F2:02

 そういえば率帝は何か私に話があるみたいだったんだけれど、先に質問をさせてもらってもいいのかな。
 どうしよう、という視線を無意識に送ってしまったみたいだ。質問を促すように率帝が唇を綻ばせた。大人びたその表情に、羨望以上の複雑な気持ちが芽生える。聡明そうだし、落ち着いてるし、身分も高く、凛々しくて奇麗な顔立ちって……、神様って不公平かも。
 などとまたしても脱線した考えを持って神様に不満を叫んでしまった。
「率帝って、凄いね。そんなに若いのにしっかりしてるし」
 自分と比較して思わず遠い目になってしまう。私なんてソルトに思いっきり愚かとか脆弱とか頭が足りないとか、猥褻娘とか言われてるし! おまけに感性音痴とまで言われて、もう本当、いいところがないっていうか。
 見習いたいな、と少し殊勝な気持ちになって視線を戻したら、なぜか当惑している目で率帝に見られてしまった。イルファイには、ふっと鼻で笑われたんだけれど。エルにまで微妙な目で見られている気がするかも。
「響様」
 日本語の響きだ、と内心で喜びつつ言葉の続きを待った。でも様付けだけは何とかしたい。
「私はこの身に宿る魔力のために、成長が狂わされているのです」
「成長が?」
 どういう意味だろう。
 じっと見返すと、率帝はなんだか恥じらうような表情をして、わずかに視線を泳がせた。
「この容姿、幼く見えましょうが、実年齢は十九、なのです」
「じゅうきゅう?」
 ええ!?
 思わず身を乗り出して、まじまじと率帝を凝視してしまった。私の反応に驚いた率帝が、逆に少し身を引く。
 十九歳って、あと一年で成人だよね、少年じゃなくて青年の域だよね?
「レイムと化していた約三年を合わせれば、本来は二十二となるでしょう」
 ええー!
 なんか詐欺にあった気分、などと私は内心で失礼な驚愕の悲鳴を上げてしまった。
「その……響様」
 率帝のすごく動揺した声音も聞こえない状態で私は無理矢理彼の手を取り、じっくりと全身を見つめてしまった。こんなに奇麗で肌もつるつるで、身体を交換してほしいくらい細いのに、私より年上の、十九。ううん、レイムに姿を変えられていた時をプラスすれば、二十二歳。
 
