暗翼船の月下石・前編

この話は、20万ヒット時に秋斗さまよりいただきました「笹良とガルシアを主人公に幻の宝石を探す&どこか食い違いつつも甘々でラブラブな二人」というリク番外でございます。秋斗さま、リクエストありがとうございました。



「ササラ? なぜ不貞腐れている?」
 うるさい。
 笹良は今、ガルシアが普段使用しているベッドの下に潜り込み、隠れていた。
 あっさりヴィーに居場所を見破られ、ガルシアに報告されてしまったが。
 ベッドの下から絶対出てやるものかと断固とした意志を覗かせて抵抗したため、ヴィーは無理矢理引きずりだそうとはしなかったが、その代わりに姑息にも海賊王を呼びつけたのだ。よくも密告したなヴィーめ、あとでとっちめてやる。
「おいで」
 嫌だ。出るものか。
 笹良はいたくご立腹中だ。なぜなら、ジェルドが!
 ヴィーの弟、パンク風なイカレ兄ちゃんが、笹良の居眠り中に乙女の大事な髪の毛を一房、無断で切ったんだぞ! 許せん。大体、ボディーガードのヴィーは何をしていたのだ。神をも恐れぬ弟の愚行から、身を挺して笹良を警護するのが護衛の任をいいつかったヴィーの一番重要な仕事じゃないかっ。
 くそー、ガルシアに告げ口してやりたいが、もし余計なことを言いつけたりしたらヴィーやジェルドが半死状態まで拷問されそうなので、それはさすがにできない。何しろガルシアにはグランやカシカを徹底的にお仕置きしたという空恐ろしい前科があるし。平気な顔で腕とか足とかを斬り落とせと命令しそうだ。海賊船が殺戮の場と化すこと、間違いないだろう。
 という事情により、笹良はどこにも八つ当たりできる場所がなく、鬱憤ばかりが溜まりに溜まって消化不良状態なのだった。ベッドの下に隠れる以外の有効な抗議方法が見つからない。
「うーうー」
「唸らずに。ほら出ておいで」
 しばらく不毛な睨み合いが続いたが、笹良が頑として譲るつもりがないことに気づいたガルシアは、卑怯卑劣にも実力行使という手段を選択した。日本語で暴言を吐く笹良を、無理矢理寝台の下から引きずり出したのだ。
「こら、暴れるな」
 このっ触るな、引っ張るな!
 容易く諦めて白旗を振るつもりなど毛頭ないため、徹底的に反撃しようとその辺にあったクッションや手鏡や杯などをガルシアに投げつけた。動作が機敏なガルシアは器用に投げつけられたものを避けつつ、苦笑していた。小癪な!
「遊んでほしいのか?」
 この状況を見て、どうしてそういう平和な結論に辿り着くのだ! 聖戦とは思わないのか?
「かまってやらないから拗ねているのだろう?」
 馬鹿!
 お気楽海賊王め。
 笹良は部屋中を逃げ回り、最大限に暴れた。扉の前に立ってこちらの様子を窺っていたヴィーが呆れた視線を寄越してきたが、もとはといえばそっちの職務怠慢が原因なんだぞ、心底反省してほしい。
「危ないぞ、ササラ。あまり暴れると――」
 ガルシアの警告は、ちょっと遅かった。壁際へと逃亡を果たした瞬間、一際大きい波の上に船が乗り上げたらしく、ぐらっと揺れたのだ。咄嗟には崩れた体勢を立て直せず、ぎゃっと悲痛な悲鳴を上げながら壁に激突し、更には飾られていた絵画の額縁へ後頭部を思い切りぶつける羽目になった。
「ううううう!」
 痛い。もの凄く痛い。涙目になりつつ頭を押さえて屈み込む。揺れるし痛いし怖いし。ひどすぎる仕打ちだ。
「ほら、言っただろう。耳を貸さぬからだ」
 近づいてきたガルシアが少し笑って、笹良の頭を撫でた。余裕を見せるその態度が無性に許せなくなり、ついばしばしばしっとガルシアを叩いて差し出された腕から逃れようとした。
 んん?
 足元に落ちていた古い紙きれが目にとまった。額縁にぶつかった瞬間、その裏からぽろっと落ちたらしい。
 何だろ。
 不思議に思って、その古い紙を拾い上げた。絵画の裏に隠しているなんて、すっごく怪しい! 何だガルシア、もしかして誰かからラブレターを貰い、人目のつかない場所に隠していたとか。見てやる。
 ガルシアの了解もなしに、笹良は勝手に紙切れを覗いた。
 んー……?
 地図? よく分からないが、ラブレターじゃないことは確実のようだ。船の内部構造を記しているようであり、何か道順を示しているようであり。
 しげしげと紙切れを眺めていると、笹良の背後に立ったガルシアが抱きしめるように腕を腰へ巻き付けてきた。ガルシアは身長差を活かして、背後から笹良の手元を覗き込んでいるようだ。
「ああ、そんなものがあったな」
 何、これ。
 問いかける意味で振り向きちょっと見上げると、ガルシアがくすくす笑った。そして、腰に巻き付けていた両手を笹良のお腹の前あたりで軽く組み合わせた。
「月下石の在処を示す地図さ」
 そんなわけの分からないことをガルシアは言った。背中がぴたりとガルシアの身体に当たっていたので、紡がれた言葉が笹良の中へ振動しながら染み込んだ。
 笹良は身体の前に回されたガルシアの腕を軽く掴み、詳しい説明を求めた。
「月下石。人魚の娘が落とした涙といわれる、まあ、幻の石だな」
 ガルシアを仰ぎ、ぱちぱちと瞬いた。
「これは暗翼船と呼ばれる船の内部を描いたものだ。この船内に月下石が隠されている」
「ガルシアー」
「何だ?」
 よし。
 笹良は一つ、頷いた。
 現在大いにご立腹中ではあるが、特別に許してやらないこともないぞ。
「何か企んでいるな」
 その月下石、いただいてやろうじゃないか。
 笹良に献上したら、今までの非礼、無礼、その他、数々の失礼な仕打ち、寛容な心で水に流してやろう。
 石、持ってこい。
 僅かに顔をしかめているガルシアに、身振り手振りを交えつつ地図を指し示し、「石、取ってきなさい」と命令した。
「あのな、ササラ」
 うるさい、言い訳、屁理屈、泣き言は一切却下だ。
 石を取ってくるまで、口をきいてやるもんか。
 そうだ、本物の海賊ならばお宝の一つや二つさっさと強奪して乙女に回したらどうなのだ、などと犯罪的な物騒極まりないことを考えつつ、にやっと笑った。
 お宝だ。宝。
 人魚の涙、なんて素敵ではないか。
「何だ、宝石が欲しいのか?」
 む。他の物をちらつかせて、誤魔化そうとしているな。
 この月下石とやらじゃなきゃ駄目っ、と身振りで我が儘を伝える。ふふん。困らせてやれ。
「やれやれ、困ったな。月下石が幻といわれているのはな、誰も手に掴めぬためなのだが」
 海賊王のくせに宝を前にして尻込みするとは何事だ! そんなことじゃ立派な悪人にはなれないのだ。目指せ、海上の大盗賊。
「仕方がない子だね」
 ガルシアは苦笑混じりに吐息を一つ落としたあと、笹良の頭を再び撫でた。
「ヴィー、航路の確認を」
 ヴィーは敬礼のような仕草を見せて了承したが、笹良は気がついたぞ。一瞬、天を仰いだな。
 
