F2:16


 リュイ?
 何について問われたのか分からず、私はただ硬直していた。
「自由な己であれとあなたはそう言った。言葉や感情を封じずに、望むままと」
 別行動する前にかわした言葉についてだろう。確かに私はそう答えた。
 あの時は少し心が荒んでいたため、ちゃんとリュイの気持ちになって考えてはいなかった。
 よく考えたらリュイは規律を重んじ王様に忠誠を誓う騎士の立場にある人だもの、望むまま自由でいろと言われた場合、逆に困ってしまうんじゃないだろうか。自分の考えや判断よりも、仕える主の命令を絶対的に優先させるというのが騎士の基本姿勢であり理念なんだと思う。多分、くだされる命令が正義か悪かという大事な問題すら、あえて深く考えないようにしてきたんじゃないかな。そこで迷い足を止めてしまえば主人への裏切りになってしまう。無条件で許される自由意志はきっと禁断の果実に等しいんだ。
 どうしよう、余計な台詞を口にしてリュイを困惑させてしまったに違いない。
「やはりあなたという方が分からない。近いのに遠く、気安いのに厳かだ。そして強大であるのに、肉体的にはこれほど脆い」
 小さく静かな声音だったけれど、リュイの心を乱す嵐のような感情の色が確かに乗っていた。
「あなたをどう見ればいいのか。稚い少女として、それとも神の眷属と?」
 はっとした。もしかしてリュイは私が皆に自己紹介した時、自分の出身をぼかし元来神の眷属であると匂わせてしまったために迷いを抱き、態度を決めかねているんじゃないだろうか。
「また私はどのように振る舞えばいいのか。騎士として、それとも」
 個人として振る舞うべきなのか、それとも立場をまず重視するべきなのか。そう問われているに違いない。
 なぜそういう迷いを抱いてしまう結果になったのかといえば、やっぱり私の無責任な発言が原因なんだと思う。軽々しく「自由でいて」と答えてしまった結果がこれほど波紋を広げてしまっている。仮に私が神力などを持っていなかった場合、同じ答えを返したとしてもリュイは悩んだりしなかっただろう。
 今、他愛ない少女の言葉にすぎないと軽く考えて切り捨てられないのは、シルヴァイたちにもらった力があるためだ。私個人を見れば迷いようもなく無力なのに、不相応な力を持っている。軽視できないその落差に違和感を抱き、どう接していいのか判断できなくなっているんだろう。
 私自身は、リュイにどう見られたいんだろうか。
「リュイは騎士で、男の人で、大人で」
 感じたままを私は口に出した。自分に確認しながら独白している感覚に近い。掠れた変な声だけれど。
「真面目で、優しくて、怖い。強くて、恰好いい。でも、ちょっぴり頑固」
 独白を続けるうちに、なんとなく自分の考えがまとまってきた。
「側にいると安心する。だけどそれは私だけの安心感だから、皆の所へ戻って安らいでほしい」
 うん、整理できた。
「私は、リュイをそんなふうに思ってる。リュイの事情を全部知らないけれど、そういうふうに見える。私はたぶん、こう感じたままにリュイと向き合っている」
 いつものごとく説明が子供っぽいんだけれど、本音を伝えるのに慣れていないから正確な言葉が思いつかない。
「あのね、実は私、神剣と……ソルトっていうんだけれど、心の中で会話ができるんだ」
