F008

「フォーチュンの嘆きのためだよ」
 シルヴァイが私の心に浮かんだ疑問に答えた。
「本来フォーチュンは人にすぎない。しかし、摂理の隙間に生ずる非律(ひりつ)の定めにより、人にあらざる力をもって生まれた。オーリーンと同様に。ゆえに、我らは十一番目の神として迎え入れる準備をした。彼に与えられしは〈無限〉と〈運命〉。だが、運命を司るために、フォーチュンは神の座を拒絶した。畏怖の念に屈し辞退したなどという生温い話ではない。神々にとっては明らかな背信の行為だった」
 シルヴァイの視線を受けて、オーリーンがあとを継ぐ。
「たとえ神々といえども未来を確定してはならぬという不文律が存在する。それは決して手を下してはならぬ領域だと〈混沌〉を司る神が定めた。だがな、神々の中にはいかようにも揺らぐ曖昧な万象の行く末を不服とする者もいる。未来を見定める『目』が欲しいと望む者が。フォーチュンは、神々の我欲の雫より生誕した貴人なのだ」
 私はフォーチュンの姿を脳裏に描いた。いつも仮面をつけて、絶対に目元を見せようとしなかった掴み所のない人。
「神々の欲望により生まれし者だ。神々はフォーチュンを必要以上に愛でた。力を惜しみなく与え、不可侵の誓いまで立てた」
「――オーリーン。言葉を慎め。かの貴人に過剰な恩恵を施した愚か者の一人が、ここにいるというのに」
 私は驚愕し、苦い表情を浮かべているシルヴァイを見上げた。シルヴァイは一度こちらに顔を向けたあと、ふっと視線を逸らした。
「なんか……」
 ああ、思ったことを何でも口にしてしまうなんていけない。フォーチュンだって確かそんなことを言っていたのに。
 
「皆で、フォーチュンの心に手を入れたの?」
 
 さすがにオーリーンが絶句したみたいだった。余計なことを言ったんだって分かるけど、取り返しはつかない。
 初めてシルヴァイの目に不快そうな色が滲む。綺麗な人が穏やかさを消して凄むと、滅茶苦茶威圧感が増すみたい。
「フォーチュンとて、初めは己を誇っていた」
 シルヴァイは目の前の繊細な模様を施したテーブルをじっと睨みながら、僅かに嘲りを含む低い声音で囁いた。
 
