F2:05

 実は避難所へ移動するという話をした時にも、少し揉めた。
 私達が避難所と決めたのは、神剣を保管していた部屋の近くにある別の隠し部屋だった。
 けれども、そこまでの道は、この儀式の間から結構距離があるし入り組んでいるため、分かりにくい。もし置き手紙に砦組が気づかずさまようことになったらどうすると、ディルカレートが声高に反論したんだ。
 彼女はすごく率帝の身を案じているようだった。私の監視を優先させるのではなくやっぱり率帝に同行していればよかったと悔いているらしい。そういう気持ちが強く、余裕がないみたいで、険しい目を何度も向けられてしまう。私さえいなければ率帝と行動したのにって言いたいに違いない。
 ディルカレートは儀式の間に残ると言い張った。砦組のために誰か一人道案内役を残すべき、と強く主張する。
 でも、もうわずかの時間でレイムたちが目覚める。もし、囲まれてしまったら彼女一人だけではどうにもならない。
「やはり別行動をするべきではなかった」
「今更、不満を言っても」
「しかし、この時刻になっても戻らぬということは、彼らは既に」
「我らも助からぬのでは」
 後方にいる騎士や見習い神官の人が小声で言い争いをしているのが聞こえた。
 駄目だ、このままじゃ皆ばらばらになる。
「私が残ります」
 口論しているディルカレートとバノツェリの間に入って、私は告げた。
「信用できない」
 剣を翻すような勢いでディルカレートに拒否されてしまった。
 どうすればいい。ここに彼女を残して、死なせるわけにはいかない。
 身が一瞬震えた。どうせ――どうせ、もうディルカレートにはとことん嫌われているし、憎まれているじゃないか。もっと嫌悪されたって、何も変わらない。
「夜が来る。この場に残って、率帝達が戻るより先にレイムや魔物に襲われた場合、どうしますか。あなたの剣ではレイムを元に戻せない。無駄死にとなります。率帝はあなたの死を望まないはず」
 私の硬い声に、ディルカレートは顔を歪め、紅潮させた。
 ああ、今の言葉で完全に亀裂が入っただろうな。
「私が残ります。レイムと戦えるし、いざとなれば結界を作れる」
 ソルトは禁忌の結界である樹界をもう構築したくはないようだったけれど、それでも命にはかえられない。
「ならば! 今この場で、その結界を作ればいいのではないか!」
 ディルカレートが悔しげに叫んだ。
 ああ、そうか。確かにそうかもしれない。私とソルトの樹界ならある程度視野も阻むので、たとえレイムや魔物が押し寄せても皆の平常心が奪われることはないかもしれない。
 躊躇いつつも頷こうとした時、エルが低く唸った。非難の鳴き声だ。
「いけない。あなたは再び血を流し昏倒してしまうのでしょう。もしそれであなたに万一のことがあれば」
 前に樹界を見た騎士の一人がそう言い、血相を変えてこっちに近づいてきた。
「……王子をお探しするという話はどうなる?」
 別の騎士が口を挟んだ。
 頭が痛くなる。そうだった。最初の計画では、砦組と合流したあと、戦えない者は避難場所にとどまらせて率帝に結界を構築してもらい、騎士数人と私、イルファイたちとで捜索に行くはずだったんだ。
 でも、頼みの砦組が戻ってこない。こちらの神殿組で結界を作れる人はイルファイしかいない状態だ。
 あまりにも戦力が少なすぎる。せめてあと数人の魔術師か率使がいれば、動きようがあっただろう。
 何よりも、私達はもっと意思の疎通をはかり、ちゃんとした策を練るべきだった。今の状況は、地図も持たずに迷路の中をただ闇雲に歩き回っているようなものだ。きっと誰もが懸念しながらも、足を止めるのが怖くて、目を瞑ったまま進んでいる。
「今は避難場所で一日を耐える以外にない。皆が勝手な行動を取れば命取りになる。ディルカレート、響、お前達もだ」
 誰よりも冷静なイルファイがよく通る声で告げた。
 ディルカレートは唇を噛んで押し黙ったけれど、決して納得したわけじゃないだろうと思う。その証拠に、こっちへ向けられた視線には憤懣の色が宿っている。
 濃厚な不安を抱きながら、私達は避難場所へと向かった。
 
