F2:17


 緊迫感に満ちた場の流れを蹴っ飛ばす間抜けな質問に、皆が揃って目を点にした。毒気を抜かれた表情といってもいいような、微妙な顔を向けられてしまう。
「ご、ごめんなさい、私はこの国の制度がよく分からない」
 全員が音もなく重い溜息を落とした。うう、なんとか話をそらしてリュイに対する糾弾を消そうとしたんだけれど、その代わり本気で呆れられている気がする。
「騎士軍の制度を知らぬのか」
 どうやら私の企みを察したらしいイルファイが仕方がないという目をしながらも、話に乗ってくれた。
「うん」
 お願い助けてイルファイ、と視線で訴えつつ私は頷いた。
「我が国には軍が置かれている。主に国土の治安維持を目的として結成されたこの武力組織をガレ新国聖都中央総軍と呼び、全軍の最高指揮官である元帥閣下が統括している。この総軍は十祇と同様、神々の数に倣い、十師団として編成されている。王都聖上軍第一天覇(てんぱ)師団、第二符条(ふじょう)師団、第三巨崖(きょがい)師団、というように。これら十師団をそれぞれ統率する者は大騎守(たいきしゅ)と呼ばれる。しかし、師団総帥たる大騎守達が先陣を切り指揮をとることは皆無とは言えずとも、殆ど見られぬだろう。なぜなら大騎守は大抵王族、上級貴族が就任するためだ。准騎守は大騎守の副官であり、戦場においては各騎士隊を先導して自らも参戦するため、実質上の総団長といえる。ゆえに准騎守は将軍と呼ばれる場合が多い。以下に軍師、中将などと続くが、そこまでの詳しい説明はいらぬだろう?」
「うん」
 ということはリュイって師団で二番目の地位に立つ偉い人なんだ。でも師団は十にわかれるというから、単純に二番目とは決めつけられないのかもしれない。
「師団によってそれぞれ特色があり、任が定められている。第一師団であれば主に王都を中心とした警備につくが、これも状況や時期により配置変更される場合がある。また、一つの師団は複数の部隊を抱えている。士官以上は大抵貴族が占めるが、武功を立てれば身分を持たぬ平民でも平騎士として入隊を許される」
 ここで部隊の内部事情について詳細を説明されてもきっと覚えきれないだろうと少し困っていたんだけれど、そういう考えを見通していたらしいイルファイは、話を次に進めた。
「さて、師団の上官に相当する者は、王将騎士とも呼ばれるのだが。部隊長以下は宮廷騎士。リュイ殿は准騎守の地位にあるため、王将騎士となるな。簡単にいえば、王都の柱である王城につとめる聖衛(せいえい)団――聖衛団とは王族警護の任に就く者の集まりといえばいいか――に属しているということだ。例外も存在するが、准騎守または准騎守の秘書官である左次騎守、右次騎守の地位に立つ者が大抵聖衛団の一員として選任される。王族の護衛という重要な任ゆえ、それなりの武勲、力量、身分が必要だ。また、これら騎守の座は軍内部において一般貴族が得られる最高の地位ゆえ騎士の花形といえるだろう。そしてリュイ殿を東軍の騎士と呼ばわるのは、主君とするラジラス王子の直属としてという意味がある。王子の宮が存在する方位が関わっている、という話だ」
 うーんと、准騎守とその部下の人は王族を守る重要な任務に就いているから王将騎士という呼び方をするってことかな。でもってその騎士たちで結成された集団を聖衛団とも呼ぶという意味だよね。