 この事実は皆に話していなかった。話さない方がいいような気がしたためだった。けれどリュイにだけは伝えておきたくなった。なぜなら、命を秤にかけたというこの一点を除いてリュイは全部を知っており、右も左も常識も分からなかった私を今までずっと見返りなく助けてくれたためだ。
 差を作るのはよくないかもしれないけれど、やっぱりリュイは自分の中で特別な存在だった。
「聖獣とも意思の疎通を?」
 神剣と会話をしていたという秘密を、なんとなくリュイも察していたようだった。
「エルの声も時々聞こえるような気がする。でもまだ私の力はちゃんと覚醒していないから、はっきりとは聞き取れないんだ」
 リュイは月色の目に戸惑いを浮かべながら、手の位置を少しずらして私の喉にそっと触れた。声の調子がまだおかしいから心配してくれているのかな。恐る恐るといった感じで動く指の感触がくすぐったい。
「次元の違う世界から来た事を伏せたのはね、私の全部が弱すぎるせいなの。神聖でも偉くもないのに神力を持っていたら、皆がっかりしてしまう。今は、まだ皆、自分自身が希望なんだって気がついていないから、それまで私が代わりを」
 ソルトに強く言われた言葉を思い出す。灯火であれ。運命を握れ。
 何だか騙すみたいで居心地が悪いけれど皆が生きる力を自分の中に見つけるまで、松明のように生への情熱を掲げてみる。太陽みたいに鮮烈な輝きをもたらすのは到底無理であってもせめて、暗い夜道で方向を見失うことのないよう足元を照らせれば、次の一歩を戸惑いながらでも踏み出せる。風がとまり大地が果てていると嘆く前に、狂人のように大声で叫び拳を地面に叩き付けてみようと思う。多くの命をなくして傷ついた大地を更に痛めつけ、亀裂を入れる野蛮な行為となるだろう、それを知っているけれど激する思いの強さと人の鼓動をこの世界に見せつけるようにして、高く広くどこまでも伝え響かせていくしかない。そうすれば、最初は皆に呆れられたりうんざりされたりするかもしれないけれど、いつかこっちの様子につられて元気を取り戻してくれるかも、などと期待を持ってみる。
「神剣が、皆の希望となれとあなたに命じたのですか」
「うん。でも無理矢理じゃない。私も怖いけれど頑張ろうって思った」
 リュイがふっと視線を下げた。淡い色の睫毛が、月を閉じ込めている目に淡く影を落とす。綺麗だと思うのに、ずっと見ていられない。
「では、私も皆と同じ目線をもってあなたに接するべきと?」
「リュイ、あのね」
「以前にウルスで私は、人々の犠牲を見ながら喜びを抱いた事が。騎士でありながら、同国の者に対する何という裏切りなのか。自分の卑劣さを知りました。生来、私はこういう偽善者であったのでしょう。だが、国崩壊前には多少なりとも己が持つ穢れや欲望を制御できていた。今はもう狂っているのかもしれない」
「違う、そんなことない」
 リュイはかすかに首を振った。その動きで、括りきれていなかった奇麗な色の髪が、見上げる私の顔に一瞬触れた。
「皆の蘇生に心から感謝を。けれども、あなたが遠ざかるのは、己の何かを殺すような思いに囚われる。それが果たして義か悪か、過ちか否かも判断できない。言葉では説明しがたいのです。ただ確実に何かをきざまれる」
 眉間に少し皺を寄せて、苦悩の表情を見せながらリュイが早口でもどかしげに告げた。
「あなたは私を遠ざけるだろうか。それでも尚、自由であれと」
「あ、あの、リュイ、あの」
「神に並ぶ者としての命令なのだろうか、あなた自身の言葉なのか。言葉通りと解釈せねばならない?」
 待って、私の話を!
