F020
自分が日本という異世界の国の住人であることや、このエヴリールという世界に召喚された理由、シルヴァイやオーリーンとの対面、フォーチュンとの会話など、私はここに至るまでの経緯をリュイに詳しく説明した。さすがに、リュイの命を秤に掛けていたことだけは言えなかった。正直に告白した方が心情的には楽になるのかもしれないけれど、あの時リュイを救うかどうか、少しでも迷った事実を私は知られたくなかったんだ。卑怯な考え方だなと自分でも嫌になるけれど、今話してしまうのはよくない気がした。せめてもう少し信頼関係を築いたあとにしたい、と私は内心で言い訳し、後ろめたさを感じながらも先延ばしすることにした。いつか、ちゃんと話そうと思う。
うん、あと、オーリーンにいきなり口づけされたこととか。それは別の意味で言えなかった。
最初の内、リュイは何とも言えない変な顔をしていた。だけど、フォーチュンのくだりで顔色を変え、シルヴァイ達の話になると驚愕を見せた。最後の方には呆気に取られた表情になった。
話の終盤には殆ど放心状態だったといっても過言じゃないと思う。
信頼の置ける親しい人ならともかく、会ったばかりの赤の他人からいきなりこんな戯言めいた突拍子のない話を聞かされた場合、そうすぐには納得できないだろう。というか、信じられなくて当然だし、常識で考えれば狂気の沙汰に近いような、異様な話だ。空想癖でもあるんじゃないかって笑われ、奇妙な目で見られても仕方ない。それでも、単なる与太話にすぎないと話の全部を否定することはできないだろうと思う。
その理由としてまず、目の前にエルの存在があること。私にはよく分からないけれど、こちらの世界に存在する普通の獣とも、エルはやっぱり何かが違うんじゃないかな。もう一つ、私の額に浮かぶ石のこと。神石、ってリュイは言っていた。どんな力が秘められているのかは不明でも、十分珍しいものだと思う。
リュイが頭の中で今の話を整理し終えるまで、私はしばらく待とうと思った。
信用するかしないか、あとはリュイの判断次第だった。
「ヒビキ」
「うん?」
疲労のせいか、瞼がうとうとと落ちかけた頃、ようやく復活したリュイが気遣わしげに声をかけてきた。
「その、な」
「なあに?」
地面に寝そべるエルのおなかを枕代わりにしていたんだけど、楽な体勢を取っていると話の途中で眠りかねないので、私は意識をちゃんと保つために身を起こし、小さく欠伸を漏らした。
「ああ、すまない。話は明日にしようか。疲れているだろう」
「ううん、今でいいよ」
エルのおなかを枕にしていたいという未練がちょっと残っていたけれど、そんなことは言っていられない。
「あなたは、その、考えたのだが……つまり、全くの被害者なのではないかと」
「被害者?」
信用してもらえないんじゃないかという不安が大きく、少し身構えていたのに、遠慮がちに投げかけられたリュイの言葉は予想外だった。
私は首を傾げた。被害者。
フォーチュンが私を候補者に選んだ理由は、人格や日頃の言動などとは全く関係なく、単純に誕生日が6月6日だったためというとんでもなく馬鹿げたものだったけれど。
どうせなら私の存在は特別だとか、不思議な力を実は持っているとか、そういう劇的というか突出した何かが見える運命的な理由で選んで欲しかったと結構恨めしく思う。正直、あんまり嬉しくない選定のされ方だもの。
――でも、全くの被害者じゃない。
本音を暴く冷静な自分の心の声に、ちくりと胸が痛んだ。少なくとも、試練の時リュイに声をかけるかどうか逡巡した私は被害者じゃなく、確実に、責任を負うべき加害者の立場にいたんじゃないかって思う。半ば強制とはいえ試練の最中だったのだから、無関係な目撃者とは言えないんだ。
急に事実を全てリュイに話してしまいたい衝動が生まれる。自分が犯した過ちさえきちんと背負いきれない私って本当に弱い人間なんだ、と凄く憂鬱な気分になった。
「……違うよ、リュイ」
「憎くはないのか?」
「何を?」
「神が生んだ貴人を、いや、大災の原因を作ったこの国の民を」
思っても見なかったことを言われて、私は驚いた。
この国の人間を、憎む?
「よく分からないけれど……私、国の人達に何かされたわけじゃないよ?」
「ヒビキ」
「フォーチュンも神様も国の人達も、争いを起こしたかったわけじゃなくて、ただ、少しずつ何かが食い違ってしまったんだよね。勿論酷いことをしているのはフォーチュンなんだけど、でもオーリーン達の話を聞いたら絶対に悪人って言えない気がして、恨みとか憎しみとか、どうなんだろうって凄く分からなくなって……」
誰を、何を、恨めばいいのか、はっきりとは断言できず、とても曖昧なんだ。
罪を憎んで人を憎まず、だっけ?
