砂の町[15]
「お前に絡んでいたあの男――ハスライという名なのだがな、聞いた話によると、狩令が命じられぬ日は頻繁に外出していたのだとか。その様子を目撃した者がいる。偶然ではなく、ハスライは周囲の者から借りた金を随分踏み倒していてな、頻繁に宿舎を抜ける姿を見て、このままだと己の金も戻ってこぬのかと疑心を抱き、あとをつけた者がいたのさ」
業は新たな業を呼ぶというわけか。
シャルとキカは従寄に騎乗し、話し合いをしながら町の中心部にではなく外門の方へと向かっていた。
「ハスライが警戒しながら外門へ向かう様を目にして、いよいよこいつは蒸発するつもりなのかと危ぶんだらしいが、どうも奇妙なのだと。最外門の通行所の守衛と約束でもしていたのか、二人で別の場所へ向かったらしい」
通行所の守衛?
胸騒ぎがした。モルハイに到着した直後、通行所を警備する兵士の一人にひどく粘着質な視線を向けられた上、市で男二人に難癖をつけられ少し揉めたことを思い出す。
「心当たりがあるのか?」
こちらの顔色を鋭く読んだらしいキカが、僅かな興味と呆れを宿した複雑な眼差しを寄越してきた。
「ある」
シャルは一言、むっつりと短く返答した。
「その守衛は今もまだ、通行所の警備を担っている?」
「だろうよ。何を企んでいたのかは俺には分からんがね、ああいう輩はなぜか、己のみは決して悪事が露見せぬと妄信するものだ」
シャルは鼻白んだ。ならばその悪事、力でもって暴いてやろう。
「なあシャル。恩着せがましくねだる気はないが、少しくらいは俺に話してみようと思わないのか。拗ねるぞ」
どことなく恨めしげな目で見られ、シャルは従寄の上からちらりと渋い顔を向けた。
「事情をある程度知っていた方が、いざという時、俺は動きやすいのだが。頼りになるだろう?」
こいつはこちらが説明するまで諦めないつもりだなと憂鬱な気分になり、諦観を抱く。
まあ、いい。自分にも変化があり、今までよりは肝が据わっている。もしキカが後々、自分にとって障害となり目の前に立ち塞がるのならば、そう――殺せばいいのだ。
死人に口はない。業には業で返すだけのことだと殺伐とした感情を巡らせる。
「モルハイに来たばかりの頃、守衛に目をつけられたんだよ」
「へえ、なぜ」
シャルは微笑んだ。アヴラル得意の無邪気な微笑を連想しながらだ。僅かに引きつってしまったかもしれないが。
「私が美しいからという理由では納得しないか?」
自分で訊ねておいて、かなり無理があるなと思った。いや、無謀は承知の上だったので、必要以上に踏み込むなと脅す意味をこめて目に力を入れ、キカを注視する。ところがキカは、重圧をかけるための睨みにもめげず、一瞬笑い出しそうな顔をしたあと、作り物くさい真面目な表情を浮かべて視線を外し、頷いた。
「そうだな、いや、納得できぬことはないがな」
「うるさい」
「自分で言ったのだから、途中で諦めるな」
励ましを受けても全く嬉しくなかった。仕方がない。そういえばキカは既に、アヴラルを伴って孔衛館にシャルが売り込みにきた事実を聞き知っているのだった。
「面倒を見ている子がいる。その子が並外れて美しい。路銀を蓄えるために孔衛団に来たのはいいが、その子をどこかへ預けねばならなかった」
「あぁ分かった。そこでユージュの出番か。お前、本当に世間知らずだな! ああいう女を信用したのか」
軽蔑を含んだ口調で返され、シャルは実のところ、結構めげた。ここでユージュにも妹がいて、過去の自分を思い出し、つい魔が差したのだと説明すれば、尚更侮蔑の目で見られそうだった。
「で、お前はユージュが行方不明になって慌て、住居に向かったと。ところが預けていた子のみならず、家財も何も全て消えていたあとで愕然とし『嫌だわ信じられない信じられない! もう二度とモルハイの人間など信用しないわぁ』と反省と怒りと憎しみに震え、親切な俺に八つ当たりをし、冷たい態度を取っていたと……」
「死にたい?」
低く訊ねたシャルの声に、キカは諳んじていた嫌味を引っ込めて苦笑した。
「怒るなよ、事実だろ」
「事実が憎しみを生むとは思わないの」
「はいはい」
適当な返事でかわされ、更にふつふつと怒りが募ったが、この男にはもうどういった皮肉を言っても無駄のような気がした。
「――おっと、そんな馬鹿話をしている場合ではないな。着いたぜ。さて、お目当ての守衛殿はいるかねえ」