 ――言い訳みたい。
 
 多分、その思いが傍目にも分かるくらいはっきりと顔に出たようだった。シルヴァイのまとう涼やかな気配が急に重くなった。
「――あとの話は私がしよう」
 オーリーンが素早く席を立ち、不穏な様子で沈黙したシルヴァイの膝から私を取り上げた。
 多分これって、助けてくれたんだと思う。
 戸惑う私が言葉を発する前に、シルヴァイは氷のような雰囲気をまとい、無表情のまま立ち去ってしまった。もしかしなくても私、シルヴァイの機嫌をすごく損ねたみたいだ。
 どうしようと思って私は首を捻る。かなりまずいことを口にしたんだ、きっと。謝れば許してくれるかな。
 悩む私を片腕で抱きかかえたオーリーンが、軽く吐息を落とした。
「……あどけない顔で、よくもまあ」
「ごめんなさい。シルヴァイ……怒ったよね?」
 オーリーンの虚を突かれたという感じの表情が、徐々に悪戯を成功させた子供のようなものへ変化する。
「知らないとはいえ、シルヴァイを追い払うとは大した娘だ」
「ええと」
「俺に何を言っても、まあ、構わないがな、シルヴァイはどれほど親しみやすく見えても、やはり太古の神。気紛れで、自分本位で、身勝手なものだ。ついでに後先考えず、飽きやすい。他人の思惑などより目先の愉楽が余程大事さ。偉大かも知れぬが、その中身は恐ろしく幼稚で傲慢な子供のようなもの。神々は総じて厄介な性質を有する」
 砕けた口調になったオーリーンにつられて、私はつい反省を忘れ口を滑らせる。
「大人げないね」
「まあなぁ」
 くすりとオーリーンが笑った。
「しかし、言うのは俺だけにしておけ。お前、あの場で塵にされてもおかしくはなかったのだぞ」
「ええ!?」
 オーリーンは快活な笑い声を上げた。どぎまぎする私を抱きかかえたまま、テラスの手すりに寄りかかる。
 オーリーンて不思議。一緒にいると自分まで強くなったような気がするんだ。だからとても安心するし、落ち着く。
「シルヴァイは神々の中でも徳望厚く温和な方だ。あまり責めるものではない」
「でも、オーリーンだって結構すごいこと言ってたよ」
「俺とて一応神の一人だ」
 そこでオーリーンは、面白そうに私の顔を覗き込んだ。
「お前、実に冷静だな」
「ううん、というより、少し現実逃避してるせいかも」
「なるほど」
 よく考えたら、この状況、すごすぎるんだよね。
「神様とお話ししているのかぁ……」
 しみじみと呟く私の様子が、かなりうけたらしい。オーリーンは随分長い間笑い続けた。
「もとは俺も人にすぎない。エヴリールの世界の者は俺を神と崇めるが、俺自身は本音を言えば、己を神などと思ったことはないのさ」
「神様って言われるの、嫌い?」
「そうだな。褒め言葉ではない。俺にとっては」
「そっかぁ。色々大変なんだね」
 オーリーンはついに爆笑してしまった。
「お前……お前の世界は、実に愉快そうだな」
「そんなことないよ。色々大変なんだよ?」
「そうか」
「オーリーン、苦労してそうだね。もしかして、他の神様に嫌がらせ受けて、神様が嫌いになったの?」
 本格的に身体を揺らして笑い出すオーリーンに、私は戸惑う。何がそんなに面白いのかな?
「赤い髪、綺麗だね」
 目の前にある赤い髪を少し手に取って、私は言った。炎よりも華麗で、薔薇よりも鮮明。男の人なんだけれど長く伸ばしていても全然変じゃない。
「お前は先ほどから狙いを外さないな」
 笑いをようやく押さえたオーリーンが、私の髪を撫でる。シルヴァイよりも無骨な感じの動作だったけれど、嫌じゃなかった。
「俺が神々に疎まれているのは、この容姿にも一因があるのさ」
「どうして? すごく格好いいのに」
「髪も目も赤い。俺は戦神と呼ばれている。さて、分からないか?」
 私は考えを巡らせた。すぐにある仮定が脳裏によぎる。
「もしかして、血?」
「利口だな。そうだ。俺は戦い続けた血塗れの人間だったんだ。戦では負けたことがない。それはつまり、多くの人間の血を浴びて生き延びたという証でもある。ゆえに、この目も髪も鮮血のような赤へと変わった。神々が厭うのも無理はない」
 私は首を傾げた。オーリーンはどこか自嘲めいた笑みを浮かべている。
「人間だった時は、違う色だった?」
「そうとも。金色だったさ。目は緑。俺は、地上で大地の王と呼ばれていた」
 本当は今も、その呼び名で呼ばれたいのかもしれない。
「でも、最初見た時、血の色だなんて思わなかったよ」
 意外そうにオーリーンが私を見つめる。
「髪の毛は、炎みたいだと思ったの。火はとてもあたたかい色だよ。皆に温もりを与える色でしょう? それに目はね、薔薇みたいだと思ったんだ。真紅の薔薇だよ。情熱とか愛情とか、そういう意味合いがあるんだよ。どっちも皆に喜ばれるでしょう?」
 オーリーンは目を見開いて、私をしばしの間凝視していた。純粋な驚きが赤い目に宿っていて、少し居心地が悪くなる。神様といえどもオーリーンは男の人……に違いないと思う……だから、あんまり異性にじっくり見つめられたことのない私は、胸が苦しくなった。
 やがてオーリーンは優しく笑った。
 何も言わないけれど、オーリーンの醸し出す空気が僅かに柔らかくなったような気がする。
「戦うって、すごく怖くて辛いことだね」
 私は彼岸の森でのことを思い出して呟いた。そして試練の森での出来事も。
 オーリーンは無言で私の頭を撫でる。
 なんだかやっぱり猫とか犬を可愛がっているような感じだったけれど、大きな手が暖かいから、もう少しこうしていたいと思った。
 きっとオーリーンは、これから私に辛い話をするのだと思う。
 
