の町[16]

 通行所の兵士を解放したあと、シャルとキカは以前利用した娼館に向かっていた。
 賑わう市の中を従寄で進むのは厄介なので、少し遠回りになるが人気の少ない裏通りを選び、目的地を目指した。
「ガラフィーとは、娼館で言い争った呪術師のこと?」
 なるべくならば的中しないでほしい問いかけだったが、願いも虚しく、キカは当然という表情で頷いた。
「そうさ」
「ガラフィーという呪術師が奴隷商人の仲介を務めていると知っていたなら、なぜもっと早く教えてくれなかった?」
「恨みがましい目を向けるな。簡単に言うけれどな、このモルハイに不法の奴隷商人が一体どれほど存在するか知っているのか? 素人から玄人まで、モルハイの住人は条件と機会さえ合致すれば誰でも商人に早変わりするんだぞ。予言者でもあるまいし、お前の連れの子が誰の手引きで取引されるかなど、確たる証拠もなしに分かるはずがないだろう」
 言い含められて釈然としない部分はあるものの、シャルは大人しく引き下がった。
「俺がなぜ、ガラフィーが仲介をしていると知っていたのか不思議だという顔だな。簡単さ。店の娘から、ちらりと噂を聞いただけのこと」
 ちらりとねえ、とシャルは故意に皮肉な笑みを作り、キカに視線を投げた。
「だが俺はな、不法の奴隷市にはあまり深入りしたくなかったのさ。興味がないわけではないがな、不法の取引だけに一つ間違えば、二度と這い上がれぬ穴に落ちる。大金が動くから、新参者の客は誰かのつてでも頼らぬ限り、闇市には出入りできないぞ」
「分かっている。それにしても、面倒なほど仲介人や関係者を挟むものだ」
「それだけ首謀者は警戒しているということだろう。いざという時、末端を囮にして切り捨てられる。兵の手が伸びる前に証拠隠滅をはかり逃亡できるからさ」
「成る程ね。とにかく、まずはガラフィーの居所を突き止めねば」
 シャルが決意を固めた時、キカがなぜか大きく溜息をついて虚空を見つめた。
「今回のことでよく分かった。逆上したお前だけは敵に回したくない。余程その子供が大切なのか? 面倒を見ていると言っていたが、どういう関係なんだ?」
 余程大切なのかと他人に詮索されるのは予想以上に腹が立った。
「私を敵に回したくないんでしょう?」
「あのなあ」
「それよりも、ガラフィーの住処」
「お前に懐いた男娼、なんという名だったか。ハルヒ? その青年は、ガラフィーのお気に入りなんだろう。誰しも床の中では口が軽くなるものだ。それなりに貢げば、住居に呼ぶこともできような。何か知っているかもしれない」
 シャルも同様のことを考えたため、こうして娼館に向かっているのだが、正直、ハルヒを巻き込むのは気が進まなかった。一度客の情報を流したと知られれば、今後ハルヒは皆に疎外される恐れがあり、ひどく生きにくくなるかもしれなかった。
「言っておくけれどな、詮無い身の上に憐れみを抱こうが、所詮はモルハイの住人だぞ」
「キカは言い回しが本当に嫌味だ」
「お前は素直じゃないし、謎が多すぎる」
 文句を言ったら即座に文句で返された。
 
