TEMPEST GIRLS:07

 リッちゃんと一緒に向かった先は、最初に目が覚めた場所だった。
 結局、もとの場所から動かなければよかったってことなのだ。
 そうか、始まりであり、終わりの場所ね。
「あれ!」
 笹良は指をさした。だって、部屋の真ん中に、どこでもドアみたいな扉があったんだもの。
「ドラえもん……?」
「え?」
「ううん、何でもない」
 どこでもドアっぽい扉には絵が描かれていた。それは、派手な衣装をまとっていたお仕置き人のピエロくんの絵だった。
「こいつが扉だったのか」
 これまでの苦労を思い出して、悪戯描きでもしてやろうかな、とつい悪巧みを抱いてしまった。
 くすっとリッちゃんは笑って、鍵を扉に差し込んだ。
 開けた扉の奥には――
 
 
 満開の桜が。
 
 
「リッちゃん、すごいよ!」
 坂口安吾的な桜の世界が扉の奥に広がっている。
 すっげえ奇麗じゃん。
 感動の景色に気分が盛り上がった笹良は、息を呑むリッちゃんの手を引っ張って、扉の奥へ駆け込んだ。
「これは……壮観ですね。見事だ」
 リッちゃんはぼうっとした表情で、狂い咲く桜を見回していた。
 うわあ、お花見したい。これぞ桜花爛漫。桜餅、食べたいな!
「ああ――ササラさん」
「う?」
「お別れの時、のようです」
 お別れ。
 笹良は瞬いて、リッちゃんを振り返った。
 桜散る下で、リッちゃんの姿はどこか霞んで見えた。
「えっ、何で! 嫌っ」
 だって折角リッちゃんと友達になれたのに。
 嫌、嫌! と笹良は慌ててリッちゃんの手を握った。桜に連れ去られないように。
 リッちゃんは少し首を傾けて、困ったような優しい笑みを浮かべていた。
「ササラさん、ありがとう」
「何が?」
「あなたのお陰で、私は、色々と気づくことができた」
「そういう言い方、嫌だ!」
 ホントにお別れみたいじゃんか。
「リッちゃん、お別れは嫌」
 ううっと唸って、笹良は我が儘を言った。
「もう会えないみたいじゃん! 遊んでくれなきゃ、嫌」
「ササラさん、泣かないで」
 心にしみこむ穏やかなリッちゃんの声に、ぼろぼろっと涙が出た。だってリッちゃんは日本人じゃなくて、どっかの知らない世界の人だ。ここで別れたらもう二度と会えない気がする。
 夢の世界の人なら、また夢の中で会えるのかもしれない。
 でもリッちゃんは夢の世界の住人じゃなくて、笹良と同じように別の空の下で、本当に生きている人なのだ。
「いつか、きっと遊びましょうね」
「大人はすぐそう言って誤魔化す! 笹良、騙されないぞ!」
「ねえササラさん」
 リッちゃんは悲しい笑みを見せて、踏ん張る笹良を引き寄せ、こつりと額を合わせた。
「大人はそんなふうに誤魔化すしか、自分を守れないのです。だからどうか、騙されてくれませんか」
「笹良、騙されるほど馬鹿じゃない」
「ええ、あなたは、馬鹿ではない。その真っ直ぐな心で騙されて、騙す大人を許してください。騙される強さ、あなたは持っている」
「ずるい、そういうのはずるい」
 ぎゅっとリッちゃんに抱きつくと、そっと丁寧に抱き返された。とても大事そうに抱きしめてくれたのだ。
「ううっ、ひどいや! リッちゃんの馬鹿」
「ええ」
「今度会った時、遊んでくれないと、桜が溺れるほど泣いてやる」
「ああ、それは大変です。分かりました」
「リッちゃんなんて嫌いだ!」
「ええ」
「馬鹿っ」
「はい」
「嫌い!」
 リッちゃんは両手で笹良の頬を挟んで、涙を拭ってくれた。
「一つ、魔術をあなたにあげましょう。この花びらは、傷を癒すのです。必ず必要になるから、持っていって」
 逃げようとする笹良の手に白い花びらを一枚、リッちゃんは乗せた。
「魔術、いらない。リッちゃんが一緒に来て」
「ササラさん、あなたの、そういう素直なところが私は好きです」
「だ、駄目じゃん! ウソの世界って言ったのに!」
 嘘の世界だから、好きって言っちゃ駄目なのだ。
「ああ――そうか、それで……、私のことを、嫌いと?」
「知るもんかっ」
 リッちゃんは笑った。その時、急に風が強くなって、花びらがたくさん舞った。 
 
 
 花嵐!
 