●●●●●
 
 不安は現実となった。
 避難場所へ向かう途中の出来事だ。
 強い力を持つ魔物数頭に囲まれてしまったんだ。戦えない人を騎士達に守ってもらい、イルファイとエルに乗った私で応戦した。
 ああ本当に大失敗。怒り継続中らしきソルトが全然協力してくれず、私の動作はもう絶望的に鈍すぎだった。エルに乗せてもらっていたからなんとかなったんだけれど、魔物を倒すのに時間がかかってしまった。
 ようやく危機を脱して息をついた時には、ディルカレートの姿が消えていた。
「愚か者め!」
 イルファイが厳しく罵った。
 皆も暗い表情を隠せないでいる。
 ディルカレート、私達が魔物の相手をしている隙を見計らって、一人で儀式の間に戻ったんだ。
 私のせいだ。私が思いやりのない言葉を投げたから、ディルカレートはきっと意地になった。
 なんでもっと彼女の心を労れなかったんだろう。他に言い方があったはずなのに。
「イルファイ、皆を連れて避難場所へ行って。結界、作れるよね」
「どこへ行く」
「ディルカレート、儀式の間に行ったんだよね。連れ戻す」
「お前まで愚か者になるのか」
「失いたくない、誰一人、失うのいやだ」
 エルの背から飛び降りた私の腕を掴むイルファイに、強く訴えた。
「お願い、離して。ディルカレートを必ず連れ戻すから。すぐに戻るから」
 イルファイは舌打ちした。予定通りにいかない現状に、髪をかきむしりたい気分なんだと思う。
「あれが再びレイムに戻っても自業自得だ。身勝手な行動は慎め!」
「私、皆を人に戻すために! そのために来たのに、ここで彼女を連れ戻さなかったら、一体自分が何のためにいるのかっ」
「それでお前も化け物と化すか。神力を持つ恐るべき化け物にか。我らを救うためというのなら、従え!」
「違う、違う」
 私の身を引きずってでも連れて行こうとするイルファイに、大きく首を振って抗った。
「救うために、一人のために! この一人を、救うために神力を!」
「一人のために、皆を犠牲にすると――」
 あぁまた、同じことの繰り返しだ。
 それでも。
「違う、一人って、皆のことだよ!」
 イルファイが一瞬、動きをとめた。
「一人一人を守らなきゃ、皆にならないよ!」
 私はイルファイの腕を掴み返した。あたたかい血が流れる腕。生きている人。
 勝手に来て、好き放題主張して、まるで救世主気取りの自分。この世界のことも人々のことも何一つ知らないのに、なんて恥ずかしい言い分だろう。
 救うとか、守るとか、そんな台詞、自分でもよく言えると思う。そういう言葉は、もっと強くて利口で頼りになる人が言うからこそ、力になるのに。台詞だけは一人前で立派だけれど、現実として行動は何も伴っていない。
 でもレイムの姿は悲しくて、世界もぼろぼろだった。
「身勝手で、苦しめてばかりで、ごめんなさい。でも、きっとディルカレートを連れ戻すから。たくさん皆を人に戻して、そうして生きていけるくらいに、きっと頑張るから。ごめんなさい」
 イルファイの目をもう見返せなかった。
 身を翻してちょっと駆け出した時、エルがついてきそうな素振りを見せたため、私は立ち止まった。
「エルは皆といて」
 エルが怒ったように唸り、毛を膨らませた。
「すぐに戻る。皆を安心させてね。エルは聖獣だもの、皆を守ってくれるよね」
 ぎゅうと首元に抱きついたあと、エルの横腹を皆の方へと押した。
 万が一、エルを巻き添えにしてしまったらと思う。一人で行動する危険をおかそうとしているのに、またエルを利用しちゃいけない。
 足踏みしてきゅんと鳴き鼻先を押し付けてくるエルに、強く「来るな」と訴えた。ここでエルと共にいってしまえば、更に皆の不安を煽る。もう二度と戻らないのではないかと思わせちゃいけないから、そのためにエルを残すという意味もあった。
 バノツェリの例も、頭にある。身分を持ち出された場合、イルファイにはとめようがないだろう。だからエルには、私がいなくなったあと、他の人まで結界を出ないように見張っていてほしかった。
 エルの切ない鳴き声を後ろにして、私は勢いよく走り出した。
 