*****
 
 というわけで、ガルシアの海賊船は笹良の無謀な願い通り、幻の石を乗せた暗翼船を追い求めた。
 途中で海底の磁場が乱れたりして航路が狂ったが、ガルシアによると暗翼船に接近している証拠なのだという。しかし肝心の暗翼船は二日経過しても影も形も見当たらなかった。全然暗翼船に遭遇できないじゃん。
 笹良はガルシアの影に隠れつつ、海を睨んだ。
 海のくせに、反抗的だっ。
 
*****
 
 三日目の夜に状況が一変した。真夜中、世界中の乙女達が素敵な夢の花園で戯れている時刻に、笹良はヴィーの無慈悲な手によって無理矢理目覚めさせられた。
「んんんー」
「冥華、起きろ。王がお呼びだ」
 嫌、嫌、と笹良は半覚醒の状態で不機嫌に首を振った。眠い。動きたくない。
「暗翼船に追い付いたぞ」
 笹良は幸福な夢の世界へ旅立つ予定があるから、明日にしてってガルシアに伝えて。そのナントカ船は、とりあえずロープで繋ぐとかで確保しておいてさ。
「起きな」
「うー」
 笹良は抵抗して、枕にしがみついた。眠いもん。
 あまりの寝汚さにヴィーが溜息をついていたが、笹良の意識の半分はふわふわと夢の中に戻りつつあった。
「我儘な冥華様だ」
 ぐー。
「……全く」
 笹良は枕を抱えて、丸くなった。おやすみ、ヴィー。
 と就寝の挨拶を心の中でした時。
 前置きもなしに、枕ごと抱え上げられてしまった。
「ううっ?」
 ヴィーは顔をしかめつつも笹良から枕を引き剥がそうと苦心していたが、途中で諦めたようだった。枕を放さない笹良を、無造作に肩へ担ぎ上げたのだ!
 睡眠妨害された腹いせとして派手に暴れたが、ヴィーには全然通用しなかった。
 ああ真夜中。
 か弱い繊細な乙女はこうして夜中に、野蛮な海賊に攫われるのだ。
 夜は危険に満ち溢れている。
 
