恋愛誓盟・前編
「明宝戦」っていう二校の共催行事。
うちの学校……明葉高等学校と同区にある宝城高等学院とで、部活動に所属している生徒達を中心にしてスポーツ大会を開催するっていう伝統行事なんだ。今年は宝城高等学院側で明宝戦が開催されるから、私達生徒会メンバーは挨拶を兼ねた視察のため事前に訪問することになった。何しろ両校、三日間もこの明宝戦に時間を費やすので、結構大掛かりな準備が必要になる。明宝戦で勝利した方に何か凄い特典が与えられるってわけじゃないんだけれど、そこはかとなくプライドみたいなものがあって。普段はそういうのを意識しない生徒達も、この時ばかりは負けられないっていう愛校心が芽生える。やっぱり自分の高校が優秀だったら嬉しいよね。それに、明葉と宝城は偏差値がほぼ横並びで、受験生によく比較されるんだ。だから勉強だけじゃなくスポーツにも力を入れているんだってことを学校は証明したいらしい。受験生を持つ親へのアピールも含まれているんだと思うな。
まあ、部活動に所属している子達は愛校心とは別に、敵校に勝った時、部費がアップして待遇がちょっとよくなるっていうおまけがあったりするから、帰宅部の生徒より必死だし意気込みも違う。
という理由で、明宝戦、毎年結構白熱する。
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宝城高等学院へは水屋先輩と久能先輩、長谷川先輩、そして遠藤先輩、最後になぜか私……というメンバーで訪問した。私がお供しても意味はないような気がしたんだけれど、このメンバーは癒しがなくて絶対嫌だという遠藤先輩の痛切な懇願に気圧される形で同行することになった。ちなみに遠藤先輩は体育委員長で、今回は中心メンバーとして動かなきゃいけないため、否応なく水屋先輩に引っ張り出されたんだよね。うん、遠藤先輩ってちょっと気が弱いけれど、とても優しい先輩だ。生徒会のお兄さん的存在かも。
今日は先輩達、皆きちっと制服を着ている。勿論私も制服を着ているんだけれど――あのぅ、水屋先輩、男子用の制服を着て、大丈夫なんでしょうか。
何となく気分的に、水屋先輩っていうより水屋会長って呼びたくなる雰囲気だ。すると水屋先輩が「秘書プレイ?」という怖い方向に爆走しているような台詞を言ったから、私はすぐさま「普通に先輩って言おう……」と誓ったりした。
それはさておき。宝城高等学院はこの間改築したばかりで、とても整備されて奇麗だった。いいなあ、うちの高校、暖房設備とかいまいちなんだよね。
校内は宝城高等学院の生徒会メンバーが案内してくれることになった。向こうの会長さんは大谷さんっていう男性だった。うわあ、凄い頭良さそうでそつがない感じの人。うう、今年の明宝戦、苦戦しそうだ。
あ、何か水屋先輩、絶対に男子だと誤解されているような気がする。というか、久能先輩達、誰もその誤りを訂正しなくていいんでしょうか。
うーん、しかも副会長の飯田さんっていう女子に、気のせいなんかじゃなくて絶対に熱い視線を送られていると思う。水屋先輩は普通にしているとつい見とれてしまうくらい奇麗な人だから、凄くその気持ちは分かるんだけれど……でも一番重要な事実は、女性、ってことで。
一応フルネームで全員自己紹介をしたんだけれどね、水屋先輩の、陵って名前、男性であってもおかしくないし、ばっちり制服を着込んでいるしで、宝城高等学院の人達は全然性別を疑っていないようだ。ああ、何だかとても複雑な気分。
「バスケやバレーは体育館で行いますので、そちらへ案内させていただきますね。実はもう仮セッティングを始めているんですよ」
設備の整った広い生徒会室で少し話し合いをしたあと、大谷会長が試合会場その一となる体育館へ案内してくれた。歩きながら飯田副会長がどこかうっとりとした様子で水屋先輩を見上げつつ、言い添える。
「詳しい取り決めはこれからですけれど、まずは生徒会で親睦を深めましょう」
生徒会というより個人的な付き合いを持ちかけているような気がします。
という私の勘ぐりはあながち間違いじゃなくて、飯田さんは結構きわどいというか、普通の話をし始めていた。
えーと、水屋先輩に個人的質問しているんだ。
単刀直入に「彼女とかいますか」という質問が飛び出した時、私達生徒会メンバーは凍り付いた。彼氏、じゃなくて、彼女……。完璧、男子だと誤解されていますよね、水屋先輩。
「んー、いますよ」と、水屋先輩が爽やかにきっぱり断言した。私はつい大きくよろめいてしまった。久能先輩も微妙に倒れそうな顔をしていた。
「えっ、本当ですか!」
