F2:22


 細く高く、歌声のような滑らかさで大気を震わせるレイムたちの咆哮を聞いて、カウエスがごくりと喉を鳴らした。
 私は握ったままだったサザ王子の手を引っ張り、合図した。サザ王子はこっちの合図に気がつかない様子で唇をぎゅっと引き結び、薄闇に沈む樹木をひたすらに凝視していた。闇に挑む眼差しではなく、闇に視線も身体も縫いとめられている。レイムたちの、悲嘆か歓喜か判別しがたい音色の鳴き声が鼓膜の奥の奥、身体の底にまでしみ込み、心までも絡めとろうとしている。けれどこのまま飲まれるわけにはいかなかった。
「サザ王子」
 名前を呼んでもう一度促した時、サザ王子は肩を揺らし、はっとした様子で私を見下ろした。不測の事態が訪れた時のために備えておきたいと思ってサザ王子の手から指を引き抜こうとしたけれど、逆に強く握り返されてしまい、少し驚いた。私がびっくりしたのに気づいたらしきサザ王子もまた驚いた表情を浮かべたけれど、すぐに恥じ入るような態度でぱっと手を離した。
 もしかしてサザ王子は単純にレイムを恐れているだけではなく、すごく緊張しているんじゃないだろうか。
 何か叱咤激励のような気のきいた言葉をかけた方がいいのかもと考え、戸惑いながらも口を開いた時、サザ王子がこっちの視線を振り切って硬革の帯に差していた剣を乱暴に抜き、レイムの鳴き声が聞こえる木陰へと一人足を進めた。
 大丈夫だろうかと不安になって、私はあとを追った。二人の騎士も無言で付き従った。
 サザ王子は木陰の前で足をとめた。ユラスタが彼の横に立ち、視野を保とうと松明を掲げた。アァ、とどこか甘えすら帯びているような悲しい鳴き声を聞かせるレイムの姿を、私は目にした。まだ完全体には変化していないレイムだ。しかも二体だった。
「な……」
 カウエスが怯えた声を上げ、一歩後ずさったのが気配で感じられた。私は、よりによって二体、と舌打ちしたいような苛立ちを抱きながら二体のレイムを凝視した。ろくろ首のように長く垂れている首の皮膚――地面に落ちている二つの伸びた首がぐるぐると螺子のように絡まっている。まるで双頭の蛇のようだ。そして、首と同様にぐにゃりと伸びた長い手で互いの腹を無造作に裂き、顔に噛みつき合っている。恐ろしいのに目を逸らせないのは、ある意味、この光景がとても現実とは思えないほど異様なためなのかもしれなかった。
 完全体になる前のレイムはこちらの攻撃に対して殆ど抵抗しないし、動きも鈍い。その点を考えれば簡単に蘇らせることができそうなものだけれど、このグロテスクな光景は心情的にひどく訴えるものがある。近づきたくないと本能的に思わせる醜悪ないやらしさみたいなものがあり、足がとまってしまう。これならまだ、たとえこちらに返る危機が増しても人間の姿を完璧に失っている完全体のレイムを斬る方が、精神的な負担や罪悪感が少なくてすむだろう。変貌途中のレイムはグロテスクでありながらも人間としての形をとどめすぎているし、か弱い仕草で抵抗するのが逆に心を苦しめる。
 でも、今は感傷に囚われている場合じゃなかった。
「サザ王子」
 私はあえて平淡な声で促した。
「……どこを斬れば?」
 サザ王子が瞬きも忘れた様子で、蠢くレイムを見下ろしながらぽつりと掠れた声を漏らした。
 一番確実なのは首を斬り落とすことだ。けれども変化がこれほど進んだ状態での斬首は難しい。胴体を切断するしかないかもしれない。あるいは心臓部分をきちんと貫くか、全身を切り刻むか。
 冷静とはいえないものの、そんな残酷なことを咄嗟に考えられるようになっている自分に戦慄が走るほど愕然とし、ついで激しい嫌悪を覚えた。
「胴の部分を。早くしないと、レイムは脱皮し動き始めます」
「胴?」
 信じられない言葉を聞いた、といった顔でサザ王子が振り向いた。騎士の二人も、似たような顔をして私を見つめた。
 二人の反応はおかしなものではないと思う。たとえ実戦の経験があっても、それは相手も武器を持ち戦意を明らかにしている者の場合が大半だったんじゃないだろうか。こんなふうに、ある意味無防備といえる変貌途中のレイムを斬るなんて、およそ正気の沙汰じゃないような話に違いない。人間としての名残があるために――どうにか手当てをすれば元に戻るんじゃないかという期待を持ってしまい、斬れなくなってしまうのだろう。そして、その躊躇いが結局、自分も異形に取り込まれる原因となる。