 駄目だ、頭が混乱してきた。イルファイは予備知識のない私が理解できるようかなり噛み砕いてくれているんだろうけれど、階級や軍構成って色んな名前があったり上下関係が複雑でややこしい。とにかくリュイはかなりの地位に立つ人なんだろう。
「私の場合は、己の功績や器量のみで評価されたわけではありません」
 リュイが慎重な響きがこめられている声でそう言った。
「リュイ殿は確か第五師団に属していたか」
「はい。私が准騎守の官位を得られたのは、大騎守たる王子の強力な推薦があったためです。本来なら私などがこの地位に座すことなどできなかったでしょう。運がよかっただけです」
「確かに若くして栄位についたリュイ殿は幸運だったといえるだろうな。その分、選任式後の周囲の風当たりは強かっただろう」
 イルファイは当時の状況を思い出したのか、少し意地悪な顔をして言った。自分の実力のみでもぎとった地位じゃない、というリュイの言葉は謙遜なのかなと思っていたんだけれど、どうやら実際に偉い人の口添えがあったらしい。いわゆるコネってやつなのかな。
 でもリュイ自身が強くその地位に固執して偉い人に頼んだという感じではなさそうだ。そういう意味では控えめで、あまり地位とかを重視していない気がする。
 そう考えて、少し顔を傾け、リュイを見上げた。
 リュイはかすかに困った顔をして小さく笑った。月色の瞳は一瞬伏せられそうになったけれど、なんだか意志の力で私の目を見返したかのように思えた。
「私は清廉な人間ではないのです。野心もあり、地位も欲していた。高邁なる理念と公平さを貫いてきただけならば、この身分で准騎守の座はおそらく手に入らなかったでしょう」
 リュイの口から野心という言葉が出てきたことに驚いた。まさかそんなと否定の思いが浮かんでしまったんだけれど、国が崩壊する前のリュイを知らず今の姿だけで判断してしまっため、なんだか違和感を覚えてしまうのかもしれない。
「野心は何も悪一偏とは限るまい。権力に向ける欲は誰の中にもあろう。また向上のためにも必要な欲だ」
 と、イルファイが片手で自分の頬をこすり微苦笑しながら私に目を向けた。
 野心って自分の中ではあまり、というか実際はかなり悪印象のある言葉だった。なんとなくだけれど顕示欲と直結したり、高慢な感じを奥底に秘めている言葉だと勝手に思い込んでいたためだ。
 でも冷静に考えれば、そう悪い言葉ではないのかもしれない。私は必死に理由を考えた。この世界の常識ではなく自分の世界の常識にあてはめて考えてみると結構納得できるかも。日本の会社で働く人達と同じ気持ちなのかな。一生懸命働いて業績を伸ばし、人脈も増やし、評価もアップさせて、いつかは部長や社長の椅子に座り安泰な生活を送りたいっていう気持ち。うん、そうかも。会社での地位がよくなれば給料だって上がるだろうし、色々な手当てもきっとつくだろうし。
「うん、分かった」
 なかなか鋭い考えだと自賛しつつ大人っぽさを意識して真面目に頷いたのに、なぜかイルファイに視線を思い切り外され、少し笑われてしまった。ちょっと顔が赤くなってしまう。もしかして知ったかぶりだというのが見破られたのかな。
「えっと、月迦将軍の意味は?」
 深く突っ込まれたら絶対ボロを出してしまうと思い、次の質問を素早く口にした。
「尊称というべきか。聖衛団には個人を讃える呼び名が与えられる。実はないが、誉れではあるな」
 イルファイが面白そうに私を観察しながら説明してくれた。もうっ人の顔色をあんまり読まないでほしい!
