F007

 起きた瞬間に絶叫するなんて経験、滅多にないと思う。
 その貴重な経験を、私はしてしまったみたい。
 
 
「~~~~~~!!!!」
 自分でも意味不明の叫びだった。寝起きでよくもこんなに甲高い声を上げられるものだ、と我ながら感心してしまう。
「――何事だ?」
 私が上げた奇妙な叫びを聞きつけて、扉代わりらしい薄い布の奥から、黒衣をまとった赤い髪の男性が飛び込んできた。
 何事、なんて言葉じゃ足りないよ! 
 だって、そう。
 目覚めた時、一番最初に目にした景色が普通じゃない場合、叫ぶしかないじゃない。
「耳が……」
 悲鳴の元凶となった人が、耳を押さえて苦悶していた。
 
 
 つまり――。
 目の覚めるような青い髪の、やたらと美形な人に、私は抱きかかえられながら眠っていたらしい。
 
●●●●●
 
 赤い髪の男性は、大きな肩を力なく落として深い溜息をついていた。
 その横には、無敵の微笑みを浮かべる美貌の男性がいる。
 私はといえば、放心している間に着替えや入浴なんかを使用人らしき女の人達にてきぱきと手伝われてようやく解放されたあと、見晴らしのいいテラスみたいな場所で、ガラス細工らしき高級感漂う繊細なテーブルを挟み、この二人と向き合っていた。
「……落ち着いたか」
 かすかに引きつった顔で赤い髪の男性が訊ねた。
 うんと返事をしていいのか、そんなわけないでしょと反論すべきかすごく迷った。
「凄まじい悲鳴だったが」
 限りなく深い同情を滲ませる口調で赤い髪の男性が言葉を補足する。
「いや、さすがに耳がおかしくなるかと思ったな」
 と、朗らかな笑顔で青い髪の男性が口を挟んだ。な、何なんだろう、この展開。
「誤解のないように言っておくが、これにはお前の治療をしてもらったのだ」
 赤い髪の男性に指をさされ、これ呼ばわりされた青い髪の男性は、笑みを深めて頷いた。
 私はつい、思ったことを口にしていた。
「その言葉、余計に誤解を生むんじゃ……」
 一瞬、二人の男性が硬直する。
 次の瞬間、青い髪の男性が肩を震わせて笑いを堪えた。
「なかなか愉快なお嬢さんだ」
「愉快に感じているのはお前だけだな、シルヴァイ」
 青い髪の男性の名は、シルヴァイっていうらしかった。本当に絶句するほど整った顔立ちをしている。普通に美形っていうより、美貌という表現が当てはまる感じだ。青い髪は砕いた宝石をちりばめたかのようにきらきらと輝いていて、とても眩い。瞳も髪と同じ色。淡い水色の睫毛が羨ましいくらい長い。
 それになんだか艶美なんだ。宝石で作られた艶やかな大輪の花、という感じがした。
 男性でも女性でも、こんなに美しい人を見たことがない。
「オーリーン、羨ましいのだろう?」
 オーリーンと呼ばれた赤い髪の男性は、ぐったりと疲れた顔をした。
 こっちの人は今まで見た人の中で、一番身長が高かった。うん、高いなんて次元じゃない気がする。冗談じゃなくて、ホントに三メートルあるんじゃないかって思う。オーリーンもはっきりした目鼻立ちをしていて、シルヴァイとは違った美貌があった。シルヴァイはどちらかというと中性的な美貌で、オーリーンははっきりとした男性的な美貌だった。世の中の男性達の羨望と憧憬を一身に浴びそうな感じだ。
 正直言って、この二人を前にして気後れしない人間はいないと思う。史上最強って雰囲気だ。側にいるだけでぼうっとしてしまうくらい圧倒される。
「安心しなさい。君の想像するようなことは何もしていないはずだから」
 シルヴァイがさらりと言った言葉を聞いて、オーリーンが天を仰いだ。
 私は青ざめたり赤面したりしたあと、ようやく声を荒げた。
「何も想像していないよ! それに、してないはず、って何!? はず、って! してないって言い切ろうよ」