 更に言えば、私の外見が非力な少女であることも関係しているのだと思う。彼らからすれば、剣さえまともに使いこなせるか怪しい娘が、哀れな生き物を前に平然と残忍な発言をする。その気味悪さもきっと加味されている。
「そうです」
 私は足に力を入れ、怯まないようにと自分を叱咤して、三人の顔を順番に見回した。
「だが」
 サザ王子が強張った顔でレイムを一瞥し、狼狽を見せた。
「この状態は長く続きません。斬れないのなら、私が斬る」
 騎士たちの目、そしてサザ王子の目にも、無慈悲なことを口にした私をほんの一瞬蔑むような色が浮かんだ。
 項垂れそうになる気持ちから目を背け、私はサザ王子の身体をどかそうとした。
「……斬れば、蘇生が果たされるのだな」
「はい」
 サザ王子はゆっくりと私の肩を押して、離れるようにと促した。
「殿下」
 ユラスタがひきとめるように硬い声を出したけれど、サザ王子は緩く首を振り、片手で剣を振り上げた。その瞬間を見計らったかのように、ぼこりと音を立てて二体のレイムの背が盛り上がった。脱皮が近い証拠だった。
 くちゃくちゃと行儀悪く音を立てながらレイムたちは熱心に互いの肉と自分の臓腑を食んでいた。振り上げたサザ王子の腕が途中でとまっている。その剣先がわずかに震えているのを知り、私は焦った。皆のところへ戻る時間を考えれば、ここで悠長に悩んではいられない。
 サザ王子、と名前を呼びかけた時だった。
 初めてレイムを斬った時の私のやり方を連想させるような、技も何もない動作でサザ王子が剣を振り下ろしたんだ。
 駄目だ、と私は思った。
「サザ王子、目を閉じずに! ちゃんと斬らなければ!」
 背を斬られたレイムが痛がり、うああうああと大きく泣き叫んで身体を揺らした。その動きに合わせて、腹部から垂れ落ちている臓物がぶらぶらと揺れ地面を左右に撫でていた。
「こ、こんなものを殿下に目にせよと!?」
 ユラスタがたまりかねた様子で身をひき、嫌悪をうかがわせる高い声を上げた。ぐうっと喉が鳴る音が聞こえたと思ったら、すぐ側で身を屈めたカウエスが嘔吐していた。もしかするとこの二人は、変化途中のレイムを目にするのは初めてなのかもしれなかった。変な話だけれど、完全体のレイムの姿は明らかに異形として突き抜けているため、嫌悪よりもまず恐怖の方が先に立ち、今のような気味の悪さや憐憫を覚える暇がない。失ってほしくないはずの「人間らしさ」がこの場合は、逆に足枷となり決意を揺らがせてしまう。
「サザ――」
 ぐしゃりと嫌な音がした。
 サザ王子が両手で剣を持ち、レイムに向かって振り下ろしたんだ。心が定まっていない状態で斬ろうとしているために、何度も斬り掛かる羽目になっている。これでは、あんまりレイムが哀れだった。苦しめるのではなく、蘇生をさせなければいけないのに。
 代わりに斬った方がいいと判断して、サザ王子を後ろに下がらせようと思ったんだけれど、どけてくれない。自制心を失った様子で剣を振り回している。なんてことだろう。
 けれど幾度目かに剣を振り下ろした時だった。偶然なのか、剣先が深くレイムの背に吸い込まれた。
 レイムの激しい悲鳴が上がった――蘇生が始まる!
 サザ王子が荒い呼吸を繰り返しながら、数歩後ろに下がった。
 騎士達とサザ王子が、蘇生を始めたレイムに気を取られている間に、私はもう一体の方に近づき、素早く胴部分を切断した。ソルトの協力があるために、渾身の力を込めずとも斬れるようになっている。
 薄闇の中で始まる驚異の再生。ぱちぱちと音を立てて人の身体が復元されていく。蚕のような膜。それが内側から破られ、羊水のような液体を周囲に飛ばして、人が転がり出てきた。
「あ、あぁ」
 リュイの髪に似た、薄い色の長い髪が地面に広がった。十代後半辺りだろうか、ぷっくりとした赤い唇を持つ奇麗な女性だった。
 そして私が斬った方もまた女性だった。こっちは緩やかにうねる焦げ茶の髪で、二十代前半辺りに見えた。
「ロアルシィ」
 ロアル……?