「リュイ殿の呼び名は、まさに容姿から取ったものだな。月のたとえだ。皓月戦地に光華をと――つまり月迦将軍が参戦するならば行方は明るく、戦勝を望めると」
 イルファイがからかうような声音でそう言い、リュイににやりと笑いかけた。イルファイってば、王子の前なのにだんだん姿勢が崩れてきているよ。胡座かいているし。
「私だけではなく他の聖衛団の者にもそういった呼び名があるのですよ」
 リュイは真面目な口調で答えた。
 月迦将軍って呼ばれるのは好きじゃないのかな。でもそういう呼び名が与えられるくらい皆に認められているということじゃ――と軽く考えたあと、遅れて気づいた。そうだった、さっきリュイは称号や位を全部返上したいと言ったんだった。
「それに私は、主たる殿下のみならず最後の友すら守れなかったのです」
 深く沈むような、静かなリュイの言葉に心臓がはねた。最後の友。それはまさか試練の森でもう一人の後継者候補に見殺しにされた人ではないだろうか。
「名ばかりの将。この身に冠は相応しくない」
「そう卑下するものではない。兄はお前を信用されていた」
 サザ王子が少し口調を和らげてリュイを宥めた。
 ラジラス王子。どんな王子様なんだろう。
「――レイムと化した者は蘇生を可能とする。では、自害した者はどうなのか」
 不意にサザ王子が真剣な顔をしてこっちを向いた。
「人として命を絶った者は、蘇生を果たせません」
 私はその言葉を自分自身の心に刻みながらゆっくりと答えた。
 ディルカの家族は蘇らない。レイムの蘇生は果たせると、前もって知っていたら――。
「そうか。では兄のラジラスは蘇らないのだな」
 身体が緊張した。私の身を支えているリュイも硬直したようだった。
「多くの者が悲嘆し、自害した。また、各地で略奪などの暴動も多発し、殺戮が繰り返された。この国のみならず世界規模で無数の死が作られただろう」
 サザ王子の冷静な台詞に、私達はしばしの間、沈黙した。
 世界規模での暴動と殺戮。人心が荒れるということは次の災いも呼び寄せる。人の心と行動は、いつだって計り知れないものなんだろう。
 今までどこかで気にかけながらも目を逸らしてきたことを、ちゃんと見なきゃいけない時期にきている。
「各地の領主が人民の戸籍を管理していると聞きました。そして定期的に領主から報告を受けていると」
 私は一度咳払いしたあと、なるべく聞き取りやすい声を心がけて言った。まだ掠れていて、波のようにうねっている声音だ、と少し嫌になった。
「国の人口総数は分かりますか」
 サザ王子が思案するようにゆっくりと瞬き、肩からこぼれていた長い髪を払った。
 その奇麗な色を宿している髪に見とれつつ、あえて知らずにいた人口総数についてを考える。
 一体どれだけの人がレイムと化しているのか。またどの町に、どれだけの人が暮らしていたのか。――そして、大人である彼らに一体どういう言葉遣いや表現を用いれば、本気で耳を傾けてくれるだろう。
「詳細な地図はないとも聞きましたが、王家の方では町や村の人口などを把握していると思うんです」
 多少なりとも把握していなければ国として機能しないだろうと思う。領主がいるってことは多分、割り当てた土地の開墾により国の経済を支えていた部分が大きいはずだ。昔の日本とかヨーロッパの政策と少し似ていたりするんじゃないかな。他国との交流が盛んではないなら、各地からの貢納を頼りに自給自足で成り立っていたはず。基本は商業よりも農業による生産が中心だったのではないかと思う。日本でも荘園の一部から税を徴収していたという時代があるし。
 このあたりの社会システムはどうなんだろうと思い、ついでに聞いてみたところ、細かな点は勿論違いがあるものの、封建制と荘園制が微妙にミックスされた政策が取られているらしい。聖職、貴族階級が保有する支配地からの義務的貢納により財政その他を支えている。地域によって領主の支配権に差があるらしいけれど、基本として労働力である農民には最低限の保障がされているという話だった。制度上では奴隷が存在しない国なのだとか。ううん、制度上という言い方にちょっと引っかかる。卑民、という呼び方が存在するようだし。どうも上級領主は裁判権とかその他色々な支配権、発言権も持っていたみたいだ。昔の大名みたいな感じなのかな。