でも、罪に手を染めるのは人間だとも思う。人がいなければ罪は生まれないんだ。じゃあやっぱり人を恨むべきなのかとか、だとしてもそこに至るまでの経緯は無視していいのかとか、色々な疑問や迷いがごちゃ混ぜになっていて、今の私には正しい答えが見出せない。どこかで線を引かなきゃならないってことは分かるのに、その位置を決められないんだ。
とにかく今は、罪の意味を考えるよりも国の人達を助けることが先決なんだと思う。そうしないと私の国も大変なことになってしまうってオーリーン達が言っていたし。
そこで一旦考えをとめてリュイの様子を窺うと、なぜか奇異なものを見るような視線とぶつかった。ひょっとして私、優柔不断すぎるのかな。
恥ずかしさを感じて黙り込んだ時、リュイが明るい笑い声を響かせた。屈託のない、いい笑顔なんだけど……。
「どうして笑うのかな」
「いや、すまない」
と謝りつつも、しっかり笑ってる。馬鹿にされた気分になって、私は不貞腐れた。
「馬鹿にしたわけではない。あなたは、心の清らかな子だ」
子、って言い方が既にもう馬鹿にしてるじゃん、と思う。
それに、清らか、って何かこの場合は褒め言葉というより、子供の機嫌を取る感じに聞こえる。普通、年頃の女性相手に「清らかな子ですね」なんて言わないと思うもの。
リュイはちょっと横を向き、いつまでもしつこく笑い続けた。彼が元気になってよかったけどね、こんなことで笑うなんてあんまりじゃないかな。真剣に悩んだ私って、何だろ。
「――すまない」
突然、リュイは低い声でそう告げた。私は少しいじけつつも彼の方へ視線を向ける。そこには、深く頭を下げる彼の姿があった。
「あなたのような人を、このような醜い争いに巻き込んではいけなかった。それこそが何よりも罪深い過ちだ」
「え?」
「目を背けずにはいられぬほど醜悪なものが、この地には溢れている。恐らくそれらは、神々との契約のもとに進む以上、避けては通れない光景なのだろう――あなたを必ず守る。あなたがいつか、愛すべき者が待つ国へ無事に帰還を果たすまで、俺は変わらぬ忠誠を捧げよう。騎士たる証として、水の代わりに理義の血を注ぎ、風の代わりに光輝の剣を持ち、炎の代わりに忠勇の松明を燃やし、大地の代わりに不滅の意志を捧ぐ。我が身が土と還る日まで、この誓いは決して違えぬ」
ふとリュイは優雅に腰を折って片膝をつき、私の左手を取ったあと、そこに軽く自分の額を押し付けた。不満そうなエルの唸り声がしたため、リュイはすぐに硬直する私から離れて苦笑した。
忠誠って……平和な日本生まれの、しかもごく普通の中学生にすぎなかった私にとっては聞きなれない言葉だし、真面目に言われるとすごく動揺するんだけど!
うう、そういえばさっきも似たような言葉を言われたんだっけ。
騎士に誓いを立てられるって、もしかしてかなり光栄なことなんじゃないのかな。それこそ、命がけとか。だって、言葉って言霊ともいうくらいだし。
確か古代の日本って言霊信仰があったんだよね。日本は言霊の助けを受けている国なんだって意味の短歌があった気がする。そのくらい言葉には力が秘められているんだ。「好き」って言われたら嬉しくなるし、「嫌い」って言われたら嫌な気分になる。日常生活の中で何気なく使われる言葉でさえ、普段は気がつかなくてもとても威力があって、現実を大きく動かしている。
「あなたのような幼き人に、穢れなど見せたくはなかった」
まるで神様の心情を代弁したような、悔恨を含んだ苦い台詞だったけど、私はとってもむくれた。
「リュイって、何歳?」
唐突な私の質問に、リュイは僅かに首を傾げて瞬いた。
「二十六だが?」
「えええ?!」
思わず仰け反ってしまう。三十代に達してるかと思った。だって雰囲気も態度もすごい落ち着いてるし、大きいし。身体の大きさはあんまり関係ないかもしれないけれど、そんなに若いなんて。うーん、こう言っては何だけど、賢治さんの方が若く見えるかも。
気を取り直して、不思議そうにしているリュイを軽く睨む。
「ねえ、私、何歳に見える?」
「……」
微妙に表情を硬くして不自然に沈黙するリュイを、更に睨みつける。
「ああ、……十二、三くらいだろうか?」
……そうですか。
落ち込んで、エルのおなかにぱたりと倒れた。うわあ、どうせ背も低いし童顔かもしれないけどね。
くっきりとした外人顔なリュイからすれば、日本人の平淡なつくりの顔って年齢不詳に見えるんだろう。でも、今の躊躇いがちな言い方はひどすぎる。だってね、リュイは、私が子供扱いされているんじゃないかと疑いを抱いたことに気づいた上で、その十三って年齢を言ったんだ。ということは、実際はもっと年下に見えるんだよね。本人は色々と考えを巡らせて機転を利かせたつもりなんだろうけど、余計に墓穴を掘っているんだもの。じゃあ私って、実は十歳くらいに思われてるわけ?
