F2:21


 サザ王子の表面上は冷静な素振りに、ある意味惑わされてしまったんだろう。
 けれどもっと真剣に様子を見て配慮すべきだったんだ。たとえ冷静に見えても、サザ王子はレイムの状態から覚醒したばかりで、考えが極端な方向へ走ってしまうのは仕方のないことだった。王子という重い立場が、蘇生した他の人達よりも尚更余裕を奪う原因になっているんだと思う。
 国の頂きに近い位置に立つ王子だから、いかなる時も軽々しく動じてはいけない。皆の失望や落胆を引き出してはいけない――頼りになると思われなければいけない。今後の見通しが立たず不安をいっぱい抱く人々を見て、余計にそう感じ追いつめられていたんじゃないだろうか。そのために危険と分かっていても、ううん、危険と分かっているから尚更、それを覆すべく行動と態度で皆に示す必要があると結論を出したのだろう。
 皆を率いる柱である王子が自国の人々を蘇生させることが可能だ、と証明できればたとえ未来の展開が読めなくても、希望を抱けず意気消沈している人々を安心させてあげられる。
 サザ王子は蘇生したあと、ずっとそんなふうに考えて焦っていたんだろう。それでもなんとか自制していただろうに、追いつめられていた心を更に過敏にさせてしまったのは、神剣の担い手を増やせるかもしれないという私の不用意な発言だった。もしかしたら、私に向けて対抗心のような感情まで持ったかもしれない。
 浅慮だった自分が与えることとなった決定打。一体何度私はとりかえしのつかない過ちをおかしてしまうのか、それを想像して嫌悪や悔恨の念よりも先に寒気を覚えた。ディルカが言った言葉が脳裏をよぎる。本当の元凶は私なのではないか、と。
 もう何を言ってもサザ王子は耳を貸さない。何かしらの結果が出るまで、自分の宣言を撤回することはないだろう。そして、他の人々にも最早とめられなかった。彼の言葉は、国の言葉となる。仮に私が力ずくでストップさせようとした場合、内心ではサザ王子の行為を認められなくとも、現実として皆の非難の声はこっちに向かうはずだった。そうなれば、この場の危険は回避できても完全に孤立することになり、この先彼らの協力を得られない。ひいては、国と人の再生をのぞめないという事態になる。
 身分がなんて重い意味を持つ国なのか。イルファイや率帝だっておそらくサザ王子の行為には頷けないと思っているだろうに、覆せない。ここまできっぱりと宣言した王子の言葉を拒否することは、国に反旗を翻すと同義になるのだった。
 絶対に認めてはいけないのに、私もまた逆らえないんだ。どう考えても悪い結果しか呼ばないと分かっていながら、今ここでとめられない自分はあまりにも無力だった。できることは、せめてサザ王子と一緒に行き、少しでも被害を減らすのみに限られる。
 エルがきゅんと鳴き、とめなくていいのか、というように尻尾を振った。ごめん、心からとめたいと思う。なのに、できない。方法が分からない。既に私は、悪いことが起きるだろうと察知している。それなのに、どうしても状況を変えられない。私はエルに寄りかかり、首に顔を埋めた。自分が巻いた種は、こんなふうにして予想外の芽を開かせた。
 今、サザ王子はバノツェリと話をしている。せめてもう一人だけ騎士をつけてほしいと、バノツェリが悲愴感を漂わせて頼み込んでいた。騎士の大半を供に、と頼めばサザ王子は全く聞く耳を持たないだろう。必ず了承してもらうためにあえて、あと一人だけ、と限定したのだと思う。
 イルファイが、リュイを供にと提案していた。実力もあるという意味だけじゃなく、他の誰よりもリュイが一番私の意を汲み忠実だから、と考えたに違いない。そして何か危険が迫った場合、実戦の経験がないらしいサザ王子の命よりも、何度かレイムを蘇生させたことのある私の言葉に従ってくれる。
 けれども、サザ王子は本来、頭の回る人なんだろう。イルファイの考えに気づいたみたいできっぱりと拒否していた。また、自分が前に立つためには経験豊富な騎士ではなく戦いに不慣れな者を選ばねば、とも思っているんだろう。
 イルファイもバノツェリも困惑し、焦っている。王子の身の安全を考えれば力量のある騎士を供につけなくてはならない。その上でサザ王子が許容できる者は。
 彼らの話し合いを横目で見ながら率帝がこっちに寄ってきた。
「これを」
 とこっそり渡されたのは、法具だった。それと回復薬みたいなものも少し。
 率帝は何か言いたそうな顔をしたけれど、サザ王子に気づかれてはいけないと思ったのか、すぐに離れてしまった。その代わりに、厳しい目をしたリュイが寄ってくる。
「本当に、お行きになるのか」
 リュイもまた、この展開は過ちだと感じているんだろう。