 ――せめて、一時の安息を。
 
●●●●●
 
 オーリーンに場所を変えようと言われて、私は頷いた。
 オーリーンが向かった先は都城の西南部に位置する、まるで一振りの刃のように鋭利な印象を与える高い塔だった。
 峻厳な山の一部――白い肌を見せる崖――と融合している城は外側から眺めると、おそらくかなりの規模があるのだろうと思う。城の外壁も崖肌と同様に白かったけれど僅かに光沢があるため、まるで崖そのものが淡く発光しているように見える。物語の中にしか出てこないような幻想的な城は、緩やかな弧を描く崖に食い込んでいるため、当然建物自体の形も半円状に設計されている。より正確に説明すれば、本当は複数の半筒状の外壁が連なっているのだけれど、遠方から確認すると全体が半円状の形を構成しているように映るみたい。
 外壁には螺旋を描くような感じで無数の階段が取り付けられている。最終的に階段は地上へ続いているみたいで、それは山の麓に構えられた堅固な城門の内側で一つに統合されていた。
 すごく独特な造りのお城だと思う。
 ちなみに私とオーリーンが足を向けた塔の最上部には、本来なら二十二の階段を利用しなければ辿り着けないそうだ。その話を聞いただけで最上部を訪問する気力がうせたけれど、城の主であるオーリーンは、普段は聖獣を頼りに険しい崖を越えるという無茶苦茶な方法でその場所へ向かっているんだって。一度もまともに階段を利用したことがないのもどうかと思うけれど……というより、そんな苦労をしなくても、最初から訪問しやすい設計でお城を建築すればよかったのに。
 でも、オーリーンは、これはこれで気に入っているみたい。
 なにせオーリーン以外に、最上部へ興味を向ける天上人は皆無らしい。
 天上人というのは、神々の忠実なる僕としてお城に仕える御使い達のことだ。私はまだ侍女らしき人しか会っていないんだけれど、今はちょうど繁忙期であまりお城に天上人達が残っていないみたい。
 オーリーンはどうも騒がしい雰囲気が苦手らしく、お城の中が閑散としている方が落ち着くようだ。
 私はオーリーンの騎獣に同乗させてもらいながら、そんなことを考えていた。
 辿り着いた塔の屋上には、なぜかこの優美で荘厳な都城にはそぐわない東屋みたいな、汚い小屋がぽつんと建てられていた。物凄い違和感というか場違いというか……ある意味不信感を覚えるほど目立っている。
 屋上の広さは、恐らく三百平米くらいじゃないかな。崖側には塔の内部へ続く扉があり、北東側には見張り台と硝子製の巨大な鐘楼が設置されていた。そんな所にわざわざ建てられたこの小屋って、一体何だろう? 物置代わりだろうか、それとも見張り番の人用の仮眠部屋とかかな。
 でも、さっきオーリーンは、この塔に意識を向ける人は皆無だって断言していた。じゃあ、オーリーンが使っているのかな?
 すごく謎だけれど、まあいいか。
 オーリーンは聖獣を労わったあと、しげしげと小屋を観察していた私を手招きした。
 近寄った私を抱き上げて、身軽な動作で見張り台の上によじ登る。でこぼこした見張り台の上は固いし座り心地も悪そうだった。ううん、何が一番恐ろしいかといえば、手すりとかの掴まるものがないから、万が一体勢を崩して落下すれば確実に死ぬと思う。
 私の内心の恐れをオーリーンは見透かしていたようで、含み笑いをした。文句を言おうと思ったけれど、オーリーンは私が落ちないよう膝の上に乗せてくれる。私は大きな手にしがみついて安全なポジションを確保したあと、オーリーンを見上げた。
 オーリーンは、景色を見ろ、というように微笑したまま視線を虚空へ向けた。
「……すごい」
 私は思わず感嘆の声を上げた。視界に映る景色は、まるで桃源郷のようだった。
 どこまでも続く広大な大地は一面色鮮やかな緑で覆われていた。太陽が存在しない世界は遥か遠くまで青く、瑞々しい輝きを放っている。
 よく目を凝らすと緑の中に銀色の輝きが見えた。どうやらそれは泉のようだ。
「いい眺めだね」
 そういうと、オーリーンは少し誇らしげな顔をした。ここはオーリーンの直轄地なんだって。
「――だが、この地もいずれは焦土になる」
「え?」
「神々の間でも争いがあるということだな」
 私は驚いた。神様も戦争をするの?
「神々だからこそ、争いは熾烈を極める」
「神様にも自己顕示欲とか、権力に対する欲望があるの?」
 なんだか、にわかには信じられない。私が持つ神様のイメージってキリストのように慈愛に満ちた、神聖なものなんだ。
「頼むからな、そのようなことをはっきりとはシルヴァイに言うなよ」
 どこか懇願する風のオーリーンの口調が可愛い。
「神に欲がなければ、人にも欲など芽生えぬだろう?」
 当然、といった感じでオーリーンは言った。
 そういうものなのかな?
「じゃあ、神様が欲望や怒りや悲しみを知っているから、人間もそういう感情を抱くってこと?」
「お前は聡い娘だ」
 オーリーンは感心した表情で頷いた。
 うろ覚えだけれど、そういえば聖書の創世記にこんなことが記されていたと思う。人間は神様の姿に似せて創られたって。
 だから、思考も感情の持ち方も創造主である神様と酷似しているんだ。
 
