F2:07

 まずは左の通路にいる動作の俊敏なレイムの相手をした。
 足が五本もついている蜘蛛のような身体を持つレイムだ。動きは速いかわりに、それほど殺傷能力を持っていない。
 繰り出される腕の爪をよけながら、私は葛藤していた。どうしよう。ここでレイムを人に戻してしまった場合、ますます身動きが取れなくなる。かといって蘇生した人を置き去りにはできない。
 
 ――主、雑念を抱くな!
 
 ソルトの叱責を受けて、私は覚悟を決めた。今の私の実力では、たとえソルトの力を借りていても手を抜くという余裕などあるはずがなかった。斬るしかない。
 レイムの攻撃をかわした私は、通路の手すりに刹那の間背を預け、体勢を素早く整えた。まずはこの俊敏な動きを封じなければ首を落とせない。
 床に爪先を食い込ませるようにして五本の足を動かすレイムを注視しながら、私はわずかに腰を落とした。そして水平に剣を閃かせ、二本の足を斬る。わずかに重心を崩しながらもこっちの頭を潰そうとして振り下ろされた腕を、今度は斜めになぎ払うようにして斬り、横へ転がった。痛みと怒りがまじる鳴き声を響かせながらレイムは素早く振り向いた。
 私は片膝を床につけた体勢のまま、レイムが突進してくるのを待った。レイムは前側の足を切り落とされたために前のめりになるような体勢で動いている。ふっと息をためたあと、私は抜刀する時のように剣先を一度後方へ向けた。
 怒りに我を忘れているレイムがぐっと首を突き出してきて、噛みつこうとする。私は居合いの要領で、迫ってきたレイムの首を勢いよく払った。ソルトの助力があるため、片腕の力だけでもレイムの首を斬ることができる。
 噴き出すレイムの体液を避けて、後方へと移動した。レイムの体液を浴びすぎるな、とソルトに忠告されたためだ。ただ身体に付着するだけなら大丈夫らしいんだけれど、レイムの体液は程度の差こそあれ、総じて毒素を有しているらしい。ある量以上、一気に体内に取り込んでしまうと血が冒され、自分までもレイムと化してしまうんだって。映画に登場するリビングデッドと似ている。
 驚異の蘇生を見届ける余裕はなかった。
「!」
 ディルカレート!
 イルファイみたく盛大に舌打ちしたい気分になる。
 動くなって注意したのに、ディルカレートは右通路にいたレイムと対戦していたんだ。
 出血だってまだとまっていないし、歩くのさえ辛そうだったのに、レイムと対峙するなど危険すぎる。
 苛立ちを勢いに変えて、私は彼女の方へと走った。目の前で、レイムの尾に打ち据えられたディルカレートの身体が吹き飛び、壁に激突した。彼女が手にしていた剣が、からからと固い音を立てて階段下へと落ちていった。
「私が相手!」
 叫びながら私は深く踏み込み、こっちに注意を向けたレイムの胴を斬った。間を置かずに、よろめくレイムの首を切り飛ばす。
 息を整える時間すらない。階下で魔物と競り合い、勝利したらしいレイムがこっちへ向かってきているのが分かる。更には、右通路の奥からも鳴き声が聞こえてくる。
 なんとなく気づいたことだけれど、レイムは建物内部からは覚醒できないようだ。濃い影の中から生まれる彼らだけれど、大地の力を借りねば身を現せない。たとえば、どんなに濃くても机や壁が落とす影からは出現することができないんだ。
 レイムは生前想いを残した地域の――土の地面に落ちる影より生まれ、建物内部に侵入する。
「立って!」
 優しく労る言葉は今、かけられない。蘇生した二人を無理矢理立たせ、壁に衝突して目が眩んでいるらしいディルカレートの手を掴む。
 駄目だ、目覚めたばかりの二人も、ディルカレートも、すぐには動けない。
 必死に呼びかけて急かしたけれど、特に蘇生を果たしたばかりの二人は放心状態でまともに歩くことすらできなかった。
「ディルカレート」
 何度も目を瞬かせて正気に戻ろうとしているディルカレートの両肩を私は掴んだ。
「ディルカレート、力を貸して」
 その目を覗き込み、刻み込むように言葉を紡いだ。
「あなたが必要。二人を、守って」
 ぼんやりとしていたディルカレートの目が、ふっと切り替わるように強さを取り戻した。
「通路を警戒していてね」
 右通路からずりずりと何かを引きずる音がする。レイムが物音を聞きつけて近づいてきている証拠だった。けれどそちらを倒すよりもまず、階段を上がってきたレイムをなんとかすることの方が先だった。通路のレイムが姿を現す前に早くこっちを片付けなくてはいけない。ディルカレートはもう戦えない状況だったけれど、動くなと頭ごなしに言えば、彼女は意固地になってまた無茶な行動をする気がした。
 二人を守って、というふうにお願いすれば、きっと彼女は従ってくれるんじゃないかと思った。
 だって、そうだよね。私も以前、リュイに注意された時は反発しかしなかった。邪魔だと、頼りにならないと、そんなふうに判断され、蚊帳の外におかれるのは誰だって辛い。
「あっ、あぁ」
 蘇生した二人――その片方の人が、突然奇声を上げた。混乱してわけも分からないままに怯えている。叫ばれるのはまずい。もっとレイムを呼び集めてしまう。
 階段を上がるレイムの気配を強く感じながらも、私はその一人――二十代半ばあたりの銀髪の女性だ――に駆け寄り、両頬を包んで視線を合わせた。
「大丈夫、守る!」
 強く、頬を打つ強さでその女性に言い聞かせた。意味など分からなくてもいい、ただ、一人じゃないってことを感じてほしかった。
「守る、あなたを必ず守ります。ディルカが、私が、守るから、泣かずに!」
 女性は涙を流しながら、ぼうっと私を見つめた。
 しまった私、慌てるあまり、ディルカレートの名前を略してしまった。だって長くて、言いにくいんだもの!
 なんて内心で八つ当たりしている場合じゃなかった。階段を上がり終えてジャンプするような動きでこっちへ突進してきたレイムに、私はソルトを投げつけた。ごめんソルト!
 