●●●●●
 
 時間帯がまだ早かったため、一度食事を取るなどして時間を潰し、日が暮れた頃、娼館の入り口をくぐった。
 それが通常のことなのか、またしても大袈裟な歓迎を受けたあと、以前と似たような狭い所に通される。卓上の準備をしに現れた女に、ハルヒを指名すると告げ、現れるまで酒を静かに飲みかわして待った。
 ところが、現れたのはハルヒだけではなく、年若い館主までも艶めいた笑みを浮かべて姿を見せた。これにはさすがに困り果てて、キカに目配せし、適当に誤摩化して追い返せと訴えたが、どうもうまく噛み合わなかった。
「前のお越しの時に、私が相手をさせていただくと」
 手管であっても切ない目で見つめられると、すげなく追い払うのは躊躇うものがある。
「悪いが、今日はただ、飲みにきただけで」
 暗に泊まる気はないのだと伝えたのだが、館主はたおやかな仕草でシャルの隣に腰掛け、陶然ともたれかかってきた。
「よろしいのですよ、こうしてまたお会いできただけでも無上というもの」
「ああ、うん」
 館主が隣に座ってしまったため、ハルヒは困った顔をしてキカの横についた。
 キカは何やら不貞腐れた表情を浮かべて、「ズルイ」と声に出さず口を動かしていた。馬鹿。楽しんでいるとでも思っているのか。
 肩にもたれかかっている館主の小さな顔を見下ろし、ふと思う。今日もまた片目が包帯で覆われている。
「目を痛めているの?」
「いえ、幼き頃の病が災いしたのでしょうか、こちらの目が不自由なのです。ゆえに気味が悪いとお客人に不快な思いをさせてしまうかもしれませぬため、このように隠しておりますが――醜悪でございましょうか?」
「いらぬことを聞いたね。気にしなくていい」
 などと無意味な会話を続けるのは、普段愛想が悪いという自覚があるシャルにとっては、なかなか負担になるほど骨が折れるものだった。そういう意味では、アヴラルは実に楽だった。なにしろ、八つ当たりできる。
 収穫のない無駄な時間を費やし、精神的な疲労を抱えて、そろそろ暇乞いをする頃を迎えた。立ち上がる時、キカと一瞬視線が交わった。シャルは自然に目を逸らし、先に館主を伴って、外へ出た。
 また是非立ち寄ってくれと館主に指を握られて内心冷や汗をかきつつ了承し、キカが早くハルヒから情報を聞き出してくれないかと切に祈る。この若さで色気がありすぎだと余計な考えを巡らして、アヴラルには絶対に見習ってほしくないと複雑な思いの中、強く結論をくだす。
 巧みな会話の中で何度も誘われ、かわすのに辟易した頃、ようやくキカが一人で出てきた。肩の荷が下りた思いで館主に別れを告げ、キカを伴ってそそくさとその場を去った。
 キカはらしくもなく、しばらくの間無言を通していた。
 従寄にまたがり、適当な宿を取って部屋に移動してから、深い目をシャルに向けてきた。
「それで、何か分かった?」
「ああ、まあ」
 どうも歯切れが悪い。
「何?」
「ハルヒは知っていたさ。ガラフィーの居所を教えてくれた」
「そう」
「だがな……」
 キカは言いかけて、目の前の虫を追い払うような仕草で緩く首を振り、口を閉ざした。憐れみと諦めが滲む意味深な眼差しに、不吉なものを感じた。シャルは先回りをして、重い口を開いた。
「分かっている。ハルヒを巻き込んだことは」
「それならばいい」
 やけにハルヒの肩を持つではないかと、溜息をついて寝台に横たわるキカの態度に少し驚く。
「今日の闇も深いことだ」
 と、キカは一言、ぽつりと告げた。
 
●●●●●
 
 翌日、早朝の内に宿を出て、ガラフィーが行動を起こすよりも前に住居へ訪れるため、慌ただしく従寄を駆った。
 ガラフィーは予想外に商人達が暮らす裕福層の区域の奥地に住居を構えていた。
 石材で建設された古い住居だ。少し離れた場所に従寄を置き、周囲に人気がないのを確認した後素早く建物の入り口に向かう。扉の上部に設置されている訪問灯の裏に、侵入者除けの呪札が貼られているのに気づき、シャルは舌打ちした。無断で中に押し入れば、対となっている札が燃え落ち、ガルフィーに伝わる仕組みだ。
 札を無効にする時間が惜しいと覚悟し、キカに頼んで、扉の鍵を剣の柄で壊してもらう。その間にシャルは別の術を駆使した。
 キカが一歩、内部へ足を踏み入れた時だ。
 ――引っかかった。
 シャルは俊敏な動作で建物の裏に回った。
「おのれ!」
 シャルが建物の周囲にはった風の結界に悪態をつきながら、八つ当たりするかのごとく呪力で生み出した松明のような炎を衝突させる男の背後へ、静かに接近する。
 シャルの気配を感知したらしい男が振り向いた。
 間違いなく、娼館で口論した険しい眼差しを持つ呪術師だった。
 