 深く突っ込んでみたいところだけれどサザ王子とバノツェリがすごく複雑そうな顔をしているし、経済状態については私も関らないと宣言したのでやめておく。レイムの問題にも関係がないしね。それに、この辺のイルファイたちの話はちょっと難しかったので私なりに解釈するしかなく、本当はかなり間違った認識をしているかもしれない。やっぱり文化には大きな違いがあるから、想像しきれないところも多い。
 ちなみにガレ国はやっぱり王政を敷いているらしい。前にリュイが言っていた「環」というのは、日本でいえば行政機関における省庁みたいなものなんだって。一応議会なんかもあって、元老院的な諮問機関を含む構成で組まれているらしい。とはいえ、代表者たちの間で様々な政策についての議論が行われても最終的な決定権は王様が持つようだ。
 地楽環は主に国土についての管理で、法楽環は法律関係を扱う機関、崇楽環は宗教関連、点楽環は教育……というようにおよそ十の環に区別されている。環の数も神々の数に倣っているみたい。うう、もう駄目だ、このあたりでギブアップ。丁寧に説明してくれるサザ王子には悪いけれど、行政機関の仕組みとその詳細なんてとても全部は覚えきれない。悲しい話、日本の政治さえ殆ど理解していない状態だ。ここだけの本音を吐露すれば、歴代総理大臣の名前すらよく分からない。
 うん、全体像はなんとなく理解したから、それでよしとしよう。
 早々と降参し、サザ王子の難しい説明を聞き流していたのが、どうやらイルファイにバレたらしかった。
 意地の悪い教師めいた顔を向けられてしまい、私は内心で大きく戦いた。毛布の下で繋いでいたリュイの指を咄嗟に強く掴んでしまう。
「お前は風神、闘神の眷属だったな」
「う、うん」
 くる、絶対に何か意地悪な発言がくるっ。
「風神は確か起源の神ですね。風と大気の主。そして静寂と叡智を司ると」
 リュイってば、私がこんなに心の中で話を逸らしてほしいと訴えているのに気づいてくれない!
 国の人口の話に戻そう、と必死になってリュイの手を掴んでいるのに、違う解釈をされてしまったようだ。勇気づけてくれるというか、何を言われても味方をするからねって感じで指を握り返してくれたのは嬉しいんだけれど、うう、できれば別の話題に移してほしい。
「サルィド――風神の姿を目にしたことが?」
 サザ王子が話に乗ってしまった。
 でも、サルィドが神だと認識されているんだ、やっぱり。たぶん、私が以前に説明した失われし神の話をイルファイたちから聞いただろうけれど、その記憶は完全に奪われているため信じ難いに違いない。
「シルヴァイ、っていうの。とても奇麗で優しい、子供みたいな神様だよ」
 私が力強く言うと、全員が口を噤んだ。今は信じてくれなくていいから、名前だけでも覚えてほしいな。
「そうだ、サザ王子ってなんとなくシルヴァイ系だよね」
 最初は始祖王であるオーリーン系かなって思ったけれど、雰囲気の華やかさや上品さはシルヴァイ寄りだ。ううん、でも容姿に関してはやっぱりオーリーンの末裔なだけあって武人系なんだよね。
 などとちょっぴりオーリーンに失礼な感想を抱き、一人得心していた時、サザ王子の驚いた視線とぶつかった。バノツェリまでもがびっくりした顔をしている。
 なんか悪いことを言ったかなと焦った瞬間、イルファイが噴き出した。
「サザ王子、か」
 その指摘で気づいた。本人を目の前にして、了承も得ず勝手に名前を略していることにだ。
「さ、サザディグ王子、様……」
 と、愛想笑いを浮かべて誤摩化してみたけれど、時遅しのような気がする。
「いや、好きなように呼んでいただいてかまわない」
 サザ王子って容姿に比例して硬いけれど、実は寛容かも、と現金な考えを抱いてしまった。
「闘神は勝利と祈りの神だな」