 ――主め!
 
 憎々しげなソルトの声が聞こえたけれど、本当にごめん。
 投げつけた剣先が顔に突き刺さったレイムは、暴れながら手すりに衝突した。私はすぐに駆け寄り、タイミングを見計らって剣を引き抜いた。そして掴み掛かってきたレイムをかわし、身を捻らせた時の勢いで首を斬り落とす。
 私は荒く息を吐きながら、右通路へ顔を向けた。
 通路に広がる闇から現れたのは、予想に反してレイムではなく、巨大イグアナみたいな獣だった。私は青ざめた。ソルトでは普通の獣を斬れない。
 何度も戦ううちに、獣と魔物の違いがなんとなく分かるようになってきている。魔物の方が、気配が淀んでいて重い。
 どうしよう。
 獣と目が合った。獣は別の獣の臓腑を引きずっていたようだった。ずるずるという音はこれだったらしい。多分、別の獣の身体を食べていた時に音が聞こえ、こっちへ来てみたんだろう。
 獣はその臓腑を口から離した。私達の方が美味しそうに見えたんだろうか。
 突進してくる獣を見て、蒼白になった。斬れない、どうすれば。法具は確か、ディルカレートを花台の横へ座らせた時、一緒に置いてしまった。取りにいく時間は――。
 
 ――主!
 
 身をかわせ、というソルトの怒声が胸に響いた。
 でも私は逆に獣へと走った。
 だって身をかわしたら。
 背後にはディルカと蘇生した二人、そして更に今戻したばかりの人がいる。
 
 ――痴れ者が!
 
「う、あぅ!」
 駄目だ、斬れない!
 正面からぶつかるようにして滑らせた剣は、獣が持つ鋭い牙でとめられてしまった。
 私の精神の状態に呼応してしまったのか、ソルトの力を借りていても体勢を保てず、獣の勢いに負けてしまう。
「いっ……!」
 痛い!
 ぐんっと振り払うようにして獣が大きく首を振った。私はソルトを手放してしまった上、弾き飛ばされた。そうだった、もうイルファイの結界は壊れていたんだった。
 床を震わせるような獣の低い咆哮と息遣いが離れる。その意味を悟り、床から身を起こした。
「駄目!」
 行かせない。守るために来たのにここで諦めたら、一体私は何なのか。
 素の自分では受け入れられない。強くなければ意味がない。
 灯火でいなきゃ意味がない。
「うーっ!」
 ディルカ達に飛びかかろうとする獣の横腹に、私は目を瞑って突進した。獣の身体ごと、私は通路の壁に激突した。
 怒り狂った獣の足で蹴り飛ばされ、うっとえずきそうになるくらいの痛みが腹部に走る。口内に溢れた唾液がこぼれ、糸を引いたけれど、拭う余裕もないまま、獣の前脚で肩を強く蹴られた。痛くて、吐きそうで、意識が一瞬吹雪に襲われたかのように白く霞んだ。ソルトを手にしていないために、視界もクリアではなくなっている。
「ん、んん」
 あぁ弱い。ソルトの力がなければ、こんなに弱い。
 もうどうしようもない事実だ。
 私は再び獣に体当たりした。獣の牙がすぐ目の前にあった。仰け反るようにして横を向いた瞬間、喉元に食いつこうとしていたらしい獣の牙が首飾りに引っかかった。
 首飾りが弾け飛び、小さな音を立てて床にちらばった。
「う」
 下側から抉るようにして、思い切り蹴り飛ばされた。身体がわずか、宙に浮き、ついで背と後頭部に激しい痛みが広がる。手すりに衝突したらしい。
 くらくらして、とてもすぐには起き上がれない。
 またこうして簡単に戦えなくなる自分がいる。
 
 ――主、立て!
 
