TEMPEST GIRLS:08

 ササラを伴って、リスカは一番最初の部屋へ戻った。
 道化の格好をした案内人がいた場所である。結局、この部屋に全ての答えが隠されていたということなのだ。
 始まりの場所であり、終わりの場所である。
「あれ!」
 ササラが歓声を上げて指をさした方向には、一枚の扉があった。
 部屋の中央、そこに忽然と現れる扉。
「どらえもん……?」
「え?」
「ううん、何でもない」
 ササラがまた、不思議な言葉を口にしていた。何かのまじないなのだろうか。
「こいつが扉だったのか」
 扉には絵が描かれていた。この世界の案内人であるソウ――精霊の絵である。
 さて、帰るか。
 リスカは、鍵を扉に差し込んだ。
 開けた扉の奥には――
 
 
 満開のサクラが。
 
 
「リッちゃん、すごいよ!」
 花吹雪。
 精霊のご褒美だろうか。花に彩られし幻想の世界。濃い色の幹と淡い色の花の対比が鮮やかだった。
 ササラが感激した笑顔で、扉の外へ駆け出した。
「これは……壮観ですね。見事だ」
 リスカもあとに続いて、サクラの園を見回した。
 降り注ぐ花びらは風に踊り、雪のように地面を埋める。
 伸びる枝は花の色で空を覆い、大気を淡く輝かせる。広く、遠く、桜の道は遥か彼方まで続いている。
 揺れる、揺れる白い美。
 美しい。
 サクラはこれほどにも優美な花だったのか。
 空恐ろしさを感じるほどの鮮明な光景だった。世界に花しか存在しないのではと錯覚させる。そう思えば、花の海を漂っているような気さえする。
「ああ――ササラさん」
「う?」
 雨乞いをする巫女のように、宙を舞う花びらへと手を伸ばしていたササラが、無邪気な顔で振り向いた。
「お別れの時、のようです」
 見納めになる少女の姿を、リスカは目に焼き付けた。決して出会うはずのなかった少女。ほんの一瞬、二人の時間が重なったにすぎないのだから。
 サクラ散る下で、ササラの姿はどこか霞んで見えた。
「えっ、何で! 嫌っ」
 別れと聞いたササラが、あれほど熱中していた花びら掴みも忘れて、駆け寄ってきた。
 嫌、嫌、と子供のように首を振り、怒った顔をするササラが、可愛い。
 怒るのは、暗に離れたくないと言っているからなのだ。
「ササラさん、ありがとう」
「何が?」
「あなたのお陰で、私は、色々と気づくことができた」
「そういう言い方、嫌だ!」
 じわっとササラの目に涙が浮かんだ。ササラも気づいている。もう二度と、会えはしないことに。
「リッちゃん、お別れは嫌」
 たとえば――リスカに、あるいは彼女に、誰も待つ者がいなければ、ここで別れず、どちらかの世界で生きていくのも面白いだろう。以前のリスカならば案外喜んで故郷に別れを告げ、ササラの世界に居を移したかもしれないと思う。リスカはそれほど、故郷に重きを置いていないのだ。
 しかし。
 この美麗なサクラの園より大事と思う何かが、リスカにもササラにもあるようなのだ。
「もう会えないみたいじゃん! 遊んでくれなきゃ、嫌」
「ササラさん、泣かないで」
 すぐに泣いてしまうササラ。心のままに気のままに好意を伝える彼女が、可愛らしくもあり羨ましくもある。
「いつか、きっと遊びましょうね」
 いつかなど、あり得ぬのに、そう言った。
「大人はすぐそう言って誤魔化す! 笹良、騙されないぞ!」
 鋭い口調で凛然とササラが責める。
「ねえササラさん」
 大人の弱さを責めるのは、子供の特権。
 けれども、ササラに別の言葉を求めることは許されるか。
 リスカはこつりと、額を彼女と合わせた。
「大人はそんなふうに誤魔化すしか、自分を守れないのです。だからどうか、騙されてくれませんか」
「笹良、騙されるほど馬鹿じゃない」
「ええ、あなたは、馬鹿ではない。その真っ直ぐな心で騙されて、騙す大人を許してください。騙される強さ、あなたは持っている」
「ずるい、そういうのはずるい」
 確かにずるい。
 ずるいと言いつつ、柔軟にササラは受け入れた。少しだけ思う。この破天荒な子に、絶対一緒に来てくれなければ嫌だとせがまれたら、リスカはもしかすると抵抗を忘れ受け止めたかもしれない。
 だが、我が儘なササラは、人を思いやる最低限の気持ちがある。
 リスカは、無念に思った。
「ううっ、ひどいや! リッちゃんの馬鹿」
「ええ」
 ぎゅっとしがみつくササラを抱き返す。うーむ、異国の女性の格好が本当にこれほど過激なのか、確認してみたかった。
「今度会った時、遊んでくれないと、桜が溺れるほど泣いてやる」
「ああ、それは大変です。分かりました」
 何とも無垢な脅迫である。笑ってしまった。
「リッちゃんなんて嫌いだ!」
「ええ」
 おや、嫌われたか。
「馬鹿っ」
「はい」
「嫌い!」
 馬鹿と言われても、腹が立たないのは相手がササラであるためか。
 リスカは笑みつつ、きゅっとこちらを睨みつけるササラの涙を拭った。
「一つ、魔術をあなたにあげましょう。この花びらは、傷を癒すのです。必ず必要になるから、持っていって」
 恐らくは――元の世界に戻った時、リスカと出会った記憶は失われているだろう。ウソの世界は、ウソのまま、消失する。
 だが、気になる点があった。ササラもまた、高い木の上から落下して、こちらの世界に来たという。
 この世界は元々ウソを基盤としているのだから、向こうへ戻れば当然落下の時点に帰るはずだ。
 彼女が戻った時、怪我をさせてはあまりに不憫である。
 気づいてくれればいい。リスカのことを忘れても、この花びらが傷を癒すということを。
 リスカは心をこめて、むずがるように暴れるササラの手に花びらを握らせた。
「魔術、いらない。リッちゃんが一緒に来て」
 ああそんなことを言う。惹かれる言葉だ。
「ササラさん、あなたの、そういう素直なところが私は好きです」
「だ、駄目じゃん! ウソの世界って言ったのに!」
 突然、ササラが高く叫んだ。
 ウソの世界。
 成る程。
「ああ――そうか、それで……、私のことを、嫌いと?」
「知るもんかっ」
 ササラはぷいっと泣き顔のまま、横を向いた。
 その時、急に風が強くなって、花びらが無数に舞った。
 
