F43
高さのある石塀を越えたあと、エルは一度地面に着地し、その勢いを殺さずに再び大きくジャンプした。かなり長い時間、空中に留まることができるようになったけれど、鳥みたくずっと飛ぶのはまだ無理らしかった。神様が与えてくれた力を私がもっと発揮できるようになれば、天界でオーリーンを乗せていた時のように、いつか完全に空を飛べるのかもしれない。
宙へと飛び、高い位置に到達した時、私はエルの背から落ちないよう注意しつつ地上の様子を窺った。以前の自分だったら、建物を大きく越える高い位置からこのスピードを維持したまま地上を見下ろすなんて、恐ろしくて絶対にできなかっただろう。いつの間にか図太くなったところがあるんじゃないかと頭の片隅で思った。
分厚く頑丈な石塀の内側は、空中から全体図を見ると不思議な配置になっているのが分かる。上下で向かい合わせになっている、L字型をしたとりわけ大きな二つの建物――「」(カッコ)の形に二つの建物が配置されていると言った方がいいだろうか――の中央にも、更に建築物があった。それは、なんて表現すればいいだろうか。丸いデコレーションケーキを五等分したという感じ。外周が緩やかに弧を描く三角形の建物が、幅の均等な通り道を挟んで五棟、ぐるっと並んでいるんだ。先端部分が集まる最中央部には、これも円型の空間が作られていて、ちょっとした庭のようになっているらしかった。
「あの建物……」
私は松明を地上に向け、五等分にしたケーキの一切れみたいな建物の一つに注目した。
おかしい、あの建物になぜかレイム達が集中している。
エルに呼びかけようとして、はっと気づいた。私が言わなくても、エルは既にそこへ向かって飛んでいる。
けれど、建物の正面入り口から内部へ入るのは難しいだろう。押し寄せるレイム達が入り口を探してうろつき、壁をよじ登ろうとしているんだ。窓に身体を押し込んで、侵入しようとしているレイムも数多く見られる。
「屋上に降りよう」
エルはまずL字型の建物の上に降り、そこで勢いをつけたあと、目的の場所へ向かって再び飛んだ。
レイム達が取り囲む建物の屋上へ、器用に降り立つ。
私はエルの背に乗ったまま、松明の明かりを周囲へ投げかけた。どこかに、内部へ通じる扉や階段があるんじゃないだろうか。細い月明かりと松明が今の私の目だ。エルに歩いてもらい、急いで確認する。がりがりと壁を削るような音がひっきりなしに聞こえた。たくさんのレイムが、壁を這い上がってきているんだ。
屋上には転落防止の柵が張り巡らされており、用途の分からない木材、木箱の類いが置かれている。隅の方に監視小屋みたいなものが建てられていると気づき、エルを促してそちらへ寄った。この中に、内部へ通じる入り口があるんじゃないだろうか。
監視小屋の周囲を巡り、壁の一つに小さな扉を発見した。鉄製のかんぬきがあって、それを外したけれど、扉は開かない。どうやら、内側にもかんぬきがかけられているようだった。窓から侵入するという手もあるけれど、頑丈な鉄格子がはまっている。これを壊すのは時間がかかりそうだ。やっぱり扉を開けた方がいい。エルに蹴飛ばしてもらおうかと考えた時、背後でばきっという音が聞こえた。柵を壊す音だ。レイムが上がってきたに違いない。
身体に緊張が走った時、エルがもぞりと動いた。どうも、背から降りろと合図しているみたい。
素早く降りると、エルが数歩下がり、一度ぐっと体勢を低くしたあと、勢いをつけて扉に体当たりした。二度、三度と繰り返した時、扉が大きく軋んで、内側のかんぬきが壊れた音が聞こえた。エル、偉い、凄い! でも、頭、大丈夫かな。思い切り扉にぶつけていたから、かなり痛いんじゃないだろうか。
「ありがとう」
エルの額を撫でたあと、私は扉を押してみた。内側でぱらぱらとかんぬきの破片が落ちる音がして、扉が開いた。
急いでエルを中にいれ、自分も身を滑り込ませたあと、松明を掲げて小屋の中を見回す。机と椅子、樽などがいくつかあった。レイム達の侵入を少しでも遅らせるために机や樽を扉の前まで移動させ、簡単には開かないようにしておく。
