she&sea 87

「——興味深いものだ。一度は生け贄として切り捨てた娘だろう。それが生きて戻ってきたんだぞ」
 気配を殺して静観に回っていたアサードが、ふいに気障モードの口調で横やりをいれてきた。
 そもそもはアサードとジェルドの口論が原因だったか。しかし途中からすっかりアサードの存在を彼方へと追いやっていたので、笹良は本気で驚いた。
 アサードは片手を腰に当て、他人行儀な冷ややかさを滲ませながらも面白そうに笹良たちを見ている。
「なのに再びの供物とはせず、仲間として迎え入れるのか?」
 お父様め! かなり気にしていることをずばっと遠慮なく指摘するんじゃない。噛みつくぞっ。
 怨念こめつつ力一杯睨むと、アサードは、花も恥じらう可憐な笹良に対して優しさと服従度が激しく不足していたと気づいてくれたのか、態度をやわらげて苦笑した。それで、詫びの一言でもいれてくれるつもりらしく、こっちに一歩を踏み出す。
 ところがだ、クールな顔とは裏腹にジェルドに次いで特攻隊長的性格をしているっぽいオズが、むずっと笹良の肩を掴んだ。前に出てアサードの真正面に立ち、牽制する。
 ぬ、オズくん。以前にも思ったが、力の加減をしてほしいというか、馬鹿力すぎるというか。笹良は華奢で繊細な乙女なのだぞ。そんなにでかい手で乱暴に肩をつかまれると痛いではないか。本人にまったく悪気がない、むしろ笹良を庇う行動なんだろうと推測できるだけに、説教することもできぬのだ。
「王の決定により、不本意ながらもあんたは一時的な協力者となった。いかに認めがたくとも、目的を同じくする期間の揉め事は望まぬ。立場をわきまえ、不思議の姫にはかまうな」
 これこれこれオズくん。冷静な口調ながらもさりげなく本音がダダ漏れだ。その鋭い琥珀色の瞳にも殺意が充満している。はっきりいって、これがもし笹良に投げつけられた台詞だったら間違いなく喧嘩を売られたと判断し、怒りのままに応戦するぞ。
「おまえに命じられるいわれはないな。それに、この娘には個人的に借りがある」
 アサードもひねくれた答えはやめて、大人なら穏便にかわしやがれ。
 今は詰られっぱなしで業腹かもしれんが分の悪い他船の上だ。とりあえず忍耐の訓練だとでも思って、表面上は愛想良く振る舞いつつ恙無く過ごし、忘れた頃に百倍返しで闇討ちすればいいではないか。こう、一息にぐさっとヤルのではなく、まずは周りの人間からじわじわと苦しめて窮地に追い詰め、恐怖心を限界まで煽りもして……などと笹良はつい卑怯な作戦をひっそり伝授しそうになったが、だめだ、オズを成敗してどうするのだ。
「なにせ幾夜も二人きりで過ごしたな、お姫様」
 アサードに、無駄にお色気たっぷりな微笑で見下ろされた。不覚にもどきっとしてしまったが、待て、ものすげえ誤解を招く発言をするんじゃない! 笹良をからかって鬱憤を晴らそうとしているな。
「不思議の姫」
 アサードの台詞に慌てふためく笹良を見て根拠のない虚言ではないと判断したらしく、オズは驚きとお咎めの視線を寄越してきた。こ、こらっ、邪推しちゃならぬ。その冷酷な眼差し、さっきのジェルドにほんと似てるぞ。
「違う違う。笹良、白衣の天使になって手当てをして、邪念溢れるアサードを改心させただけ」
 おんぼろ幽霊船で過ごしたサバイバルの日々を懐かしく思い出しつつ真顔で説明してみたが、乙女の心を解さぬ不粋な者たちめ。怪訝そうにしたり遠い目をしたりと、なんなのだ、その反応。
「憎たらしい口だな、まったく……」