 サザ王子の驚きが込められた声に、私は視線を動かした。サザ王子は十代後半辺りの女性を見ている。知り合いなんだろうか。ということは、王族関係のお姫様なのかもしれない。
 我に返った様子でユラスタが自分の外套を脱ぎ、ロアルシィと呼ばれた女性の身に素早く羽織らせた。カウエスもよろよろとした緩慢な動きでもう一人の女性に近づき、外套を着させていた。
 この二人がどういう立場の人なのか、詮索している時間はない。
「サザ王子、おめでとうございます」
 私は早口でそう告げた。サザ王子と騎士達が同時に振り向き、どういう意味かを問う目で私を見返した。
「蘇生ができる、それは今、証明されました。二人の騎士が証人となる」
 もう戻らなければならない。焦りを隠しながらも私は刻むようにして言った。
「そうです、殿下。確かに、我が目で確認致しました」
 ユラスタがようやく喜びを見せ、きっちりと礼の形を取った。
「皆の所に戻ろう、王子」
 私はほとんど懇願の調子で頼み、サザ王子の袖を軽く引っ張った。
 ところがサザ王子は、蘇生を果たしたばかりの女性二人に視線を投げたあと、顎を伝っていた汗を手の甲で無造作に拭い、私の言葉をきっぱりとはねのけた。
「まだ足りない」
「足りない?」
 私は思わず、おうむ返しにたずねた。
「ロアルは第八師団の大騎守の息女。ガノッサはかの姫の侍女だ。――この近辺に出現するレイムの大多数は、おそらく貴人や騎士で占められる。ならば、一人でも多く蘇生させねばならない」
 ガノッサという人はおそらく焦げ茶の髪を持つ女性の方だろう。
 強張った顔のまま退却を拒否したサザ王子の態度に、私は血の気が引いた。
 一人でも多くレイムを蘇生させたい。その気持ちはまさに、レイムについて何も知らなかった時の私と同じものだった。
 けれど、今比較的容易に蘇らせることができたのは、レイムがまだ完全体じゃないからだ。動きが俊敏になれば、こうは簡単にいかないだろう。現実と思惑にはいつだって多少のずれが生じる。たとえ多少の差異に見えても、それを変えるには大きな覚悟と労力を必要とする。
「お前達は姫たちを連れて、皆の所へ戻れ」
「いけない、別行動は危険すぎる」
 そうか、サザ王子はまだ、言葉を失うほどのたくさんのレイムに囲まれたことがないのだろう。大魔であるベリトを従属させる時は側にいたけれど、彼自身が剣をとって戦っていたわけじゃない。その後はすぐに転移で神殿の方に移動したため、本当の意味で窮地に追い込まれたことがない状態だ。
「サザ王子!」
 引き止めようと伸ばした腕は、冷たく払いのけられてしまった。
 ロアル達を連れて戻るよう指示された騎士も戸惑っている様子で、すぐには動かない。
 早足で別の木陰に近づくサザ王子を追った時だった。こめかみがぴりっと痛んだ。
 
 ――魔物だ!
 
 ソルトの警告が胸に広がった。私は咄嗟にサザ王子を突き飛ばしたあと、木陰から躍りかかってきた魔物に向かって剣を振るった。異様な体躯の魔物だった。亀のような身体で、甲羅というのか、背中の部分にアライグマみたいな顔がある。四つ足で、尻尾が二本。本来は頭がある部分からも、先端が分かれている長い尾が生えていた。
 私はぎょっとした。その魔物が突然、尻尾で大地を打ちながらこっちに勢いよくジャンプしてきたためだ。
 硬い! 条件反射で剣を振り上げ、横殴りの要領でかわそうとしたのに、体躯の硬さに負けて着地時、尻餅をついてしまう。
「王子、避けて!」
 私の声に、サザ王子がはっとし、身じろぎした。間に合わないと焦った瞬間、甲羅の中央部分を貝のようにぱっくり開いてサザ王子に食いつこうとした魔物を、接近していたユラスタが叩き斬った。
「うわっ」
 安堵したのも束の間、カウエスの裏返った声が聞こえた。振り向くと、カウエスと女性二人の側に、無数の足を生やした巨大なヤドカリみたいな魔物が近づいていた。気持ち悪いことに、うずまきの部分が二つもある。
「カウエス!」
 ユラスタの怒声に、カウエスが慌てて剣を抜き、ヤドカリ魔物に斬り掛かった。
 私の方も、のんびりと観察している場合じゃなかった。また別の魔物――今度は、やけに首の長いカマキリみたいな魔物がこっちに接近してきたためだ。ソルトの力を借りた私の動きについてこれるほど、動作が素早い。
 おかしい。振り下ろされた斧のような魔物の右足をソルトで受け止めながら、焦りを抱いた。どうして突然、魔物が集まってきたのだろう。夜の訪れがすぐ側まできたために、魔物の数も増えたのか。でも、ベリトの強烈な気配があれば、弱い魔はここまで近づけないはずだった。
 そこまで考えた時、ベリトが気配を遮断していることが分かり、愕然とした。
 ベリト、なんで?