「ごめんなさい、とめられない」
 たとえどれほどの間違いであっても、ここでサザ王子と完全に仲違いしてしまうのだけは避けなければいけなかった。私はまだまだ、他の人たちに警戒されている。過ちの発言でも、私より王子の決定の方が断然重みがある。
「殿下は私の同行を認めてはくださらないでしょう」
「うん」
「あなたも?」
 足元に向けていた視線を、リュイの顔へと移動させた。
 本当はリュイに来てほしい。だけど、私には決定権がない。もし私がリュイの同行を願えば、サザ王子はきっと一人でいくと言い出すだろう。
 私は一度、話し合いをしているサザ王子たちの方へ視線を走らせた。どうやらカウエスの他にもう一人、誰を供にするか決めたようだった。私とは全く話をしたことがない騎士が選ばれたみたいだ。まだ若い、きりっとした顔立ちの騎士だった。供を命じられた彼は身支度をするためか、荷物を置いている隣室の方へ移動した。
「先程、あなたは、心のままに動けと仰ったのに」
 リュイも一度他の人たちに目を向けたけれど、すぐにこっちへ顔を戻し、睨むようにして囁いた。
「ごめんなさい」
「前言を覆されるか」
「――一度だけ。この一度だけ、どうか」
「では、今を堪えれば、私の望みを許していただけるか」
 許すか、という表現に戸惑いながらも、私は曖昧に頷いた。この状況に対する焦りと悔恨が強くて、リュイの言葉の意味を正確に捉えることができない。
「響、曖昧にせず」
 私がうやむやにしようとしているのに気づいたらしく、リュイに顎を取られ、しっかりと視線を合わせられてしまった。
 前にリュイが私を主とすると宣言した時、皆の意識をそらすためにわざと話をすりかえたこと、気づいているのに違いない。だから曖昧にするなと言っているんだろう。
 月の色を持つ目は、どきりとするほど真剣な意思を見せている。なんて奇麗な目だろう、とまたぼんやり意識が拡散してしまった。リュイが苛立った様子で顔を覗き込んだ。
「今後の私の行動を、認めますか」
 囁き声ながらも語尾は強かった。それなのに、顎に触れている指先はわずかに震えている。
 頷かなければ、リュイはサザ王子に逆らってでも同行しようとするんじゃないだろうか、と気づいた。
 私はやっぱりよく分からないまま、うん、と答えた。リュイは一度俯き、こっちの顔を支えていた手をゆっくりとなぞるようにして肩へと滑らせた。
 その時、サザ王子がこっちへ近づいてきた。
「娘、どうする。お前は残るのか」
 私はそっとリュイから離れ、サザ王子の冷たい目を見返した。
「いいえ、行きます」
「その神獣の同行は許さない」
 私は声を荒げそうになるのをぎりぎりのところで我慢した。こんな馬鹿な命令ってない。エルがいなければ、窮地に追い込まれた時、逃げ出しようがないのに。
「サザ王子、待ってください。エルは」
「ならぬ。認められないというのならばお前は残れ」
 サザ王子は鋭く言い捨て、小さく笑った。そして急に顔を上げ、皆を見回す。
「私の証明のみならず、お前の存在証明にもなるだろう。お前が真実神の眷属というならば――末裔たる私を死なせるはずがない」
 絶句するとはこういうことだろうか。
 サザ王子は今の言葉をわざと皆に聞かせるようにして言った。
 そうか、なぜ私の同行を許可したのか不思議だったけれど、そういう意味があったのか。なんとしてでも結果を出さなければいけないのはサザ王子だけではなく、同行する私もなんだ。ここで私が怖じ気づいて一緒に行くのを拒否したり、同行した場合でもサザ王子を助けられなかったとなれば、自分の存在とその理由が全部嘘になる。
 彼は単純に焦っていただけではなかった。この無茶な行動は、私を試すためでもあった。
 私の中に秘められている隠された事実、その影を垣間見たサザ王子は、本当に神の眷属であり味方なのかと疑った。それに、もし私が味方のふりをした元凶であるのなら、早いうちに正体を暴いた方がいいとも考えたんじゃないだろうか。
 本当に頭が痛くなってきた。
 たった四人で結界から出て、サザ王子を死守しなければならない。
 真実、私が救い主ならば、神の末裔たるサザ王子は守られるはずだと皆思うだろう。
 恐ろしい予感をどうしても拭い去ることができず、私は言葉なくサザ王子の冷たい目を見返した。最も協力を得なければならない相手であるサザ王子から、不信感しか引き出せなかった自分が悪い。彼の言葉一つで状況は黒にも白にも変わるんだ。忌憚なく意見を交わせるような、良好な関係を作りたいのなら、今は従うしかない。
 坂道をただ転がり落ちていくだけのような現実に、ただ茫然とするしかすべがなかった。
 