「違うのか……?」
失言に気づいたらしく、リュイはかすかに顔を引きつらせながら、恐る恐る訊ねてきた。
なんか、脱力した。
「いいよ、もう……」
ああ、我ながら声が暗い。そうかぁ、思い返せば、シルヴァイもやたらと私を子供扱いしていたんだ。リュイなんて騎士という固い役職の人のくせに、全然抵抗なしに私を抱きしめたりしたもんね。完璧、幼女だと勘違いしてそんな態度を取っていたに違いない。
「ヒビキ……?」
「いいんだけどね、別に。一応、十五歳なんだけどね」
「十五!?」
今までの中で一番驚異的な話を聞いた、という感じの失礼なリュイの驚き方に、ますます落ち込む。
「まさか、幼い割りになんと聡い子だと思っていたが……いや、違うな、人にあらざる者かと思えばそれも道理かと、……ああ、睨まないでくれ」
一人でぶつぶつ呟きつつ混乱するリュイを、私は激しく睨みつけた。
「人にあらざる者って何? 私、化け物に見えるの」
「そうではなく……怒らないでほしい。俺は、あなたを女神の化身かと」
「女神!?」
幼いとか本音を言われたあとだと、実に嘘くさい! 全然嬉しくない!
「もう寝る!」
「すまない、決して馬鹿にするつもりでは」
それが余計に腹立つの!
私はエルのお腹に顔を埋めて不貞寝した。私の味方であるエルは、慌てるリュイに鼻を鳴らしたあと、長い尾をくるりと丸めて我が子を抱きしめるように包んでくれた。
いいけどさ、なんかエルにも子供扱いされてるよね。
うん、でもありがとう、リュイ。
胸の奥底では、私が神様に会ったなんてとんでもない話、信じてはいないかもしれない。でもそんな疑いを微塵も窺わせずに、私の心を気遣ってくれたんだよね。
どんなに非現実的であっても、私の言葉を飲み込んで受け入れようとしてくれるリュイの優しさがあたたかい。
きっとリュイの中では、信憑性があるかないかっていうことは些細な問題に映るのかもしれないなあと思う。もし私の話が全くの出鱈目で、それに気づいたとしても、なんだかリュイは盲目的なくらいに肯定してくれそうだ。
リュイがさっき誓った忠誠って、こんなふうにどこまでも献身的なものなのかな。
虚構か真実かが大事なのではなくて、その人の言葉を絶対に疑わず遵守することが最優先っていう感じで。
そうかあ、リュイはホントに騎士さんなんだなあ、なんて私は霞み始めた意識の中で感嘆していた。
その夜はもう獣の襲撃に悩まされずにすんだ。
ただ不貞寝するつもりだったのに、いつの間にか深い眠りの底に落ちてしまったらしい。
リュイは一晩中起きて見張りをしてくれていたようだ。朝方、私がエルに起こされるまで、焚き火が消えていなかった。
昨晩と全く同じ質素な食事をすませたあと、私達は老木の側を離れることにした。顔を洗いたかったしお風呂にも入りたかったけれど、周囲の荒廃を見ればそんな呑気なことを言えるはずがない。
困ったのはトイレなんだよね。ああ、不衛生。
まあ、その、ティッシュとかはまだ少し残っているんだけど……これは、いざって時のために取っておいた方がいいし。仕方ないので、比較的奇麗な枯葉とかを代用にするしかないんだよ。うう、すごく気持ち悪い。リュイはどうしてるのかなあと思うけど、いくら何でもそれは聞けない。とにかく身体を洗いたくてたまらなかった。
町や村に行けば、お風呂とかあるのかなあ。
「ウルス、という村がここから一番近い」
リュイは緩やかな傾斜の方を指差し、そう言った。
昨日、徒歩で二日要するって言ってた村のことだろう。
「レイムがいて、危険なんだよね」
怖気づいたわけじゃないけど、一応確認する。事実を知るのと知らないのでは心構えが違うもの。
「いや、昼間にレイムは現れないんだ。レイムは日没と共に出現し、夜明けと共に眠りにつく。ゆえに気をつけなければならないのは、魔物や飢えた獣の方だな。獣も魔獣も昼夜問わず襲ってくる」
「魔獣と獣の違いって?」
焚き火の始末をしながら、リュイが説明してくれた。私は荷物の用意。