「あなたは私に、どう振る舞ってほしいのだろう」
 置いてきぼり状態で焦る私に気づいた、というより、こっそりと話を聞いていたらしいエルが、ふがっと鼻を鳴らしたあと、「ちょっと待ちなさい」という感じで尾を揺らし、リュイの腰あたりを叩いた。エルは寝そべっているため尻尾を横に揺らすと必然的に腰付近を叩くことになるみたいだった。
 エルの尻尾攻撃を受けたリュイが我に返った様子で一瞬身を揺らし、口の中を噛んだ時のような渋い顔をして唇を引き結んだ。
 内心でエルに、ありがと、と感謝しつつ、私は微笑んだ。
「さっきね、リュイは騎士で、大人で……って言ったのはね。たくさん表情を、リュイは持っているからなんだ。大人でも傷つくし、時々は気持ちがくじけたりするんだなあって。悩んで迷ったり、でも強かったり、色々。立場も他のことも全部含めたリュイっていう人を、これからも見せてくれたら、嬉しい。自由でいてと言ったのはええと、心を死なせないでねっていう意味で、身分とかの上下関係を前提とした行動のことじゃないんだ」
 ちょっと照れながらそう言うと、リュイはわずかに驚いた顔をした。
 全部の表情を見せてもらえるのってすごく贅沢な気分だ。それだけ気を許してくれているのかなと思える。
「建前の顔も、本当の顔も、教えてくれたら嬉しいな。それでもしリュイも同じように、ええと」
 なんて続ければいいのか、だんだん冷や汗が出てきた。もしかして私の言っていること、かなり間違っているというか、質問からずれているだろうか。
「あのね、本当はリュイは皆といた方が安心できるよね。その方が絶対にいいんだけれど、でも時々でいいから、面倒じゃなかったら、たまには、というか余裕のある時でいいんだけど、側にいてくれたら」
 もう支離滅裂もいいとこ。なんか以前にもこういうやりとりをした覚えが……ということは、自分ってその頃から全然成長していないって意味なんじゃないだろうか。顔が引きつりそうになってしまった。
 自分が安心感を得るためだけにリュイを利用しちゃ駄目だとこの前決意したばかりなのに、こうやって側にいてくれると、すぐ調子に乗って勘違いしてしまう。本当に意志が弱い。
 話の流れでつい本音をぽろっと零してしまった自分を正座させて思い切り説教したくなった。あぁもうどうしようもないや。
 落ち込み項垂れかけた私を、凝視二乗、というくらいじっとリュイが見つめてきた。
「あ、私がまず誰も犠牲にしなくてすむくらい、ちゃんと強くならなきゃ駄目だよね。今は……弱いから」
 慌てて言い添えた。相手の状態を計ることよりもまず自分を変えなきゃいけないんだった。そうしないといつまでもふらふらのままで、危険の中に相手を巻き込むことになる。両目が潰れるくらいの凄惨な悲劇を呼び、抵抗できないままもみくちゃにされて何度も失う羽目になるだろう。
「弱い時こそ、ではないのですか」
 リュイの言葉に困ってしまい、私はつい情けない愛想笑いを浮かべた。
「傷つけてしまうかもしれないから」
 本当に強くなれるまでは、誰も傷つけないように一人で立たなきゃいけない。どこまで強くなれば誰かの隣に行くことが許されるのか皆目分からないけれども。
「リュイは自由でいてほしい。私に対して責任とか持っちゃ駄目だよ。自由に、のびのびと、いつもしていてほしい」
 リュイは真面目な人だから、私を守ると言ったその言葉に身も心も縛られてしまいそうだ。
「響、それは」
 リュイが少し苛立ちに似ているような忙しなさを見せて、言葉を紡いだときだった。
「――話をしたいのだが。今は、邪魔か」
 私とリュイは、声のした方へ同時に視線を向けた。
