は、今の千秋と違って失敗も挫折も知らず、順風満帆な道を進むかもしれない。そう考えると、溜息が出るほど羨ましい。
 だがおそらく、生きていくのにまったく必要ではない木々の名前を、その千秋はいつまでも知らずにすごすだろう。雑草の名前を覚えることもない。
 だったら、差し引きゼロだ。
 あの夏をやり直すのではなく、懐かしい思い出にしよう。
 幸せか不幸かなんておかまいなしに綴られている小夜子の手帳を見つめ、そう決める。
 やっと思い出した。
 ベランダの蝉は、最後に、庭の木の下に埋葬したのだ。
「読みますか?」
 手帳を、隼人に差し出す。
「読んでもいいの? 俺宛の手帳だったとか?」
 千秋は微笑む。読みたい者のもとへたどりつく手帳だ。人によって、見出す答えはたぶん違う。なにせヴォイニッチなのだから。
 蝉の声に耳を傾ける。これからも嫌気がさすほど挫折を体験するだろう。出会いと別れを繰り返し、善良な人たち、親しい者たちを次々と失う。そのたび、この法はいったい誰を救ったのか悩み続ける。憂鬱になりながら、祖父の面影を追う。少女に戻った小夜子を思い、蝉と落ち葉を間違えた間抜けな自分に歯がみをする。一度死にかけた自分の人生を何度も疑い、恐れる。二十九歳で死んだ娘について考え、不安を抱く。愚痴をこぼしながら仕事を続けていく。誰かの死と変化を見て、六歳の夏を性懲りもなく頭に描く。小夜子の夏もきっと描く。「もしも」の世界を時々夢見る。そしてまた今の人生を悩む。答えはいつまでも出ない。たぶん、死んだあとでも出ない。なにが正しいのか、これが幸せなのか、胸を張れる毎日なのか。わからないままいくつもの夏を越え、人から見れば些細なことで死ぬほど落ちこみ、都合の悪いことは忘れ、それでも知らないことを少しでも知ろうと前を向き、心を揺り動かして日常を重ねていく。


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