「獣は神の創りしもの、魔獣は堕落の王が生みしもの。あなたの世界に獣は存在するだろうか?」
うん、と答えつつ、内心で、ここにいる獣とはちょっと違うけど、と付け加える。
「では、魔獣は、あなたの世界には存在しないのか?」
「しないよ。空想上の生き物だね」
リュイが手についた煤を払い、目を眇めて微笑む。
「魔獣の出現は人為的な場合も含まれる。獣とは異なり、術を知る何者かが召喚したのだろう。魔物の通る扉を、乗門、というんだ」
私の頭の中は疑問符だらけだった。
「魔獣の抜け道は地冥界へ繋がっているという。私は魔獣についてあまり知識はないのだが、以前、このような話を聞いたことがある。魔獣が通る扉は次元のねじれであり隙間であると。その歪みを一定期間、作為的に作り出すことが可能なのは修練を積んだ魔術師、あるいは魔獣を隷属させる召喚士だという。だが、召喚とは無関係に魔獣が出現し人に災いをもたらすことがある。恐らくは何かの拍子に地冥界への扉が開くのだろう」
「魔獣ってよく見かけるの?」
「今はこれだけ世界が荒れているから多いだろうな。それに、今まで魔を隷属させていた召喚士、魔術師達が揃ってレイムと化した。中途半端に契約を終了させられた魔達までがさまよっている」
なんか、ホントに凄い世界に来てしまった感じだ。
「魔獣にも格があり、手強いものもそうでないものも存在する。中には人の姿を模倣する、高度な知能を持つ魔もいる」
「えっと、人の姿と同じ? どうやって普通の人間と魔を見分けるの?」
「気配が違う。魔はどこかしら尋常ではない空気をまとうものだ」
うーん、正直、見分けられる自信はないかも。
「また魔獣と幻獣は別の領域に存在する。幻魔、妖魔もまた世界が区別されているという。それぞれが来たる乗門も異なるらしい」
わあ、もう駄目。そんなにたくさん警戒しなきゃならない生き物が存在するの。
不安が表情に出てしまったのかもしれない。会話を続けながらも野宿の痕跡を全て消し去ったリュイが、穏やかな、それでいて真摯な眼差しで、途方に暮れる私を見つめた。
「心配はいらない。魔が現れても、あなたの身は必ずお守りする」
「んんん……」
リュイって危険が迫った時、自分の身を盾にしてでも誓いを守り抜きそうな感じだ。
「リュイは人の姿をした魔物と戦ったこと、ある?」
「ええ、何度か」
リュイは魔物と戦った過去を思い出したのか、少しだけ厳しい表情を浮かべた。
「魔の中で上位とされる者、特に人型の魔は、単独で打ち倒せる相手ではないだろう。少なくとも魔術師を含む精鋭を集めた一軍を率いねば拮抗し得ない」
一軍?
それだけ大勢の人数で対戦しなきゃ力が並ばないなんて、魔物って滅茶苦茶強いんじゃないのかな。
すり寄るエルにもたれかかりつつ、私は眉間に皺を寄せて考え込んだ。
やっぱり道中で出くわしたりしちゃうのかな、人型の魔物と。
「ヒビキ」
俯く私の前に、リュイが屈み込んだ。
「あなたを守る。信じてほしい」
うん、信じているけれど、リュイはいざとなると絶対自分を犠牲にしそうなんだよね。私を庇って命を危険にさらさないでほしいということだけは、いくら約束させても裏切られそうな予感がある。
かといって、ここで身の安全を第一にしてと強要してもリュイは困惑するか、存在の意義を否定されたと誤解して悲しむかのどちらかになるのは目に見えている。
難しいなあ、と私は悩みながら、エルの顔を撫でた。
「うん、ありがとう」
そう答えると、リュイは慎ましやかな微笑を見せた。大人で、強くて、とても凛々しい感じなのに、どこか禁欲的な雰囲気に、ちょっとどきどきしてしまう。
出会えたのがリュイのような人でよかったな、と私はふとそう思った。
「そろそろ出発する?」
訊ねると、リュイは穏やかな眼差しのまま頷いた。
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