恋愛誓盟・後編

 大谷会長達がとても困った顔をして私達を見ていたけれど、長谷川先輩は飄然とした態度のままだった。
「あのな。久能がお前を庇って止めるのは、当たり前の行為」
「どこが、何が!」
 長谷川先輩の言葉に噛み付く水屋先輩は、いつもとは違ってなんだか子供みたいだった。
「お前の力じゃ、西田を抱き上げられない」
 長谷川先輩がゆっくりと諭すような口調で告げる。
 当たり前だけど、きっと大事な話で。
「でも俺はできる」
 なぜかといえば、と長谷川先輩が気負いなしに続けた。
「俺、男だから」
 大谷会長達には訳の分からない話だろうと思う。
「俺が西田を庇うのは当然。それと同じで、久能が水屋を守ろうとするのは当然。咄嗟の時に、どうしても覆せない事実というのが、ある。性別というのは、多分そのくらい重要な事だな?」
「どうでもいい、そんな会話」
「そうだろうか」
「第一、ひ弱な野郎だっているじゃないか。女を抱き上げられることが男の証か? どんな理屈だそれは。考えが古いし、狭い」
 水屋先輩の指摘は正しいのかもしれないけれど、長谷川先輩が言いたいのはもっと根本的なことのように思えた。
「どうであれ、お前は西田と同じで、こういう時は守られる側だと」
「くだらない!」
「お前の考えが大事なんじゃない。周りがそう思うって話だ」
 うん。はい、分かります。
 けれど、それが分かるだけに、とても私は泣きそうなんだ。
「女とか男って、意識しなきゃ嘘だろ」
 長谷川先輩の静かな主張に、水屋先輩は無言で立ち上がった。
「もしかして、水屋君って……」
 大谷会長が恐る恐るという感じで口を挟んだ時、突然水屋先輩が私の腕を掴んで、ダッシュした。
「ええええ!?」
 どどどこに行くんですか、先輩!
 引きずられるまま向かった先は、何と体育館入り口前にある女子トイレだった。
「わ、わ、あの!」
 個室に連れ込まれて、きっちりと鍵をかけられてしまう。
「先輩……?」
 驚きで涙が出なくてすんだけれど、トイレに連れ込みというのは一体どんな理由があるんだろう。
 はあ、と水屋先輩が大きく溜息をついた。
「腹が立つ」
「あふぅ、……ごごごめんなさい」
「違う。そうじゃなくて」
 水屋先輩がひどくいらいらしている。
「そりゃあ、私は西田さんを抱き上げるのは体力的に無理だろうね。けれども、筋トレしてごつくなった私など、そっちの方が嘘くさい。そもそも私の美的感覚が許さん」
「……」
「そう思うが、腹が立つ」
「うひっ」
 狭いトイレの中で、水屋先輩が乱暴に髪をかき回し屈み込んだ。と思ったら、すぐに立ち上がって、硬直している私をじいっと見つめた。
「何で助けようとしてはいけない? どうして私が守られる側にいなくてはいけない。そんなの誰が決めたんだ」
 それは……私が久能先輩の立場なら、やっぱり咄嗟に同じ行動を取ったと思う。
 好きな相手で、異性で。
 だから当然のことなんだ。
「くそぉ、私は無力か? そんなのは冗談じゃない。だから諦めろと、不可能だと、それほど簡単に決めて何が楽しい。自覚ならいつだってしている。しないはずがないことを、誰かに今更言われる筋合いなどない」
 水屋先輩は早口で独白した。ほんの少し上気した顔。
 イリちゃんが、先輩は本気なんだって言っていた。
 本気って、一番最初に自覚することなのかもしれないって、私は呆然と思ったりした。
「常識なんて蹴破ってやる。力が必要な時は、でかい奴を巻き込んで盾にすればいいだけだ」
 その主張はどうかと思います、先輩。さりげに卑怯な思惑の気が。
「あぁでも」
 がくんと先輩が項垂れて、片手を壁についた。
「もううんざりしたかな、西田さん?」
「はひ?」
「最悪な場面だ。全然格好よくない。情けない。よりによってハセなどに先を越された」
「あのぅ、私、平気です」
「嘘つき」
「あひ」
「嫌いになった? 失望した?」
 間近な所から顔を覗き込まれて、私はもの凄く混乱した。
「滝生の方がそんなにいいかなあ。それともハセにちょっと傾倒したとか」
「ええっ、いえ、先輩には先輩のいいところが」
「その言い方、嫌だな。いいところなんて見なくていいよ。惹かれてくれる方がずっといい」