 ――……。恥じらいを知らぬのか、主。破廉恥娘め。
 
 突然ソルトの声が胸に響き、私は我に返った。
 破廉恥娘って、ひどい。
 そう憤った時、エルがきゅうっと小さく切ない鳴き声を聞かせた。周囲の視線が痛いっていうか、ディルカレートの視線が特に厳しい気がする。
 恐る恐る率帝の顔をうかがうと、硬直して言葉を失っている感じだった。伏せられた目のふちが赤くなっているのが分かる。
 もしかして、私、また、馬鹿な真似をしてしまったんじゃ。
 端から見れば、ものすごく怪しい行動を取ってしまったかもしれない。魔法使いのトップに立つ高貴な人に押し倒す勢いで迫った挙げ句、ぎゅっと手を握りじろじろと全身を眺め回している私の姿って、要注意人物にしか映らないんじゃないだろうか。率帝を視姦状態、とか。
 自分自身に絶句しつつ、そろりと率帝の手を離す。無意味に咳払いしたりして、この場を誤摩化してしまった。
「あ、あの。聞きたいことがあったんだけれど、質問してもいい?」
 率帝が明らかにほっとした表情で、ぎこちなく頷いてくれた。もう本当に、毎回ごめんね。
「この国には神官の人もいるんだよね。その人達も十祇なの?」
 率帝とバノツェリへ交互に視線を向け、たずねた。
 バノツェリ本人に向かってたずねるのは結構躊躇われたので、半分は率帝に聞いている感じだ。やっぱりバノツェリに糾弾された時のことが心に重く残っているため、どうしてもぎくしゃくしてしまう。もし彼と二人きりにされたら単純に萎縮するだけじゃなく本気で怯え、震えてしまうに違いない。一人が自害したという事実は、絶対に消えない。
 きっとすごく憎まれ嫌悪されているだろうと覚悟していたんだけれど、バノツェリはちゃんと私と視線を合わせてくれた。
「我らは十祇にあらず」
「神官は王家と密接な関係にあります。祭事などを扱う機関に属するのです。私達十祇とは役割も立場も異なります」
「魔力の類いを、我らは持たぬ」
 バノツェリと率帝が交互に答えてくれた。でもこの二人、決して顔を合わせない。そうか、神を崇めるという部分は同じであっても属する機関とかが違うから、イルファイが前に言ったように深い確執があるのかもしれない。どうも十祇は、どこからも切り離されている感じだ。
 そして勘違いしていたんだけれど、神官の人達は魔力を使えないらしい。
「魔力は、魔に属するものであろう。神に通ずるものではない」
 バノツェリの痛烈な批判に、率帝が眉をひそめた。さっそく対立するなんて、と慌ててしまう。
「だがそなたは、神力を持つのだろう?」
 バノツェリがわざとのようにゆっくりと、率帝から私へ視線を動かした。
 すっごく頷きにくいよ、この状況では。
「そもそもは魔物も神が生みしもの。万象は神に通ずる、それを否定なさるのか」
 率帝が冷ややかな声で反論した。対してバノツェリが目を怒らせ、口を開こうとする。私は咄嗟に二人の間に割り込む質問をしてしまった。
「もう一つ質問。魔術師は、どうなのかな。率使たちが十祇という総称を持つように、魔術師たちも一つの組織として存在する?」
 二人の口論が始まる前に話題を転じたいという必死な願いを察してくれたらしいイルファイが素早く返答してくれた。感謝、イルファイ。
「いや、魔術師に組織としての確とした名はない。能があれば宮廷に召し抱えられ役職を得るというだけのこと。ただやはり、同類が集まれば、一つの集団のように括られるが」
「イルファイは、大師の一人なんじゃなかった?」
「他の魔術師よりも我が知が優れているからな」
 うう、イルファイも凄いな。自分の知識や能力に自信があるからこそ言える台詞だ。
 あと何か聞きたいことはあるかな、と色々考え、胸の中で疑問を一つ一つ並べていた時、率帝に呼ばれた。
「響様、神剣が必要と言われましたね」
「うん」
 夜明けが来たら外に落ちているだろう符針を回収して、お城に移動すればいいんだよね。
「申し訳ありません。神剣の奉納場所について先に説明するべきでした」
 なんか不安を呼ぶ言い方に聞こえる。
「神剣は確かに都の核とされるこの地区にありますが、一つ箇所に保管されているのではないのです。王と共に捧げられた神剣は既に失われています。残りの二本は別の場所に置かれている」
 うわぁ。この神殿にはないってことか。
「一本は王城が築かれた一画の主神殿に。王都の要所に神殿が置かれているのですが、隠殿である主神殿は王族と高位の神官、率使のみが出入りできる聖域です。残りの一本は――私達の砦にて。祝時に広くひらかれるこの神殿にて用意される神剣は、偽物なのです」
 さすがは神の信仰が深いというガレ国。神殿がたくさんあるらしい。
「……砦と主神殿って、どのくらい離れているのかな」
 ああ、でも符針で転移すれば、たとえ距離が離れていてもそう大した時間のロスにはならないんじゃないだろうか。
 という安易な考えは、呆気なく打ち砕かれた。
「主神殿には転移できるでしょう。おそらくは神剣の保管場所も神官長であるバノツェリ殿がご存知のはず」
 率帝の言葉に、少し嫌そうな顔をしてバノツェリが頷いた。本当にこの二人は険悪かも。
「問題は、十祇廷に保管している方です。いえ、どの部屋に保管されているかは分かっている。しかし、十祇廷内部へは転移の術が使えません。廷からの転移ならば可能ですが、こちら側からの転移は弾かれる」
 青ざめてしまった。そうか、十祇廷の中は一般に公開されていない場所のために、転移も禁じられているんだろう。
「今は非常時。密かなる砦であっても、必要ならば扉を開きましょう。だが転移が不可能であるという事実は変えられません」
 ということは、十祇廷までは徒歩でいかなきゃいけないってこと。
 皆同様のことを考えたのか、少しの間、沈黙が訪れた。
 