 ふー…とアサードに溜息をつかれた。
 あんまり笹良を侮ると皆の前で再びお父様発言するぞ、と脅す目的でアサードを見上げたら、こっちの思惑を正確に察したらしく、非常にえらぶった笑顔を向けられた。鼻で笑うような、挑戦的な表情ではないか。
 だめだこれ、笹良の威光をものともしていないな。今きっちりとシメとかねば、ますます調子に乗るに違いない。大人げないオトナなんて、かわいくないのだ。
 態度極悪のアサードと火花を散らした瞬間、オズに片手でがつっと目を塞がれた。
 だからですねオズくん。
 何度もいうが、力の加減、力の加減。目を塞ぐときは春風の囁きのごとく、そっと優しく覆ってほしいのだ。まるで顔面を分厚い辞書ではたかれたような衝撃を感じたぞ。
「不思議の姫、男を手懐けるのが女の性なのだとしても。その安易な親しさは好まない」
 オズは強張った声で小さく言った。さっきは理性的にジェルドをとめていたくせに、ここでまんまと腹を立ててどうするのだ。大体、今の笹良とアサードを見て、いったいどのあたりに親しさを感じ取ったのか。逆に寒風通り抜けるくらいひえびえとしていたぞ。
「安易な親しさではない。それなりに深い繋がりができたと思うが。なあ?」
 ふふ、とアサードが、これぞ大人の余裕という魅惑的な微笑を見せた。甘い関係を匂わせるような、乙女の教育上よろしくない笑みだ。
「……立場をわきまえろといったのに。言葉ではわからないか」
 オズが苛立ちもあらわに低く呟いた。
 まさか今度はオズとアサードの決戦が始まるのか、と慌てたときだった。
 横からぐいっと、誰かに腕を引っ張られた。この場面で笹良の腕を遠慮なしに掴む者といえば、当然アサード——ではなかった。
 見上げた先には、青い海賊王。
「……ガルシア!?」
 笹良は目を疑った。オズもアサードも、突然現れたガルシアをちょっとびっくりした顔で見ている。
 ガルシア、なんでここに。ふてくされて部屋に閉じこもっていたんじゃないのか、というよりも笹良を追い出した張本人のくせに……。
 もしかして笹良が扉の前から消えたことに気づき、探しにきてくれた?
「俺の冥華は、どうも海賊どもを掌握するのが大変に得手であるらしい」
 ガルシアは薄く笑って、頬にかかった青い髪をさらっと指で軽く払い、二人を見据えた。もう片方の手で、笹良の腕をきつく掴んだまま。
「ササラ。おまえ、希代の娼女になれるかもな?」
 馬鹿者っ、希代の乙女と言えっ。
「不可思議なものだ、美貌も知性も巧みな話術も持ちえぬというのに、皆をこうまで嬲り尽くすとは」
 抹殺されたいのか? 第一、皆に嬲られているのは笹良のほうだ。実際にさっきだってジェルドに絞殺されかかったぞ。その前は生け贄にされたしさ。散々ではないか。みんな、それぞれの非道な所行を思い出して、本気で笹良に詫びをいれるべきだ。簡単には許してやらんが。
「まったくわからない。なぜそう……」
 ガルシアの、怒りなのかそうじゃないのかよくわからん感情が入り乱れる横顔に、ふと気を取られた。
「おまえ、人を狂わせる魔の化身なのかな。ことごとく思い通りにはならぬ」
 笹良の腕からやっと手を放し、こっちに向き直って軽く溜息をつく。絵に描いたようなしかめ面を見て、笹良は瞬いた。
 これまでの、どこか倦んでいるような老獪な空気が、ガルシアから消えている。
 感情を思うがままに制御できず、戸惑い、立ち尽くす、その人間的な姿。外見の年齢通りにだ。
「ああ、それだ。その目。王たる俺と対等なのだと主張するその眼差しが憎い」
