F018

 お前は神か、と本気で聞かれる経験なんて、そうそうあるものじゃないと思う。
 私はかなり脱力しながら、自分のためにもリュイのためにも即座に否定した。
「あのね、私のどこをどう見たら神様っていう結論に辿り着くの? そんなわけないよー」
 自分で言うのは虚しいけれど、私の容姿は平凡なんだ。まあ、今は非凡な格好をしているけれど、だからといって自分自身までもが非凡な人間に変われるわけじゃない。ああ、きっと客観的に見れば私、このきらびやかな衣装に完全にのまれているんだろうなあ。
「しかし」
 リュイは躊躇いがちに、視線を私の額の辺りに泳がせた。
 ん?……そういえば。
 畏怖をわずかに滲ませたリュイの視線につられて、私は自分の額に恐る恐る手をやった。
 額のちょうど中央にある、硬質の異物。
 まるで石か何かが埋まっているみたいな硬い感触に、私は驚いた。
 そうだ、シルヴァイの口付けを額に受けた時、急に熱を感じたんだった。
「……ちょっと聞いていい?」
「――何を?」
「私の額に、何かついてる?」
 たっぷり一分くらい、重苦しい沈黙が流れた。
 わっ、どうしよう。もしかして、たちの悪い腫瘍とかできてるのかも、なんてシルヴァイに対してかなり失礼なことを想像しながら私は一人で狼狽えていた。
「ご自分のことなのに、ご存知ないのか?」
 あからさまに怪訝な顔でリュイが口を開く。
 悪かったね、鏡で確認する暇も余裕もなかったんだもの、仕方ないじゃない。
「やっぱりなんかついてる? 腫れ物? 気味悪い感じ?」
 全然痛みは感じないけれど、私だって一応年頃の少女だ。自分の顔に、眼を背けたくなるほど気色悪いものがついていたらと思うと、不安になる。
「とんでもない」
 リュイは大袈裟に手を振った。罰当たりな、とでも言いたげな性急さで否定してくれる。
「神石でしょう、それは。少なくとも魔石ではない」
 シンセキ? 私の頭の中では、親戚、という漢字に変換されていた。
「何、それ……?」
「申し訳ないが、私は魔術師ではないので、これ以上のことは分かりません。ただ、術をよく知る魔術師には、力の結晶である神石が肉体にあらわれると聞いたことがあるのです。ですが……額に浮かぶなんて」
「それで、私が神様じゃないかって思ったの?」
 ううん、神様とお喋りしたことがあるだけに、何となく後ろめたいような、複雑な気分になってしまう。
 だってこの石、きっとシルヴァイが与えてくれたものだろうし。一体何の役に立つのかは今のところ全く不明なんだけれどね。
「それは絶対違うから、安心して」
 リュイは素直に頷いていいものかというような迷った表情をしていた。そして、当惑を映した瞳をエルの方へ向けた。
 エルは油断なく、判断しかねるらしいリュイをじっと注視していた。エルの態度って……人間的な表現で言えば「何か文句ある?」ってちょっと威張っているような感じだ。
「では……あなたは一体、何者なのですか」
 ひどく緊張した様子でリュイが囁く。
 ううん、それを説明できれば苦労はない。どうやって彼の追及をかわすべきか悩み、結局何も思いつかずに諦める。
「リュイ、私はあなたに決して危害を加えるようなことはしない」
「私は」
「荷物の中から、好きな物を持っていっていい。あなたが生きていくのに、必要だと思う物をね」
「私はそんなことを聞きたいのではない」
 なぜか苛立ったようにリュイは鋭く言った。湧き上がる激情を理性で必死に封じようとしているみたいだった。
 私は困ってしまう。本当のことを話せない。
「ねえ、リュイ。私のことは信用できない? 私は誓って、あなたを絶対に傷つけたりしない。でもあなたは、私のことを全て知らないと信用できないかな?」
 これがどんなに卑怯な言葉か、私はよく分かっていた。相手の質問を封じるために、心情的に揺さぶって罪悪感を植えつけようとする自分は、醜い。
 リュイは突然、立ち上がった。ぎょっとする私に背を向け、ぎこちない足取りでそのまま歩き出す。
「どこ行くの?」
 私は慌ててあとを追い、リュイの腕を掴んで振り向かせようとした。
 エルものそりとついてきたけど、私達から数歩離れた所で待機の姿勢を見せた。
「――むごいことを」
 リュイは立ち止まってくれたけれど、どれほど促してもこちらに顔を向けようとはしなかった。強い拒絶を示すように、全身に力が入っている。
「あなたは、なんてむごいことを言う」