●●●●●
 
 今後どうすべきかという話し合いの結果は散々なものだった。
 皆、意見がばらばらで、一向にまとまらない。この場所から離れたくないっていう人、全員で行動しようという人、別々に移動した方が時間を短縮できるって主張する人。
 私の考えとしては全員でまず主神殿の剣を取りにいきたいところなんだけれどな。別行動は危険だ。本当は強固な結界を構築するか、あるいは安全な場所を作って戦いに参加しない人達を休ませてあげたい。けれどそういう安全な場所を作るのならば、まずたくさんの法具を見つけなきゃいけないし、魔力や魔術を使える人を多数仲間にしなくては実現は無理だろう。
 でも、という反論の声も自分の中にある。今、数十人がここにいる。これだけの人数で一斉に移動するのも、ある意味問題なんじゃないだろうか。王都は特に危険が多いという。移動中、獣や魔に襲われた場合、何かのきっかけで簡単に和が乱れそうだ。今でさえ、意見の押し付け合いばかりで全然協調できていない状態だもの。
 だから本音の本音では、もう少しここに残って皆と理解を深め、きちんと計画を練りたかった。
 どうすればいいだろう。
 こういった問題には、ソルトは知恵を貸してくれない。多分、全員で移動しても、別々に行動しても、危険の度合いは大して変わらないと思っているためじゃないかな。
 リュイは、どう考えているのだろう。
 彼の意見を聞きたいと思う。だけど、聞けない。すぐ近くにいて、時々視線を感じるけれど、甘えちゃいけないから振り向けない。
 バノツェリが強行に、別行動を、と主張した。これは楽観視できないほど、率帝と険悪かもしれない。バノツェリは明らかに率帝を意識していて、先に剣を取り、優位に立ちたいと考えているようだ。先に剣を取り戻したところで何か報償があるわけじゃないんだけれど、皆の手前、神官長としての権威を失うわけにはいかないと意固地になっているらしい。
 率帝側の人間らしいディルカレートも、バノツェリの意見に賛成していた。彼女の場合、権威や意地を重視しているのとは違い、時間を短縮できるから、というのが理由らしい。
 率帝は逆に、皆でまず砦にいくべきだと静かに告げた。理由として、砦には十祇達が開発した強力な法具が多くあるゆえ、戦えぬ者を守る結界を作る際に役立つということが一つ。おそらく王子であるレイムは城が並ぶ一画に現れるだろう、それまでに神剣を揃えておくべきであり、先に砦へ向かった方が二度手間にならずにすむというのが一つ。まだ状況を把握できていない状態の者が多いため別行動は危険というのが一つ。
 仮に、その後主神殿の方まで移動する時間がなくなったとしても、砦に結界をはれば皆安心して休憩することができるだろう、と。
 理路整然と説明され、私は率帝の意見に大きく傾いた。ところが、激しく噛みつき反対したのは、やはりバノツェリだった。砦の方が危険だと主張するんだ。砦の性質上、魔獣の類いが最も多く蠢いているはずだって。そして、法具の類いならば主神殿にも置かれているときつい口調で締めくくった。
 バノツェリ派らしき男性も、しきりに頷いていた。全員でぞろぞろ回って時間を浪費するのは得策じゃない、分担して落ち合った方が確実に早いだろう。そうすればレイムが出現する夜までに合流できると。
 夜明けが近い。
 バノツェリや騎士達は、すぐにでも動きたいと焦れている。
 最終的に、率帝が折れ、別行動することになってしまった。私も一応、皆で行動するべきではと口を挟んだのだけれど、この世界に詳しくないと説明していたのが仇になった。慣れるまでは我らの意見を飲むべき、とバノツェリに諭されてしまったんだ。
 私が強く主張できなかったのは、リュイとの過去の件があるせいだった。何も理解していない状態で勝手な動きをしてしまったために彼を傷つけてしまったという恐怖がある。それに、メイヤのこともあってバノツェリには真正面から逆らえない。
 でも、別行動するという選択は、本当に正しいんだろうか。手分けをすれば時間は短縮できるかもしれないけれど、真剣に憂慮すべきは互いの間に立ち塞がる心の壁ではないのかな。
 単なる懸念ですめばいい。
 目的さえ見えていれば、たとえ不満が胸にあっても歩を乱さずに同じ道を進めると思っていた。浅はかな考えだっただろうか。
 この人達は、譲れない何かをたくさん持っている。
 誇り、意志、信念、概念、指向性、常識。どの言葉が当てはまるのかは判断できない。けれど、関係を悪化させているのは間違いなかった。感情のもつれはきっと、他人と自分の足、両方を引っ張る。
 何事もなければいいと思わずにはいられなかった。
 