 また、腹立たしそうに横を向きながらも、どうにも無視できないという感じで再びちらっと見下ろされる。
「俺は軽んじられているのか? いや、違うのか。まさか胸の奥まで見通そうとでも?」
 ガルシアが威嚇するように笹良の額を人差し指でつついた。笹良はちょっぴりゆらっとよろけた。するとガルシアは、「ざまみろー」という淡い微笑を作りながらも、反撃を本気で用心しているような雰囲気を漂わせる。
「ねえ、ガルシア、あのさ…」
 呼びかけたあとで、不用意な発言をしてガルシアのこの表情を失いたくない、と思った。
 今、ガルシアはなんて、ただ一人の「青年」として見えるのか。
「……なんだ、ササラ」
 すべてのものに対し不器用で、とても不器用で、そのことに怯え、身構えずにはいられない。不機嫌さと狼狽を隠しきれず、意固地になって道を間違ってしまう青年だ。頼りないけど輝かしくて、なんだか生き生きしている。どんな感じの未来を送るのかとつい楽しく想像したくなるような。普通の人と同じように。
 ——未来。笹良は目を見張った。ガルシアの未来に、希望と期待が溢れる鮮やかな日々を、思うなんて。いや、「未来」を思わせること自体が、きっとすごいことなのではないか。気の遠くなる月日、心を止めてしまっていた人だから。
 この変化をもたらしたのは、笹良だろうか。
 笹良なんだろうか。
 確かめたい、知りたいと思う。だからおずおずと手を伸ばした。ガルシアに触れようと。
 途端、ガルシアが敵を前にしたかのようにぎゅっと眉を寄せ、唇を引き結んで笹良を見る。空気まで硬くするほど全身で警戒していながらもなぜか逃げ出さない獣のようだ。どこかに好奇心がある。未知のものに向ける、抗いがたい好奇心。偽りのない眼差し。
 あともうちょっとでなにかがわかりそうな、そんなときだった。
「——王?」
 白昼夢が叩き割られたような瞬間だった。笹良だけではなくなぜかオズたちまで息をつめていたみたいで、突如割り込んできた、ガルシアを呼ぶ声—−ゾイの声だ——に全員、同時にばっと振り向く。
 予想通り、少し離れた場所にゾイがいた。笹良たちの過敏すぎる反応にいささか面食らった様子でこっちを見ている。
「すみません、邪魔をしましたか」
 どうやらガルシアになにか相談があったらしいゾイは、珍しく困惑を明らかにして笹良たちを順繰りに見回した。
「いや。来い」
 ガルシアは端的に告げてゾイを呼び、また船室に戻るそぶりを見せた。ほんの一瞬前までの、透明さに満ちた気配はすでに掻き消え、いつものように人を食った周到な殻に覆われている。
 しかしだ。
「……うぬっ?」
 ガルシアは船室に戻るついでといった無造作な仕草で、笹良の襟首を引っ掴んだ。ガルシア、ちょっと! 引きずってる、笹良のこと、ずるずると引きずっているぞ!
 ガルシアのあとに従うゾイも、不自然な流れで置き去りにされるオズたちも、なんだか信じられないものを見たという顔をしていた。笹良は当初の目的である、アサードに別れの挨拶、を思い出した。昇降口の蓋でアサードの姿が遮断される寸前、笹良はこっそり手を振った。
 
●●●●●
 
「……って、ありえねえ!!」
 笹良はやさぐれ、全力で叫んだ。
 通路でだ。
 そう、ガルシアめ。笹良をずるずると船室まで引っ張っていったくせに、なんとゾイだけを室内にいれたのだ。笹良のことは通路にぽいっと閉め出して。
 どういう嫌がらせなのだ、これ。笹良を怒らせて遊びたいのか?
