F012

 罪深いって、どういうことだろう?
 それに、魔術とか剣技って……ちょっと現実離れした耳慣れない言葉に、私は唖然としてしまう。
 疑問が顔に出たらしく、シルヴァイは子猫を可愛がるように私の髪を撫で、擦り寄るような仕草を見せた。私はどきまぎしながら、シルヴァイの端正な顔を見つめ返す。
「エヴリールは君の世界よりも争い事が多い。平穏の世は短く、その歴史は絶えず波乱に満ちている。ゆえに、多くの者は自衛のため、防御の術を持っている。魔術しかり剣技しかり」
 オーリーンが口を挟もうとしたけれど、シルヴァイはそれを眼差し一つで押しとどめた。
「魔術って……」
 剣ならまだ理解できる範疇だ。日本にも剣道とかあるわけだし。でも、魔術っていうのは映画や本の中にしか出てこないよね。
「魔術とは……そうだね。容易く言えば、定められた呪文を唱えて人為的にある現象を引き起こすものだと考えればいい。たとえば、守護のための結界を作ったり敵対者に攻撃を仕掛けたりね。正しい〈式〉さえ知識として得ていれば、誰でも扱えるものだ。勿論、個人の技量によって差異が出る。高等な魔術ほど難解だし、己に跳ね返る危険も負担も大きい。〈式〉は〈演儀〉ともいう。正確な文字、記号、配列、詠唱など、言葉の構築によって生み出される力だ」
 私は自分なりに、シルヴァイの言葉を咀嚼する。
 要するに、コンピューターでいうところの演算処理みたいなものなのかな? 命令を受けた光の信号が電子回路を駆け回る様子を私は想像した。回路を一つ誤れば、エラーになって正しく作動しない。そういうことだろうか。たとえば、アドレスの英文字を一字でも間違えると、検索は失敗してしまう。
「魔術と魔法には隔たりがある。魔術が〈式〉さえ正確に暗記すれば誰でも扱えるのに対し、魔法は生来の素質がなければ使えない。天性の能力というべきか。体内に秘められた魔力を引き出し、意思のままに扱えるだけの素養がなければ、どれほど望んでも行使は不可能だ。ゆえに魔法を操る者は少なく、魔術よりも高度であり希少価値がある。まあ、どちらも体力を消耗するという点は同じだがね。魔術は〈式〉により発動し、魔法は〈法則〉によって生まれる」
 うーん、魔術が出来、不出来があるけど勉強すれば使えるのに対し、魔法は生まれつき持っている素質が作用するってことみたい。
「フォーチュンは魔術も魔法も自在に操る。エヴリールに与えられたあらゆる〈式〉と〈法則〉を全て修めている」
 オーリーンは完全に聞き役に徹して、祠の縁に腰を降ろしている。
 シルヴァイは私を抱え上げたまま、何でもなさそうに話を続けてたけど、本当に重くないのか心配になる。
「魔術、魔法、それぞれに、二つの面を持つ。光と闇、動と静、天地の理と同様に」
 なんだかシルヴァイは、教え子を前にした先生役を演じているみたいだった。
「白魔術、黒魔術。神を讃えるものと悪魔を讃えるもの。両極にわかれる」
 ……神様が目の前に存在するんだし、そりゃ悪魔とかもきっとどこかにいるよね。
「その二つを全て手中にし、与えられる命題を乗り越えて修了の資格を得た者は、次なる高みへと導かれる。白と黒、その上に存在する力。それが聖魔術だ」
「聖魔術?」
「そう。〈式〉も〈法則〉も最早必要としなくなる。ただ想起するだけで、力が発動されるようになる」
 それって、超能力みたいな感じなのかな。念動力とかって、呪文とか唱えずにただ念じるだけで、望んだ現象を起こすんだよね。
「そしてその高みに用意された力の全てを手に入れた者は〈蒼使〉あるいは〈聖奏使〉と呼ばれる。フォーチュンが我らに選定されたのは、何も根拠のない気紛ればかりではなく、誰より内在する力が卓越していたためだ。普通ならば、一生を費やして、白、黒、どちらかの領域を修めればそれだけでも賞賛に値するというのに、かの者は老いる前に高みへ登った」
 フォーチュンの強大な力は、今、後継者に全部譲り渡されている――それがどれほど危険なことなのか、私はようやく理解した。核爆弾を、取り扱いの知識を持っていなかった個人が突然所有してしまうようなものなんだと思う。
「いいかね、ヒビキ。君が地上へ降り立つということは、かの者の後継者といずれ対峙することに他ならない。後継者の計画を、君が阻止するというのならばね。それだけではない。エヴリール全土をさまよう幽鬼達とも、君は向き合わなくてはならない――」
 ああ、私はさっき軽々しくオーリーンに皆を助けるなんていったけれど、それは途方もなく困難で長い年月を必要とすることなんだ。だからオーリーンはくどいほど念を押して私の意志を確かめた。
「君は残念ながら、戦い方を何一つ知らない」
「……うん」
 自分の浅はかさを認めなくてはならない。私は神様に選ばれた救世主じゃない。それどころか、フォーチュンに見捨てられてこの地に放り出された敗者なんだった。
「幽鬼を元の人に戻すには――彼らを一度、殺さねばならないのだよ」
「え?」
「君にそれができるかな?」
 