 イルファイがにやにやしつつ、話をまた神々のことに戻した。
「起源の神とされる五神は、根神(こんしん)、風神、火神、水神、明神だ。根神は地と闇の主。堅実、生命を司る。火神は炎の主。美と才を司る。水神は水の主。愛と安寧、財を司る。明神は光の主。勇猛、優雅、そして情熱を司るという」
 イルファイ、もしかしたら私のためにこの話をしているのかもしれない。
 神々の眷属でありながら他神のことすら知らないのでは、となんとなく気づいたんじゃないだろうか。
 それで、話の流れに乗せる振りをして教えてくれているのかも。
 あるいは、真価を試されているという可能性もある。どちらにしてもヘタな返事はできないと緊張感が生まれた。
「十神の残りは闘神、清神(せいしん)、暁神(ぎょうしん)、獣神、貴神(きしん)だな。清神は天体と時の主。繁栄と幸福、規律、優しさを司る。獣神はこの通り獣の主。忠義、忍耐、利益を司る。貴神は決定と契約の主。混沌と惑乱、行動、威信を司るという。暁神は未知なる神だ。魔を生みし神ともされているな。力、魅惑、情欲、機知、調和、栄誉、好奇心、無情、憂い、快活、品格、変化、背信――その他、恐ろしいほどの多面性を持つ神ながらも太古の五神としては数えられていない。さて、この五神に関しては闇なる部分も司っているのだが――これは口に出すのは禁忌であり不敬とされているな。邪教崇拝の発端もこの五神、そして五神を守護する神将の根源記が基底であると解釈されることが多い」
 うう、目が回りそう。イルファイってよくこういうこと覚えていられるなあ。もしかして得意分野とか。こんげんき――根源となる神話を記した書、という意味だろうか。日本でいうところの古事記みたいなものかな。
 あぁ私ってシルヴァイの眷属だから叡智も授かったはずなのに、どうしてこんなに頭の方が駄目なんだろう。
「そもそも太古神である初めの五神は完全なる存在としておわすもの、ゆえに盤石たる方位、また時の指針とも捉えられ、知と識をもって後の五神を生み出したわけだがこの創神記も諸説様々で、まるで人めいた呆れる過ち……要するに品位に欠けた姦淫やら奪略やらという欲の域での行動ゆえという記述もある。半神というべきか、十神に数えられぬ存在の、副神なる半端な神々の誕生は大抵こうした笑えぬ説で埋められているな。大体は時の指針と言うが、日の流れ、季節、輪廻、星の巡り、天地の鳴動、いわゆる万象の『歪み』は神々間の闘争によって発生したものだ。なぜかといえば、全ての働きを意味する『識』は構築の基盤である『式』と通ずるわけだが、これは『色』にも変わる。神国たる我が国に、色の定めが多く残されているのはこのあたりが関係しているだろう。それはさておき、この『色』とは陰なる面で色欲を意味してしまうのだな。そして『色』は『四季』にも通ずる。ゆえに先ほどの話通り、巡り巡って、神々は『歪み』を作ってしまうわけだ」
 頭が本当にパンクしそうだ。魔術師って皆こういう話をすらすらと言えるんだろうか。私、涙目になりそう。
「なかなか面白い話もあるぞ。それぞれの神に特化して紐解かれた楽土抄(らくどしょう)のとあるくだりでは、実に大胆な説だが、なんと夜空に輝く幾多の星は、清神が飛ばした精液だというではないか。なんとまあ淫猥な。要するに世の恋人たちは真夜中、清神の零した精の瞬きを眺めて頬を染め愛を語っているということになる。流星はまさに今し方吐き出した欲の証、となるわけだ。更に日食、月食などは最早――」
 下品っイルファイ、話がえげつない方向に走っているよ。うわぁなんかもう、今後満天の星を見ても純粋に綺麗だと思えなくなりそうな予感がする。というか夢も希望もない説だよ、それ。私が一応女性だってことも忘れていると思う。
 どこまでもずれこむ話題に圧倒され、尚かつ内容の凄さにも言葉を失ってしまい注意なんてできなかったけれど、その代わりに他の人達のすごく鋭い視線と無言の圧力が、滔々と語るイルファイに全力で向かっていた。イルファイは皆の壮絶な気配を察したのか、はたっと言葉を切り、咳払いで誤摩化していた。