 船室の扉の前で躍動感たっぷりに蠢き、唸ってみたが、横暴なガルシアが姿を見せる気配はない。
 どういう方法でガルシアに復讐するか、大真面目に策略を巡らし、数パターンを考えついた頃。
 気難しげな顔をしたゾイが部屋から出てきた。通路の脇でうっそりと邪悪な念をまき散らしつつ正座をしていた笹良に気づくと、一瞬驚いた表情をしたが、すぐに嫌そうな態度で溜息をつく。
「なにをやっている」
 ガルシアに対する無言の抗議のため、正座中だ。見えぬのか、この研ぎすまされた怒りの気配が。
「立て」
 嫌だ。
「冥華、ほら」
 頑なに拒否していると、呆れまくったらしいゾイに腕を掴まれ、立ち上がるよう強要された。ゾイの性格上、しつこく笹良をからかったりはしないはずなのに、今日はどういう心境の変化なのか、腕を掴まれた状態で至近距離から念入りに観察される。いや、心境の変化もなにもないか。ヴィーやガルシア同様、予期せぬ笹良の出戻りについてを心底不審に感じているんだろう。
「ゾイ……」
 以前と変わらず清楚な乙女であることを強調するため仕方なしに怒りの気配を消し、儚く目を潤ませて見つめてみた。なのにゾイは、これっぽっちも笹良の努力をわかっちゃくれなかった。本気で眉を寄せられたうえ、力一杯頬をつままれてしまう。なんなのだ、この仕打ち。
「偽者であれば話は早いというのに。認めたくないが、本物の冥華だな」
 なにをもって本物だと確信したのか、ぜひ聞きたい。
「にしてもおまえ。王をあれほど動揺させるとは」
 いやあ、それほどでも。
「王のために、再び海に沈めるべきか。生かすべきなのか?」
 生かす方向にすべきだ。
「そもそもどういった手段で蘇った」
 乙女とは、秘密を煩悩の数以上に抱えるものなのだ。
「たかが小娘一人にこうまで海賊どもが翻弄されるとは。語り種にもなろうというものだ」
 乙女、イコール、神なのだ。ってか、ガルシアみたいなことを言うな、ゾイ。
 胸を張って「敬いたまえ」と厳かにのたまうと、またもや眉を寄せられ、額をはたかれた。不遜すぎる海賊に卑怯な攻撃を仕掛けたいという誘惑が芽生える。が、ここで万が一にも機嫌を損ね、海に沈めたほうがいいと判断されては困るので、今回は渋々、マジ不承不承、許してあげることにした。じゃれていないで、肝心なことをきかねば。
「ガルシアとなんの話をしたの? 笹良との再会を祝って、豪快にあることないこと全部聞かせやがれ」
 地味にゾイの腕をつねりつつ、楚々と無邪気な笑顔で問いかけてみた。またまた眉をひそめられてしまったが、今度は笹良の態度に呆れたわけではないらしかった。
「言葉が滑らかだな」
 乙女の成長は早い。見逃しちゃだめなのだ。
「不可解な流暢さだ。それはたやすい努力などで得られるものではない。まるで母国語のように違和感がない。なぜだ」
 す、鋭い! さすが野獣ハーレムのなかで一番知的な外見をしているだけある。
「清らかな心で学べば、どんな言葉もお手の物なんですよ、うふふ」
 内心焦りつつもオトメ笑顔で大嘘をつくと、両方のほっぺたを全力で引っ張られた。野蛮だ!
「もう! 暴力ふるった詫びとして、さっさと白状しやがれ! ガルシアとなんの相談? 対陸軍の戦法? 裏切り者の海賊も成敗しなきゃいけないんでしょ。でも敵軍のほうが絶対に総数は多いだろうし、装備的にも上だろうから、馬鹿正直に正面突破は無理だよね。ここはやっぱ、アッパレってなくらいに狡猾、卑劣な奇襲かけて総崩れを狙うとか、人質でもとって脅しまくるという、ひとでなし作戦を仕掛けるしかないと思うんだけれど」
 一部、乙女らしさの影すらないような言葉をぽろっとこぼしてしまった気がしなくもないが、ともかく。
 言っていることは間違いじゃないと思うんだけれど、どうだろう。もはや戦争に卑怯も正義もない。笹良はもう、死のむごさをまのあたりにした。勝てば官軍、それだけだ。生き残らなければ、正義を唱えることなどできない。
 不意打ちのようにジュエにあげたマフラーの色が蘇り、連鎖反応で島での戦闘をも思い出してしまう。笹良は密かに拳を作った。感傷的にとらえる余裕はまだない。というより感傷自体が、許しがたい。あの凄まじい光景を、絶対に、奇麗な言葉で取り繕いたくなんかないからだ。心を抉り、迸るような憎悪をもたらした地獄の時間だった。
 笹良は息を吐き、頭をぶんぶんと振って、気持ちを切り替えようとした。
 ゾイがなぜか複雑そうな顔をして笹良を見下ろしているのに気づく。なんなのだ?