 ――殺すって。
 
「それ、どういう……」
「フォーチュンの仕掛けた術を解除するには、並みの魔法や魔術では太刀打ちできない。いや、通常の魔術や魔法、あるいは剣で斬りつけた場合、消滅させるのは辛うじて可能だろうが、それは「人」を形成するための核である魂もろとも滅ぼすことを意味する。だが幽鬼達とて大人しく消滅を待つわけではない。生きた人間を捕らえれば食らおうとするだろう。抵抗できねば、彼らに飲み込まれて己までもが幽鬼と化す」
「じゃあ、私には、皆を助けるのは無理ってこと……」
 身体中の力が抜けるような気がした。私って何の役にも立たないの?
「お嬢さん」
 落胆する私に、シルヴァイがからかうような笑みを向けた。
「私はお嬢さんが気に入ったのだよ」
「シルヴァイ……?」
「ところでね、君の叔父という者のことなのだが」
「三春叔父さん!?」
 私は思わず叫んで、シルヴァイにしがみつく。
 シルヴァイはなぜか、嬉しそうに私を両手で抱え直した。
「ふむ。あちらの世界は、水害に襲われたようだ。大地に亀裂が走ったことによって、水脈が大きく乱れたのだな。エヴリールが旱魃の被害を受けていることと関係があるのだろう。互いの世界は干渉し合い、また影響し合うものだ」
「叔父さんは? 賢治さんは無事なの?」
「無事だな。その、ケンジなる者は多少の怪我を負っているようだが、大事はないだろうね」
「シルヴァイ……もしかして、さっきいなくなったのって、二人のこと、見に行ってくれたの?」
 シルヴァイは肯定するように、にっこり笑った。
「ほら、私はその無闇に巨大な体躯の者よりも気がつくし有能だろう?」
 得意そうな顔をするシルヴァイに、私は思い切りしがみつく。
 喜びなのか安堵のためなのか――判然としないけれど胸がかっと燃えるような感覚を抱く。
 
 ――よかった!! 叔父さんも賢治さんも無事なんだ!
 
「ありがとうっ……!」
 他に言葉が見つからない。どうしよう、嬉しい。二人とも生きているんだ。
 それは私の中で大きな力となり、光となった。二人が生きていてくれるなら、何でも耐えられる。よかった、本当によかった。
 シルヴァイはくすくす笑いながら、それでも首元に張り付く私の背中をゆっくり撫でる。
 私、ひどいこと言ったのに。神様って自分勝手だって、そう思ったのに。
 
 ――こんなに慈しみに溢れているじゃない。
 
 優しい神様。私を拾ってくれて、大好きな人達の安否を心にとどめてくれて。
 
 ――今度は、私が役に立たなきゃいけない。
 
「よいのだよ。フォーチュンの過ちは、もとをただせば我らの過ち。君は巻き込まれたにすぎない。神々の償いを、君に押し付けることはできない。君はこの地にとどまることを許される」
「私、できることをするよ。シルヴァイもオーリーンも好き。だから、約束する。きっと方法を見つけて、皆が元に戻れるようにする」
 私を抱きしめるシルヴァイの手に力がこもり、ふと溜息をつく気配があった。
「オーリーンと同列というところが気に食わないが……」
 おい、と呆れるオーリーンの声が聞こえた。
「私、もし幽鬼とかになっても、二人のこと忘れないよ」
 突然シルヴァイが私の身を起こし、悪戯な微笑を浮かべる。
 本当に、不意打ちって感じで、シルヴァイが顔を寄せてきた。
 私が何を言うより先に、額に柔らかな感触が当てられる。
「シルヴァイ!!」
 オーリーンが驚愕して叫ぶ。
「な、何なの!?」
 少し遅れて、私は情けない悲鳴を上げた。もしかして、これが祝福!?
 そういえば、ファンタジー映画とかでこんなシーンを観た事があるけれど。
 私は赤面しながら、両手で額を押さえる。額に口付けを落としたシルヴァイは、面白そうに笑っていた。私はこういうのに、免疫ないんだから!
「シルヴァイ! いきなりこういう……」
 あっ、と思った。
 急に、額が燃えるように熱くなる。熱が額の中心で渦を巻き、一瞬だけ寒気がするほどの痛みが走った。
「な……!」
 何かが額を割って目覚める感覚。
 
 ――嘘!
 
 私は突然の変化に身を強張らせ、強く額を押さえた。
「シルヴァイ、お前!」
 ぐらりと世界が回転する。身体の中で何かが踊り狂っている。
「――私は、この娘が気に入ったのさ」
 シルヴァイの声が遠かった。
「あとはまかせた」
「待て、シルヴァイ!」
 シルヴァイは、抱えていた私をオーリーンの腕の中に押し付けた。
 私は激しい目眩を堪えながら、シルヴァイの姿を探した。
 
 ――シルヴァイ?

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