F023

 私がするって言ったのに、リュイは何だかんだと尤もらしいことを呟きつつ一人で焚き火の用意をした。手伝うことさえできなくて、とってもやきもきしてしまった。リュイの方が支度をするのでも断然手際がいいというのは分かるんだけれど、全部まかせきりで眺めているだけじゃ私、いつまでたっても何一つ覚えられないよ。
 結局、一番危険が大きい入り口付近にリュイは腰を落ち着けてしまったし! 
 もう、こういう時だけエルとリュイってぴたりと意気投合しているよね。私が動こうとすると、エルがすかさずくるりと長い尾で包んできたり、長衣の裾を噛んだりして故意に邪魔をする。その間にリュイが行動し、ぱぱっと準備を終わらせてしまうんだ。
 私は怒っているんだよ。
 こっちの憤りを敏感に察しているのか、エルは機嫌を伺うように時々鼻を押し付けてくる。リュイの方は少し困った表情を浮かべつつも、決して引き下がる様子は見せずに毒気のない口調と態度で私の追及をかわすんだ。こういうの何て言うんだっけ? のれんに腕押し?……なんか違うかな。
 でも、どれほど遠回しに拒否されようと、今夜の見張りは絶対に、私!
 リュイ、全然眠ってないもの。いくら野宿に慣れていて魔物を倒せるほど強くたって、睡眠時間をちゃんと取らなきゃいずれどこかで体調を崩すと思う。
 味気ない簡素な食事を終えたあと、私はエルが欠伸をした瞬間を見計らって素早く立ち上がり、入り口側の内壁……つまり、リュイの近くに腰を降ろした。使い方なんて知らないけれど、用心のために一応オーリーンから貰った剣をしっかり抱えてね。
「ヒビキ」
 困惑した様子で呼びかけるリュイを、私はつんと無視した。動かないよ。
 エルが喉の奥で唸りつつ、渋い表情を示すかのように鼻の辺りに皺を寄せてじいっと見つめてくるけれど、それも無視。
「……こうしよう。交代で見張りをする。あなたは先に休んでいて欲しい」
 そんな甘い言葉に騙される気はないもの。一見平等に聞こえるけれど、その提案を鵜呑みにして先に眠ったら、リュイは絶対に出発時間ぎりぎりまで起こさないつもりなんだ。
 私は半眼になって、戸惑うリュイを見上げた。
「交代ね。いいよ、じゃあ私が先に見張る」
「いや、それは」
「その方がいいと思う。真夜中の方が危険なんだよね。だったらこの時間に私が見張りをする方が、理に適っていると思うけれどな」
 私は映画とかから仕入れた知識を総動員させて、リュイに意地悪く言った。理屈としては合っていると思う。
 なんて言いつつ、本音では私だって途中でリュイを起こす気はないんだ。嘘をついているのはお互い様だ。今までの行動を振り返ると、どう考えたって明らかにリュイの方が負担が大きいもの。
 口ごもって視線をさまよわせるリュイを見かねたのか、エルが「じゃあ自分がなんとかしようか……」って感じで、のそりと身を起こそうとした。
「エルは駄目だよ。いざという時はエルの足が頼りなんだから、休める時に休まないと駄目」
 エルが完全に起き上がる前に、素早く牽制する。エルは中途半端な体勢で固まっていたけれど、私が睨むと、何となくしょんぼりした様子で元の位置に戻った。
「旅に慣れるまでは、見張りは私にまかせてくれないか?」
 誤魔化すことを諦めたらしいリュイが少し身を寄せてきて、今度は説得しようとした。 
 旅に慣れるまでとはいうけれど、この調子だと絶対に有耶無耶にされていつまでもリュイが無理を重ねるんだ。
「旅に慣れたいから、こういう経験も積んでおきたいの」
 私は目を逸らさずに早口で答えた。
「ヒビキ――気持ちはとても嬉しく思う。だが、もしあなたが見張りをしている時に襲われた場合、どうなるだろう。あなたは、剣を使えないのではないだろうか」
 リュイは言いにくそうに、けれども譲らない瞳で反論した。
 私は言葉を失って、視線をさまよわせた。その通り、かもしれない。今は安全な状況にいるからいくらでも大口を叩けるけれど、本当に危険が差し迫った時、私はただおろおろするだけで何の抵抗もできない気がした。
「私を気遣ってくれるあなたの心を無視したいのではない。あなたが危険と直面する姿を、私は目にしたくないと思う。どうか私の我が儘を受け入れてほしい」
 我が儘なんかじゃない。リュイは慎重に言葉を選んで、私が傷つかないように心を配ってくれている。
「でも、リュイは全然休んでいないもの」
「仮眠はとっている。それにヒビキ、私は今まで一人で夜を過ごしてきた。こういったことは苦にならない」
 何も言い返せず俯いて剣を握り締めると、様子を見守っていたエルがそろそろと近づき、私の頬に鼻をすり寄せてきた。鋼色の長い毛が顔に当たってくすぐったかった。
「ごめんなさい。役に立たなくて」
 自分の声が落ちる所まで落ちたっていうくらい沈んでいた。
「違う、そういった責任をあなたが負う必要はない」
 リュイは急いで否定してくれたけれど、私にはやっぱり責任があると思う。
「ヒビキ」
 自分の力のなさが悔しくて顔を上げられずにいたら、リュイがひどく躊躇う様子で腕を伸ばしてきて、私の顎に軽く触れた。
「あなたがいてくれるだけで、いい」
 薄闇の中に溶け込こんでしまうくらいの小さな声でリュイはそう言った。
「それ以上に望むことは、何も」
 リュイは素早く告げて、すぐに指を放した。どういう意味か聞き返そうとして口を開きかけた時、エルが横に回って「奥に移動しなさい」と急かすような感じで私の腕に額を押し付けてきた。
 私は困って、リュイに視線を向けたけれど、顔を合わせてはくれなかった。何かを堪えるように、リュイはずっと頑なに横を向いていた。
 