 後ろにジウを連れたサザディグ王子が、感情のない目をして私達を見下ろしていた。
 しまった、今の今まで他の人達の存在をきっぱりと忘れていた。互いのみにようやく届くくらいの小声で話していたからたぶん会話の内容は知られていないと思うけれど、それとは別に、抱きかかえられているようなこの体勢を妙に意識してしまい、すぐに返事ができなかった。
「お前達は随分親しいようだ」
 私達が返答する前に、サザ王子はするりと腰を下ろして座り込んだ。後ろにいたジウも目を伏せて床に片膝をついた。
「月迦将軍。久しぶりだ、という挨拶は奇異だろうか」
 サザ王子が、うっと息が詰まるくらいの上品な微笑を見せてリュイに視線を向けた。
 リュイはふっと醸し出していた雰囲気を変化させた。公用の顔というんだろうか、私からみれば少し他人行儀に思えるような硬い空気をまとい、サザ王子に目礼している。
 私は困っていた。王子様に挨拶した方がいいのだろうか。それとも許可をもらっていない状態で話しかけるのは無礼とされるのかな。率帝もすごく高位の人だったけれど、その事実を知る前に普通の口調で会話していたため、今みたいに本気で戸惑うことはなかった。
 跪いて挨拶するべきなのかな。でも私、まだ身体を大きく動かせない。
「そちらの話がまだ済んでいないようならば、待つが」
 というサザ王子の言葉に、あれっと思った。王子の立場にある人が、自分の用事よりも相手の事情を優先させるような配慮を見せているという事実に意外な驚きを覚えた。いい王子様なのかもしれない。
「いえ」
 リュイが短く答えた。やはり騎士としての意識が働いたのか、王子を待たせるわけにはいかないと判断したみたいだ。
 サザ王子の目が私の方に向けられた。すっごく艶やかな色を持つ目だ。色々な意味で、サザ王子は苦手かもしれない。
「あなたは神の眷属であると聞いたが、事実か」
 特に命令口調というわけでもなかったし声音も淡々としていて穏やかだったけれど、なぜか有無を言わさず返答を求められているような気になった。滲み出る気品に圧倒されたんだと思う。
 私は王子の目を少し避けるように、不思議な色合いの長い髪を見た。灰青色の艶めいた髪だ。
 敬語を使った方がいいのか迷う。普通に「はい」って答えるだけでいいのだろうか。「そうでございます」とか。ううん、この言葉遣いは何か違うかも。
 早く答えなければという焦りが募ったけれど、すぐには適した言葉が思い浮かばず、私はただこくりと頷くだけにしてしまった。無礼な態度だと思われて、手打ちとかにされたらどうしよう。
「この国の者を蘇生させ神の加護を取り戻すために天界を降りたのだと。また破滅をもたらす元凶も滅するためと。間違いはないか」
 硬い。サザ王子はとっても堅苦しい、なんていう不届きな感想を抱きつつも再びこくりと頷く。
「神剣により蘇生が果たされる。それも間違いはないか」
 私はまた頷いた。
 サザ王子はそこで口を引き結び、少しだけ困惑を葡萄色の目に宿した。私がただ頷くだけという愛想のない反応しか返さないから、話しにくくなったのかもしれなかった。
 相手が王子であろうと騎士であろうと全く気にしないエルが、警戒の目でじいっと見ていることも戸惑いの一つになっているらしい。私とリュイの前に陣取り、お腹側をぺたりと床につけてくつろいでいるような体勢を取っているけれど、エルってばさりげなく前足の爪を出したり引っ込めたりして威嚇している。ううん、エルもだんだん学習している気が。あからさまに唸ったりすると私がとめるから、バレないよう小さくこっそりと相手を脅すという戦法に切り替えたらしい。でも駄目だよ、エル。