シャルは苛立ちに塗れた視線を、守衛が休息所としている外門の内側にはられた天幕へさっと向けた。丁度いいというべきか、天がこちらに味方したのか、交代時間らしい守衛の男が天幕の中へと姿を消し――別の者が億劫そうな態度で出てきた。
その男。
見覚えがある兵士。
どう料理してやろうか、とシャルは本気で思った。
「……なあシャル。せめて情報を聞き出してから、殺してやれよ?」
キカの言葉に、あまり自制できる自信はないな、と独白した。
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通行所の警備に向かおうとしていた兵士を、シャルは問答無用の素早さで捕え、外門から離れた人気のないうらぶれた雰囲気が漂う通りへと連行した。
「何をしやがる、この女!」
シャルは乱暴に男を突き飛ばし、冷たい目を注いだ。地面の上に倒れた男が顔を上げ、ひどく憎々しい視線を寄越して来たが、その目の奥には確かに怯えと焦りが滲んでおり、隙あらば逃げ出そうと考えているのが容易く読み取れた。
「てめえ、こんな真似をして、無事にすむとでも――!」
お決まりの脅し文句など聞く気はなかったので、手加減のない力で男の顔を蹴り飛ばした。再び地面に倒れる男を、シャルは無感動に見下ろした。
「シャル、容赦ねえよ……」
背後のキカが微妙な空気を漂わせてぽつりと零していたが、シャルは内心、この男を切り刻みたいほど腹を立てているのだ。その中にはキカへの怒りも多少含まれてはいたが。
「言え。ハスライと何を企んだ」
「言いがかりは……っ」
しらを切ろうとする男の腹部に、勢いよく踵を落とす。男が耐えかねたように唾液を吐き出し、潰れた声で呻いて苦悶したが、さらさら同情心などわかない。
「お前、私の顔を覚えているな? そして私が連れていた子供も覚えているはずだ」
「知る訳が!」
弁明などに興味はないので、今度は男の膝を踏みつぶす。
「通行所を抜けた後、馬鹿な男にこちらも言いがかりをつけられた。お前が手配した者共だろう。お前も諦めが悪い。私が連れていた子に目をつけるとは。さあ、お前、一生涯、這いつくばって生きたいか。何も知らぬというのならば、その口は必要ないな。戯れ言を垂れ流す舌など、重要ではあるまいね」
シャルは抑揚のない声で言い切り、躊躇いなく剣を抜いた。おいおい、とキカが唖然とした様子で口を挟んだが、知ったことではない。
男が何かを喚く前に、シャルは剣を振り下ろした。砂を掴んでいた男の手の甲に、剣を突き刺したのだ。こちらが女であると侮り、口先のみの脅迫にすぎぬと考えたのは愚かな認識だった。たとえこの男が無実であっても――今のシャルは怒りを発散するためだけに虐げることができるだろう。
「や、やめ……!!」
悲鳴にかまわず、手の甲から剣を無造作に抜き、その勢いで男の片耳を切り飛ばす。
「話す、喋るから、もう――!」
他愛ない、とシャルは無念に思いつつも、男の腹部から足を離した。
「あいつが! ハスライから話を持ちかけられただけだ!」
耳を切り落とした方の顔を両手で押さえて涙と唾液を垂れ流しながら、兵士が震える声でそう言った。男の手や袖が見る間に血で赤く染まっていく。
「へえ、ハスライから?」
シャルは穏やかな口調で訊ねた。
「そうだ! 俺はただ、ちょっと口を利いてやっただけで、何も責任は」
シャルは男の鼻に剣先を素早く押しあてた。男は喉の奥でかすれた悲鳴を上げ、凝固した。
「ハスライがなぜお前に声をかけるのか? なぜ私の子を知っているのか? ハスライがお前に話を持ちかけたとするより、お前から接近したのだと考えた方が道理に合わないか」
情けを見せて警告したが、これでもまだ虚言を吐くようならば、鼻を切り落とそうとシャルは思った。
シャルの本気が伝わったらしく、男は恐怖を抱いて大きく肩を震わせ、不規則な喘ぎを漏らした。
「わかっ、分かったから。確かに、俺が、声をかけたよ!」
「ハスライとは以前からの知り合いか」
「違うっ、あんな屑など! ただ……賭博場でよく顔を合わせたから」
成る程ねえ、とシャルは内心、うんざりしつつ納得した。賭博場で出会い、意気投合でもして何か金儲けになる話はないかと互いの腹を探り合い、もののついでのようにアヴラルのことでも軽々しく話題にしたのかもしれない。ただ、兵士が語る話だけでは、飛び抜けた美貌の子供を連れた女、としかハスライには分からなかったはずだから、すぐにはその女がシャルであると確信できるとは思いがたい。