飯田さん、積極的です。見た感じ、行動派で可愛い人だ。明るくて人見知りしないタイプで、嫌味のない雰囲気。宝城の生徒ってはきはきした感じの人が多いなあ、と私は少し羨ましく思った。うちの学校は比較的のんびりした校風なんだけれど、異様にお祭り好きの人が多い気がする。
なんて私はさりげなく現実逃避していたんだけれど、不意に水屋先輩が振り向き、にこにこと笑いかけた。
「彼女がハニーですよ。これが何とも可愛い人で。相思相愛ですから」
視線の集中砲火。ああああ水屋先輩、何て爆弾を投下してくれるんですか、というよりいつの間にか相思相愛になっています。
「こう、恥じらう姿がまたソソルといいますか、無理矢理脱がして穢してみたいという率直な欲望を覚」
「あぁーっと、いやあ、宝城はいい高校ですね! 生徒達が明るい雰囲気で!」
と久能先輩が力尽くで水屋先輩の危険な台詞を遮り、まるで取引先相手を持ち上げる営業マンのようなお世辞を言った。生徒会長の大谷さんは多少怯えつつも、さらっとスルーするというとても賢明な判断をしてくれた。
「西田さんの方から告白したんですか?」
飯田さんが真剣な顔でそんなことを聞いてくる。私、何だかこの場で命を散らしてもおかしくないくらい息が苦しくなってきました。
「ええっと、いえ、そもそも告白という前に、水屋先輩の性別が」
「違いますよ、こっちが彼女に一目惚れ。押し倒す覚悟で告白しましたから」
水屋先輩が必殺の笑顔で、しどろもどろに説明しようとした私の肩をぎゅっと抱き、飯田さんに答えた。今、先輩、さりげなく私の言葉を封じませんでしたか。
「ほ、本当ですか! 水屋さんの方が一目惚れ!?」
信じられないという驚きの声を飯田さんが上げた。他の人達も、ちょっと意外という表情をしている。うん、そうでしょうね。事実はもっと奇想天外なんです。うちの生徒会メンバー達は、魂が抜けかけていますし。
飯田さんはかなり衝撃を受けた感じで、しばらくの間沈黙した。もしかして、結構本気で水屋先輩に惹かれたのかな。
先輩、色んな意味で罪作りだと思います。
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事件は、体育館でも起こり得る。
仮セッティングを始めているという大谷会長の言葉通り、体育館の出入り口には大きな幕が取り付けられていた。生徒の手作りらしい垂れ幕だ。高い天井にむき出しになっている骨組へロープを通し、鉄パイプで上部を固定してそれに幕を下げているらしい。どうも体育館に関してはまだ改装中みたいだ。
「少し不安定じゃないですか? ロープがほどけた場合は」
遠藤先輩が垂れ幕を見上げて、ぽつりと呟いた。
「ああ、まだ仮セッティングの段階ですから。どの位置に幕を下げるのがいいか検討している最中なんですよ」
なるほど、こういう演出もやっぱり必要なんだなあって私は関心しながら、色々と説明してくれる大谷さんをぼんやりと見ていた。
「垂れ幕を下げて、あとは両側の壁に両校の旗を……」
そういう言葉を聞き流しながら、私は垂れ幕に描かれた絵に注目した。ううん、凄い。
「あの、西田さん」
真剣に協議している生徒会メンバー達は体育館の舞台の方へと移動している。私があとを追おうと思った時、飯田さんにこそりと呼び止められてしまった。
「ねえ、さっきの話、本当?」
垂れ幕の影に隠れるようにして、飯田さんが耳打ちしてきた。私はうっと口ごもり、顔を引きつらせてしまう。
確かに、水屋先輩にもの凄い告白をされたのは事実かもしれないけれど、問題はそこじゃなくて性別で。
「何か西田さんの態度がそんな雰囲気じゃない気がしたから、冗談なのかなーって思って」
「もももしかして、水屋先輩のこと、その」
「えー、何か凄い奇麗っていうか、他の男子と違う感じでいいよね」
飯田さんがほうっと熱を帯びた視線で告げた。はい、他の男子とは思い切り違います、違うんですが、それをどう説明していいのか……。
「やー、もー、あんな人、彼氏だったらどうしよーっていうか!」
飯田さんは何かを想像したらしく、突然恥じらい出して、垂れ幕に勢いよく抱きついた。
――それが原因になったのか。
不安定な仮セッティングの垂れ幕。別に幕が落ちてきても、怪我をするわけがない。そう決めつけていたのが失敗で。
体育館の天井は結構高くて、垂れ幕の上部には鉄パイプが取り付けられているってことを私はすっかり忘れていたんだ。
「――西田さん!」
あ、幕が落ちてきた、と私が呑気に思った時、こちらを振り向いた水屋先輩の鋭い声が聞こえた。
「え?」
「避けて!」
忠告の意味が分からなくて、私は間抜けにも立ち尽くしたまま、駆け寄ってくる先輩達を見つめていたんだ。