●●●●●
 
 神殿へ行く側、砦へ行く側と、私達は二組に分かれて行動することになったのだけれど、今度はメンバー構成で揉める結果になった。
 単純にじゃんけんやクジで決めようか、なんてとても言い出せないぴりぴりした空気が流れている。
 とりあえず決定しているのは、バノツェリと率帝だ。彼ら二人だけがこの中で、神殿、砦のそれぞれに存在する神剣の保管場所を知っている。
 その次に決まったのは以下の人達。神女のクロラはバノツェリ側、宮廷魔術師であるイルファイもまたバノツェリ側に入ってしまった。ジウヴィストとカウエスは率帝側だ。うーん、リュイとディルカレートはどうするのかな。
「月迦将軍、あなたはどちらに」
 無精髭の男性がリュイに話しかけていた。将軍と呼ばれるリュイの意向も、皆、気になるところらしい。うん、リュイって強いもんね。
「アンバー、お前はどうする」
 リュイ、他の人には敬語を使ってない!
 と聞き耳を立てていた私はこっそり不貞腐れた。
 じゃなくて。
「アンバー?」
 いけない、つい独白してしまった。
 私の声が聞こえたのか、無精髭の人がこっちに視線を向けた。リュイもだ。
「あ、ええと、あなたはアンバーっていう名前なんだね」
「はい、それが何か」
「琥珀さんだ」
 思わず頬を緩めてしまった。
 私だって一応女の子なわけで、宝石とかやっぱり憧れるわけで。
「コハクサン?」
 琥珀さん……じゃなくてアンバーが不思議そうに目を瞬かせた。
「私の世界でね、アンバーって、石の名前なの。琥珀、って言い方をするんだよ。奇麗な黄褐色系の石。樹脂がね、長い年月の果てに固まったものなんだ」
 私は自信満々に解説した。琥珀って、中に昆虫が閉じ込められているものとかもあってすごく神秘的だ。
「コハク、ですか」
「うん」
 白状すると、私の知識は付け焼き刃。この世界へ来る直前のことだ。三春叔父さんと一緒に寄った土産物屋に鉱石類が売られていたんだよね。それをたまたま目にしただけ、というのが真相だった。
 パワーストーンの類いって土産屋になぜかよく置かれている。でもってなぜか、欲しくなってしまうものだ。
 そうだ、思い出した。
 アンバーに微笑みかけたあと、私は足元に置いていた自分のバッグに手を伸ばした。女の子のバッグって四次元に絶対繋がっていると思う。無駄なほど色々なものをつめてしまいたくなるし。
 実は、叔父さんにおねだりして琥珀の石がついたペンダントを買ってもらったんだよね。残念ながら虫の化石が入っているタイプのものじゃないけれど、それでも結構高かった気がする。
 バックの内ポケットのチャックを開け、小さな包み紙を取り出して、中身を確認した。うん、これだ。今の瞬間まで、すっかり忘れていた。
「これ、琥珀の首飾り」
 私はアンバーに、琥珀のペンダントを見せた。叔父さんに買ってもらったペンダントは、奇麗な蜂蜜色の琥珀だ。鎖部分は、焦げ茶の革。
 アンバーが少し驚いた顔をして、私が掲げるペンダントのトップ部分に指先で触れた。
「石言葉もあるよ。確か、色々あって……冷静とか、誠実とか、そんな意味があったはず。長寿という意味もあったかなあ。守護石なんだよ」
 あと他にも意味があった気がする。精神を安定させるとか。さすがに全部は覚えていない。
「守護石……」
「アンバーは、琥珀さんだね。ああ、そうだ、名誉とか、決断力という意味もあるんだ」
 ペンダントを入れていた袋の裏に石言葉が書いてあるのに気づき、それを読み上げた。
「琥珀さんは、騎士だよね」
 はっとしたようにアンバーが「はい」と答えた。
「騎士に相応しい石言葉だね」
 自分のことのように得意げな表情を浮かべてしまったためなのか、アンバーにじっと強く見つめられてしまった。
 ああまたやってしまった。皆、真剣に話し合いをしている最中なのに、私ってば何を浮かれているんだろ。しかも「琥珀さん」って呼んじゃったし。
 頭を抱えたい思いで硬直した時だった。
 
