F021

「ヒビキ――知りたいのだが、その剣は闘神より授かったのだったな?」
「うん」
「では、神剣ならば人々を救える、という意味に捉えて良いのだろうか」
 リュイは考え深げな様子でそう言ったあと、ちらりと私を見つめた。
 今、私達は野宿の場にした老木の側を離れ、左手の遠方に広がる林のような暗い地を横目で見ながら、町へと向かって荒野を歩いている。
 ひび割れた鳴き声を響かせる鴉のような黒い鳥が数羽、遥か天空を時々苛立たしげに飛び回るだけで、凍り付いた大地に動くものは見当たらなかった。まるで墓を荒らされた骸骨が地中から這い出て苦しそうに身を捻っているかのような気味の悪い形の枯れた木が、不規則にぽつぽつと立っている。瑞々しさを失った灰色の幹を支える地面はどこまでも乾燥していて、割れた石畳のように無数の亀裂が入っていた。そんな色彩の乏しい荒野を浚うように乾いた風が通り抜け、低く砂埃を舞い上げて、不意に視界を不明瞭なものにした。息を吸い込むと、空気までもが乾燥した砂の匂いに満ちていて、どこかざらついているのが分かる。大地に温もりを注ぎ、心を洗ってくれる目映い陽光は期待しちゃいけないようだ。コンクリートで埋め立ててしまったみたいな澱んだ空の色は、果てしなく凍えた印象を抱かせた。空の低さが寂寞とした虚ろな景色をひどく歪ませ、身を押し潰すかのような閉塞感を与えている気がする。目に見える危険は今のところないのに、なぜかとても不安に駆り立てられ、気を抜いた瞬間にぐにゃりと足元の地面が波打って、獣の吐息に似た生温い暗闇が広がる亀裂の奥に飲み込まれてしまうんじゃないかっていう、全く馬鹿げた、だけど奇妙に切迫した感じを伴う焦りを抱かせるんだ。
 私は重苦しい空から目を逸らし、内心の恐れを誤摩化すために軽く首を振ったあと、隣を歩くリュイの横顔に視線を向けた。
 実は、いざ出発という時にちょっと一悶着あったりしたんだ。
 うん、エル。
 移動時間の浪費を少しでもおさえるため、リュイもエルに乗せてもらおうとしたんだけれど駄目だったんだよね。
 予想外の問題というか……エルが私以外の人を乗せることを激しく嫌がったんだ。
 人間を二人も乗せるのは重量オーバーなのかなあと思ったんだけれど、どうもそれが原因じゃないようだ。よく考えると、オーリーンみたいに体躯の大きな神様を騎乗させても平気だったわけだし。
 獣に襲われていたリュイを救出した時はあくまで非常事態だったため素直に乗せてくれたらしいけれど、本音ではかなり渋々だったみたい。
 私がどんなになだめすかして頼んでも、エルは一貫して固い拒絶を見せ、「嫌!」という感じに唸って毛を揺らすんだよ。そこを何とか、としつこくお願いする内にエルは完全に機嫌を損ねてしまって、すごく恨めしげな目を向けてきたり、私が一瞬顔を背けた瞬間に長い尾でぱたんと腕を軽く叩き、憤りを訴えてきたりしたんだ。しまいにはそっぽをむいて返事もしなくなり、私はとても困ってしまった。
 それまで私達の奇妙な喧嘩を静観していたリュイは、無理強いはしない方がいいと、不貞腐れるエルを寛大な態度で許してくれたんだけれど。
 リュイ曰く、神に仕える高貴な獣ならば人を乗せたがらなくて当然、なんだって。
 ううん、エルってただ人見知りをしていたんじゃなく、結構プライドが高いみたい。じゃあきっと、オーリーン以外の人を騎乗させるのは腹が立つというより屈辱に感じるんだろうなあ。本当は私のことも乗せたくないんだと思うけれど、オーリーンの命令ならば仕方ないって諦めているのかもしれない。
 こういう予期せぬ騒動があって、だったら私も体力をつけるために徒歩で行こうとすると、エルはショックを受けたらしく、とても傷ついた目をした。声をかけても頑として動くものかという必死な様子でうずくまるんだよ。
 低空飛行中のエルの気分を慮ったのか、それとも本心なのか、ちょっと判断できなかったけれど、リュイは静かな口調で、私に騎乗した方がいいって注意をした。
 もうこの辺で、実は私も意地になりつつあったんだ。エルと同様に、つい恨めしげな目をリュイに向けてしまった。