 意志が覗く強い瞳は、男女とかそんな問題がどうでもよくなるくらいに奇麗で、真摯だった。水屋先輩は何だか本当に凄い人なんだって私は馬鹿みたいに驚いたり緊張したりしてしまった。
「力はないかもしれないし、さっきのような場面では無様かもしれないけれどね。私以上に西田さんを優先する人間はいない。守れなくても守りたい。怖い思いをさせた時は、その分あとで埋め合わせして、笑っちゃうほど可愛がる」
「ああああの先輩、その、外が! 外が騒がしく!」
 場所がトイレというのが複雑だけれど、二人きりという状況で真剣にそんな台詞を言われて、頭が沸騰しそうになった。
 私はもう混乱して身体が変な具合にぞくぞくしてきたから、外が騒がしくなったのをいいことについ逃げ口調になってしまった。
 どうもトイレの外に、私達の様子を心配した久能先輩達が駆けつけてくれたみたいだ。そういえば私、あの状況で水屋先輩に拉致されたんだった。
「早まるな、陵。他校で犯罪はやめろ!」
「あー、水屋。……監禁はよくない。人質を解放するように」
 久能先輩、長谷川先輩、心配するところがずれていませんか。
 微かに虚しさがこみ上げた時、水屋先輩がいきなりトイレの扉を勢いよく蹴った。私は「ふひっ」と飛び上がってしまった。
「うるさい野次馬! ここは女子トイレだ、野郎は出て行け!」
「せせ先輩、器物破損はいけませんというか、本当に言動が男らしく精悍に……!」
 反射的に、消え入りそうな声しか出なかったけれど突っ込みをいれてしまう。
「阿呆、女子トイレにこもるな!」
 という久能先輩のもっともな叱責を、水屋先輩は鼻で笑った。……聞き間違いでしょうか、今、水屋先輩、「けっ」と吐き捨てませんでしたか。
「馬鹿め、私はまだ女子だ! 可愛い後輩と仲良くトイレに行って何が悪い。女同士の友情はまずトイレ行動を共にすることから始まるというセオリーを知らんのか」
「お前ー! こういう時だけちゃっかり女子であることを主張するなっ」
「はっ、お前は来れまい。どうだ、こういう点では私は、もの凄く有利な立場にある!」
 あの、今とても気になるのは、先輩の「まだ女子だ」という一言なんですが。まだ、って。
「女子……!? み、み、水屋さんが、女子……!!」
 という発狂寸前の飯田さんの声が聞こえた。
「ねえ西田さん。性別を差し引いても私は絶対にイケテル。誰が何と言おうとかまわない。むしろ邪魔する奴は闇に葬る。優しくするし、可愛がるし、浮気しないし、勉強も見てあげられるし、外見はパーフェクトだし、まあ料理はそれほど得意じゃないができなくはない。我が儘も、叶えてあげる。後悔させない」
 壁にはりつく逃げ腰の私の両手を、水屋先輩がぎゅっと握った。
「更に言えば、同性ゆえに色々とポイントは押さえられる。熟知済み。……うん、心身共に」
 最後に追加された言葉に、触れてはいけない禁断の世界の片鱗が!
「だから好きになって」
「はわっ、はふぅ!」
「暗示でもかけようかな」
「先輩、でも、でも、私はやっぱり」
「そういう否定の台詞は、外の奴らが全員処刑されてもかまわないという覚悟の上で言いなさいね」
 脅迫……!
「近所の子供に向けるような、生温い好意なんていらないよ。恋という名の好意がいい」
 瞬きもできないし、反論もできない。
 凄い、何て凄い力のある眼差し。過激に煌めく、そんな言葉と熱情。
「恋愛をしようよ」
「れれ、れれれ」
「一緒に、恋愛をしよう。楽しいよ」
 心の中で、うわぁうわぁと叫ばずにはいられなかった。
「逃げずに、最初から拒絶せずに、こっちを見て。そうしたらきっと――」
 恐慌状態に陥って、私は頭を思い切り壁にぶつけてしまい、周囲に星が飛んだ。いや、天使かも。
 水屋先輩が今までのどこか意気消沈しているような懸命さを放り捨てて、余裕に満ちた激しく美麗な微笑を見せた。
「ゼッタイ、西田さん、オチルから」
 あぁ私の中に住む小人さん達が次々と悲鳴を上げて気絶していく。
「忘れたいと思っても、忘れさせてあげないよ。あんまり曖昧にされると、その内本気で忘れがたい既成事実を」
「わ、わ、分かりましたー!」
 思い知りました、はい、ホントに!
 水屋先輩は奇麗に笑って、楽しげな動作で私の肩にすり寄った。
「恋って、見境なく、暴挙の嵐」
 仰る通りだと思います、先輩。
 