 
「リッちゃん」
「さよなら」
「嫌っ」
 霞む、霞む。花びらが白い霧になって、世界の全て、覆ってしまう。
 ああ、駄目、リッちゃん、行かないでほしい。
 消えないで。
 桜、お願いだから消さないで。
「や、やっぱり、ウソの世界でも――」
 手を伸ばしても、掴めない。
「ササラさん?」
 もうリッちゃんの声が遠くて、なんだかくらくらしてきて。
「好き!」
 最後にそう叫んだ時、ふっと世界が暗転した。
 またいつか――、そういうリッちゃんの声が聞こえたあと、笹良は気絶した。
 
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「……うあ?」
 笹良は、はっと我に返った。
 場所は――
 桜の木の上。
「えっ?」
 つい驚いてしまったが、そういえば総司の魔手が伸びる前に窓から逃亡を図る途中だったはず。
 早く行動を起こした方がいいと分かっているのに、不安定な体勢のまま、じっと木の枝を凝視してしまった。そこに、何かが隠れているのではないかと思ったのだ。
 でも、何もいない。
 いるはずがない。
 当たり前のことなのに、どうしてか失望する気持ちが湧いた。
「う……う? うううう!?――ぎゃー!!」
 あんまり枝の方に気を取られたせいか、足をがくっと滑らせてしまったのだ。
 嘘!
 ふわっと気味の悪い浮遊感がして、身体が宙に投げ出されて。
 落下する。
 死ぬ、と笹良は覚悟した。
 目を閉じる前に視界に映ったのは、星を飾った夜空。
 さようなら全人類。
「!」
 どん、と衝撃が身体に走った。
 だが、その衝撃には痛みが伴っていなかった。
 し、死んだのか?
 ああご臨終をこんなふうに迎えるなんて、と我が身の儚さと悲運を嘆いたのは束の間のこと。
 おかしい。
 笹良はぱちっと目を開いた。ここは天国じゃない。
「ぎゃっ」
 笹良は慌てて身を起こした。
 地面だと思っていたのに、笹良の下には総司がいたのだ。
「な、な、何でっ?」
「馬鹿笹良……」
 小憎らしい台詞を呟く奴は、どこをどう見ても我が兄だ。
「落ちるくらいなら、木に登るな」
「落ちる計画はなかったもん!」
 反射的に反論しつつも、つい目を疑ってしまう。下敷きになっているということは、落下した笹良を受け止めてくれたのか?
「総司?」
 総司は庭に寝転んだまま、動こうとしなかった。何だか不安になって、総司の腕を軽く引っ張る。
「馬鹿……っ、動かすな」
「え、え?」
 そんなに強く引っ張ってないのに、総司は大きく顔を歪めた。
「笹良」
「何で……?」
「笹良、いいか」
「え?」
 どくどくと心臓が激しく鳴っている。
「救急車、呼ぶんだ」
 笹良は絶句した。見栄っ張りな総司がそんなことを言うなんて、信じられないことだった。
「住所と名前、ちゃんと伝えるんだぞ」
「総司」
 総司は起き上がらないで、じっと笹良を見つめていた。
 全然、苦しいとか痛いとか言わないくせに、救急車を呼べって。
 月明かりの下、総司の全身に視線を走らせる。
 右腕の曲がり方が、とても変だ。変なのだ。
「……う」
「泣くな、笹良」
 笹良は恐る恐る総司の額に手を伸ばした。どうしようどうしようって走り回りたくなるほど焦りながら、総司の髪を撫でた。
 べたっと濡れた感触がして、笹良は慌てて手を引き、小さく悲鳴を上げた。
 汗で濡れているんじゃない。
 血が。
「あ、ううう」
 総司が頭を置いた辺りから、じわじわと黒い液体が地面に広がっていた。
「や、嫌、……総司」
 救急車。
 足が震えて動かない。うまく頭が働かない。
「あ、あっ」
 悲鳴なのか泣き声なのか、自分でもよく分からないほど混乱した。
 嘘だ、嘘、嘘!
「笹良――大丈夫だ。落ち着いて、救急車を」
 ちゃんと喋っているのに、総司の眼差しはどこか虚ろだった。戦争映画とかで、普通に喋っていた人がだんだん虚ろな目をして、それで息を引き取るシーンが――
「お兄ちゃん」
 怖い。だって、笹良の身代わりに。
「泣くんじゃないよ、笹良」
 どうしようどうしよう、神様。
「た、助けてっ、誰か!」
 笹良はどこも怪我なんてしてないのに、ぺたりとその場に座り込んだまま、どうしても動けないのだ。
 だって目を離したら、総司が。
「嫌!! 助けて!」
 死んでしまう。そんな言葉が不意に、心の中に飛び込んできて全身が粟立つほどぞっとした。その言葉はぽっかりと空いた暗い穴のような感情を伴っていて、他の色んな思いを全部飲み込んでしまうほど空虚だった。
 誰か、誰か。笹良、もう我が儘言わないから、助けて!
 奇跡でも魔法でも何でもいいから。
 誰か、お兄ちゃんを助けて。
 