 ――でもって、神様は人間を塵から創ったんだよね。
 
 ううん、塵っていうのはあんまりだと思う。
「オーリーンも権力が欲しいの?」
「どうかな」
 誤魔化したような返答に、私は不満を抱いた。
「ヒビキ、お前はしかし、先ほどから実に痛い所を突くな」
 どこか渋い表情でオーリーンが呟く。
「……ええと、シルヴァイには言っちゃ駄目だけど、オーリーンは良いんだよね?」
 こういうの、言質を取るって言うんだって。確信犯ともいうよね。
 明らかに困った顔をオーリーンがしたので、私は話題を変えることにした。ここから放り出されたくないし。
「ねえ、私の世界はどうなっているのかな」
 一番気になるのは、やっぱり叔父さんや賢治さんのことだ。フォーチュンは確か、私の世界にも歪みがあらわれているって言っていた。
「……すまない」 
 オーリーンの暗い表情は、フォーチュンの不吉な言葉を肯定しているように思えて、心が冷たくなる。
「俺を含めて、神々は愚かな誓いをしたものだ」
 自嘲するオーリーンの腕を、私は強く掴んだ。
「フォーチュンに対する不可侵の誓約? 私の世界、どうなってるの?」
「歪みが生じているだろうな。こちらとお前の世界は裏と表。一方が歪めば、片方も歪む」
「叔父さんや賢治さんは、無事なの?」
「お前の家族か?」
「うん」
 
 ――どうしよう。
 
 胸が痛くなる。叔父さん達は大丈夫なのかな。
「私――帰れるの?」
 私は少し期待をしていた。だってオーリーンは神様だ。フォーチュンの力と匹敵するものがあって当然じゃないのかな。だとすると、私を元の世界に返すことなんて簡単だと思う。
 だけど、オーリーンの表情は依然として冴えなかった。
「神々はその強大な力ゆえ、人に対して必要以上に干渉してはならないのだ。祝福や制裁は別として――」
 それはすごく都合のいい話に聞こえた。
「でも、フォーチュンは」
「それこそが神々の過ち。かの者を愛ですぎた。人の精神では耐えられぬほどの寵愛と力を与えすぎた」
「私、どうなるの?」
 オーリーンはしばらく考え深げに俯いていた。私はもう雄大な景色を呑気に眺める気分にはなれなかった。
「お前はフォーチュンの力によって、この地に飛ばされた。亜空間への転移は誰にも予測がつかぬもの。恐らくフォーチュンもお前がこの地へ飛ばされるなど、予見してはいなかっただろう」
「フォーチュンは一体何をしようとしているの?」
「かの者は神々の寵児でいることに嫌気がさしたのだろう。だが今更、人の世界には帰れぬ。人とは己とあまりに異なる者を排除しようとするものだ。フォーチュンは人を憎み、神に愛想を尽かし、己に絶望した。その嘆きは深く、最早癒せぬほど広い。その広さ、滅びに至る」
「滅びって……」
「フォーチュンは己を滅することを望んだのだろう。そして、世界を崩壊させることを」
「そんな!」
「この世界の民はフォーチュンを拒絶した。ゆえにフォーチュンはその力を振るい、制裁を下した。全ての民を、生きる屍へと変えた――」
 
 ――生きる屍?

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