●●●●●
 
 私達四人は、結界を構築している隠し部屋から出て、長く暗い通路を歩いた。
 率帝が用意してくれた魔法仕立ての松明を持ち、先頭を歩むのは、ユラスタという名前の若い騎士だ。
 私は内心で溜息を落とした。サザ王子は本当によく人を観察している。ユラスタはどちらかといえば血気盛んな印象を持つ青年で、尚かつ、サザ王子の供を命じられたことを名誉と捉えている様子だった。間違いなく、私の言葉よりサザ王子の指示を優先するだろう。
 彼の後ろをサザ王子が歩き、後尾を私とカウエスが守る感じだった。カウエスは私と同様に決して今の行動が正しいとは思っていないだろうけれど、おとなしい性格だから、サザ王子に積極的に意見を述べるという展開はちょっと期待できない。結論として、カウエスもユラスタもサザ王子の命令を絶対とする側の人間であるため、私にとっては非常に厳しい状況だと言わざるをえなかった。
 それに、サザ王子に実戦の経験がないというのも不安要素の一つだった。ユラスタが一体どの程度の技量を持つのかも分からないし、カウエスに至っては既に怯えを態度にあらわし蒼白になりながら供をしている状態だ。
 私はソルトを鞘から抜いていつでも危険に対応できるよう警戒した。ソルトを握っていれば松明がなくとも視界がクリアになるしね。
「殿下、どちらへお進みに?」
 通路の分岐点に来た時、ユラスタが少し振り向き、サザ王子に指示を仰いだ。サザ王子は一度ちらりと私を見下ろしたあと、目を細めて考え込むような顔をした。
「娘、魔物の気配は読めるのか」
 私は視線を返したあと、気配を読むような振りをした。
 実は、サザ王子に言っていないことがある。
 それは、ベリトのことだ。
 何も言われなかったのをいいことにこっそりとベリトを連れてきているんだ。ベリトを従属させたことは率帝から聞いているだろうけれど、まさか私の身の中に潜んでいるとは思っていないみたい。率帝だけじゃなくサザ王子も、ベリトは有名な大魔であるため、たとえ従属させた状態であっても軽々しく連れ回せるものではないとどうやら判断しているらしい。
 とりあえず、ここに来るまで魔物と遭遇せずにすんでいるのはベリトの存在が大きいはずだった。このくらいのズルをしなければ、とても前へは進めない。
 私は声に出さず、ベリトに語りかけた。魔物の気配はどちらにあるだろう。できれば、数が少ない方へ行きたい。
 少しの間のあと、右の通路へ、というベリトの声が心の中に響いた。ちなみにベリトは、影の性質を持つため自分の気配を遮断したり、逆に広げることが自由にできるらしかった。これはソルトに教えてもらったプチ情報だ。
 今はベリトに魔の気配を広げてもらっている状態だけれど、敵と対戦するには一旦その気配を断たなければいけない。
「右の通路を」
 とベリトの返答通り私は言った。
 だけど、もうっ、サザ王子ってば頑固者でひねくれ者だと思う。私の様子をしばし窺ったあと、「では左の方へ」と逆の道を選んだんだ。
「危険の少ない――魔物がほぼいない道を選んだのだろう? だがそれでは意味がない」
 うう、見破られてる。内心で項垂れてしまった。サザ王子って変な所で鋭い。
 ベリトが右側に行けって言ったのに、と私はふくれた。
 