「入り口は……」
ちょっと焦ってしまった。どこだろう。松明を掲げて、視線を一周させる。扉はない。ここに入り口がなかったら、もしかして袋のネズミ状態じゃないだろうか。
でも、外には戸口の類いはなかった。
こういう場合は、きっと。
床を見下ろし、よし、と頷く。映画とかではよく、床に敷いた絨毯の下に出入り口が隠されている。
「あった」
やったね、と内心で喜んだ。埃を舞い上げながら色褪せた絨毯をめくると、そこには小さな取っ手があった。入り口はそんなに大きくないかも。私は余裕で入れそうだけれど、身体の大きなエルは大丈夫だろうか。
取っ手の部分に指をかけ、持ち上げてみる。しばらく利用されていなかったためか、ぎりぎりと嫌な音がなった。周囲に広がる白い埃を手で払い内部を覗くと、思った通り、梯子か階段か迷うような簡素な作りの段が続いていた。
まずはエルを先に行かせる。エルは少し情けない鳴き声を漏らしたあと、ぎゅうぎゅうと身体を入り口に詰め込んだ。……頭は入ったけれど、途中でつっかえてるよ、エル。
「が、頑張って」
うわぁ、なんていっていいのか、後ろから見るとすごく辛そうだ。きゅん、とエルが助けを求めるような切ない声を上げている。完全にはまっているかもしれない。尻尾が必死な感じでぱたぱたと揺れている。うん、そうだよね、エル、かなり大きいもんね……。
「ごめんね」
既に痛そうな声を上げてもがいているエルを、私は後ろから押した。あぁ、どうしよう、エルのお腹に入り口が食い込んでる。
「もう少し!」
応援し、松明が落ちないように気をつけながら、全体重をかけてエルを押した。格闘の末、なんとか最も厳しいところを越えて、エルの身体が梯子の下へ向かった。でもちょっとよろけたのか、段をいくつか踏み外したような音がしたよ。
私も急いで身体を滑り込ませ、内側から入り口の扉を戻す。絨毯までを直す時間はなさそうだ。小屋の扉を引っ掻く音がしたんだ。レイムがすぐそこまで迫っている。
「大丈夫?」
段を降りたあと、微妙に疲れた様子でふらっとしたエルの顔を撫でた。なんだかエルは、今までで一番大変な思いをしたという感じの落ち込んだ鳴き声を上げた。お腹の毛とか、かなりごっそりと抜け落ちてしまったことはきっと言わない方がいいと私は判断した。大丈夫、すぐに毛は生えると思う!
●●●●●
それからは再びエルの背に乗って、先を急いだ。
やはり建物の内部にもレイムが複数侵入しているようだったけれど、相手をする時間はない。私の考えが分かっているのか、エルは物音が聞こえる方を避けて慎重に進んだ。リュイの居場所を知っているのは、エルだけだ。
それにしても、転移後、リュイとエルはどうしてここに飛ばされてしまったんだろう。転移ってすごく予想外な展開を招きやすいのかもしれなかった。少なくともリュイとエルが同じ場所に飛ばされたことは感謝しなきゃいけない。もし三人ともばらばらに飛ばされていたら、探しようがなかったはずだ。
けれど、エル一人が私の所へ来たということは、リュイは動けない状態にいると判断するべきで。
動けない状態が、一体何を示しているのか、考えるのがとても恐ろしい。
私は嫌な予感を振り払った。通路には壊れた物や折れた剣、盾などが散乱していて、凄い荒れようだった。目の錯覚じゃなければ、獣や人の骨まで転がっている気がする。それに、床が破れている場所も多い。穴に落ちないよう気をつけ、またレイムにも接近しないよう注意して進まなければいけなかった。
どうやらこの建物は、三階層になっているらしい。階段を下りたあと、更に下へ向かおうとしたんだけれど、レイムの声が聞こえたため、反対側の通路へ回って別の道を探さなければいけなくなった。
エルはその途中で足をとめた。ぐうっと唸って、危険の接近を知らせてくれる。私ははっとし、剣に手をかけた。その瞬間、レイムとは違った速さでこっちに襲いかかってくる影があった。魔物だ!