●●●●●
 
 儀式の間に戻っても、ディルカレートはいなかった。
 魔物と争った形跡もない。
 ということは。
 血の気が引いた。
 ディルカレート、砦に向かったんだ!
 私は身を強張らせた。この時間になっても砦組が戻って来る気配はない。もう認めなくてはいけないだろう、砦組に何かこちらへすぐには戻れぬ問題が起きた。
 でも、率帝やリュイがいるのに皆死んでしまったとは思えないし、思いたくない。彼らは、危機が去り動けるようになるまで待っているんじゃないだろうか。夜が近いことを考えれば、なんとか一晩堪えて、もっとも危険の少ない明け方に行動しようとするはずだ。転移のこともあるし、きっと砦から離れた場所へは移動していないはず。
 ディルカレートもこういうことを考えて、砦に向かったんじゃないか。
 私はうろうろとその辺を歩き回ったあと、覚悟を決め、神剣を抜いた。
 ここまでは多少薄暗くても道順を覚えていたから困らずにすんだ。でも主神殿の外は、別だ。視界をクリアにしなければ身動きが取れない。なぜかソルトを手に持てば視界は明瞭になる。
 ソルト。
 呼びかけても、まだご機嫌斜めであるらしいソルトから返事はもらえなかった。ソルトの助言と力を借りられないのは痛い。私は溜息をこぼした。自業自得だった。頑なところのあるソルトをからかいすぎた。決して馬鹿にするつもりではなくどちらかといえば親愛の意味をこめてふざけたんだけれど、ソルトには無力な娘に笑われたとしか取られなかったんだろう。
 ごめんね。
 一度、柄を丁寧に撫でたあと、私は再び駆け出した。
 ディルカレートはまだそれほど遠くへは行っていないはずだ。
 ……と考えて、大事なことを忘れているのに気がつき、思わずがっくりと膝をついた。
 馬鹿だ私! 勢いでここに来ちゃったけれど、そもそも砦の場所を知らないじゃないか!
 ディルカレートがどっち方面へ向かったのか判断できない。
 信じられない、間抜けすぎる。
 脱力して寝転びそうになった時、きゅんっと背後から鳴き声が聞こえた。
「エル?」
 驚いて振り向くと、エルを引き連れたイルファイが立っていた。私はぽかんとしてしまった。
 どうして。
 ここに来るまでに、魔物とかと遭遇しなかっただろうか。私は運良く出会わなかったんだけれど……あ、イルファイは魔術を使えるし、エルと一緒なら大丈夫かな。
「馬鹿者、砦の場所を知らんのだろう。それで、どういった方法でディルカレートを追うと?」
 皮肉な口調で言いつつイルファイが近づいてきた。
 私はすごく落ち込んだ。
 イルファイは腕を組み、短い間、萎縮している私を見下ろした。そして小さく吐息を落としたあと――砦までの行き方を教えてくれた。
 驚いて顔を上げると、苦虫を噛み潰したような表情とぶつかる。
「こうなるだろうと思ったのだ」
 うう、ごめんなさい。
「だが、お前をとめてはいけないのだとも思った」
「え?」
「調子に乗るではない。褒めておらぬわ」
「う」
「聖獣を連れて行くか?」
 私はじっとイルファイを見上げた。その隣でエルが必死に鼻を鳴らし、行きたいと訴えてくる。
「ううん、駄目。イルファイ、ここから一人で避難場所に戻るのは危ないもの」
 きゅーんとエルが大泣きしてるっぽい感じで鼻を動かしたけれど、ごめんね。イルファイが結界の場所へ戻るまでの道が、安全とは限らないもの。彼は魔物と遭遇する危険をおかして、ここまで私を追ってくれたに違いない。
「それはこちらの台詞だ。一人で外に行く意味を分かっているのか」
「うん」
 レイムが目覚める時刻。
 エルの助けなしに、ディルカレートを探す。
「法具を少し持っていけ」
「あ……ありがとう」
 手渡された袋を覗き込もうとした時、突然がしっとイルファイに両手で頭を掴まれた。痛いよ。
「死ににいくようなものだ。馬鹿者め」
「あの、皆の方は、どうなって」
「余計なことを考えるな。既に結界内にいる」
「そっか……って、わぁ! イルファイ!」
 イルファイが私の耳朶に唇をつけたんだ。私はイルファイの服を掴み、硬直してしまった。
「動くな。額には神石があるので術をかけにくい。お前の意識に直接焼き付ける」
 術って。
「簡易の守護結界を身にはってやる」
 そ、そっか。びっくりした。っていうかイルファイ、耳に唇をつけた状態で言われると、とってもくすぐったいよ。
「数度の衝撃には耐えられる。だが、いずれは壊れるぞ」
 そう前置きして、イルファイは、なんだか眠たくなるくらい心地のいい響きの呪文を唱えた。言葉が身体の中にしみこんでいく感じだ。一体なんていう言葉なのかは分からなかったけれど、結構時間がかかった気がする。
 ようやく終わって身を離した時、イルファイは少し疲れたように息をついた。皆の方にも大きな結界を構築したばかりなんだろう。
「さあ行け。必ず戻れ」
「うん」
 足踏みしてぐるぐる回るエルを気にしつつ、私は頷いた。
 ごめんね、エル。ちゃんと戻るよ。
 戻れるって、なぜかそう思う。
 