 リュイは真剣な表情で、私が納得できるようにもっともな意見を口にした。まず、私とリュイの体力の差。体格の差。私までが徒歩となるとその分動きが遅くなり、無駄に時間を費やすだけで何の得もないって。リュイは旅慣れているので徒歩は苦にならないのだと言った。そして、何よりも私が徒歩だと獣や魔物の襲撃に直面した時、危険だからって。
 そういう危機的状況に備えるため、リュイに剣の扱い方を教えてほしいんだけれどなあ。でもリュイは断りはしないものの、稽古について匂わせると、さりげなく話題をすりかえたりするし。私、そんなに運動神経なさそうに見えるのかな。
 という感じで結局私だけがエルの背に乗っていた。まだエルの機嫌も、ついでに私の機嫌も斜めを向いている。
 リュイはやっぱり大人で、とりあえず決着したこの話にはもう触れようとせず、別の話題を持ちかけてきた。
 
 ――うん、剣の話。
 
「……神剣?」
 疑問調で呟きつつ、ああそうか、と私は思った。神様のオーリーンが貸してくれたんだから、神剣というべきなんだよね。
「それは、私にも使えるものだろうか?」
 リュイはなぜか深刻そうな声音で訊ねた。
「えっと、どういうこと?」
「神剣ならば、誰でもがみだりに使用できるとは思えない」
「どうなのかな……。オーリーンはそんなこと言ってなかったけれど。リュイは、この剣を使いたいの?」
 意図を掴み切れず思ったままを口にすると、リュイは一瞬視線を落とし、躊躇うような表情を見せた。
「私は職業柄、剣の扱いに慣れている。あなたよりも私が使用した方が、いいのでは」
 何だか肝心な点を誤魔化されたような違和感を抱いた。――その理由はいずれ分かるのだけれど、この時の私は自分のことに精一杯で、言葉の意味を汲み取る努力を怠っただけじゃなく、何も先を見てはいなかった。リュイは本当に何一つ苦労を知らない浅はかな私を心配してくれていたんだと、痛切に噛み締めずにはいられない厳しい現実が立ち塞がることとなる。それはまだ見ぬ、未来の話。
「エル、どう思う?」
 エルは多分、人の言葉が分かると思うので、意見を求めて訊ねてみた。すると、冷ややかな目でリュイを見つめ「無理だ」というようにふるりと首を振った。銅色の鬣が緩く波打つように揺れる。
「やはり、無理か」
 リュイは苦々しい顔つきで言った。
「やはり?」
 その言い方が気になる。前例があるような口調だった。
「我が国にも神剣が存在する。それは王家の血を強く受け継ぐ方にしか扱えない」
「……王家?」
 私はかなり引きつった顔をしたと思う。うわあ、何だか恐れていたものがとうとう来たという感じだ。
 王家だよ、王家! 日本でいえば皇家だよ。
「神話として語られているが――世界が混沌から目覚めた開闢の時、大地を統べた始まりの王は神であったという。クィーヌ・ガレ新国は始まりの王が築いた最古の国とされる」
 始まりの王……オーリーンのことだよね、きっと!
 不謹慎だけれど、胸が高鳴った。知っている人が神話として語られるなんて凄いと思う。
「かの偉大なる賢き王の御名はクインザ・ガレンド。叡智と栄光の灯火よ永久なれ、と始祖王の御名を国名としていただいた」
「……うん?」
 オーリーンて、昔そういう名前だったのかな? というか、国名が違ってる。
「女の人の名前に変わっていない?」
 クィーヌって女性の名前っぽいと思う。
「始祖王は王妃を選ばなかったという。国こそが我が妃とそう宣言したのだと」
 わ、わ! それってイギリス王朝のエリザベス女王と同じだ。エリザベス女王って確か国と結婚するって宣言したんだよね。こんなところで歴史の類似点が見つかるとは思わなかった。
 オーリーン、格好いい! 
 あれ、でもオーリーン、私を妻に迎えてもよかったみたいなこと言ってなかったかな。
 ……オーリーン、どっち?
「ゆえに国名は、始祖王の御名を女性に変えたものとされた。国と命運を共にするという意味をもって」
 なるほどねー、と私はとても納得した。
 感激している私の姿を見て、リュイが小さく笑った。
「現代までもその誓いは継続され、因習となっている。代々の王もまた、王妃を迎えてはいないのだ」
「えっ」
「王の伴侶は国であれと」
 じゃあ王様って皆独身なの? 