*****
 
 甲板の端に立つガルシアのもとへ強制連行された笹良が、まず取った行動とは。
 無論、ガルシアに八つ当たりだ。
「眠い! 笹良、戻るっ」
「おや、月下石が欲しいのだろう?」
 明日でいい!
「年頃の娘は、危険と冒険を好むものだからな」
 睡眠の方が好きだっ……うん?
 危険と、冒険?
 その台詞に不審なものを感じて、まじまじとガルシアを見上げる。夜の気配に包まれた潮風が、ガルシアの髪を軽く乱していた。
 あのー、笹良、別に危険なんて欠片も望んでいないけれど。
「さて。乗り込むか」
「えっ?」
 驚愕の声を上げた瞬間、今度はガルシアに抱き上げられた。まさか、笹良も道連れにするのか。
「何っ?」
 ちょっと待とうよ。笹良は全然乗り込みたくない!
「石を取りに行くだろう?」
 いや、遠慮する。ガルシア、取ってきて。
「遠慮するな。――ああ、そうだ。暗翼船は、別名で骸骨船と呼ばれているのだが、その理由を説明していなかったな。船の構造が骨を連想させるという説もあるが、何のことはない。死んだ船員の骸骨が昇華されずにさまよっているためさ。ゆえに、夜中でなければこの船には近づけぬ」
 ば、馬鹿ー!!
 笹良は絶叫した。そんな重大な情報は先に教えるべきだ。というか、この瞬間までわざと黙っていたな、ガルシア。
 笹良は必死に逃げようとした。ヴィーにも勿論、助けを求めた。が、薄情なヴィーは、軽く肩をすくめただけであっさりと素知らぬ振りをした。しかもこっちが油断した瞬間を見計らっていたのか、すっと枕を取り上げられたのだ。
「あああああーっ!!」
 笹良の悲痛な悲鳴が、夜の海に響いた。
 
*****
 
 笹良とガルシア、ヴィー、ゾイとジェルド、たった五人で、骸骨船にロープを渡して乗り込む羽目になった。
 嫌だ。何だこの船。足を乗せただけで即座にぼろぼろっと朽ちそうだ。
 ガルシアの腕から下りた笹良は、しばし呆然と船内を見回した。湿り気を含んだ黴臭さに息が詰まる。
 もう何て言っていいのか、典型的な骸骨船だった。ばかでかく、床の至るところに穴が空いていて、古いなんてものじゃない。その上、月明かりがあるというのにえらく重苦しく陰気な感じだ。なぜか微妙に霧がかかっているため、全体的に不透明で不吉極まりなく迫力満点なのだ。おどろおどろしい光景を前にして、笹良は既に逃げ腰だった。これで幽霊が出現しない方が、むしろ異常に思うだろう。尋常じゃないこの凍える冷気、いや霊気。戦慄の序幕。ガルシア、悪いことは言わないから海賊船に戻ろうよ。いや、せめて笹良だけでも安全な海賊船に戻してほしい。
 自分で言うのもなんだが、笹良が同行しても役に立たないどころか、むしろ足手まといになること確実だ。客観的、主観的の両面から明言しよう。こういった場所で、笹良が活躍できる確率はゼロだ。期待しちゃいけない。
「この船は奇妙でな、内部が迷路になっている。それほど広くはないのに、果てがないのさ。無限に通路が続く上、無数の船室が並んでいる。興味深いだろう?」
 どこがだ。
「地図はそのために必需品なのさ。一つ通路を誤れば、永久に抜け出せぬというわけだ」
 ガルシア、それは笑い事じゃないと思う。
「さあ、行くか」
 嫌だー!
「ササラ、静かに。大声を出すと魔物が寄ってくるぞ」
 ガルシアが低く囁き、盛大に喚こうとした笹良の口に指を置いた。
 怖い。行きたくない。大体、先程から錆びた扉が開くような奇妙な金属音とかが聞こえてきて、恐怖倍増なのだ。
「抱き上げてほしいか?」
 からかうようにガルシアが言った。
 ううっ、ここで弱みを見せればガルシアの思うつぼだ。後々、もの凄くいびられて、無理難題を押し付けられるかもしれない。
 笹良は勇気と意地を総動員して、平気だという顔を作った。……置き去りにされては困るので、ガルシアの服の裾はしっかりと掴んでいたが。
 ガルシアは喉の奥で笑って、行こうか、と出発を告げた。
 