「おまえ、いつの間にか海賊業に馴染んでいるな……。魔物に化かされてでもいるような心地になる」
 無礼発言に、笹良は条件反射でゾイをどついた。海に突き落としてやりてえっ。
 だが復讐されるかもしれんとちょっぴりおののいていると、ゾイはどちらかといえば柔らかめな苦笑を見せた。
「海上での戦いなど、限られてはいるが。とりあえずは船の修理をせねば始まらないだろう。それから仲間と連絡を取らねばな」
 あ、そうか。修理するには道具や材料が必要か。破損の程度がひどければ、船内に備えている資材のみでは修復が難しい。
 ということは。
「もしかして、どこかの島へ?」
 ゾイははっきり答えず、笹良の頬をかるーくはじいた。乙女の頬を気安く攻撃するんじゃない。さっきから笹良をいじりすぎだぞ。
「もしかすると、動かぬ王を動かしたおまえのような者が、滅びを覆すかけらのひとつになるかもしれない。時代の天秤はどちらに傾くだろう。興味深い」
 胡乱な目をする笹良にもう一度苦笑し、ゾイは立ち去ろうとした。しかしだ、実に珍しい、茶目っ気のある微笑で振り向く。
 なんなのだ。今、微妙に、悪戯大好きなジェルドっぽい雰囲気を感じてしまったぞ。
「王の、若者らしい姿をまさか見れようとは。室内にいるとき、通路にいるだろうおまえの様子をしきりに気にしておられた。こう、俺との会話など上の空でな。なにを聞いても、適当に頷かれるだけで」
「ガルシアが?」
 笹良は唖然とし、思わず船室の扉を凝視した。ガルシアが上の空で。
「驚くことに、俺は王をからかってやりたい気分になった」
「……実行したの?」
 耐えきれない様子でゾイは悪巧みの笑みを見せ、かすかにうなずいた。
「俺がわざとおまえの名を口に出せば、なんともな、王のあの表情!」
 ゾイは片手で顔を隠し、わずかに肩を震わせて悶えた。
「皆に見せてやりたいものだ。俺までこう、堪え難い心地になったぞ」
 すまんが、上の空になるガルシアよりも、人をからかうゾイのほうがレア感高い気がするぞ。って、どんな顔をしたのだ、ガルシア。
「いかな豪傑や英雄も、女はただ、眼差しだけで狂わせる。時代さえも手懐けて。恐ろしいことだ。ここはひとつ、機嫌をうかがっておかねば。その気のない俺とておまえにいつか、食い尽されるかもな?」
 本当、珍しい事態に、笹良は呆気に取られた。素直に笑うゾイの姿を目撃してしまったではないか。
 そうして本当に、本当に、珍しい。お遊び大好きなジェルドっぽく、笹良の片手をとって優雅に一礼、そこに口付けるなんて。
 
●●●●●
 
 ゾイの言葉をいまいち信用していなかったのだが、どうも嘘や大げさ表現ではなかったらしい。
 ありえん。まことありえぬ。
 廊下放置に焦れて、もう一回アサードのもとにきちんと別れの挨拶を告げに行こうと甲板に上がったら、妙にドスのきいた表情のガルシアが追ってきて、笹良をまた連れ戻したのだ。しかも、勝手にウロウロしていたことを全力で責める眼差しだった。
 くそっ、連れ戻すくらいならなぜ部屋に入れてくれないのだ!
 逆上して、ガルシアの部屋に無理やり押し入ったら、「邪魔」の一言で追い出される。
 もう知らん、ふて寝してやる、と笹良用の部屋に戻って立腹しているうち、さすがにこれまでの疲れもあって本気で寝てしまったのだが——。
 起きたらなぜだか隣にガルシアが転がっていて、腕枕されていた。
 ちっ……寝顔はなかなかよろしかった。かなりの……、とびきりの上物ってやつだ。ゴツデカ魁偉の野獣的海賊くんたちに埋もれた毎日を送っているせいか、なおさらガルシアが端整に映るんだろう。
 こういう、いかにも女慣れしてそうで自分の色っぽさも十分わかってて、なおかつ財産もたんまり隠し持っているに違いない男性から見れば、笹良なんてただの小娘でしかないんだろうなあ。いや、小娘だけどちょっとだけ異様さがある、って感じか?