 だとするとこの国って世襲制じゃないのかな。私が不思議そうに見返すと、何を訊ねたいか察したらしいリュイは一瞬ぎくりとして微妙に視線を泳がせた。
 ……その不自然な態度で分かったよ。
「愛人とか側室さんとかたくさんいて、もしかしたら後宮とかもあったりして」
 鎌をかけるつもりで呟くと、リュイはものすごーく動揺を示し、ものすごーく「しまった……」と後悔した顔を見せた。
 そういう話に嫌悪して我が儘を言うほど潔癖じゃないけれどなあ。だってどこの国でも、王様は女の人をたくさん囲うものだと認識されているし、実際過去の歴史の中では珍しいことじゃなかったらしいし。まあ、個人的には絶対やだなあと思うけれど。
「……オーリーンにいつか聞いてみよう」
「ヒビキ?」
「ううん、何でもない」
 リュイは微妙に恐る恐るといった視線を私に向けていた。ここで言い争っても仕方ないしね、うん、私も大人なところを見せないと。
「世継ぎとか後ろ盾とか領地の問題があるもの、仕方ないよね。側室さんを自由には選べないんじゃないかな。権力ってそういう時は面倒だよね」
 物わかりのいい態度を作って言ったら、リュイは目を見開いたあと、複雑そうな顔をした。
 私のこういう知識は勿論歴史の教科書……なんかじゃなくて主に漫画と映画。日本の娯楽って意外に奥が深くて侮れないよね。
「まあ、それでも奔放な王様もいたかもね」
「ヒビキ、その」
 リュイは話題を変えたい、と訴えるような、切実な感じが漂う表情を浮かべた。私の声が自然に低くなっていたせいかも。更にはなぜか無関係なはずのリュイを睨んでいたみたいだ。
「ねえリュイ、もしかしてこの国って一夫多妻制だったりして?」
 リュイは僅かに息をつめたあと、周囲の様子を警戒する振りをして私の質問から逃れようとしていた。
 うわー、信じられない。絶対そうなんだよこの反応!
 というか、始まりの王がオーリーンっていうなら、この許せない法案を制定した張本人なんだよね。
「……オーリーン、いつか絶対白状させるんだ」
「ヒビキ」
「何でもない!」
「ああ」
 本当はリュイのことも聞きたかったけれど、それはできなかった。だって、もし奥さんがいるとしたら、その人は今、幽鬼に変貌していることになる。気軽に訊ねたりして悲しい思いをさせるのは嫌だし、すごく無責任で心がない行為だ。
「平民の大部分は一人の妻を守る」
 リュイ、それって間違いなく怒りに油を注ぐ発言だと思う。
 言い換えれば、身分のある人達は数人の女性を娶るってことなんだろう。それに、大部分、って言い方も怪しい。少数の人は一人の妻じゃ満足できないって言っているのと変わらないじゃん。すっごくふしだらだ!
「神剣の話を続けてもいいだろうか?」
 不穏な空気を察知したリュイは自分が爆弾を投下したことに気づいたらしく、素早く話題をもとに戻そうとした。
 何だっけ。ええと、神剣の話をしていたんだった。
「王家は神の血を受け継いでいる。始祖王が残した神剣を振るえるのは、王家の者のみ」
「え。それって」
「王家にも、神剣が奉られている」
 私は驚いた。その話でいくと、王家の人も神剣を使えば幽鬼と化した人達をもとに戻せるってことになる。
「神剣が、あるの?」
「ああ。始祖王は出没する魔物を打ち払えるようにと、各国の王のために神剣を授けた」
 でも、王家の人々も幽鬼になっているんじゃ。
「そこで、ヒビキ。できうるならば町々を巡る前に、王都へと直行したいのだが」
「幽鬼……レイムって同じ場所に留まるの?」
「正確な道理は分からないが、以前の記憶が枷となるのか、レイムは生まれ育った土地、または強い思念を残した場所に固執する習性を持っている」
「そっか。じゃあ、お城にいってまずは王様を元に戻せば……」
 神剣を使える人が増えるってことなんだ。
「――我が国の王は既に崩御された。いや、自害されたのだ」
「自害?」
「人身御供。初めの頃、国の退廃は神の制裁だと皆に恐れられていた。家臣の中には王が神の意思に背き国を悪しき方へ導いたためだと根拠のない愚かな論を持ち出した者も少なからず存在したのだ。ゆえに王は、その命をもって災いを取り除こうと身を捧げたが――」
 そういう問題じゃないんだ。
 王様が命を犠牲にしても、国に降り掛かった災厄は神様達の意思によるものじゃないから、事態が好転するはずがない。結果として、国の道標となる指導者を失い、余計な混乱と諍いを生んだだけだと思う。
「王の座は空のまま、なす術もなく国は滅んだ」
 リュイは壮絶な表情で荒野を見据えた。諦観と苦痛が滲む切ない表情だった。
