F009
どういう意味だろう。私の世界でいうグールとかゾンビみたいになったってこと?
「フォーチュンは不老不死の身。老衰もなく病魔に冒されることもない。だが、人は季節と共に老いる。あるいは時間と共に歩む。フォーチュンはエヴリールの住人を……そうさな、お前の世界に照らし合わせた言葉を用いれば、悪霊へと変貌させた」
「悪霊!?」
思わず大声を上げてしまう。
「夜の世界にしか生きれぬ亡霊だ。憎悪、我欲、瞋恚など、負の感情しか持てぬようにな。自我を失い幽鬼と化した者は、永劫に闇をさまよう。エヴリールの世界は、こうして滅びの道を辿った」
「皆を助けなくていいの!?」
オーリーンが苦い笑みを浮かべる。私ははっとして、口を噤んだ。神様は必要以上に、世界に干渉できないんだ。
「人を救うのは人でなくてはならない。万物の条理というものがある。人が獣の世に過剰な手出しをすればその種は衰退するだろう。同様に、神である我らが人の世に過分な施しを行えば、やはりその種は衰滅するだろう」
「でも例外的な事態だってあるんじゃ」
「例外だとて、時が過ぎれば淘汰されるものだ」
しつこく食い下がると、オーリーンは痛みを堪えるように虚空を睨み、私の言葉を振り払った。
「フォーチュンは次に、己の力を捨てることを企てる。行く末に手出しをした神々への腹いせとして、その力を他者に継承させようとした」
「それ、私と、もう一人の誰かのこと?」
オーリーンは深刻な表情で頷いた。私はぎゅっと胸を押さえた。そうなんだ、フォーチュンに見捨てられた結果、ここへ来ることになったんだった。
「かの者の力、選ばれし者に受け継がれた」
「ねえオーリーン。フォーチュンにこんなことを訊かれたよ。新世界を創造するか、覇王となるかって。どういう意味?」
「選択を委ねたのだ。選ばれし者がこの世界を完膚なきまでに破壊し、新たな世界を構築するか、それとも、幽鬼達を人に戻し、この世界を以前の状態で存続させるか――」
私はぎょっとして、オーリーンを凝視する。
「ちょっと待って。お化けにされた人達を元に戻せるの?」
「フォーチュンの力があればな」
「その、フォーチュンの力を継承した人はどうするつもりなの?」
エヴリールの住人達だけじゃなく、私にとっても大事なことだ。だって、この世界を存続させれば、余波を受けて私の世界に広がった歪みも直るってことじゃないのかな。
「継承者は――崩壊を望み、新世界の神となる道を選んだ」
すっと目の前が暗くなる。
――それって。
「私の、世界は?」
「壊滅するだろう」
端的に告げられた救いのない真実に、頭が追いつかない。途方もない話をすぐには納得できなくて、なんだか現実感が乏しかった。でもたとえ信じられなくたって、事実は事実なんだ。
「駄目だよ、そんなの!!」
「ああ」
オーリーンは悲しそうに呟いた。憤る私をじっと見下ろし、頭を撫でる。私はすごく苛立って、オーリーンの大きな厚い手を乱暴に振り払った。
「神様でしょ、しっかりしてよ!」
諦観の気配を漂わせていたオーリーンが、私の叱責に目を見開く。
「大地の王って言われてたんでしょ。それってオーリーンは昔、この世界の王様だったってことじゃないの? それなのに、いいの、見過ごしたままで!」
反抗されるとは思っていなかったのか、オーリーンは絶句し、少しうろたえた様子で視線を泳がせた。
「しかし」
「しかしも何もないよ! ぼんやりしないで、目を覚まして!」
オーリーンはぽかんとした。なんだか珍しいものを目にしたような顔だった。
「……なあ、ヒビキ。お前は利口な娘だ。お前が望めば、俺の庇護を受けられる」
「何、それ?」
「俺の元に留まれば、お前に厄災は降らぬ」
私は見張り台の上――というか、オーリーンの膝の上に乗せてもらっていることを忘れて、身をよじった。
オーリーンが慌てて支えてくれなきゃ、バランスを崩してたぶん落下していただろうけど、今の私にはそんなことどうでもよかった。
「本気で言ってる? 私の家族が、知っている人達が、どうなっているか分からないっていうのに、そんな馬鹿な話を聞かせるの!」
オーリーンは目を白黒させていた。
「大地の王がそういう情けないことを口にして、いいわけ?」
「情けないって、お前」
「男の人のくせに、とても大きな身体してるくせに、皆を見捨てるわけなの!」
「お前」
オーリーンは少し唇を歪めたけれど、かまっていられない。
「言い過ぎではないか?」
「反論できるの?」
ぐっとオーリーンは息をつめる。
「……お前が、フォーチュンの力を継承できなかったのが悔やまれる」
ぽつりと無念そうにオーリーンが呟いた。
「だって! なんか試練ってものをいきなり受けさせられたけど、他人が殺されそうになっているのに、見捨てることできないよ」
そうなんだ。森で見た残酷な光景はフォーチュンの創り出した精巧な幻だったのだろうけど、あんまり真に迫りすぎていて、声をかけずにはいられなかった。
「それは――礼を言わせてくれ」
「……礼?」
――まさかと思うけど。
突然背筋に悪寒が走る。まさか。まさか。
「お前が声をかけねば、貴重な我が民が命を散らしていただろう。今となっては、ただ一人の生者ゆえな」
「も、もしかして、あの人、本当の人間? 幻じゃなくて?」
「無論生きた人だ。我が国に生き残った者は、最早二人だけとなっていた。……いや、俺が王であった頃、治めていた国の民の末裔という意味だが」
「え? ええ?」
なんだか頭が混乱してくる。オーリーンが現役の王様だった時代は遠い昔のことで、今現存する人々はその子孫って意味なんだろう。
「フォーチュンは、お前の中に隠されていた恐れを読んだ。お前が試練の間際に懸念していたこと。それは偏に愛する者の安否であろう。フォーチュンはお前の揺れる心を秤にかけた。他者を犠牲にしてでもお前が力を継承し、世界を元に戻して身内を救うのか。それとも目の前で危機を迎えている者をまず優先するのか」
じゃあ……私が声をかけなかったら、森で会ったあの男の人は本当に死んでいた?