 
 花嵐!
 
 
「リッちゃん」
「さよなら」
「嫌っ」
 霞む、霞む。花びらが白い霧に変わり、世界の全て、覆ってしまう。
「や、やっぱり、ウソの世界でも――」
「ササラさん?」
 ササラの声が遠い。意識がそれぞれの世界へ、引きずられている。
 もう会えない少女。不思議な邂逅は、ひどく愛しく切なかった。
 今その手を掴めば、運命は別の道を指し示すのだろうか――
「好き!」
 おやおや。
 リスカは噴き出した。良い子ですね、ササラさん。
 ふっと世界が暗転する。
「また、いつか――」
 奇跡に祈りをこめて、リスカは呟いた。二度と会えなくても、いつか会えると思うことは自由だ。
  
 
 ――花の術師さん、わたし達を嫌わないでね。
 
 
 そういう言葉が聞こえた。暗転した世界の中、悲しげに立つ花の精霊が、リスカを見返していた。
 そうだ、リスカは花の術師。当たり前のことを、当たり前のように、忘れていた。
 憎んでいるのは、歪な我が力であって、花を疎ましいとは思っていないから――
 この思いも、元の世界へ戻れば、きっと忘れてしまうのだろう。
 
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「……ひえ?」
 リスカはきょとんとした。
 なぜか自分、自室の窓からやけに身を乗り出しているのだ。
「ほ?」
 この体勢、状況的にすこぶるまずくはないだろうかと顔を引きつらせた瞬間、くらっときた。くらっと。
 すぐさま身を引いた方がいいはずなのに、理由は分からぬがふと枝の上に何かがいるのではと考えてしまい、一瞬気を取られた。
 何も、いるはずがないのだが。
「ふわっ」
 手が滑って、更に大きく窓から身を乗り出す形となり――
「ぎゃあああ!」
 身も蓋もない悲鳴を上げて、リスカは哀れ、落下した。
「ひー!」
 落ちている間違いなく落ちている、と空中で目を閉じ、やがてくる衝撃と痛みを覚悟したが。
 とすっという音がして、リスカは何者かに受け止められた。
 痛みはなく、体に少し衝撃が走っただけだ。
「う、うむ……?」
 恐る恐る目を開けると、星より輝く白銀の髪が視野に入った。
「わっ、わわわわ! せ、せ、セフォー!?」
 ひえええ、とリスカは再度叫び、セフォーの腕の中で仰け反った。
 どうもセフォーに受け止められたようだった。ありがたいのだが、リスカが落下することを予期していたのだろうか?
「あ、あのっ」
 何だっけ。何を言おうとしていたのだったか。
 リスカはふと瞬いた。
 何かを忘れている気がして、ならない。
「化かされましたね」
「え?」
「精霊に」
「は……」
 何の話だろう?
 ついまじまじとセフォーの目を見返しかけて……何やら色濃く苛立ちが秘められていることに気がつき即座に視線を逸らした。軟弱である。小心者である。
 なぜお怒りでしょう私が窓から落下したので殺意が芽生えたのですか、とリスカは混乱しかけ、はた、と思い出した。
 そ、そうだった。密かに若者と酒を飲む約束をしたため、セフォーはご立腹なのだった。
 うむ?
 リスカは愕然とした。
 窓から落下した自分、第三者の視点で考えると、まるで逃亡しようとして失敗した図、に見えるではないか!
「違いますセフォー、天地神明に誓って、わ、わ、私は恐れ多くも逃亡など」
 大混乱の極みだった。抹殺だろうか。始末だろうか。排除だろうか。
 駆除だけは嫌だ。……どれも似たようなものだが。
「逃亡?」
「ひっ」
 セフォーは、じっとリスカを見た。腕に抱きかかえられているので、必然的に距離が近い。