「奉られている神剣は現在、二本。本来は三本存在したが、一本は王が身を捧げた時に葬られた。神剣を握れるお方は――第二王子、グリフォア・ディークローブ殿下。そして第七王子、サザディグ・ソダーウェルナス殿下」
 ごめん、名前が長くて覚えきれなかった。なんて言えそうにない真剣な雰囲気だ。
「両殿下を、まずはお助けしたく思う」
「う、うん、分かった」
 私が慌てて頷くと、リュイはほっとした様子で微笑んだ。
「あのぅ、ちょっと疑問に思ったんだけれど」
「何か?」
「王家の血を受け継ぐ人が神剣を使えるんだよね。でもリュイ、第二王子と第七王子って言ったね。他にも王子様がいるんだよね?」
 なぜ第二、第七、と限定したのかが気になった。王族の系図なんて全然分からないのだけれど、第一王子とか第四王子とか、もしかしたら王女様だっているんじゃないのかな、と不思議に思ったんだ。
「亡き王には十人の御子がいらっしゃる。けれども、神剣を扱えるのはお二方のみ。神の血をより濃く受け継いだ方だけが神剣に触れられる。ゆえに王位継承権を持つのも両殿下のみ」
 んん、何だか王位とか血筋とか、すごくきな臭い感じの話になってきた気がする。大抵の場合、君主制の国って血縁者同士で継承権の争奪戦を始めたりとか、高い地位を狙う家臣の暗殺とか、とにかく権謀術数をめぐらせた不穏な揉め事を巻き起こすんだよね。……って、三春叔父さんが以前、夜の九時から放映される洋画劇場を観ながら言っていた。
 まあ、政治の複雑怪奇な話が私に関わってくることはないし、あれこれ詮索しても意味はない。
「その、王都って、こっちの方向でいいの?」
 王都っていわゆる首都、ってことかな。
「ああ。まずはウルスの村で必要なものを調達し、その後南下して神殿が建設されているラヴァンという町へ行きたい」
 う、ううん?
「ラヴァン……?」
「ウルスの村には神殿がないのだ。ラヴァンまでの道程はおよそ七日、いや、もう数日必要か」
「あの、リュイ?」
 リュイは殆ど独白調でぶつぶつ言いながら考えに沈んでしまったので、私は慌てて名前を呼び注意を引いた。話が全然分からないよ。どうして王都へ行くのに、神殿に寄り道する必要があるの?
「ああ、すまない。あなたはこの世界の者ではないのだったな」
 リュイは、はっと我に返った表情になり、エルの背に乗っている私を見つめた。私は少しだけ、目を伏せた。リュイの瞳の中に一瞬浮かんだ、母国の者ではないという悲しみや失望みたいな感情の揺らめきを、見てしまった気がしたんだ。
 私は国について何も知らないから、ちょっとした話題でもそのつど戸惑ってしまい、聞き返さないと理解できない。リュイはきっと私が戸惑う分と同じだけ焦れったさを感じて、今のように異国の者と一緒にいるのだと再認識させられるんだと思う。
 ごめんね。私は心の中でそっと謝罪した。
「神殿には大抵、緊急時に使用される法具などが常備されている。法具の中には確か、空間転移に使用できる法具があったはずだ。それが使用可能ならば、危険な長旅を続けずとも王都のジンシャンまで身を運べる」
 私は必死で頭を働かせた。あんまり何でもかんでも聞き返して、リュイに手間のかかる面倒な子だって煙たく思われるのが嫌だった。
 子供の「なぜ」「どうして」っていう質問攻撃、最初はよくても次第に大人はうざったく感じるんだよね?
 ええと、法具。ファンタジーでいう魔法使いの杖みたいな役割を果たすのかな。空間転移って、瞬間移動と同じ意味だと思う。そういう便利な道具が神殿にあるかもしれないから、ラヴァンという名の町に向かいたいってことだね。
 で、ラヴァンの町は、これから向かうウルスの村を南に下がった場所に存在するんだ。
 うーん、でも、その法具って一般人の私とかでも使えるのかな。何か呪文とか唱える必要があったりとかしないのかなあ。呪文なんて何にも分からないけれど平気だろうか。
「何度か転移を試した経験があるが、今も残されているかどうか」
 あ、そうか、リュイは転移の経験があるんだ、と私は安堵した。じゃあ大丈夫だよね。
 大丈夫、大丈夫、と私は心の中で繰り返した。
 コンクリート色の空を切り裂くように、天空で舞っていた黒い鳥が一声鳴いて、彼方へとはばたいた。
 鳥が遠ざかって黒い点のように見えるまで、私は視線を向けていた。
 リュイはひどく鋭い眼差しをして、思索に耽っているみたいだった。

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