「ゆえに、その者を獣に襲わせた。獣に食われれば、いかなフォーチュンの力でも蘇生は果たせぬ。蘇りの術は神々でも許されぬもの。幽鬼へ変化させるのとはまた異なる」
「わ、私」
「もう一人の選ばれし者にも、お前と同じ試練を与えた」
「ひょっとして――」
「そうだ。二人だけとなった我が民の一人を、その選ばれし者は見捨てた――」
それは愕然とする事実だった。胸が冷えていくのに、かっと顔は熱くなる。
「ゆえに、その者、フォーチュンの力を受け継いだ」
なんて救いのない話だろう。
試練を受けていた時にもし決断を長引かせて躊躇い続けていれば、結果として一人の人間を見殺しにしていたかもしれないんだ。
私は強く目を閉じた。急に目眩がして、動悸が激しくなる。オーリーンはなだめるように、私の背中をゆっくりと撫でた。心が落ち着く前に、私はオーリーンを睨みあげた。
「オーリーン」
オーリーンは少し怯んだ様子で、背中をさすってくれる手をとめる。
「随分、詳しいね?」
その時のオーリーンの顔は見物といっていいのか……真っ白になった感じだった。
「まさかと思うけど、見てたの?」
「……」
フォーチュンは何て言っていた? 神々は、ただ覗き見て悲嘆するだけだって――。
本当に?
「見ていて、あなたの国の人が殺されそうになっているって、知っていたのに助けようとしなかったの? 違うよね?」
否定して欲しい可能性だった。私が試練について詳細を語っていないのに、オーリーンが疑問を挟みもせず話を続けたことに、不信感が募ってしまったのだ。
「嘘でしょ?」
オーリーンは否定しない。苦しそうに顔をしかめ、私から目を逸らす。
「信じられない!!」
私はついに絶叫した。腹が立って、滅茶苦茶に暴れたい衝動が生まれる。
「見てたの!? それなのに助けなかったの? 神様なのに!?」
「神ゆえに手が下せぬと言っただろう! 不可侵の誓約はまだ生きている。フォーチュンのなすことに、神々は口を挟めぬ!」
「馬鹿みたい! 自分達でまいた種でしょう!?」
「馬鹿だと!?」
オーリーンもさすがに腹に据えかねたみたいで、語調を荒げた。でも、言い負かされるものか。
「そうじゃないか。苦しんでいる人を見ていて、平気なんだ?」
「お前に何が分かる? 神々の苦悩をお前は知らぬ!」
「じゃあ、人の苦悩や辛さを、神様は知っているの!」
「知っているからこそ、こうして――」
「知っているのに何もしないんじゃ、知らないのと変わらないよ!」
知っているだけなんて、何の意味があるだろう?
「そんなだからフォーチュンだって、どうしようもなくなったんじゃないの!」
「お前、よくも賢しらな口を」
「それが本音? オーリーンも他の神様と変わらないね。人間を見下しているんだ。私達はどうでもいい存在なの? 生きても死んでもあなた達には関係ないの?」
私はもう一回、身をよじった。なんか腹が立ちすぎるとすごく大胆な、というか無謀な行動を取りたくなるものだ。自分の言葉の勢いに引きずられた部分も大きい。
「じゃあオーリーンは私が死んでもどうでもいいね? あなたは、私を助けようとはしないってことだね。なんていっても、干渉できないっていう誓約があるんだもんね」
「なんだと?」
オーリーンの赤い目が、はっきりと明確な怒りを湛えている。
――でも! かまうもんか。
多分、私は自暴自棄になっていたんだ。八方塞で、破れかぶれになって、もうわけがわからなくなって、全てがどうでもよくなった。
その中には、自分自身のことも含まれていて。
「さよなら!」
私は押し付けるように別れの言葉を叫ぶ。
オーリーンは驚愕した目で私を見返した。
オーリーンを突き飛ばすようにして、虚空へと身体を投げ出した私を。
私は自分の意思で、高い塔の最上部から身を投じた。
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