エルは素早く、突進してくる魔物をかわした。こんな所で時間を無駄にはできない。
魔物はすぐに体勢を整え、間を置かずにまた襲ってくる。猪めいた顔を持つ魔物だ。だけど、牡牛のような角が六本も生えていた。エルは逃走のかまえを取ったけれど、私は引き止めた。駄目だ、この魔物は動作が俊敏だし、ここで倒さないと必ず追ってくる。
神剣を鞘から抜くと、松明の明かりとは別に、視界がクリアになる。大丈夫、負けない。激しく音を立てる心臓をなだめるために、何度も自分に言い聞かせた。
エルを真正面から走らせた。目の前まで魔物が接近した瞬間、天井ぎりぎりまで大きく飛翔させる。そこで私は手に力込め、魔物へ向かって剣を槍のように放った。次の瞬間、痺れが走るほど甲高く鋭い魔物の悲鳴が上がった。床に着地したエルを止まらせ、魔物の方へ向き直る。
狙いをつけて放った神剣が、魔物の首あたりに突き刺さっていた。側まで近づき、横に倒れて痙攣している魔物から剣を引き抜く。やっぱり、肉を裂く感触に強い拒絶と恐ろしさを感じた。
気を緩めかけた時、エルがまた唸った。警戒を伝えるように、ふわりと鬣が膨らむ。
もう一頭いたんだ!
私が剣をかまえた時には、すぐ間近まで新たに出現した魔物が接近していた。
――どうする、我を呼ぶか、脆弱な主よ!
心に浮上する神剣の嘲笑に、唇を噛み締める。
駄目だ、また怪物みたいな腕に変わったら、今度は元に戻せるかどうか。
凝固してしまった私に気がついたのか、エルが独断で動いた。突進してきた魔物の目元に噛み付き、肉をひきちぎったんだ。
「!」
私は慌ててエルの毛にしがみついた。
魔物は悲しげな鳴き声を上げ、目元から噴き出る血の雫を振りまいて一目散に逃走した。追って仕留めようとするエルを、とめる。襲撃を受けた時はともかく、こちらから出向いてまで魔物を退治する必要はない。
恐怖で強張る手を動かし、剣を鞘に戻したあとで気がついた。最初の一頭を倒す前に、無意識に松明を落としていたんだ。
率帝からもらった松明が、消えぬ火を灯したまま通路の端に転がっていた。それを拾い、再び剣呑な闇が満ちる通路を進んだ。
●●●●●
レイムの鳴き声が聞こえた。
けれどその鳴き声は、いつものようにどこか歌声めいた歓喜の響きを含むものではなかった。明らかに痛みを訴えて絶叫しているような高い声だ。
もしかして。
「リュイ!」
頭の中に彼の姿を描き、思わず叫んだ瞬間、エルが速度を落として唐突に、通路に並ぶ部屋の一つを目指した。その部屋の入り口は、蝶番が壊れているのか扉がきちんと閉じられておらず、わずかに開いていた。
扉に手をかけ、室内へ入ると、エルは周囲を警戒する素振りも忘れたかのように中央付近へ近づき、床に空いていた穴へ口を突っ込んだ。
「エル?」
何をするつもりなのかと驚いた時、エルががりっと床の石材に噛みつき、前足の爪で削るような仕草を見せる。
まさか、この下に?
私は一度エルの背から降りて、素早く神剣を抜いた。松明は、少しの間、離れた場所に置いておく。
――娘、まさかそのような扱いを!
私が何をする気なのか察したらしい神剣が、ぎょっとしたような声を心に浮上させた。
――この我を粗暴に扱うか!
そういうつもりはないんだけれど、今は非常事態だよ!