「神剣による蘇生は、眷属たるあなたと王家の者のみが許されるとも聞いた」
 内心でエルに「威嚇は駄目だよ」と訴えていたため、サザ王子への返答がまたも頷くだけになってしまった。
 サザ王子が軽く息を吐いた。素っ気なさ過ぎる私の態度に呆れたのかもしれない。
「殿下、彼女はまだ具合がよろしくないのでは」
 とジウがとりなしてくれたけれど、リュイと会話している様子は見られていただろうから、信じてはくれないと思う。
 私は少し身じろぎした。まだ一人でちゃんと座るのは無理だけれど、軽く身動きする程度ならできるようになっていた。リュイの胸を背もたれにしながら、私は正面を向いた。サザ王子達は正面寄りの斜め前に座っている。
 身体を支えてくれているリュイが一旦腕を出してずれた毛布をかけ直してくれた。そして、元のように私のお腹にそっと両手を回す。毛布の下だし他の人にはバレないよね、などと言い訳しつつ、ちょっとどぎまぎしながらもリュイの指を掴んだ。一瞬の間のあとで、リュイがゆっくりと指を絡めてきた。温かい手に嬉しくなった。なんとなく気持ちも落ち着く。
 私は視線を巡らせた。エル同様、王子様が相手でも全く動じないイルファイが興味深そうな顔をしてこっちに寄ってきたあと、近くに腰を下ろしたんだ。イルファイにつられたのか、バノツェリも近くに座った。率使と何か会話をしていたらしい率帝も少しこっちを気にするような顔を見せたけれど、王子とバノツェリの組み合わせが苦手なのか、近づいてはこなかった。騎士やその他の人々は食事を始めている。こっちの話をやっぱり気にかけているようだったけれど、王子の側にはそう簡単に寄れないという感じだった。
 こっち側に食事を運んでいいのかと迷っているらしいクロラと視線が合った。話に割り込んじゃいけないのかも、という顔を見せ、食事を乗せた皿を持ったまま立ち尽くしている。私は、大丈夫という意味をこめて頷いた。合図に気づいたクロラがぎこちない動作で近づいてきて私達の側に皿を置いたり、お酒が入っているらしい杯を用意したりした。
「亡き王の代わりに礼を。我らが民への尽力、感謝する」
 ど、どうしよう、こういう時はなんて答えたらいいの。テレビで見た時代劇では「くるしゅうない」とか答えていたよね。でもこの場面で言うのは絶対に違うと思う。困ったときのソルト頼み、と狡いことを考えて心の中で聞いてみたら、基本として他人に興味がないらしいソルトはいい加減な答えしか返してくれなかった。「心底ありがたく思い絶えず敬え」という返事でもしろ、と言われたけれど、そんな言葉冗談であっても言えるはずがないよ、ソルト。
 またしても頷くことしかできなかった。敬語学習塾とか正しい異世界語講座とかあったら是非通いたい。
「どうした娘。殿下の気品に気後れしているわけではあるまい」
 というイルファイの軽口に、バノツェリやジウが目を剥いた。王子はどことなく苦笑している感じだった。
 イルファイってばそんな本当のことをずばずばと言わないで。
 恨めしい思いでイルファイを見つめると、にやりと笑われてしまった。
「それにしてもお前達は、親しい間柄のようだな」
 サザ王子にもさっき同じ事を言われた。
「皆が蘇生を果たす前は響と二人で行動をしていましたので」
 リュイが静かな口調で答えた。
「ああ、そうか。月迦将軍は唯一、この国の生存者であったと」
 イルファイが納得した様子で独白した。
「――それに、私は響に剣を捧げております」
 その言葉に、サザ王子が驚いた顔をした。
 剣を捧げるって、以前に誓ってくれた忠誠のことなのかな、と私はよく分からないまま判断した。
「月迦将軍、お前はラジラスの騎士だろう」
 ラジラス?