*******
 
 夜。真っ暗な。
 きゅうっと柔らかいものが身体に巻き付いてきた感触で目が覚めた。
 一度眠りについたら私はなかなか起きられない方なのに、なぜかこの時は一瞬で意識がぱっと冴えたんだ。
 焚き火が消えている。エルが長い尾を巻き付けて私の動きを完全に封じている。
 
 ――リュイは?
 
 いない。この空洞に、いない。
 ぐっと緊張感が高まった時、どこかで何かが地面に倒れる音が聞こえた。すると突然エルが俊敏に身を起こして側に置いていた荷物をくわえ、軽く振り上げるようにして自分の背に乗せた。びくつく私が起き上がるよりも早く、エルが上体を伏せて「乗りなさい」と合図をするように唸った。
 私はよろめくようにしてエルの背に乗り、慌ただしく荷物を固定させたあと、しっかりと鋼色の毛を掴んだ。準備が終わると同時にエルが勢いをつけて空洞から飛び出した。
 外へ出た瞬間に、息が詰まるくらいの濃厚な血の匂いが周囲に広がっていると気づく。
「リュイは……!」
 私が叫ぶようにして問うと、エルは心得たという態度でひらりと方向転換し、素早く駆け出した。夜の色に染まった重々しい風が鋭く頬を打ち、鳥が飛翔する時のような音を立てて衣服の袖をはためかせる。殺伐とした気配。リュイ。
 世界を呪うような恐ろしい獣の悲鳴が響き、やがて闇と同化する。どこか歪で、獣というより狂った人の嘲笑めいて聞こえ、その禍々しさに心臓が大きくはねた。
 エルは、でこぼことした起伏が多くて歩きにくい地を滑らかに駆け抜け、凄まじい咆哮が響く方へと接近した。
 弱々しい月の明かりに浮かぶ黒い影。月よりも鮮明な、大きく鋭い白刃。
「リュイ!」
 私はその光景を目に焼き付けた。両手で巨大な剣を握り、下から上へと地面を削るようにして振り上げるリュイの姿を。彼の前には、二本の足で立つ醜怪な外貌の魔物がいた。人間のように長く乱れた髪が生えているのに、異様なほど大きな丸い目があって口からはたくさんの牙が飛び出している。太い胴体には所々に短い毛が生えていて、肘の先から手が四本に分かれていた。
 何て気味の悪い生き物だろう。おぞましさを感じるよりも先に唖然としてしまう。この魔物も私達と同じ生命を持っているなんて、信じられなかった。
 リュイは振り上げた剣でその醜い魔物を縦に斬り裂いた。びしゃっと臓腑が地面に落ちる嫌な音がした。でも魔物は、臓器を失ってもまだ俊敏に動けるようだった。リュイは血に濡れた剣を自分の身体の方へ戻すことなく、そのまま斜めに左下へと降ろした。魔物の首を斬ろうとしたのだと思う。
 魔物は腕を上げて、リュイの剣を防ごうとしていた。肘から分裂している手の一つが切断されて犠牲になったけれど、まだ三本残っていて――
「駄目――!」
 私は反射的に叫んだ。魔物は落下した自分の手に頓着することなく別の腕を振り回し、剃刀のように鋭利な爪をリュイの上腕部分へ走らせた。
「エルっ!」