 どちらにせよ、あんまり異性ってふうには見られていないだろうな。そうじゃなきゃ、こうも大胆に一緒の寝台に転がらないだろうし。意識してないから平然とできるんだろう。落ち込みそうだ。
 ガルシアが異性として「好みだ、美人だ」と思い、胸がおかしくなるような容姿になりたい。それが今の笹良にとっての、美人の定義なわけで……って、なんだこの恥ずかしい思考。自分的に破壊力ありすぎるぞ。くそっ。
 などと苦悩しつつも、ガルシアが目覚めて笹良に視線を注げば、確実に心拍数が上がってしまうし。
 しかしだ。気難しい海賊王め。
 二人きりでいるときは、話しかけても、ぷいっと無視されてしまうのだ。困惑して見つめると、むかっとした顔をされてしまう。
 周囲に人がいるときは、まだ普通かもしれない。以前のように感情の読めない微笑を浮かべ、笹良を翻弄する発言をかますし。
 でも、勘違いでなければ、笹良が他の人に近づくのを嫌がっているような気がした。
 とりあえず海賊船は今、ゾイの提案で修復作業に必要な資材を入手すべく、商船区域を目指しているとのこと。
 ガルシアに振り回されるうちに三日が経過し、明日には商船区域に入るという話だった。
 
●●●●●
 
 快晴の午後。
「船がいっぱい……」
 笹良はデカゴツ海賊船の縁から身を乗り出すようにして、きらきらと周囲を見回した。
 隣に並んだヴィーとジェルドが、期待で胸がいっぱいの笹良を見下ろす。甲板には、笹良たちだけじゃなく他の海賊くんたちもいて、喜びのまじる顔で海を眺めていた。
 晶船区域に到着したとのことで、前方には雪の結晶状に縄で繋がれた船がたくさん停まっている。それがまた、面白くて、船体がどれもガルシアの髪のように青い色。海上騎士団に見つからないよう、カメレオン的に擬態しているに違いない。
 そして、なんといっても形がかわいい! 
 屋形船系とか天幕系は見たことがあるが、こういう唐傘みたいな屋根をいっぱいくっつけた晶船は初めてだ。どことなく和風な感じっていえばいいのか。海域によって船の種類が違うんだな。
「晶船、行きたい……」
 だんだんと海嫌いを克服しつつあるこのごろだ。動き回りたいっていう欲望が活発化している。晶船と早く縄を繋いでくれないかな。
 むずむずしている笹良を、まだご機嫌斜めであるらしいジェルドがヴィーの背中に隠れつつ睨む。
「……冥華のばかばか」
 一緒にはしゃぎたいのを必死に我慢しているようなジェルドに、笹良は顔を向けた。
「ジェルド。むぬ。すまぬ」
「冥華って案外、男たらしなんだな。他の野郎に馴染むなんて……そんなの俺の冥華じゃない」
 ジェルドがぶつぶつと呟きながら、ヴィーの背中にしがみついた。笹良が横から覗き込むと、嫌がるようにヴィーの背中に顔をつける。ヴィーがとてつもなく億劫そうな空気を漂わせているぞ。
 しかし困った。ジェルドには悪いが、アサードには確かにいくぶん思い入れがある。それは否定できないことだ。お父様だもんな。男たらしっていうのは頷けないが。
「笹良、ジェルドと一緒に晶船を見に行きたい」
「……アサードと行けば?」
 本格的に拗ねてるな。
「ジェルドがいい」
 服を引っ張りつつ言うと、ジェルドがようやくこっちを見てくれた。笹良はそのおばかで単純なところが大好きだぞ。
「……ガキども。まず王の許可を得ろ」
 ヴィーが嫌そうに口を挟んだ。笹良とジェルドは、はっとした。そうか、笹良って好き勝手に晶船へ行くのは駄目かもしれない。
 ジェルドが再び不機嫌になり、両手でぐしゃぐしゃと髪をかき回した。ああっ、せっかく編み込みとか入れててかわいい髪型してたのに、めちゃくちゃになってるではないか。笹良もあとで、髪の毛変えてもらおう。
「……うるさい。もう、どいつもこいつも邪魔ばかり……!」
「ジェルド!?」
 突然、ジェルドに抱き上げられた。
 笹良はものすごく嫌な予感がした。
「おい!」
 ちょっと慌てた様子でヴィーが手を伸ばす。縋る思いで笹良も腕を伸ばしたときだ。
「すぐに戻るから、いいだろ! 晶船に行ってくる!」
 ジェルドが笹良を抱えたまま海賊船の縁に足をかけ——。
「ぎゃああああ!」
 ぽーんと、海のなかに飛び込んだ。

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