「神話の随所にちりばめられた豪放さと突飛さは実に興味深く語り尽くせぬほどと思うのだが、いやまあそれは別の機会にな……ともかくだ、国が荒廃し、新たな世を望む者がいるという今、これら十神の加護が失われている」
 はっとした。そうだった。神様は人々の信仰で生かされている。祈りを捧げる人々がレイムになっているということは、神々の命も危うい。エヴリールに授けられていたはずの加護が弱まっているんだった。
「さて、国の人口についてだったな。図嶺院に勤めている者がいなかったか」
 とイルファイが視線を巡らせた。私もつられて視線を動かし、びっくりしてしまった。いつの間にか、他の人達も恐る恐るという態度で私達の周囲に集まってきていたためだ。
 皆が顔を見合わせた。そういえば確か、ディルカを迎えにいった時、図員っぽい感じの人を蘇生させた気がする。
「……確かな数字ではありませんが、我が国の人口は800万ほどではありませんでしょうか」
 私の母親くらいの年齢に見える女性が穏やかな声音で発言した。視線が合い、どぎまぎしていたら、柔らかく微笑まれた。一瞬だけなんだか泣きたくなった。三春叔父さんと仲が良かったためか、年上の男性に対しては結構すんなりと話しかけることができるけれど、自分の母親くらいの女性は接し方が分からず苦手だった。両親とは全くといっていいほど、良好な関係を築けていないせいかもしれない。
 私は無理矢理、両親の姿を脳裏から打ち消した。
「メレナか。お前がいうなら間違いはないだろう」
 サザ王子の言葉に、メレナと呼ばれた女性が畏まった態度で頭を下げた。どうやら彼女は図嶺院に勤める図員のトップ的存在のようだった。
「恐れながら殿下、母が今説明した人口は、我が国が荒廃する前の統計でございます」
 メレナに寄り添うようにして座っていた銀髪の女性――こちらも図嶺院の第二別館で蘇生させた人だ――が少しおどおどした態度で註釈した。
 今、メレナを母って言ったよね。ということはこの二人、親子なんだ。
 ……なんだか羨ましいな。
「そうだな。暴動の発生や災害などで、人口数はおそらく三分の一程度にまで減少しているだろう」
 サザ王子が痛ましい声音でそう言った。
「これは概算だが、そう外れてもいないはずだ。災厄に覆われた時、皆避難を考えたが、食料の備蓄がなくなれば結局は外に出ざるを得なくなる。レイムと化した者から身を守れても、今度は魔物の襲撃を受ける羽目に。人は疲弊する」
 あぁ、食料の問題もあるんだった。永遠に、一カ所に避難するのは不可能ということだ。疲れ果てて自殺する人も多かっただろう。
 三分の一程度。じゃあ、およそ260万人が今、レイムとしてさまよっているという意味だろうか。確か日本の人口は約1億3000万じゃなかったかな。随分人口の少ない国だと思う。人口800万くらいの国ってどこだろう。オーストリアより少し少ないくらいかな。もっと歴史や地理の勉強をしとくんだった。
「国土面積はどのくらいですか」
 ふと思いついてたずねたら、皆に注目されてしまった。
 メレナと彼女の娘が、顔を寄せてぼそぼそと話し合っている。その後、娘の方が意を決したように私を見て答えてくれたんだけれど、ここで問題が発生した。こっちの世界では平方キロメートル、という単位を使わない。そういえば距離のことをオードって言っていた気がする。うーんとしばらく考えた結果、不意に思いついた。言い方が違うだけで、面積の計り方については私の世界とあんまり変わらないんじゃないかと。多少の誤差は切り捨てるしかない。
「ということは、ええと……大体500万平方キロメートルになるのかな……って、ええ! ものすごく広っ。うわぁ」
 一人叫ぶ私に、皆がぽかんとした。
 だって日本の面積はだいたい37、8万平方キロメートルじゃなかったっけ。一体何倍の面積なの。
