F2:23


 互いの身を支え合うロアルとガノッサの悲鳴が響いた。
 その悲鳴が途切れるより早く、私は全力で走りながらソルトを横に動かし、彼女達に覆い被さろうとしていた鬼のような容貌を持つレイムの胴体を一息でなぎ払った。斬首ではなかったけれど、胴体部分を綺麗に切断したために、レイムの蘇生が可能になっていた。以前よりも多分、神剣との波長が合っているのかもしれなかった。ずっと慣れずにいた、肉や骨を切断する時のおぞましい感触も乏しくなり、どう表現すればいいのか……切れ味がよくなっているというのだろうか、それほどの抵抗感が手に伝わらなくなっている。労力や疲労の面を考えれば、戦いに馴染み始めていることは喜ぶべき展開なのかもしれなかったけれど、ほんの少しだけ淡い恐怖感が芽生えた。今までは身体に走る切断の衝撃があったからこそ、レイムを切断するという悲しさや辛さをはっきり意識していられた部分がある。抵抗感が薄まるということは、そういう忘れてはいけない大切な人間の感情も希薄になっていくのではないだろうか。
 私はすぐに考えを打ち消し、現実の光景に意識を集中させた。言葉を失った表情で茫然と座り込んでいるロアル達の前で、新たな蘇生が始まっていた。今度の蘇生も、女性だった。こんな時に不謹慎だけれどすごく、その、グラマラスな美女だった。暗い青の髪を持つ、少しきつめの目をした年上の女性だ。二十代半ばか後半辺りだろうか。
 私は急いで外套を脱ぎ、その女性の肩にかけたあと、ソルトの刀身を染める体液を軽く振って払った。
「響様、ど、どうすれば」
 カウエスの甲高い声に、私は振り向き、息を呑んだ。
 見渡せば、闇の奥、木々の奥、右に左にレイムがいた。
 囲まれている。レイムだけじゃない、奇怪な体躯を持つ魔物の姿までもがちらほらと混ざっている。目眩を呼ぶ光景だった。百鬼夜行という言葉が唐突に浮かぶ。日本にいた時、ホラー映画か何かで目にした言葉が今、現実となり私達の退路を塞いでいた。
 どうすればいいのだろう。確かに以前よりは神力が使えるようになっている。けれども、それを今どう使えばいいのか分からない。ただ持っているだけじゃ意味がなかった。どのように使っていくかも重要なんだと思い知る。
「カウエス、ユラスタ、女性達を支えて」
「あなたは?」
 ユラスタが瞬きも忘れたようにレイム達を凝視しながら、密やかな固い声を出した。
「私は」
 私は一度、唾液を飲み込み、震える手に力をこめた。
 一体私に、何ができるだろうか。
「やれるだけ、レイムをあなたたちに近づけないようにする」
 残念だけれど蘇生までを考慮はできない。牽制しながらも、なんとか逃げ道を作っていくという方法しか頭に浮かばなかった。
「庭堂(ていどう)の中に避難しませんか」
 ユラスタがすぐに返答を寄越した。庭堂というのはおそらく、庭園の側にある建物のことだろう。私は迷った。建物内に入れば、完全に退路を失う。壁の強度はどのくらいだろうか。その中で、レイムや魔物に囲まれながら一夜を耐えきれるだろうか。魔物やレイムの中には、魔力を操るような強い者も存在する。
「とても突破はできません」
 その絶望的な言葉に、私は奥歯を噛み締めた。そうかもしれない。卑怯なことを言えば、私一人だけならソルトの勢いを借りて突っ切れる可能性がある。けれど、騎士の二人はともかく、蘇生したばかりの四人――ロアル、ガノッサ、そして三番目の人、最後のグラマラスな美人、全員が女性だ――を連れてのんびりと皆の所へ戻るなど、どう考えても不可能だ。誰も犠牲にしないと誓った。たとえどんな厳しい状況でも誰かの犠牲を正論で許してしまえば、この消えない弱さが心にあるために、今後似たような展開に陥るたび言い訳すらも惜しんで保身の道を選んでしまうだろう。それでは、一体なんのためにこの世界へ来たのか分からなくなる。危険を恐れて私が逃げては意味がない。
 じゃあ、どうすればいい、今この時を乗り越えるには。
 冷静な振りをしているけれど、本当は怖くて心臓が破裂しそうだった。どくんどくんと脈打つ音が、足の先まで響いているような気さえする。決断をするのって、なんて怖いことなんだろう。
 でもまごまごしていられない。
「響様!」
「分かった。先に行って!」
 答えるより早く、下腹部にも顔を持つ魔物が唾液をまき散らしながらこっちへ接近してきた。
 動き出す魔物とレイムたち。女性達を支えて庭堂の方へ走るカウエスらを一瞥したあと、私は唇を引き結んでソルトをかまえた。
 