 
 ――大魔を信用しすぎるなと言っただろうに。
 
 ソルトの非難の声が聞こえ、私は体勢を整えながらも視線を泳がせた。ベリトが私の頼みに反して、静観に回ってしまった。よりによってこの緊急時にだ。
 試されているのだろうか、仕える価値が真にある者なのかと。この場をうまく切り抜け、無事に生き延びることができなければ、ベリトに反旗を翻されるかもしれない。
 カマキリ魔物の後ろ足をソルトの柄で払いながら、私は恐れによる震えを武者震いだとごまかした。
 輪唱するように響いていたレイムの鳴き声が明らかに、悲嘆から歓喜へとだんだん変化している。
 ベリト、お願いだから協力して!
 カマキリ魔物が飛翔する前にその羽根を切り払い、内心で叫んだ。ベリトの返答はなかった。完全に静観を決め込んでいる。
 ヤドカリ魔物の方は、カウエスとユラスタが相手をしていた。サザ王子は私の後方で茫然と立ち尽くしている。
 この状態でベリトの協力が得られないのは痛かった。率帝がくれた法具を使って突破口を開くことも考えたけれど、皆のもとへ戻るまでの間に、もっと切羽詰まった危機的事態が到来しないとも限らない。できうるならば、今は何とか法具なしでしのぎたかった。
 私は本当に舌打ちしたい気分になった。このカマキリ魔物、攻撃力はそれほどじゃないけれど、動きが速すぎて仕留めきれない。
「サザ王子!」
 私の方に注意を集めさせ、その隙にサザ王子の剣で倒してほしかった。絶句している様子で立っているサザ王子に、カマキリ魔物の突進をかわしながら私はもう一度強く呼びかけた。魔物が無造作に振り回した前足の突起が、身を捻った私の腰帯に引っかかり、不意にバランスを崩される形になった。よろめいて片手を地面についた時、カマキリ魔物の前足の先端が空気を裂いた。ぱっと顔を上げた瞬間、鼻先をかすめるようにして魔物の前足の先端が地面を貫く。ソルトを握っている手の甲に、はらりと糸のようなものが落ちてきた。動いた拍子に切られたらしき自分の髪だった。
 身を起こす時間はなかった。両膝を地面につけたままの体勢で剣を素早く水平に掲げ、再び襲いかかってきた魔物の牙をとめる。少し兎の口を連想させるような魔物の口内には、小さな無数の牙が生えていた。がちがちと、ソルトの刀身を噛み砕こうとする魔物の歯の音がすぐ真上から聞こえた。その牙の隙間から、濁った色の唾液が糸を引いてしたたり落ちるのを目にした。
 いくらソルトの力を借りているとはいえ、魔物が全力で体重を乗せ押さえつけてきたら、勝てるはずがない。腰が痺れるほどの力が、ソルトを掲げる腕にかかった。片手ではとても対抗しきれず、もう一方の腕を上げ、手首でソルトの刀身部分を支えた。
 王子、と私は掠れた声をあげた。手首が折れそう。このまま潰されたらどうなるか、一目瞭然だった。
 目尻の側を汗が伝い、思わず瞼を閉ざした時、突然がくんと抵抗感が消え、反動で後方に倒れそうになった。
 後ろ手で上半身を支えながら視線を滑らせると、魔物の下腹部を切ったらしきサザ王子の硬い横顔が見えた。頭部全体を覆っていたターバンみたいな布がすぐにサザ王子の横顔を隠してしまう。
 腹部を裂かれてもまだしぶとく動こうとしていた魔物のとどめは、私がさした。
 こっちがカマキリ魔物を倒すと同時に、カウエス達もなんとかヤドカリ魔物を撃退したらしかった。死の予感を必死に押し隠していた緊張感がわずかに和らぐ。
 私は一つ息を落とし、首の汗を袖で拭ったあと、サザ王子に視線を戻した。
「ありがとう」
 私の声に、サザ王子が顔を向けた。緊張で潤む奇麗な目が、わずかに驚きを映していた。
「助けてくれてありがとう」
 聞こえなかったのかと思い、もう一度そう言ったら、サザ王子は不思議そうな顔をしたあと、どこか途方に暮れた様子で私を見返した。いつもの毅然としたサザ王子らしくない表情だったけれど、その方が自然に見えた。
「皆のところに、戻ろう」
 そっと言うと、サザ王子は視線を伏せて、子供みたいに小さく頷いた。大人は、大人であることを常に意識しなきゃいけないんだろう。そしてサザ王子は更に、王子様であることも絶えず意識しなきゃいけなかったんだろう。