 
「俺を脅すか、だが吐かぬぞ」
 最初は実に威勢のよい態度で拒んでいたガラフィーだったが、数刻を費やしたシャルの責めに、とうとう屈服した。
「俺の出番がねえよ、シャル……」
 他人の無用な詮索を避けるため、ガラフィーへの追及は住居の中で行ったのだが、キカはその間傍観者に徹し、椅子に腰掛けていた。
「本当、容赦のない呪術師だ」
 キカの虚ろな賞賛に、シャルは冷ややかな視線のみを返した。蛇足だが、ガラフィーを従わせるために、風の入れ物に熱湯をはり、逆さに吊るした状態で数刻置いたのだ。呪力はシャルの方が強いが、ガラフィーは炎を使役するために媒体となるものを遠ざけて狭い結界に隔離した上で問いたださねばならなかった。
「その餓鬼ならば既に、奴隷商人の手に渡っている」
「では、奴隷商人の居場所を教えてもらいたい」
「知らぬ。互いの正体、住処を明かさぬのが、暗黙の了解というもの」
「知らぬですまされるとでも?」
「偽りを吐いてもよいのならば、いくらでも言おう」
「住処でなくともよい。渡りをつけてくれればそれで」
「無駄だ。仲介以外の用で再度呼び出せば、必ず警戒される。そうなれば、商人は行方をくらますだろう」
 キカの様子を窺ったが、ガラフィーの説明に同意を示して顔をしかめていた。
「ならば他に方法は?」
「何としてもその餓鬼を取り戻す気か」
 シャルは無言で先を促した。
「市の前に騒動を起こせば、皆手を引き、あんたの餓鬼は手の届かぬ遠方で売買される羽目になる」
「このモルハイで、奴隷市が開かれると?」
「俺がその餓鬼を預けた商人は、モルハイ出身の者だ。何より、このモルハイ以上に商品の売買に適した町があるか?」
「しかし、この町で攫った者を市に出せば、容易く足がつくのでは」
「愚かなことだ。モルハイの闇で開かれる市に参加する者達は、皆、遠方よりの豪族共よ。市そのものを別地で開催するとなれば、不測の事態に対処ができぬわ」
 客は遠方からの金持ちに限定されるということだろうか。
「誤解をしているのではないか。本来闇市で売買される奴隷は、貧しさゆえに自ら身を売るか、あるいは食い詰めた家人が我が子を差し出すというのが大半だ」
「面白い、私がいつ子供を差し出した?」
「はは! あんたの餓鬼は、そうとも、抜き出た容貌の美が災いした。年頃もちょうどいい。あの美ならば、通常の数倍の価値はつく。腐り切った豪族共が目の色を変えて購おうとする様が容易に浮かぶわ。上質の奴隷を用意すれば、次の取引でも優遇される。信頼とはこのように築くのさ」
 挑発だと察してはいたが、聞くに堪えない暴言に胸の内が色濃い怒りに支配され、一息に殺めてしまいたくなった。だが、通行所を警備していた兵士の時のように、過度な暴行を加える気になれなかったのは、口を割り始めたガラフィーがどこか達観した投げ遣りな雰囲気をまとわせていたためだった。
 シャルは苛立ちを飲み込み、平静を取り繕って再び尋問を再開した。
「ユージュという女も知っているはず。その妹も、商人に引き渡したのだろう?」
 ガラフィーは、胸が悪くなるような嫌な笑みを見せた。
「呪術師の出来損ないか。あぁ知っているとも。あの女にお前、相当恨まれているなあ」
 見当違いの妬みだとガラフィーに弁解しても、全く意味はない。裏切るなどもってのほかなのだが、どうもその卑劣な決断は金銭的な問題のみだけでなく、こちらに対する恨みの部分が大きく占めているような気がし、シャルには理由がよく分からずにいた。なぜユージュにそこまで憎まれなくてはならないのか。
「ユージュはどこに?」
 ガラフィーはしばらくの間、しつこく笑い続けた。室内が完全に嘲笑の気配に包まれ、こちらが毒を含んでしまったかのように頭が痛くなるまで、ただずっと低い笑いを漏らしていた。
「殺すか? こいつ」
 シャルよりもキカの方が先に焦れて、剣呑な目を向けてきた。
「そうか、お前の術なのだな。あの出来損ないの女にしてはいやに強力な防壁の術だと思ったが、そうか」
 シャルとキカは同時に、つり下げられているガラフィーへ視線を定めた。
「納屋に閉じ込めている。騒がしい女は憎い。殺すはずが、お前の術に阻まれたゆえ、守護の威力が消滅するまでのことと思い監禁していたのさ」
 納屋。年代物の住居の裏側――ガラフィーが逃亡しようとしていた場所に、そういえば木材で組まれた小屋があった。そこにユージュが閉じ込められているという。
 シャルが以前、ユージュの耳飾りに施した守護の術は未だ効力を保ち、どうやらガラフィーの術をも阻んだようだ。
 シャルは踵を返しかけたが、ふと振り向き、こちらの行動を見ていたらしいガラフィーに視線を投げた。
「お前は殺さない。子供を取り戻すにはお前の協力が必要のようだ」
 ガラフィーはまた先程のような、ひび割れた低い笑い声を漏らした。
 シャルとキカが部屋を去り、通路に出てまでも尚、その声は呪詛のように響いていた。
「同じことだ! ここでお前に殺されなくとも、いずれ同業者に潰される。破滅だ、分かるか? どちらに転がっても俺の身は破滅する。ははっ、俺から安穏を奪ったその手で、いかなる命を拾い上げるのか? なあ我が友よ、大層気分が高揚したであろうな、娼館にてこの俺を多衆の面前で蔑み、叩き潰すまでもなく格の違いを見せつけた時は。何とも痛快であったろう、己の力を示し他人の誇りに唾して屈辱の色に染め変えるのは、まさに鮮烈な愉楽! 男娼などを庇うお前は英雄で、俺は戦うこともなく惨めに逃げ出した間抜けな悪党か。何とも惨めな我が姿。物笑いの種よ。あぁお前、呪力をそうして女にも見せびらかし、恨みを買ったのだろうな? そうだろうよ、傲慢な者はいつでも劣る者を顧みぬ。己が優れていることを、さも当然のように――笑え、愚者の足掻きを! モルハイの闇はお前達の影よ、弱者をその非情な眼差しで虐げるお前達の倨傲が生んだのだ!」
 