 責めの響きを帯びた切り捨てるような硬い声に、何も返せなかった。仕方ないんだって割り切るには、私は子供すぎるんだろう。
「あなたは二度も、私の命を救ってくれた。一度目はワーズの森で。あの時、私は死を覚悟していた。レイムに魂を貪られるよりはましかもしれぬ、いっそ獣に殺される方が――私はそう思っていた。たった一人の仲間であり希望であった友を失った私には、もはや守るべき者も執着するものも存在しない」
 ああそうか、試練を強制的に受けさせられたあの森。私は結果的にフォーチュンの期待には答えられなかったわけだけれど、もう一人の候補者は試練に耐え抜き、力を継承したんだった。フォーチュンに認められたということはつまり、リュイの他に一人、この国に生存していたはずの人間を後継者が見殺しにしたという事実に他ならない。
 そこで見殺しにされた人は、リュイの仲間であり、友であり、唯一の心の支えだったに違いない。
 かけがえのない人を失ってしまった今、リュイは本当に独りなんだ。
「リュイ」
「狂気とはこういうものかと思った。死ぬなら血の中で死にたい。人として死にたい。それだけを切望していた私の前に――あなたが現れた」
 リュイの背がかすかに震えた。実際に涙を流しているわけじゃないけれど、心が泣いているのが分かる。
「信じられなかった。私は、あなたの存在を夢だと思うことにした。己の狂った願望が生み出した幻にすぎぬと。我ながら気の利いた夢だと笑ったものだ。私は、自分以外の存在を何より求めていたのだから」
 そういえば、初めて出会った時、リュイはとても必死な目をして私を見ていた。びっくりするくらいに真剣で一途な眼差し。瞬きさえもできないような。
「そしてあなたは突然消えうせた。やはり狂気が生んだ都合の良い夢であったかと、私は無理矢理己を納得させた。なのに」
 震える吐息が吐き出され、生ぬるい闇に溶ける。
 焚き火から少し離れたせいで、リュイの身体の輪郭が闇に紛れて曖昧になっていた。悲しみの余韻がゆらゆらと揺れているような錯覚を抱く。
「あなたは、こうして再び現れる。私に死の翼が触れかけた時、いとも鮮やかに現れ、手を差し伸べる。そうして、生きろ、死ぬな、とあなたは言う」
「それは」
 戸惑う私の言葉を遮るように、リュイは首を振った。片手で額を押さえ、ぎこちなくこっちに向き直る。
「あなたに分かるだろうか。友もおらぬ、家族も愛する者も何もかも、全てこの手から零れ落ちた! 誰一人いない世界で、我のみがさまようこの苦しみが、あなたに分かるか!?」
 低く抑えられた声は、それでも十分に薄闇を鋭く打った。
「狂えば最早苦しまずにすむ、死ねば何も感じずにすむ。そう思い、何度己の胸を貫こうとしたか。だかその度に、我に返る。もし、誰かが生き残っていたら。あるはずのない希望が、胸を焦がす。この世界のどこにも奇跡は見えぬのに、浅ましくも望みを抱く。絶望するほどの希望が、俺に生きろと急き立てる!」
 リュイは次第に、早口になった。理性を上回ったリュイの感情的な言葉は、とてもリアルに響いた。
「闇を払って現れるあなたの姿は、何よりの奇跡に見えた。神が許した奇跡のように」
「私は、神じゃな……」
「いや、俺にとってはあなたが真に神であろうとなかろうと、些末な問題にすぎぬのだ。ただ、あなたの存在が、俺にとっては救いになる。あなたが否定しても俺の目には、奇跡を具現させたかのように、どうしても映る。闇に差し込む一条の光よりもまだ眩い、奇跡の姿に――なんて、むごい」
 むごい――?
「あなたは、俺に一人で生きよと? 再びこの濁った闇を、ただ一人で堪えよと、そう言うのか。奇跡の形だけ見せ付けて、再び置き去りに? ならば、なぜ俺を救った、なぜ俺に手を差し伸べた!? 不要というのなら――いっそあのまま息絶えていた方が、どれほど救われたか!!」
 ああ、この表情――森で会った時と同じだ。
 狂おしく恋焦がれるような激しさを宿した瞳。
「ごめんなさい」
 私は両手でリュイの袖を掴む。
 リュイはまるで罪人のように地面へ両膝を落とし、顔を覆った。
「突き放すのなら、なぜ俺の前に現れる!」
「違う、私は」
 そんなつもりじゃ――。
 どうすればいいのか、分からなくなった。これほど激しい感情に、触れたことがない。狂気よりも凶暴で一途な、魂の慟哭に。
 私は手を伸ばして、項垂れるリュイの頭を両腕で包み、ぎゅっと抱きしめた。
 
 
 ――どうしたら、いいの。

(小説トップ)(Fトップ)()()