 エルは背に私を乗せた状態で限界まで身を低くしたあと、一息に駆けて、魔物とリュイの間に身体を割り込ませた。私は目を瞑りながら、鞘に入れたままの剣の柄を強く握り締めて、その先端を思い切り魔物の腹部へ突き出した。
 突然の私達の乱入に、魔物は一瞬狼狽えたみたいだった。私ががむしゃらに突き出した剣が運良く傷口に当たったらしく、魔物は大気を穢してしまうかのような耳障りな苦悶の声を響かせて後ろ向きに倒れた。
「リュイ、乗って!」
 お願い、エル、今だけはリュイを乗せてあげて!
 エルは不服そうな唸り声を上げたけれど、片膝を地面につけているリュイへ私が手を伸ばしても、とめようとしなかった。リュイは腕の痛みに顔を歪めながらも身を起こし、エルの背に素早く飛び乗った。
 エルが駆け出すと同時に魔物が飛び起きて、腕を伸ばしてきた。爪の先が届く寸前のところで魔物の攻撃をかわしたエルが迷うこともなく走り出す。
 地面にはリュイがそれまでに始末したらしい魔物の死骸が何体か転がっていた。中にはまだ息があるらしく身体をぴくぴくと痙攣させている魔物もいた。
「ヒビキ、顔を伏せろ!」
 リュイが色濃く警戒を滲ませた口調で言い、私の身をエルの背に押し付けた。
 まだ、戦いは続いているんだ。
 エルは視界の悪い木々の間を器用に走り抜けた。ざわざわと何かが集まってくる不吉な気配。仕掛けられた罠が徐々に小さく狭められるような重圧感。
 私は口の中にわいた唾液を何度も飲み込み、澱んだ闇が満ちる周囲へ視線を投げかけた。
 地面に落ちた枯葉を踏みつける音。
 じわりと揺らめく闇。
 咆哮。
 そして、血の匂いと物音を聞きつけた他の魔物達が寄ってきた――
 
*******
 
 逃げても逃げても執拗に追ってくる魔物達。
 エルは休みを取らず私達を騎乗させたまま、殺気が至る所に潜む闇の中をひたすらに駆け続けた。
 時々、待ち伏せしていた獣が飛びかかってきて私は悲鳴を上げそうになったけれど、その度にリュイが剣を振るって防いだ。
 なんて長い夜だろう。私は馬鹿みたいに震えながら、エルの背にしがみついていた。
 
*******
 
 夜明けが近づき、少しずつ森の暗さが払拭されていく。
 殆どの魔物は振り切るのに成功したけれど、中には動作の俊敏な賢いものがいて、それだけは仕留めなければいけなくなった。
「ヒビキ、決して降りてはいけない」
 リュイは厳しい声音で私の耳に囁いたあと、止める間も与えてくれずにエルの背からひらりと飛び降りた。
「リュイ!」
 私は振り向いた。エルは走る速度を落としてくれなかったので、地に降り立ったリュイの姿が見る見る内に後方へ遠ざかってしまった。
「先に行け!」
 叱咤の声と、彼に追い付いた魔物の歓喜の悲鳴が重なった。
「エル、駄目! 戻って!」
 どんなに強く言っても、エルは戻ってくれない。私を騎乗させたまま、滑るように駆け続ける。
「じゃあ、飛び降りるっ」
 焦れた私は、大きな声で叫んだ。するとエルが叱責するように一度鋭く唸った。少しだけ速度を落としてくれたけれど、やはりストップしてはくれない。
 
 ――置いていけない!
 