 ――その首飾り、騎士に渡せばいい。
 
 突然ソルトの声が胸の中に響き、少し驚いてしまった。
 このペンダントを琥珀さんに?
 
 ――主は今、無自覚に決まっているだろうが、己が言葉により祝福を授けた。わずかながらではあるが石に力が宿ったようだぞ。ならば、その名で繋がれし者を守るだろう。
 
 ええっ私が今、祝福したの?
 
 ――察しが悪い。先程、名の話をしたばかりではないか。響。大気を共とする名。振動、共鳴。主は風の神の眷属でもあるのだから、その声にて誉れを与えた。名は、影響を及ぼす。ゆえに騎士へ石を渡せと言っている。
 
 ソルトの説明にどきまぎしつつ、私は琥珀さん……じゃないや、アンバーにペンダントを差し出した。
「これ、あなたに」
「私に?」
 いきなりプレゼントされれば、誰だって戸惑うだろうな。
「名は惹かれ合うみたい。同じ名を持つあなたを、石が守る」
 うう、自覚がないので、微妙に曖昧な言い方になってしまった。まさか、神剣のソルトが教えてくれたとはいえないし。
「私、今、ええと、祝福を……」
 うわぁ、祝福しました、なんて自分の口から偉そうに言うのはすごくキツイ。心から謝罪したい気持ちになる。
 気がつけば、皆が動きをとめてこっちを見つめていた。お願い、辛いから。本気で辛いから! じっと見ないでっ。
 だって私、全然頼りないし、見た目も整っているわけじゃないし、中身もこんな感じだし、ああ本当に色々とごめんなさい。
 なんかもう冷や汗とか出てきた。
 こうなったら是非何も聞かなかったことにして笑い飛ばしてほしいくらいだ。
 無理矢理話題を変えようかと本気で決意した時だった。
 アンバーがかちりと姿勢を正したあと、私の前に跪いて僅かに頭を下げた。
 これって、どういう状態だろうか。
 目を点にしたあと、私も跪いた方がいいのだろうか、と悩み、しばしの間、時間がとまった。アンバーもその姿勢のまま動かない。
 