「折れたくなかったら、床石、崩して!」
そう言ったあと、抗議の言葉を聞く前に、神剣の先をひびが入っている床石に勢いよく振り下ろした。
うわ、何だかすごい呪詛めいた非難の声が心に、と少し怖じ気づいた瞬間、ぴきぴきっと音を立てて無数の亀裂が床に走った。
「ひゃあ!」
慌てて数歩下がり松明を手に取った時、私が立っている所にまで亀裂が広がって崩れ出した。無事な場所へ移動しようとしたけれど、もう遅い。足の下から固い感触が消失し身体が大きく傾いてしまう。
落ちる、と恐怖を抱くより先に驚愕した。全身が独特の浮遊感に包まれ、そのまま床石の破片と一緒に落下していたんだ。けれど突然、空中で、苦しいと思うくらい強くお腹の部分が引っ張られた。振り向かなくとも、エルが空中で私の腰帯をくわえてくれたんだと分かった。
がらがらと音を立てて落下する破片、その中で、私は目を見開いた。神剣を握っているため、視界はとてもクリアだった。
「リュイ!」
私の叫びと、レイムが体液をまき散らしながら悲痛な声を上げる瞬間が、重なった。
リュイが、レイムを斬っていた。
●●●●●
この光景を、どう受け止めればいいのか。
エルは床に降り立ったあと、私の腰帯から口を離した。私は少しよろけながらも、目の前の光景に釘付けになっていた。
「これは……」
一瞬、身体に震えが走った。
ざしゅっと肉を斬る音が、嫌悪を呼び覚ますほど生々しく、容赦なく響く。
リュイが、レイムに幾度も斬りかかっていた。
すぐに助けなければいけないと思うのに、束縛されたかのように動けなかった。喜びに満ちた再会を夢見ていたさっきまでの自分が遠い。
リュイの周囲には、たくさんの屍が――レイムではなく、人間の身体の残骸が。
ばらばらに切断された手足。細切れに近いほどだ。
なぜ?
どうしてこんな、人間の欠片が散乱しているの。
あまりに無惨なためか、逆に現実感が乏しくて、恐怖も嘆きも飛んでしまっている。松明の明かりと、神剣によるクリアな視界がなければ、恐らく人の残骸だとは気づかなかっただろう。
おかしい、と口の中で否定した。
だって、普通の剣ではレイムを人に戻せない。殺せないはずだ。そう思った直後、自分の認識の誤りに気づいた。レイムは完全に変貌する前なら普通の剣でも殺せると、勝手な判断の中で決めつけていた。そうじゃないんだ。
レイムについて教えてくれたシルヴァイの言葉が、正確に蘇る。『通常の魔術や魔法、あるいは剣で斬りつけた場合、消滅させるのは辛うじて可能だろうが、それは「人」を形成するための核である魂もろとも滅ぼすことを意味する』――シルヴァイは一度も、完全体になる前なら殺せる、という言い方はしていない。これは完全体とかそういうことは無関係に、蘇生も何もなく人としての魂が死んでしまうという意味じゃないか。けれど、『辛うじて』という表現通り、そう容易くは殺害できない。こうして、何度も何度も執拗に切り裂かなければ、レイムは死なずに立ち上がってくるのでは。
そうして、『レイム』を消滅させたあとには、切り刻まれた人間の死体が残るんだ――。
リュイはあんなに、レイムに近づくのを敬遠していたのに。
こうなることを、知っていたから?
「リュイ?」
私は瞬きを思い出した。ずっと目を開けていたため、涙が滲みそうになった。
リュイは返事をしない。こっちを見ない!