●●●●●
 
 暗く狭い納屋の中、ユージュは、おそらくはガラフィーに仕掛けられたであろう火睨の術の中央に座していた。
 火睨の術は火炎系の呪術を得意とする呪術師がよく扱う結界で、敵の侵入を阻む代わりに、その威力が陰るまで中の者も描かれた陣から出ることはかなわない。結界として使用される一方、こうして監禁する時にも多く施される術だった。
 火睨の術は、音も遮断する。一種、真空に似た空間が内部に生まれる。
 最後にその姿を目にしてからまだ然程の日数は過ぎていないというのに、数年ぶりの邂逅を果たしたかのような懐かしさを覚える。随分と憔悴した顔つきだ。それもそうだとシャルは納得する。シャルを陥れた直後、自分までもが罠にはまったのだから。
「おい、解放してやるつもりか?」
 ユージュがじっとこちらを見上げていた。何を考えているのか――シャル達が姿を見せた時は息を呑み驚愕を露にしていたが、今は頼りなげな子供のように縋る目を向けてくる。
「まさか」
 シャルは噛み締めるように否定した。さすがにもう、上辺のみの哀願に騙される気はなかった。
 ユージュの口が必死に動く。その動きを見て、リタルを気にかけているのだと分かる。助けて。リタルを。私ははめられた。こんなつもりじゃなかった。裏切る気なんてなかった。リタルのために。
 皆、身勝手なものだとシャルは内心で吐き捨てる。自分も傲慢の砦に存在する住人だ。
「好都合だ。火睨の術も効力が当分持続する。事が終わるまで、このまま大人しくしていてもらう」
「そうか」
 キカは嫌悪も憐憫も示さず、静かに頷いた。感情を見せぬ肯定にシャルは安堵した。
 声が聞こえずとも、こちらの顔色で境遇は変わらぬと察知したらしく、ユージュはひどく愕然とし、眦をつり上げた。媚の皮が剥がれ、本来の偽りない感情が炎のように目に宿る。怒りと憎しみ。嫌悪と妬み。裏切るのかとその目が問う。鋭い剣先に似た凄まじい目だった。
 先程のガラフィーと全く重なる眼差しだとシャルは思った。
 こちらの驕りが、自分達を罪に追い込んだのだと。
 分からない、シャルには言うべき言葉が、見当たらない。


●第三章・砂の町END…(視点を変えて第四章へと続きます)●

|| 小説TOP || 砂の王TOP ||  ||