●●●●●
 
 主神殿の外は、闇の訪れを意識させる灰色の夕暮れに覆われていた。
 砦への道。
 イルファイに教えてもらった道順を頭の中で反芻する。
 まず、主神殿は本城である王城の左後方――北西に建てられている。出発の基点となった神殿は、王城からかなりの距離を取った南東にあるという。ちなみに騎士達を発見した建物は、その神殿からわずかに王城寄りの南南東にある。
 そして砦は、王城の右後方、つまり北東にあるらしい。
 この主神殿から砦までは、およそ徒歩で三時間かかるかかからないかという感じらしい。確か、出発の基点となった神殿からの距離も三時間くらいかかるって聞いた。
 でも慣れていない者の足だと、もっと時間を要するだろうと言われた。
 なぜなら、王都の中央となるこの区画は森に覆われている上、他にも様々な建物が存在するという。
 しかし、ディルカレートは中央区画の行き来に慣れているので最短の道を行くはず。私はその道と、目印を教えてもらった。
 あと頼りになるのは、『音』だ。
 シルヴァイの力をもらったためか、私は集中すれば、遠くの音を拾えるようになっていた。そのため、エルを残して一人ディルカレートを探しにいくという無謀な真似ができたんだ。
 とはいえ、どんな音でも拾えるわけではない。私が聞き取れるのは、大気を乱すほどの激しい音。痛烈な音。
 私は必死に走りながら、ディルカレートの姿を探した。
 どうか大気、風のように流れて。
 彼女への道を、教えて。
 灰色の空。茜色を失った夕暮れ。空気は淀み、乾いている。
「ディルカレート、どこ!」
 叫ばずにいられなかった。
 獣の鳴き声がどこからか聞こえる。
「お願い、答えて――!?」
 突然、背中に寒気が走った。
 背後の空気が、変わった。
 振り向いた時、激しい衝突音が響き、目の前が白く光った。獣の鳴き声がなんて近い。
 私は一瞬、無防備に立ち尽くしてしまった。
 今、背後から、獣に襲われたんだ。
 けれど、イルファイがくれた結界が身を守ったらしい。
 吐き気を呼ぶ恐怖が湧いた。結界がなければ私は死んでいただろう。
 獣が体勢を立て直す前に、私は剣をかまえた。どちらだろう、普通の獣ならば斬れない。だけど魔物であれば斬れる。
 ねえソルト、お願い、協力して。
 迅速な動きが取れないのは致命的だった。
 ソルトは答えてくれない。泣きたくなる。
 飛びかかってきた獣に、私は何の策もないままただ剣を振り下ろした。――斬れない!
 普通の獣だ。私の世界では存在しない、濃緑色の毛を持つ豹のような獣。
 どうしよう。何度も飛びかかられたら、結界が壊れる。
「ひゃあ!」
 絶句する間に、もう一度突進された。結界が阻んでくれたけれど、私は恐ろしさのあまり、尻餅をついてしまった。
 なんとかしなきゃ、どうしよう、どうしよう!
 獣が勢いをつけるために、少し後退した。どうやら結界を警戒して、躊躇っているようだった。
 怖い、どうしよう、誰か。
 エルに来てもらえばよかった。
 馬鹿だ本当に。こんなに弱いくせに、恰好つけて一人で来てしまった。
 心臓の音がうるさい。どくどくと巡る血に、恐怖が色濃くしみついている。
 馬鹿! 放心している場合じゃない。
 私は大きく震える手で、イルファイからもらった袋の中を漁った。再度突進してくる獣に、それが何かろくに確かめもせず指に触れた法具の一つを投げつけた。
「!」
 きぃっと鋭い獣の声が響き、ついで鈍い爆発音が広がった。
 どうやら投げつけたのは、攻撃系の法具だったらしい。ちょっと爆弾に似ている感じのものだ。
「あ、あ」
 獣の顔半分、右側の胴体が大きく抉れて、大量の血が噴き出していた。きぃっと何度も狂ったように泣き喚いている。
 私はがくがくする足で立ち、袋と剣を抱えて獣の側から逃げ出した。
 獣は追ってこなかった。

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