『一つ、魔術を――』
 
「あ」
 誰かの声が。
 無意識の中、自分の手がホットパンツのポケットを探った。白い花びらが一枚、なぜかそこに入っていた。普通の花びらのようでいて、ほわりと温もりがあった。
 何の根拠もないのに、ああこれで大丈夫なんだって笹良は安堵していた。
「お兄ちゃん」
 さっきよりも虚ろになった目をする総司の額に、花びらを乗せてみた。
 ふわっと溶ける花びら。
 こんな光景、絶対異常なのに、何も不思議に思わなかった。
 だってこの花びらは傷を癒すということ、笹良はなぜか知っているのだ。
「――笹良?」
 額に乗せた花びらは一瞬で溶けたあと、淡い光で総司を包み、消えてしまった。
 総司はしばらくの間ぼうっと瞬いたあと、怪訝な表情で上半身を起こして、呆然としている笹良を見つめた。
「お前、今、何を……」
 奇妙な角度に曲がっていた腕は元通りになっていて、総司の瞳も、強さと輝きを取り戻していた。
 まるで、総司が死にかけていたことこそが、夢のように。
 不思議だねって首を傾げて、終わってしまう曖昧な夢。
「笹良」
 涙がぽろぽろ溢れてとまらない。笹良は何かを忘れている。総司が助かって嬉しいのに、泣けてしまう。
「泣くな」
「う、う、う、う」
 初めは恐る恐る、やがてきゅうっと総司の腕を強く掴んだ。総司は痛がらなかった。
「馬鹿だな、笹良」
「ごめんなさい」
 総司は苦笑して、うずくまる笹良を抱きしめたあと、ぽんぽんと背中を叩いてくれた。
「ごめんなさい、うう、嫌だようっ、死んだら」
「泣くのか謝るのか、どっちかにしろ。大体、俺は死んでいない」
 暖かい腕の感触に、また泣けてくる。たった今怪我を癒した花びらのこと、もう総司の記憶から抜けていて、ただちょっと気を失っただけだと認識されているみたいだ。
 きっと笹良の記憶も、変えられてしまうのだろう。
「馬鹿っ、馬鹿、怖かったよう」
「お前ね……」
 呆れた声だったが、笹良はとても混乱していて、聞いていなかった。
「ほら、家の中に戻るぞ」
「ううっ」
「懲りただろう、夜遊びは」
「う、う、も、もうしないもん」
「ほー、それはまた」
「ごめんなさい」
「えらく殊勝になったな?……ってお前、またそんな格好を」
「露出狂じゃないもん」
「……」
「嫌い、って言って、ごめんなさい」
 総司の胸に額を強く押し付けると、宥めるように軽く頭を撫でられた。
「お兄ちゃん、好き」
 騙されてあげる。ひどい言葉や行動を、ただ単純に意地悪をしているだけなのだと。
 だから。
「意地悪しても腹立つこと言っても怒ってもいいから、嫌っちゃいやだ」
 その手を、必要としているから。
「どうした、笹良?」
「愛しさゆえに、口うるさい」
「……何?」
「笹良、素直だったら、好き?」
「馬鹿」
 そう言って、総司は何だか困った表情で、笹良を抱き上げた。
 涙がぽつり、一粒落ちて、そうして鮮明になった視界に映る桜の木。
 もう葉桜なのに、一枝だけ、花が咲いていた。
 多分、明日までには枯れる花。
 
 
 誰かの笑顔が、浮かんで消えた。

●TEMPEST GIRLS END●

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