「いや、言い切ると面白くない」
「言い切らなきゃ駄目なんだよ。信用失うよ」
 何か話がずれてるけど、途中でやめられない自分が悲しい。
「二人とも、初対面とは思えないほど息が合っているな」
 ぽつりと呟くオーリーンの言葉に、私ははっとした。
「ふふふ。やはり羨ましいのだろう」
「物騒なことを言うな」
 固まる私を無視して、二人はどんどん会話を続ける。
「久しぶりに私を訪ねてきたかと思えば、愛らしいお嬢さんを同伴させているとは」
「どこが同伴だ。獣に襲われていたのを助けたのだ」
「それが珍しい。どのような気紛れで助けたのか」
「気紛れではなく必定と言え」
「稚いお嬢さんゆえ、手を差し伸べたのでは?」
「お前ではあるまいし、愚かな」
「全くだ」
「……否定したらどうだ」
 このまま延々と不毛な会話が続くのかな。
「あの……」
 思い切って口を挟むと、オーリーンが天の助けを得たような顔をした。この二人、どういう関係なんだろう。はっきり言って、一般人には到底見えない。というか、衣服も建物も景色も、全てが私の常識を遥かに超えている。あんまり現実離れした環境に置かれると逆に冷静になれちゃうものなんだな、と私は納得していた。
 とにかく、まずは肝心なことを済ませてしまおう。
「あの、助けてくれてありがとうございました」
 三春叔父さんに厳しく言われてることだ。恩を受けた時は必ずお礼をいうべき。それが礼儀であり、人として当然のことだって。私もそう思う。
「おや、愛らしいことだ」
 ふわりとシルヴァイが微笑む。この人の顔、凄く綺麗でまともに見れない。
「あの時助けてもらわなかったら、きっと死んでいたと思うし……それに、手当ても、ありがとうございました」
 すっかり忘れていたけど、背中に受けた傷の痛みは全然感じなくなっていた。入浴した時も何の違和感も覚えなかった。この人達のお陰で生きていられるんだ。私は深く頭を下げた。
「ううん、実に愛らしい」
「え?」
 急に、ふわりと身体が浮いた。
「えええ?」
 気がつくと、シルヴァイの膝の上に乗せられて、髪を撫でられている。ぎょっとして暴れかける私に、シルヴァイが鮮やかな笑みを向けた。
「君の感謝は全て私が受け取ろう。これに渡す必要はない」
 さっきの仕返しなのか、今度はオーリーンがこれ呼ばわりされている。
 こんなに儚げな顔立ちをしているけれど、シルヴァイって実はかなり複雑な性格をしているみたい。
 ある意味、オーリーンを怒らせるより怖いかもしれない。
「それにしても小さい。稚い」
 感動したようにシルヴァイが独白して私を見つめる。なんか髪の撫で方とか抱え方が、子犬や子猫を愛でる時と一緒の気がしてならないけど。
 でも! 小さいというのはともかく、稚いっていうのは失礼だ!
「私、猫じゃないよ!」
 シルヴァイは必死に笑いを堪えようとしているけれど、しっかり口元が歪んでいた。
「降ろしてよ!」
「まあまあ」
 どう見てもシルヴァイの接し方は愛玩動物を可愛がる時と同じなんだ。
「なに、つい珍しくてね。生きた人間がこの地へ現れるなど、何百年ぶりのことか」
「……は?」
「しかもこれほど稚いお嬢さんは、初めてだな」
 私は思わず動きをとめて、シルヴァイの完璧な顔を凝視した。
 何百年? 生きた人間?
 非現実的で奇妙な会話は、私にフォーチュンの姿を連想させた。
「……二人は、フォーチュンの知り合いなの?」
 途端にシルヴァイは苦笑し、オーリーンは苦々しい表情を浮かべた。それはフォーチュンのことを知っているという証拠だった。
「すまぬ。お前は、フォーチュンの気紛れに巻き込まれただけなのだ」
 オーリーンが頭を下げるのを見て、私は慌てて首を振った。