 サザ王子の言葉に、私は首を傾げた。人の名前だろうか。
「ラジラス王子は第三王子。月迦将軍はこのラジラス王子直属の王将騎士だった。また東軍の准騎守(じゅんきしゅ)でもあるゆえ、月迦将軍と呼ばれている」
 きょとんとする私に気づいたイルファイがそう説明してくれたけれど、全然分からなかった。ええと、王将騎士で、准騎守で、月迦将軍? リュイって一体幾つの名前を持っているの。
 もしかしてリュイもものすごく偉い人なんじゃ、と私は気が遠くなりかけた。
「だがラジラス王子は既にお亡くなりだ」
「イルファイ殿、王子がお亡くなりとはいえ月迦将軍は准騎守。実質上、一軍の将ではないか。それを、王家の血筋ではない者に対し誓いをするとは何事か」
 バノツェリがちょっと険しい顔を見せ、畳み込むように一気に反論したけれど、すぐ我に返った様子で私を見た。
 うん、そうだよね、神の娘とは一応言ってくれるものの、内心では信じ難い部分の方が大きいだろう。現実問題、どこの誰だかいまいち分からない奇妙な少女に騎士の忠誠を捧げるなど、とんでもないことに違いない。これが見習い身分の騎士とかだったらまだ寛容な態度で黙認してくれたのかもしれない。でもなんだかリュイは騎士の中でもかなり上位に立つ人らしいので、周囲の目を気にせず自分の意志だけを貫くのは許されないんじゃないかな。
「准騎守の位を返上いたします」
 きっぱりと断言したリュイに、話に参加していた人が皆、驚愕の顔を向けた。
「全ての称号、官位を国にお返しする」
 リュイのきっぱりとした宣言にバノツェリが目を剥き、口をぱくぱくさせた。
「確かに私はこの国で一人、生き延びた。だがこの精神は一度死したのです。大義を失い、己自身もまた見失った。今の私に軍を率いる資格はない」
「何を――騎士たる者がそのような世迷い言を口にするとは。国を守る盾となる、その誓いを立てたというのに、愚かしくも怯懦の念に囚われ、責任を放棄すると」
「糾弾や批判から目を背けるつもりはありません。だが、私の心は変わらない」
「なんと、血迷ったか月迦将軍」
 頬を紅潮させて指をつきつけるバノツェリに、リュイは鋭い視線を向けた。他の人は言葉もない様子で二人を見守っていた。
「国に対する背信ではないのか、罪も罪、破滅の渦に飲み込まれ今まさに救済を必要とする国を前にして、これ以上の裏切りはない」
「制裁は覚悟の上です。騎士の誇りを穢しているというならば、どうぞ私の腕を切り落とされるがいい」
 バノツェリが絶句し、唇を震わせた。怒りと驚きでもう何もいえないといった表情に見えた。
「では月迦将軍、己が位を捨て個人として響を主とする。そういう意味なのか」
 イルファイだけが冷静に口を挟み、確認した。
「はい」
 バノツェリの険しい視線が、肯定の返事をしたリュイから私へと移った。私は突然の展開についていけずぽかんとしていた。
「理由を聞いてもいいか。なぜ響を主とするのか。我らには分からぬ繋がりがあるのか」
 イルファイが片手で無造作に自分の髪をかき回しながら、平淡な口調でたずねた。
「二度、命を救われました。いや、三度か」
「それが理由か」
 毛布の下で、皆にばれないようこっそりと繋いでいたリュイの指に少し力がこもった。
「恩のみではありません。生きた亡霊同然の己に、響は命を見せてくれた。闇の中に差し込む光のようだと。――申し訳ないが、言葉では確かに説明ができない。ただ、何よりも響を先に守りたいのです」
 私は凝固した。なんだかすごく深刻な事態になっている気がする。
「その決断は国を裏切るのみならず、同胞である騎士達の信頼も断ち切ることと分かっているのだな」
 イルファイが囁くような声音で、厳しい言葉を放った。
 リュイは一瞬だけ、ぴりりと気配を尖らせた。激しい迷いを感じた。
 どうしよう、このままじゃリュイの立場が取り返しのつかないほど悪くなってしまう。しかも原因は私の存在だ。
 この国の人であるリュイが仲間たちから裏切り者の汚名を与えられてしまうという事態だけは、絶対に駄目だ。
「あ、あのっ」
 私は覚悟を決めて、声を発した。まだ嗄れているので、すごく聞きにくい声音だった。
 皆の視線が集中したのに内心でおののきつつ、次の言葉を無理矢理吐き出した。
「月迦将軍とか東軍の准騎守、ってどういう意味?」



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