 躊躇いを含む眼差しを受け止めて、私からサザ王子の腕をひいた。嫌がられるかと心配したけれど、サザ王子は素直に歩み寄ってくれた。
 無事に戻れることを喜ぶのは早計のようだった。
 魔物を仕留める間に、レイムの覚醒が終わっていた。
 
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 喜び勇んでこっちに突撃してきた八つ足のレイムを、私は自分の側まで引きつけたあと、素早く真横に回り、脇腹あたりを斬った。勿論、ソルトの協力を得て、十分に動けるようにしてもらっている。
 レイムの動き自体はそんなに速くない、と思った瞬間、複数の足が蛸のようにうねり、体勢を整えて振り向いた私の身に襲いかかってきた。慌てて足の二本を切り落としたけれど、三本目を防ぐことができなかった。
「わ!」
 濡れたロープのような感触の足が腰に巻き付いた。抵抗する間もないまま、身体を宙に持ち上げられた。鳥肌が立つような急激な浮遊感に、うっと息が詰まった。
「響様っ」
 カウエスが裏返った声を上げた。
 私は思い切り暴れながら、なんとか手放さずにいたソルトの剣先を、身体に巻き付いているレイムの足に突き刺した。わずかに拘束が緩んだ時を逃さず、レイムの足から抜け出した――のはいいんだけれど、私は今、宙に持ち上げられている状態なんだった。地面に衝突する、と引きつった瞬間、カウエスの顔が視界に映った。
「わっ」
 どすん、と重い音が身体に響く。駆け寄ってくれたカウエスが私を抱きとめてくれたらしい。
「殿下!」
 尻餅をつく恰好で地面に腰を落としているカウエスにしがみつきながら、私は慌てて振り向いた。レイムのうねる足をユラスタが斬っていた。その間にサザ王子がレイムに接近し、胴部分を斬ろうとしていた。けれど、実戦の経験がないということは、判断を鈍らせる原因にもなるようだった。相手はもう動かない人形じゃない。攻撃の気配を悟れば、死に物狂いで抵抗し、反撃しようとする。
 レイムがかっと口を大きく開いた。口内から伸びた舌が見る間に醜い腕へと変化し、唖然として動作をとめたサザ王子の首に巻き付いた。
 私は顔を強張らせ、急いでサザ王子の援護に向かおうとした。
 ところがだ。
「!?」
 立ち上がろうとしたのに、カウエスの手に勢いを殺され、べしゃりと彼の膝に崩れ落ちてしまう。
「カウエス」
 カウエスが我に返った表情で私を見つめた。どうやら、私の動きを故意に封じようとしたわけではなく、先ほどの、抱きとめた体勢のままで硬直していたらしかった。
「腕を離して!」
「え、あっ」
 私の訴えに、カウエスが目を白黒させた。混乱しているために、何を言われたのか分かっていないみたいだった。私の背中に両手を回した状態で言葉になっていない声を上げている。
「カウエス、サザ王子を助けなきゃ。腕を、離して」
 言い聞かせるようにしてもう一度、ゆっくりとお願いした。
「あっ」
 カウエスがようやく悟った様子でぱっと腕を離してくれた。
 立ち上がり、ソルトを握り直してサザ王子達の方へ身体を向ける。レイムがサザ王子の腕に食いつこうとしていた。それをユラスタが必死にとめようとしている。
 私は足に力をこめ、勢いよく地面を蹴って走った。膝を落としているサザ王子を押し潰すようにしてレイムは身を屈めている。何かを思うより先に、私は思い切り足を振り上げて、レイムの肩を蹴った。バノツェリあたりがもし見ていたら、娘がなんてはしたない真似を、と眉をひそめたかもしれない。
 レイムが身を揺らした隙を見計らってユラスタがすぐさまサザ王子の身体を引きずり出した。王子の身に再び乗り上げようとするレイムの背に、私はジャンプした。レイムが上体を起こす前に、ソルトを閃かせる。首を斬った感触を得ると同時に、私はレイムの背から飛び降りた。
 驚異の蘇生を見守る時間はない。先に蘇生を果たしたロアルたちの方に、別のレイムが接近していた。



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