 くらりとした。そうか、どうしてこの国で転移の術が重要視されているのか分かった気がする。多少不便な術でも、これだけ面積が広大なら、移動する際もの凄く必要かも。肥沃な地がある国だってリュイが以前言っていた。豊かな土地があれば確かに自給自足が可能だろう。そういえば神殿から砦までの距離も異常にあったし。空間にゆとりがあるため建物も大きく広く造られているようだ。
 私はその後、戦々恐々としつつも更に質問を重ねた。世界面積はどのくらいか、全人口はどのくらいか。国の数、位置など。
 メレナと率帝、そしてサザ王子が相談しつつ私の問いに答えてくれた。世界面積については残念ながら正確な数字が分からないそうだ。推量でいいのなら、という前提で率帝が答えてくれた数字によると、約7、000万平方キロメートルらしい。ただし広大な砂漠地帯やどこの国も手を付けていないという未開の地も多いらしい。まだ世界全体が発展途上みたいだった。というか、生きる者が存在する限りどこまでも完成はありえないんだろう。
 また全人口についても推量で、5億程度。だけど人口についてはやはり半分以下に減少しているだろうとのこと。
 国の数は、乱暴に分ければ13。乱暴に、といったのは、本当はその国々の他に民族小国家が多数存在するんだけれど、あまりにも不安定ですぐに滅亡したり、自活できる国として機能していないため、大国から認められないそうだ。
 私はしばらくの間、思考に耽った。なんというか、途方もなさ過ぎ。
 とりあえず、世界規模で考えるのはあとにしよう。まずはこの国から再生を果たす。
 その場合、必要なのはやはり町や村の詳細を記した地図のように思えた。確かな距離と人口。これだけの広大な土地を持つ国だ、移動距離を知ることは絶対に外せない。また、転移が可能な町はどこか。そしてどのような特色があるか――町の特性を把握しておくのも重要だった。これは、さっき言った食料の問題にも大きく関るためだ。ある程度の物資が残っている区域から蘇生を始めないと、私達が飢えてしまう羽目になる。
 ふっと吐息を落とした。そうなんだ。まず最初に、こういうことを話し合って決めていかなきゃいけない。無闇に突き進むのではなく、一歩一歩、たとえゆっくりであっても確実な道を選んでいかなければ。
 そうだ、今聞いたこと、忘れないうちにメモしておきたいな。
 毛布の下で、手を動かしてみる。リュイと指を繋いでいる状態なので、こっそりと強く掴んだり力を緩めたりと、手がまともに動くか確認してみた。リュイは何も言わないものの、かすかに不思議そうな気配を漂わせた。何かの合図と思われたのか、どうした? とたずねるように小さく揺らされる。
 ううん、動かせないことはないけれど、やっぱりまだ痺れが走る。ペンを持って文字を書くのはちょっと厳しいようだ。
 リュイの視線を感じ、私は少し顔を上げて、なんでもないと微笑んだ。
「響、まずは神剣を使う王子を蘇生させる。それでいいのか」
 イルファイの問いに、私は束の間、息を止めた。
 王子でなくとも、もしかしたら神剣を使えるようになるかもしれない。その可能性についてを今、皆の前で告げていいのだろうか。まだ皆と理解し合えている状態じゃない。口にするのは早いのでは、という迷いが生まれてしまう。
 どちらにしても、もう一人の王子の蘇生は諦めて一旦王都を離れた方がいいと思える。
「いえ、サザ王子を蘇生させることはできた。もう一人の王子に関してはしばらく保留にして、別の町で体勢を整えたいと――」
「何と! 王族方がこの近辺にいらっしゃるかもしれぬというのに、背を見せるつもりか」
 バノツェリが憤慨した様子で口を挟んだ。王家側に属する騎士たちもまた、戸惑いや不満の色を目に浮かべて私を見つめた。
 今にも噴出しそうな反論や憤りをとめたのは、サザ王子だった。
「理由をたずねてもよいか」
 私は小さく頷いたあと、サザ王子の神秘的な色を持つ目を見返して、口を開いた。
「王都にはレイムが多すぎます。そして魔物、獣の類いまでも多い。今の人数では、太刀打ちできません」



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