 ――主。寝ぼけているのか。首飾りをかけてやれ。
 
 どうしようもないといった響きを含ませたソルトの呆れ声が聞こえた。
 わ、私が?
 戦く私に、ソルトが更に疲労感漂うような声で教えてくれる。
 
 ――主が授けねば、騎士は動かないだろうに。夜明けまで跪かせるつもりか。
 
 違います、そんなつもりはないって!
 私は急いで立ち直った。
 我ながらぎこちなさ最高潮と突っ込みたくなる動作で、跪いているアンバーの首にそっと首飾りをかける。
 なんか言った方がいいのかな、ソルト。
 心の中でソルトに「お願い」と頼んだら、全く仕方のない奴だ、という声音でぽつぽつと教えてくれた。でもソルトの言葉は難しすぎたため、簡単な単語しか覚えられなかった。何度も訊ねたら本当に見捨てられそうだったので、少し自棄気味に「なるようになれ!」と腹をくくり、アンバーの頭へ両腕を緩く回す。
「……あなたに、誉れを。抱く願いは力となり、皆を守ります。誠情の筆にて恵みある四季の画を人に描き、冥闇をも照らす優しさの星命を持って生の凱歌を奏するあなたは――名誉の明衣をまとう、聡慧の騎士。どうぞ、立って」
 ソルトが教えてくれた言葉のおよそ半分を割愛している上、少し変更してしまったけれど、まあいいか。
 あとは私なりの言葉で、そっと心の中で祈る。奇麗な言葉じゃなくて恥ずかしいから、声には出さない。
 どうか、アンバーに守護の力が注がれますように。私の中にある風の神力、彼が傷つくことのないよう、守ってね。
 祈りが届いたのかな。なんだか急に額が熱くなった。神石の力が動いているみたいだ。と同時に虚脱感に似た疲労に襲われてしまった。強く目眩がしたけれど、皆に気づかれぬよう、アンバーに祝福している振りをもう少し続け、誤摩化した。
 なんとか目眩がおさまったあと、腕を離して、アンバーに立つよう促したのに、すぐには動いてくれなかった。もしかして台詞の途中でちょっと舌を噛んでしまったのがばれたんだろうか。変な発音になった箇所、誤摩化せなかったのかも。しかも目眩をこらえるため少しアンバーに寄りかかったし。もう格好悪すぎ。
 青ざめたり真っ白になったりしていたら、アンバーに片手を取られた。まさかこの場面で握手するのかなと不思議に思うと同時に、彼は私の手の甲に自分の額を軽く押し当てた。
「光栄です。暗闇からこの命を救い出したのはあなただ。聖なるもの全てがこの世界から失われる日まで、あなたに忠義を尽くしましょう」
「うん?……う、うん、えっと、ありがとう。あの、これから、よろしくね」
 どういう意味かな、とどきまぎしつつ私はこくりと頷いた。琥珀、って呼んでも大丈夫そうかも。誰か一人くらい愛称とかで呼びたいところだ。ということで、アンバーは、私の中で「琥珀」に決定した。
 琥珀はやっと身を起こし、かすかに照れくさそうな微笑を浮かべたあと、皆の視線を避けるようにして下がった。
 なんだか微妙な空気が周囲に満ちているのに気づき、咄嗟にリュイの方へ助けを求める視線を向けてしまった。今までいつもリュイを頼ってきたから、どうも条件反射で彼の姿を探してしまう。これじゃ駄目なのに。
 ……リュイ?
 視線が交わったのは一瞬だけだった。
 今明らかに、目を、というより顔を背けられたと思う。怒っているような、嫌そうな顔してた。両手でどすんと乱暴に突き放された気分だ。
 どうして、と混乱しかけた時、さりげなく隣に立ったイルファイに耳打ちされた。「あまり皆の前で容易く祝福を与えるな」と。そう言われて、どきんとする。私、調子に乗っているように思われたのだろうか。まるで自分が皆より格上なんだと優越感をもって見下ろしているかのような態度に取られたのかもしれない。
 急激に羞恥心や後悔が生まれ、自分を思いっきり殴打したくなった。恥ずかしい。穴があったら入りたい気分だ。
 ごめんなさいと言おうとしてイルファイを見上げたら、視線でとめられた。予想に反してイルファイは、侮蔑の表情などではなく、何かを案じているような思慮深い顔をしていた。
「さて。惚けている場合ではない。夜明けまでに行動を決めねばな」
 場に満ちていた奇妙な空気を払拭するように、イルファイはよく通る声で皆の意識を集めた。
 クロラ達がどちらにつくか簡単に決まったのに対し、他の人はまだ悩み続けている。
 私もどちらについていけばいいのか、答えを出せていなかった。

(小説トップ)(Fトップ)()()