 リュイを置き去りにしてはいけないんだ。
 私がいても足手まといにしかならないことはよく分かっている。それでも絶対に戻らなきゃいけないんだって同じだけの強さで直感していた。
 私は覚悟を決め、思い切ってエルの背から飛び降りた。
 ――飛び降りたのに。
 エルはなんと振り向きざまに、飛び降りた私の後ろ襟を空中でくわえてキャッチするという荒技をやってのけたんだ。
「わっ!」
 その勢いのまま自分の身体が荷物のように振り上げられ、視界が反転したと思った次の瞬間、全身に走る軽い衝撃と共にエルの背へ舞い戻っていた。
 私は呆然としてしまった。
「――ひ、ひどいよ、エル!!」
 情けない声で訴える私を憐れんだのか、エルは微妙に項垂れた様子で低く唸り、くるりと進行方向を転換してくれた。
「エル!」
 私は嬉しくなって、ぎゅっとエルの背にしがみついた。
 
 ――戻ってくれるんだ!
 
 エルはもの凄く複雑そうな唸り声を漏らしたけれど、リュイが残った方へ走り出してくれた。
 それほど距離は開いていなかったみたいで、すぐに魔物と対峙するリュイの姿が見つかる。
「リュイ!」
 突進してくる魔物をリュイは紙一重のところでかわし、身を捻った勢いを利用して剣をひらめかせていたけれど、舞い戻ってきた私の姿を見て愕然とした表情を浮かべた。
「――なぜ!」
「後ろっ!」
 私はリュイの呟きを遮るように叫んだ。魔物が器用に身を翻してリュイの背に噛み付こうとしていたんだ。その魔物は、巨大な四肢に反して、顔がとても小さかった。一見可愛らしい顔をしているのに、リュイに噛み付こうとした瞬間、口の両端が頭部の真横にまで裂けて長い舌が三本覗き、隠されていた醜悪さが露になった。
 リュイはすぐに視線を戻し、剣の先で魔物の喉を突いたけれど、致命傷を与えるまでには至らなかったようだった。逆上した様子で魔物は二つに分かれている長い尾を自在に操り、リュイの腕に巻き付けた。
「来るな、ヒビキ!」
 
 ――そう言われて、はいって頷く人なんかいるもんか!
 
 私はエルの鬣を軽く引っ張った。
 エルはもう諦めた感じで素直に従うべく、リュイに向かって疾走した。
「ヒビキ!」
 エルが一瞬振り向いて、小さく唸った。何か合図をされた気がした。
 
 ――人にあらざるものが斬れる剣。
 
 私は鞘を投げ捨てて、エルが魔物に飛びかかると同時に滅茶苦茶な動作で剣を振り上げ、リュイの腕に巻き付いている長い尾を断ち切った。
 すごい抵抗があるだろうと覚悟していたのに、じゅっと溶け落ちる音と共に蜘蛛の巣を壊すような呆気なさで魔物の尾が斬れたんだ。
 その手応えのなさに、私は逆に動揺してしまい、身体の力を抜いてしまった。片手と両足を固定してエルの背から落ちないようにしていたのに、ふわっと身体が宙に浮いてしまう。
 丁度エルが魔物に飛びかかって上体を少し起こした時でもあったため、余計に身体のバランスが崩れたんだ。
 私は見事に、エルの背から放り出されてしまった。
「わあっ!」
 私は奇声を上げ、強く目を閉じた。地面に衝突する時の痛みを想像して、自然と身体が強張った。
 
 ――わ?
 
 どんっと音は、した。
 ぶつかる音。
 でも。
 痛くなくて。
「……リュイ?」
 私は慌てて瞼を開いた。地面に尻餅をついているような体勢を取るリュイの上に、私は乗っていたんだ。
 リュイが受け止めてくれたんだ、とすぐに気づいた。
 一瞬だけ、リュイと目が合った。
 その直後、エルの怒ったような唸り声が聞こえ、視線を巡らせた。エルは、暴れる魔物の脇腹に噛み付いて応戦している最中だった。
 急いで立ち上がろうとした瞬間――顔の横を、すっと白い光が駆け抜けた。
 リュイの、巨大な剣が。
 はっと瞬いた時には、リュイが突き出した剣が深々と魔物の額を貫いていた。

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