 ここはもう歌でも歌って誤魔化すか、あるいは急病人を装おうか。いっそ記憶喪失とかどうだろう。
「成る程」
「ぐっ」
「ないのですね」
「う、うぐ……?」
「記憶が」
「ぐ……?」
 何のことか分からぬが、セフォーは、疑っていないのだろうか?
「あの……」
「何か」
「疑ってはいないのですか、私が、自室から抜け出そうとしたとは……?」
 余計な台詞を口にしてしまうリスカだった。
 セフォーは微かに、目を細めた。ひぃ。
「いいのですか」
「く、くっ」
「疑っても?」
「いいいいえ、とんでもありません今の話はなかったことに!」
 というかその前に降ろして下さればありがたく、ええ。
「そんなに」
「は」
「そんなに、酒を飲みたいですか」
 いや、それがなぜか、どこかで酒を飲んできた感じがして、ふ、ふむ?
「男と飲みたい?」
「な、ななな」
 違う、思い切り誤解である。
「私が付き合います」
「えっ」
「いいでしょう?」
「でも」
「反論があるのですか」
「いえっ滅相もありませんが、し、しかし、セフォーは、その、お酒が飲めないのでは?」
 沈黙が流れた。悪魔の宴よりも不気味な沈黙だった。
 ふいっと視線を逸らされる。飲めないのに、無理をせずとも……。
「あのう」
 なぜか、たまには素直に、胸に溜めていたことを言おうという気分になった。
 視線を合わせるのが恐ろしいのならば、手探りであっても、別の方法で近づけばいいのだと。
「あの、私、聞きたかったのです。男性というのは、一体どういう贈り物が嬉しいのか」
 セフォーがちらっとこちらを見た。くっ、怯むなリスカ。
「ええと、ええ、セフォー、色々なことを、私にしてくれるでしょう。ということで、その、時々は何か、私もお返しをしようと思いまして、しかしながら、セフォーはあまり物を欲しがらず……直接聞くのは怖……いえっ、意味がないので、外堀から責めてみようなどと、はい」
「……」
「ひえええ、すみません!」
 なぜか謝罪するリスカだった。
「リスカさん」
「はいっ」
「では」
「は」
「くれるのですか」
「はあ」
「私が望むものを」
 それはやはり、生き血とか臓腑とかですか、閣下様。
「望むことは」
「ははははい」
「行かないで下さい」
「はあ……」
「行っては、嫌です」
「……?」
「あなたの時間を」
「時間?」
「他の者に渡さないでください」
「は、はあ」
「それなら」
「ふむ?」
「私にください」
「?」
「そうですね、前に言ったこと、覚えていますか。何でもしてくれると」
「ひ」
「いずれ、その時に、まとめていただきましょうか」
 まままさか私の死ですか、とリスカは悪い方向に意識を飛ばし気絶しかけた。
「精霊だろうと、少女だろうと」
「うがっ?」
「誘惑されては、嫌です」
「!?」
 混乱するリスカを抱え直して、セフォーはさっさと家に戻った。機嫌は直ったのだろうか?
 
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 セフォーに抱えられつつ、酒なしの飲み物でささやかな宴が始まったが、何かが間違っているような気がする。
 ちなみにだが、帰還した小鳥の報告を受けたセフォーの眼差しがまた険しくなったのは……気のせいだと思いたい。
 な、何を告げたのですか小鳥さん!
 
 
 翌朝、果汁の飲み過ぎである意味二日酔いなリスカの目に映ったのは、一枝だけ咲くサクラの花。
 
 
 誰かの笑顔が、浮かんで消えた。


●TEMPEST GIRLS END●


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