「あの、オーリーン……が謝ることじゃないし、それに助けてくれたし」
 呼び捨てにするのは抵抗があったけれど、西洋風の名前なのに、さん付けって変な気がした。
「まあ謝罪させてやるがいいな。事はオーリーンの創造した世界が発端なのだし」
 そこで言葉を切って、不意にシルヴァイが真剣な顔をした。
「これは是非覚えていてほしいのだが――」
 清雅な美貌が急に威厳を帯び始める。私は息を呑んで、シルヴァイの眼差しを受け止めた。
「この無駄に巨大な男よりも私の方が位は上だ。気高き五神の中に位置するのだし、何より非の打ち所がないほど美しいだろう?」
 ……目が点になるって、このことだろうか。
 真剣な表情と紡がれる言葉にもの凄く落差を感じるのは気のせいかな。
「娘、今の言葉は忘れていい」
 即座にオーリーンが断言した。思わず同意した私を見下ろして、シルヴァイは心底悲しそうな顔をする。
「オーリーン、娘とはいささか無礼な。……名は何と言う?」
 シルヴァイはすぐに立ち直って、甘い微笑を私に向けた。
「響です。三島、響」
「ヒビキ? なるほど、大気を友とする名だな。それは私に属するものだ」
 シルヴァイはよく分からないことを言って、嬉しそうに私の額を撫でた。この人、絶対猫や犬が好きに違いないと思う。
「あなた達は、誰なの?」
 この質問、もっと早くするはずだったんだけれど、二人の異質な雰囲気に惑わされて、というより見惚れて言えなかった。
「私はシルヴァイ。風と大気を司る起源の神。また〈静寂〉と〈叡智〉を司る守護神。ついでに説明しておこう。私の偉大さ、尊さが分かるはずだから。この男は闘神だ。人々のために在る神。また〈勝利〉と〈祈り〉を司る新参の神なのだよ。戦の神ゆえ、もとは人さ。位は低い。この地ではな」
「大層な紹介に、礼を述べるべきか?」
 呆れた顔で、オーリーンは皮肉を言った。
「礼は大切だな。なにせお前は他の神々に野蛮やら血生臭いやら猛々しいやら無礼千万やらと、何かにつけ疎まれている。私くらいなものだ。好んでお前と交遊を持とうとする酔狂な神はな」
「出自が気に食わぬのだろう」
「私は人が嫌いではない。矛盾に満ちていて、実に飽きないが」
「あ、あの!」
 再び話に置いていかれそうになったので、私は慌てて口を挟んだ。
「カミ……って?」
 さっぱり理解不能な会話に、私はついていけなかった。
 きょとんとする私を見て、困惑するのがオーリーン。シルヴァイは愛猫を見るようなうっとりした目をしている。
「ヒビキ、お前は神を知らないのか?」
 オーリーンが何ともいえない微妙な顔でそう言った。
「えっと、カミって……まさか、神様とか」
「……まあ、次元の異なる世界の娘だったな」
 オーリーンは諦めたように吐息を落とした。私は困って、シルヴァイに視線を向ける。
「混乱しても仕方がない。世界そのものが異なれば、おわす神もまた異なる。私達は、エヴリールの全土を守護する神々なのだよ」
 シルヴァイは私を心地よさそうに抱きかかえて柔和な微笑みを見せる。私は慌てたけれど、それよりも奇抜すぎる会話の内容に気を取られていた。
「エヴ……?」
「要するに、お前の目から見れば、ここは異世界ということだな。鏡の表がお前の世界ならば、我らの世界は裏に存在する。分かるか?」
 オーリーンがシルヴァイの台詞に補足する。 異世界――信じられないようでいて、私は心の一部で納得してもいた。
 なぜなら、世界のどこにもあんな獣はいないもの。それに、ここもシルヴァイ達も、私のいる世界とはかけ離れた存在だって分かる。
 
 ――私はどうして、こんなところに来てしまったの。

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