私は視線を巡らせた。……壁に、レイムがはり付けられている。虫の標本みたいに、身体に数本の槍が突き刺さっている。そのレイムはまだ死んでいなくて、ぴくぴくと痙攣していた。
今度は窓の方へ顔を向ける。丈夫な鉄格子を力づくで折り曲げて、でっぷりとした身体を押し込み、室内へ入ろうとしているレイム達を見た。労りや遠慮の心を持たない彼らは、まず自分が先に入ろうとして他を押しのけるから、なかなか室内へ入ってこれないようだった。
ああ、そうか、それが幸いして、レイムが一気につめかける状態にはならずにすみ、リュイは生き残れたんじゃないか。
エルが、なぜ彼を置き去りにしてでも私の所へ駆けつけたのか、分かった気がした。
どしゃっと体液が床に撒かれたような寒々しい音がした。リュイがようやく、相手をしていたレイムの動きをとめたんだ。ぐじゅぐじゅと溶けるような音がして、レイムの残骸が、人の残骸へと変わる。
「リュ……」
胸が震えた。どんな慰めも受け入れないこの壮絶な光景に私は打ちのめされていて、けれどもリュイの心は、もうその段階さえ越えているんじゃないか。
虚ろな眼差しで切り刻んだばかりのレイムを見下ろすリュイの姿に、言葉が見当たらない。言葉だけじゃなく、足も凍りついて動かない。
もう一度名前を呼びたいのに、声が、どうしても出ない。
どうして、こんなことに。
あんまりだ、これじゃあ、『人』を殺したのだと、否応にも見せつけられるじゃないか!
ひどい、こんなの、ひどいよ――フォーチュン。
私は俯き、神剣を持った自分の腕で、少しの間目元を覆った。リュイが動く気配は感じなかった。
ぐう、とエルが唸った。警戒を伝える鳴き声を耳にして緩慢に腕を下ろし、我に返った。
立ち尽くすリュイに背後から飛びかかろうとするレイムの姿が目に焼き付いた。
「――後ろ!!」
試練の森に落とされた時と、同じ台詞が自分の口から飛び出した。あの時も、リュイは私の姿が見えなかった。危険を伝えるその言葉で、私達は出会った。声をかけるしかできなかった自分を思い出す。
だけど、今は!
私は力を込めて、神剣を放った。
宙を切り裂く神剣が矢のような速さを見せ、リュイを襲おうとしていたレイムの首を突き破った。役目を終えた神剣がからんと床に落ちる。そして始まる、驚異の蘇生。
リュイがぼんやりと視線を巡らせて、私を見た。
「リュイ!」
呪縛がとけ、駆け寄ろうとした瞬間だ。
私が崩した床石……天井の穴から、飛び込んできた塊があった。
先程、倒せなかった血塗れの魔物だった。
●●●●●
あの時、追おうとするエルをとめなければよかった。ちゃんと倒しておくべきだったんだ。
神剣を手放してしまった自分に気づく。こちらに突進してくる魔物を目にして、神剣を取りにいく猶予はないと分かった。エルが私の前に立とうと動き、それと同時にリュイが駆けた。
「!」
魔物の悲鳴が空気を乱す。
リュイの剣の腕は確かだ。魔物と戦い、たった一人生き残れたのは、剣技も優れていたからこそだろう。
最初の一閃で、魔物の腹部を斜めに切り裂いた。血飛沫をまき散らし、倒れ伏す魔物はもう動いていない。それでもリュイは、まるでレイムを相手にしているかのように繰り返し切り刻んだ。
こんなに、執拗に亡骸をいたぶる人じゃなかったはずなのにだ。
「もう、いいんだよ!」
私は走り寄って、まだ斬り続けようとするリュイの腕を掴んだ。それほど強い力で引っ張ったわけじゃないのに、ぷちんと糸が切れたみたいにリュイは体勢を崩し、床に両膝をついた。彼の巨大な剣が、床に落ちた。
松明を床に置いた時、視界の端に、蘇生した男性がわずかに身じろぎする姿が映った。まだ意識ははっきりしていないはずだ。目覚めたばかりの彼より、リュイの精神の方が重症に違いなかった。
「大丈夫、もう斬らなくていいの」
私はリュイの前に回り、自分も床に両膝をついて、囁いた。
どこか焦点の合わない目で、リュイはこっちを見下ろしていた。
とても悲しく映る表情だった。
「……響――無事ですか」
掠れた、抑揚のない声で、リュイがぼんやりとそう言った。
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