――しかし、ここでユージュが登場するのだろう。
ユージュがハスライにアヴラルを今預かっているのだと漏らしたら。戯れ言の域を出なかったはずの儲け話が急に現実味を帯びてはこないか。アヴラルが身に宿す美貌は価値がある。モルハイでは人も売買の対象となるのだ。
いや、ユージュが最初に、彼らに話を持ちかけたという可能性もある。
なぜとシャルは苦悩する。妹を大事にしていたというのは嘘ではないだろうに、なぜ似たような立場にあるシャルを騙し、裏切るのか。
「ユージュという女を知っているね」
「知らねえ」
男はまだしらを切ろうというあがきを見せたが、鼻の下に剣先を食い込ませた時、叫ぶようにして言った。
「あぁ、その売女だ! その女があんたの餓鬼を預かっていると誘いをかけてきたんだよ。高値で取引できると、だから俺は奴隷専門の商人に渡りをつけられる奴を紹介してやったのさ!」
「仲介料を得たわけか」
シャルは剣を握る手に力をこめ、男の鼻先を軽く削ぎ落とした。骨を切断されなかっただけ幸いだったと感謝すべきだ。
男の頭にはただこの場からいかに逃れるかという浅ましい算段しかないだろう。ユージュが事の原因だと明かしたが、それだとて己の罪を軽減する為の虚言にすぎぬかもしれない。
「では商人への仲介者を紹介してもらおうか」
「冗談じゃねえ、そんな真似をしたら一体どんな報復が待っているか」
「報復を受ける前に、話さねば私がお前を始末する」
「待てよ、待て! そいつは、呪術師なんだよ、とんでもねえ野郎なんだ、気違いだよ!」
シャルは目を細めて、必死に懇願する男を見下ろした。
「そうか。呪術師ね」
「ああ!」
「見て分からないかな? この髪、特徴的だと思うのだがね。意外に知らぬ者が多いのか。――私も、呪術師なんだが」
男が目を剥いて、シャルの全身を見回した。今更思い出したのか、こいつは。それとも、ユージュやハスライは、シャルが呪術師であるとはあえて漏らさなかったのかもしれない。
「私とその呪術師、どちらが残忍か、試してみようか。腹を切れば人はすぐに息絶えてしまうからな、まずは爪先から、そう、切り刻んでみよう」
「や、やめ……!」
喉を引きつらせながら、男が首に伝う血や汗を拭い、高い声で叫んだ。
「――なぁ、仲介を挟んでいるという話なのだろ? その子供がどれほど見目麗しいか知らぬが、たった一人を売りさばいただけならば、あまり儲けにはならぬと思うが」
それまで静観していたキカが突然、男の脇に屈み、冷静に疑問を挟んでシャルを見上げた。
「そこで思うわけだ。ユージュは一体、どこにいるのだろうと。確か、あの女にも妹がいるといっていたな?」
キカの鋭い目を見返した。男が一瞬、緊張した様子で肩を小さく揺らしたのが分かった。
「お前、ユージュの妹までその呪術師に引き渡したの?」
シャルの詰問に、男が激しく首を横に振った。だが、それは肯定の仕草にしか見えなかった。
「あーぁ、ユージュも愚かだねえ」
キカが身を起こして、両手を首の後ろに回し、つまらなさそうに独白した。
業には業を、という言葉が再び頭の中に浮かぶ。シャルを裏切ったユージュは、恐らくこの男達に裏切られた。リタルも容姿の整った娘だったのだ。
「シャル、まさか同情するか?」
「せぬ」
シャルは毅然と断言した。
「じゃあ、もう行こうぜ」
キカの言葉に、シャルは眉を寄せた。
「思い当たる呪術師がいる。――なあ、お前。その仲介役を受け持っている呪術師の名は、ガラフィーというのではないか?」
キカの指摘に、男はこぼれ落ちそうなほど目を見開き、ぱくぱくと口を動かした。
「キカ、なぜ知っている?」
「ははっ、知っているも何もな。全く遠回りをしたもんだ。お前も一度、その呪術師に会っているよ」
一度、会っているということは。
苦笑するキカの顔をまじまじと見返したあと、シャルは疲労感のようなものを覚え、脱力した。
「お、俺は! ガラフィーの居所を知らないんだ! だから、その女がどうなったのかも知らねえ。こればかりは誓って嘘じゃねえ、呪術師の住処など、縁起悪くって知りたくもねえよ!」
胡乱な目をして振り向くシャルをとめたキカは、微笑を浮かべながら、男の顔面を蹴り上げた。
なんだかんだと人の行動に呆れつつ結局自分も暴れたかっただけなのではないかとシャルは思った。