 ソルトの声が少し遠い。そうか、手放してしまったため、声が遠いんだ。
 あぁ、ごめんね。こんな主で。
 逃げてディルカ、皆を連れて、どこか、部屋に。
 こちらを見据える獣の目の輝きだけが、闇に浮かんでいた。まるで闇そのものが目を持っているようだ。山よりも高く闇がそびえ立っているような気がした。
 逃げて、と言おうとした時だった。
 闇が、ぶれた。
 濃厚な殺意を宿す獣の目が消え、きんと耳が痛むくらいの爆発音が響く。
「――」
 瞬き一つのあと、私は視線を巡らした。
 獣が床に倒れて、痙攣している気配が伝わる。
 今、何が。
 茫然と横たわっている私の側に誰かが近づいた。荒い息遣いが聞こえる。
「ディルカ?」
 ディルカが法具の一つを獣に投げつけたのだと分かった。
 
●●●●●
 
 腹部と肩に走る痛みをこらえながら、私はソルトを手に取った。
 身を襲う痛みにとらわれている時間はなかった。移動しなければレイムに囲まれる。
 ここで三人を蘇生させたことになる。そのうち二人が女性だった。最後に戻した人は私の母親くらいの年齢だろうか。ただ一人の男性は、残念ながら騎士や率使ではなさそうだった。もしかするとこの宮で働いていた人なのかな。
「……その剣、レイム以外に斬れないのか」
 ディルカが怪我をしている腕を押さえながら立ち上がり、ぽつりとそうたずねてきた。
「普通の獣は無理なの。魔物とかレイムだけ」
 ぼうっとしている三人を立たせようとしつつ、私も小さな声で答えた。多分、今の出来事で、神剣がなければ私は弱いと気づかれたと思う。
「その状態で彼らを守れると?」
 ディルカ、責めたい気持ちは分かるけれど、今は移動しないと。
「なぜ」
「ディルカ、移動しないと危険が……」
「なぜ、戦いすら知らぬ娘に神力が。なぜこの国の者ではない?」
 ソルトを手にしているため、クリアな視界が戻っている。ディルカは憎悪や苛立ち、そういった色々な感情が浮かぶ目で私を睨み、顔を歪めていた。泣きそうな顔のようにも見えた。
「どこの国とか、そういうの、関係あるの」
 こんな話をしている場合じゃないのに、どうして皆、分かってくれないんだろう。
 やっぱり私の弱い部分が透けて見えるから、疑わずにはいられなくて立ち止まるんだろうか。
「何の目的で皆を救おうとする」
 もう、どうすれば。
「……私の世界だってひどい状況になってる」
「天界が?」
 あ、そうか。前に、天界の者だと誤解されるような言い方をしたのは自分だった。
「世界は繋がっているから、ここが乱れれば他も狂う」
「……天界のためか。そのためにエヴリールの均衡を守ろうとしているのだろう」
 もういい。それで納得してくれるなら、もういいや。
 実際、ディルカの指摘は正しい。フォーチュンや神様はエヴリールが崩壊すれば、私の世界にも悪い影響が出るって言っていた。
 でも、天界のためだけではなく、私の世界のためだけではなく、この世界のためだけでもない。
 どれが一番とか、そういう問題じゃないと思うけれど、うまく説明できない。
 利益を考えていたら足がとまってしまう。
 移動しよう、ともう一度訴えるべく口を開いた時だった。
 お喋りしている時間はないってこと、もっと理解するべきだったんだ。
 またしても階下から、レイムがあがってくる気配を感じた。
 嘘。
 せめてもう少し、痛みが和らぐ時間が欲しいのに。
 嘆いている場合じゃない。
「ディルカ、お願い」
 私は深呼吸のあと、ディルカの顔を正視した。
「三人を連れて、どこか安全な部屋に入って」
 残った法具一つをディルカの手に握らせる。
「馬鹿な。私に逃げろと」
「違う。三人を守って。ディルカの国に生きる人だもの」
 笑いかける余裕も、労る余裕もない。ただ真剣に訴えるしかできない。
 今、自分にできるのは、レイムをくいとめてディルカたちが逃げる時間を作ることだ。
 イルファイ、ごめんね。もしかしたら私、そっちに戻れないかも。
 ソルト、この神石を誰かに渡すことはできないのかな。
 
 ――くだらぬことを言うな。
 
 怒られてしまった。
 でも、神石を持つレイムになってしまったら困るということをイルファイが言っていた。
「ディルカ……、神石、いる?」
「何?」
「この石、持っていく?」
 もしかしたら持っているだけでも、お守りのかわりになったりしないかな。
「何を」
 驚いた表情を浮かべるディルから、視線を移動させた。階段を上がってきたレイムが、こっちを見てにやりと笑った。
 まずはこのレイムを斬ってから、神石をディルカに渡そうか。
 ソルトの痛罵の声が胸の中で膨らんだ。私は何度も謝りつつ、剣をかまえた。
 戦おう。
 そう決めて、駆け出そうとした時だ。
 こっちに躍りかかってきたレイムの身に、どこからか突然飛んできたきらりと輝く玉が当たり、爆発音が響き渡った。
 レイムの身が階下へと転がり落ちるさまを、私は唖然と眺めた。

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