*****
 
 おかしい、絶対に空間の摂理を無視している、この船内。
 こんなに広いはずはないのに、やたらと通路がくねくね続いているのだ。ここはミステリーゾーンなのか?
 おまけに、どう考えてもありえない動物の骨や血の跡が残る壁が、必死に気を逸らそうとしている健気な笹良の目に映る。この船を遊園地のお化け屋敷として転用すれば、きっとたちまち大盛況だ。自信をもって推薦する。
 この異様に大きな蜘蛛の巣は何なのだ? たかが糸の分際で自己主張して通路を塞ぐんじゃない!
 ああ笹良、泣きそうだ。
 だって怨霊の雄叫びみたいなえらく恨みがましい唸り声とかが聞こえる!
 更に言えば、時々、黒い影みたいなのが視界の端にちらちらとよぎる!
 こんな恐怖の通路を、ジェルドは愉快そうに先頭を切って歩いているのだ。こいつは絶対、頭がおかしいっ。
 ジェルドの次にゾイ、そしてガルシア、笹良、後尾にヴィー、という順番で進行している。ゾイとヴィーが松明を掲げているが、その明かりだけでは全く禍々しさを振り払えない。
 笹良は降参して、ぎゅっとガルシアの腰帯を引っ張った。
「ガルシアー」
 両手を必死に伸ばすとガルシアが振り向き、微笑を浮かべて抱き上げてくれた。せめてこの船から無事脱出するまでは大人しくしていようと笹良は姑息な誓いを立てた。
 それにしてもジェルドの趣味は絶対理解できない、いや共感できない。
 突然屈んだと思ったら通路の隅に転がっていた頭蓋骨を手に取り、しげしげと観察し始めたのだ。
「随分古い骨だなあ」
 そんな気色の悪い物に触るんじゃない! ぽっかり空いた眼窩からにょろりと虫が這い出ているのが見えないのか。
 待て、それをどうする気だ。まさか持ち帰るのか? 死体コレクションでもしているのか?
 内心で様々な嘆きの言葉を叫びつつ、笹良とガルシアご一行は地図をもとに長々と船内を歩き回った。
 
*****
 
「ああ、この部屋だな」
 地図を確認したガルシアが、とある赤塗りの扉を指差した。扉と言ってもかなり腐食がすすんでいる上、色褪せていたが。
 ジェルドが乱暴にその扉を蹴り開けた。ぼすっと変な音がして扉が内側にへこみ、崩れ落ちた。
 うん?
 笹良はガルシアにしがみつきつつも恐る恐る船室全体を眺めた。女性が使用する鏡台やタンス、ベッドなどが置かれている。そのベッドの上に、両手で掴めそうなくらいの小さな宝箱があった。
「ササラ、あの中だ」
 一瞬、恐怖を忘れて大いに喜んだ。宝物発見だっ。
 ぴょん、と笹良はガルシアの腕から飛び降り、ベッドに駆け寄った。
 埃塗れの宝箱を手に取って蓋を開けようとしたが錆びていせいか、びくともしない。鍵がかかっているのかな?
 手強い箱だなと眉をひそめた時だった。
「冥華!」
 注意を喚起するヴィーの鋭い声が響いた。それと同時に、ガルシアに勢いよく襟元を引っ張られる。ぎゃっ、何するのだ!
 体勢を大きく崩してベッドの側に転倒した笹良の頭上で、白い閃光が走った。いや、閃光じゃなくて、白刃。
 ――ぎゃー!!
 出た。
 とうとう登場したのだ。
 怨霊ならぬ幽霊海賊が!
 ガルシアが引っ張ってくれなければ、笹良の身体は真っ二つに裂かれ、あの世へ旅立っていただろう。ざわっと鳥肌が立ち、血の気が引いた。
 死神ロンちゃんを更に凶暴にして邪悪さをプラスしたような姿の幽霊海賊が両手に携える長剣を大きく振り上げ、再度こっちに斬り掛かろうとしていた。
 笹良が悲鳴を上げると同時に、ジェルドが出鱈目な強さを発揮し、幽霊海賊を叩きのめした。
 つ、強いな、ジェルドっ。とこの時ばかりはジェルドを応援してやった。
 しかし、幽霊海賊も一筋縄ではいかない。幽霊なだけに、退治できないのだ。
 ジェルドの攻撃で一旦は脆く崩れ落ちたのに、見る間に骨が復活して起き上がってくる。
「さあ戻るぞ」
 緊迫した状況でも呑気に響くガルシアの一声で、ゾイ達が動き出した。
 ガルシアが腰を抜かす笹良を素早く担ぎ上げ、撤退の合図を出して船室から脱出する。
 通路には――先程までは気配しか感知できなかった無数の幽霊海賊が、凶器を手に待ち構えていた。

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