 ――主、あまり魔を信用するな。
 
 突然ソルトの忠告が胸に響いた。どういう意味だろう。
 
 ――全幅の信頼を寄せるな。魔は幾度も試す。隷属させたからといって必ずしも忠誠を見せるとは限らない。
 
 でも今のところ、ベリトはすごく素直にお願いを聞いてくれている。
 欺かれたり反抗されたら困るけれど、下僕扱いしたいわけじゃないよ。
 
 ――主の、その横暴ともいえる呑気さは一体何なのだ。相手は魔だ。魔と友好的になろうとする人間がどこにいる。
 
 ソルト、口が悪い!
 イルファイも口が悪いし、サザ王子もリュイも頑固者だ。そういえばエルもちょっぴり意固地なところがあるし。
 などと私は状況を忘れてぶつぶつと密かに呟いた。これでベリトまでも、真面目な頑固者だったらどうしよう。
 時々サザ王子の訝しげな視線を受けつつも、眉間に皺を寄せ必死に考えた。レイムの目覚めはまず建物外の大地に落ちた影から始まる。おそらくはそろそろ覚醒する頃だろう。
「サザ王子」
 私は考えをまとめたあと、小声で呼びかけた。
 できれば今の内に建物の外へ出たい。レイムの活動が活発になるより早くだ。なぜかというと、人を蘇生させることができるという証明をするだけでいいのなら、完全体となる前の動きの鈍いレイムを相手にした方が格段に危険も少なく、逃げやすいためだ。それに、実戦経験がないサザ王子のためでもある。勿論、人間としての名残をとどめている覚醒途中のレイムを斬るのは、違う意味で悲壮な覚悟が必要だ。でも、命を危険にさらすよりはいい。
 そのためには、魔物となるべく遭遇しないよう、ベリトが教えてくれた危険の少ない道を行くべきだった。ここで時間を浪費してしまった場合、動作の俊敏な完全体のレイムと対戦しなきゃいけなくなる。更には、時間の経過に従って数も増えていくため、万が一包囲された場合、致命的になってしまう恐れがあった。
「お願いです、今は魔物討伐より、神剣の証明を優先させてください」
「断る。王家の者として、魔物の粛清もやり遂げねばならぬこと」
 サザ王子のつらっとした冷たい横顔を見た瞬間、とうとう私の中で何かがぶちっと切れた。きっと理性の糸だと思う。
「もーサザ王子って!」
 ばたばたと足を鳴らして大声を上げた私に、三人がびっくりした顔を見せた。
「駄目なものは駄目なの! 分からず屋っ」
「な」
 たぶん、今までそんな口を聞かれたことがないに違いないサザ王子は、冷たさが漂っていた艶めく目を大きく見開き、微妙に硬直した。ちなみにユラスタとカウエスは顔面蒼白になっていた。
「もう我が儘、許しません!」
 っていうか、私、どうしてお母さん口調になっているんだろう。自問しつつも、茫然としているサザ王子の手をぐいぐいと引っ張り、問答無用でベリトが教えてくれた通路の方に向かった。泡を食った様子でカウエスたちがあとをついてくる。
「何を……! 無礼な真似を!」
 ちらっと振り向くと、サザ王子が顔を赤くし、かなり動揺している感じで私の手と自分の手を見ていた。
「無礼も何もありません。この中では、私が一番レイムについて詳しいもの、大人だったらちゃんと言うこと聞かなきゃ駄目!」
 と、思わず先輩風を吹かせてしまった。だってサザ王子ってば本当に聞き分け悪いんだもの。
 がみがみと叱責される経験もきっと初めてだろうサザ王子は、目を見開いたまま放心しているみたいだった。私はこれ幸いと、おとなしくなったサザ王子を引っ張り、通路を急いで進んだ。ユラスタが私の失礼な態度に何か言おうとしていたけれど、思い切り睨んだら、ぎょっとした様子で口を噤んだ。今の私は逆上している状態だから、男の人には負けない。
 もしかして、結構私もこっちの人たちの頑固さに慣れてきたんじゃないか、と奇妙なことを考えた。
 
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 私の怒りの気配……じゃなくてベリトの気配効果か、幸運にも建物の外に出るまで強い魔物とは遭遇しなかった。時折出くわす小魔は、ユラスタとカウエスが追い払ってくれた。
 気がついたのだけれど、どうもユラスタはカウエスを邪険に扱っているようだ。そういう態度にカウエスも気づいているらしく、殆ど目を伏せっぱなしで縮こまっている。熱い正義感を持っているらしきユラスタは、カウエスの消極的な物腰を気に入らないと思っているようだった。
 なんとか仲良くなってほしいけれど、今は二人の感情を気にかけている場合じゃない。
 私達は主神殿の第二裏門に出たようだった。これはユラスタが教えてくれたことだ。
 第二裏門の外は広い空間があって、その奥に、区分されている庭園と煉瓦を積み重ねて建築されたような、やや長方形の建物があった。それほど規模の大きな建物ではなかったけれど、主神殿が管理しているものなので、造り自体は立派だった。おそらく庭園用の道具などを収納している建物なんだろう。随分奇妙で平らな屋根だ。たとえていえば、四角い箱の上に、これまた四角い大きめなお皿をぽんと乗せている感じ。屋上を広く作っている造りだった。
 もしかしたら庭園じゃなくて菜園だったのかもしれない。生命力が強いのか、まだ葉を茂らせている樹木が何本か立っていた。
 サザ王子に反抗されないよう握ったままだった手に力を入れ、裏門の石畳から一歩踏み出した時だった。
 アァ、という声が聞こえた。
 薄闇が満ち始めた大気の中にレイムの悲しげな鳴き声が響き、樹木が大地に落とす黒い影が蠢いた。



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