ふっと頭上が陰って、私はようやくちゃんと見上げた。長い鉄パイプ。それに絡まる垂れ幕がスローモーションみたくゆっくりと落下して。嘘。
「西田!」
水屋先輩に呼び捨てにされることってあまりないから、私はこんな状況でもしっかり驚いてしまった。そのくせ、一歩も動けない。凍り付いている飯田さんの顔。
駆け寄ってきた水屋先輩を――背後から抱きとめた人が、久能先輩だった。愕然とする水屋先輩と、厳しい顔をしながらも腕を放さない久能先輩の姿が、なぜかとても印象的に焼き付いた。
目を閉じる直前、私は誰かに突き飛ばされた。それと同時に、がつんっと凄い音で床を直撃する鉄パイプの音が響いた。からんからんと何度か鉄パイプが床で弾んでいる。風船が割れるよりも大きな音で、まるで拡声器で反響させているんじゃないかって思ってしまうくらい耳に鋭く突き刺さった。
「……大丈夫か」
ぽかんとして、瞬きをすると、私の上に長谷川先輩が被さっていた。
あ、長谷川先輩が助けてくれたんだ。
――突き飛ばしてくれなかったら、多分私は鉄パイプに当たって、怪我をしていたに違いない。
何だかまだ意識がちゃんと追いつかなくて、私は床にへたりこんだ体勢のまま、呆然と皆を見回した。
……ええと、今、何が起こったんだろう。
皆の側へ行こうと思った時、飯田さんに声をかけられたんだった。話の途中で彼女が垂れ幕に抱きついて、それで恐らくロープが外れて鉄パイプが落下したんだ。
うん、飯田さんはわざと垂れ幕を落としたんじゃない。単なる事故だし、私はこうして長谷川先輩に助けてもらったから、怪我もなく無事だ。
間一髪だったねって胸を撫で下ろして終わるようなことで。
それなのに。
「怪我は!?」
大谷会長がひどく焦った蒼白な顔をして私の側に跪き、状態を聞いてきた。私はきょとんとして、首を横に振った。
「ご免、こちらの落ち度だ。まさかこんなことに」
「いや、こっちの不注意だから」
たとえ怪我をしなくても、これがもし先生方に知られた場合、きっと大変なことになると思う。長谷川先輩は事を荒立てないために冷静な口調で大谷会長の言葉を遮った。うん、なかったことにするべきだ。誰も悪くない。それに、このことで未来の事故を防げたわけだし。
「少し、向こうで休もうか」
長谷川先輩が独白して、座り込んでいる私をひょいっと抱き上げた。
「わっ、あの、私、平気です!」
「いいからいいから」
のんびりとそう言って長谷川先輩が私を抱き上げたまま、体育館の壁際へと移動する。
他のメンバーも慌ててぞろぞろと駆け寄ってくる。どきまぎと床に座る私を、皆心配そうに見ていて、何だか居心地が悪いような感じがしてしまった。特に大谷会長が何度も謝罪するし、飯田さんもすごく責任を感じて泣きそうだったから、胸が痛くなる。
「大丈夫だよなあ、西田?」
隣に胡座をかいている長谷川先輩が気軽な口調で言って、私の頭を撫でてくれた。嬉しい気遣いが、なぜかとても涙腺を刺激してしまう。
ああだって。
きっと長谷川先輩は、今の事故そのものについて慰めてくれているんじゃないんだ。
「平気だ、大丈夫」
頭を繰り返し撫でてくれる大きな先輩の手。
――水屋先輩、さっき、助けてくれようとして、こっちに走ってきたんだと思う。
でも、久能先輩がそれを咄嗟という感じでとめたんだ。
その行為が意味することって。
考えちゃいけないって思うけれど、やっぱり駄目だ。
水屋先輩に怪我をさせたくないから。無意識の優先順位。
何か、撃たれた気分。
再起不能に近いかも。
大声で泣きそう。失恋よりかなり痛い。
「大谷さん。保健室、教えて」
私の精神状態を察したらしい長谷川先輩が、ちらりと大谷さんへ視線を投げた。ごめんなさい、普通にしなきゃいけないのに、もう、ホント、駄目です。動けない。ここで泣き出さないようにするのが精一杯なんだ。長谷川先輩、このご恩はあとで必ずお返ししますから!
長谷川先輩が再度私を抱き上げようとしてくれた時。
「……触るなお前」
ぎょっとするほど低い声と共に、私の膝にぱたりと水屋先輩が倒れ込んだ。
「お前はあと、西田が先」
と長谷川先輩が面倒そうな口調で言った。
「うるさい。とにかく触るな」
「久能、水屋を捕獲」
長谷川先輩が仕方なさそうにそう頼んだ時、ぴくりと水屋先輩の肩が揺れた。
「滝生、お前は本気でコロス」
水屋先輩が顔を上げて、もの凄い殺意をまき散らしつつ宣言した。
無表情の久能先輩がゆっくりと私を見て、水屋先輩へ視線を移した。
「――仕方ないんだよ、水屋」
とても不毛そうな、長谷川先輩の声が聞こえた。
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