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 その後、色々と大変だった。
 垂れ幕が原因で私達の間に亀裂が入ったと誤解した大谷会長が責任を取ろうとして切腹しかけたり、がやがやと集まり出していた人々を久能先輩が作り話をでっちあげて静めたり、長谷川先輩になぜか同情的な目で見られたりとか。もう嵐。特に飯田さんが壊れた。私が怪我をしそうになったことも一つの原因なんだろうけれど、それ以上に衝撃を受けたのが、うん、水屋先輩の問題で。
 事態を収拾してようやく帰還にこぎ着けた時、少し立ち直ったらしい飯田さんにがっしりと握手をされた。「応援するわ!」という熱い一言と共に。
「でもご免ね、私達は、そう、ライバル。正々堂々、よき好敵手でいましょうっ」
「ララララ……!」
 歌っているわけじゃなくて、動揺しすぎて口が回らず、ライバルと言えない。
「あぁ、タカラヅカファンの気持ちが分かってしまった今日この頃……!」
 飯田さんが恍惚とした表情を浮かべて、別次元へ旅立っています。
 何だかもう、私、普通の恋愛ができない気がしてきたかも。
 
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 一体何をしに宝城へ行ったのか全く分からなかったけれど、とにかく誰かにこの騒動の顛末を打ち明けずにはいられない切迫した気持ちになった私は、電話でイリちゃんに連絡を取り家に泊まってもらうことにした。
 イリちゃんは、頼んだ私がぎょっとしてしまうほどの勢いというか必死さで「行く!」と即答してくれた。ええと、イリちゃん、何かあったのかな?
 まるで夜逃げみたいな素早さで、イリちゃんがうちに来てくれる。
 私の部屋でココアを飲みつつ、しばらくの間、お互いになぜか沈黙してしまった。
「イリちゃん、突然泊まりにきてもらって、ご免ね」
「ううううううん、いいの全然、むしろ助かったというかナイスタイミング、貞操の危機を回避できたわけで、ある意味命の恩人だし」
「貞操……?」
「いや、気にしないで!」
「……博司さんと何か」
「ぎゃあっ、その名前を口にしたら呪われるー!」
「う、うん。ごめん」
 耳を両手で塞いで部屋中を転がり回るイリちゃんの様子に戦々恐々としつつも、この話題は触れちゃいけないんだということは理解したので、私はすぐに謝罪した。きっとイリちゃんの方も大変なんだなあ。博司さんにいじめられているのかな?
 イリちゃんが落ち着きを取り戻してから、私は今日の出来事を詳しく聞いてもらった。イリちゃん、時々笑いを堪えているのはどうしてなの?
「いやー、面白……じゃなくて大変だったねえ、冴」
「何ていうか、久能先輩の行動を見て、もの凄く落ち込んでいるはずだったんだけれど、それどころじゃなくなった気が」
「さすが水屋先輩だなあ」
「先輩は本気、なんだよね?」
「冴も往生際が悪いねえ」
「信じられないというより、信じちゃいけないという恐怖がなぜか胸の中にあって」
「確かに」
 大真面目な顔で頷いたイリちゃんは、次の瞬間、身を丸めて爆笑した。ひどいよ。
「うん、うまく言えないけれどさ、多分大切なのって、どれだけ水屋先輩が真剣かっていうことなんじゃないかな? 男女の違いとか、人の目とか、避けられない問題は色々あるけれど、何にも障害がない関係なんてないと思う。そういうことを忘れていない先輩は、結構恰好いいと思うな」
 楽をするために恋をするわけじゃない、とイリちゃんが笑った。
「それにちょっと見直したなあ。有無を言わさずその場で冴を連れ去り監禁するなんて、普通はできない」
「うん、トイレに……」
 私が今日の出来事を思い出して遠くを見つめると、イリちゃんが何だか意地悪な顔をして腕にしがみついてきた。
「で、どうなの冴。ちょっと気持ちが揺れたんじゃありませんか」
「ななな何を仰るのイリさんたら!」
「もう観念した方がいいと思う。その方が面白いし」
「友という言葉の中に今、裏切りを見たよイリちゃん!」
「祝福するから」
 ひひひひひ、とイリちゃんがとんでもない笑い方をして、乾杯の真似をした。
「私は久能先輩のことがっ」
「またまたー。本人よりも周りの方が見えていることもあるわけですよ」
 私はさっきのイリちゃんのように、奇声を発しながらごろごろと部屋の中を転がり回った。あーこれは夢で、幻で、神様の悪戯なんだ、そう思いたい。
「私のことよりイリちゃんはどうなのっ、博司さんと何があったの!」
「ぐふぅ、冴ったらそんな反則技をいつ覚えたの。口答えするような子に育てた覚えはありません」
 私達は思わず睨み合ってお互いの出方を窺った。
 イリちゃん、そんなに博司さんと仲が悪いのかな、と少しだけ謎に思った。でも最近、博司さんは頻繁にイリちゃんと戯れているなあとも思う。イリちゃんの疲労度がだんだん増してきているのもちょっと気になる。
 私達の怪しい攻防戦は、イリちゃんが繰り出した不吉な一言で決着がついた。
「冴がオチル方に、百万円」
 イリちゃん、お願いだからその微妙に勝ち誇った顔はやめてね。

●END●


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