●●●●●
 
 よく凌げた、と自分に驚いていた。
 神剣だけじゃレイムや魔物に抵抗できなくて、庭堂に入る直前には空気の盾を作る法具を一つ使用してしまったけれど、それでも全員無事であるのは喜んでいいと思う。
 庭堂の厚く固い扉を、身体をぶつけるようにして閉ざしたあと、安堵を覚える前に、呼吸の荒さで目眩を起こした。手が固く強張っていて、ソルトを鞘に戻すことさえできない。
 扉一枚挟んだすぐ外では、蠢くレイムと魔物の鳴き声がひっきりなしに響いていた。どうやら、レイムと魔物の間でも争いが起きているらしかったけれど、庭殿内に逃げ込んだ私達を追って扉に爪を立てている者もいるようだった。額を押し当てている扉から、時折、がりがりという嫌な音が振動を伴って伝わってくる。
「娘」
 くぐもったような声が背後から聞こえると同時に、肩に何かが触れた。全身に鳥肌が立つ。自分でもびっくりするような大仰な動きでその何かを振り払ってしまった。いつでも斬りつけられるようソルトをかまえて振り向くと、目を見開いて硬直しているサザ王子がすぐ側に立っていた。
 わずかな間のあと、彼が私の肩に手を置いたんだと気づいた。
「ごめんなさい」
「いや」
 咄嗟に慌てて謝ると、サザ王子は低く答え、目を伏せた。
「扉から離れた方がいい」
「ユラスタは?」
 私はたずねた。カウエスや女性達の姿は見えるけれど、ユラスタがいない。
「彼は上階を確認しに行っている」
 私は頷き、室内の奥に座り込んでいる女性達の方へ目を向け、重い身体を動かした。その時、彼女達の側にいたカウエスが、室内に置かれていたらしいランプに明かりを灯した。
 部屋の広さは多分二十畳もないだろう。左右の壁に背の高い大きな棚があってごっちゃりと菜園用具らしきものが詰め込まれているため、少し手狭に感じた。縮こまっている女性達のすぐ後ろには二階へ続く簡素な階段があった。長い間、手入れされていないためか埃臭く、空気が淀んでいた。扉がある方の隅には、大きな樽や壷が置かれている。肥料や水の類いを入れていたのかもしれない。
「響様、手当てをされた方が」
 小さな非常用のランプをつけ終わったカウエスが遠慮がちな声音でそう言ったあと、壁際の棚へと視線を向けた。
「薬草の類いが置かれているかもしれません。調べましょうか」
「大丈夫、率帝から少し、お薬もらってきたの」
 答えながら、まだ当惑の表情で立ち尽くしていたサザ王子の腕を取り、のろのろとカウエスたちの方へ寄った。
 塵芥に覆われている床を軽く払い、そっと座り込むと、一気に疲労が押し寄せてきた。さっきまで滅茶苦茶に腕を振り回してレイム達を近づけさせないようにしていたため、手足がぴきぴきしそうなほどだるくなっている。
「ふくらはぎ、腕にも怪我が」
 カウエスがふっくらとしている頬を歪めて、痛そうに私の怪我を見た。あ、本当だ。今頃気づいた。無我夢中だったため、どこに怪我をしたのか考えられなかったんだ。
「でも、大した傷じゃないようだから」
 衣服の裂け目から覗く傷の具合を内心びくびくと観察したあと、私は小さく笑みを作った。本当はちゃんと手当てをしたいところだけれど、折角の薬草をこの程度で無駄遣いしたくなかった。それに私の身体は、神力があるので回復が早いらしいし、いいや。
「カウエスも怪我をしているね。女性たちは大丈夫かな」
 私はソルトを鞘にしまおうとして、少し目を泳がせた。魔物の体液が付着している状態のまま鞘におさめるのは、ソルトも嫌だろう。かといって、床に落ちている汚いボロ切れで拭ったりしたら激怒されそう。
 結局、自分の腰に巻いていた帯の端でごしごしと拭うことにした。ありがとう、ごめんね、ソルト。いつも乱暴な扱いばかりして。そういえばただ斬るだけじゃなくて、投げたり叩き付けたりぶつけたり、と好き放題に手荒く扱っている。なんだかとても切なくなった。一度もちゃんと手入れしてあげてないや。
 謝罪に対して返事はなかったけれど、怒ってはいないようだ。案外ソルトって不器用というか、照れ屋だと思う。素直に感謝したら沈黙するところとか……って、あまりこういう感想を抱くと違う意味で怒られそうなのでやめておく。
 きちんと鞘にしまったソルトを床に置いたあと、内帯の中にしまっていた率帝製の薬を取り出した。
「カウエス、腕出して」
 率帝からもらった薬は、塗るタイプのものだった。ファンデーションのコンパクトケースみたいに平べったい形をしている容器に入っている。
「いえ、僕は平気です。それよりも、殿下は」
 カウエスが困ったように首を傾げて、ちらりとサザ王子の方に視線を向けた。ああそうか、重傷でもない限り、王子様よりも治癒を優先されたら騎士は立場上、困ってしまうのだろう。
 私のすぐ横に腰を下ろしたサザ王子の全身に、目を向けてみた。サザ王子は俯いていたみたいだったけれど、私の視線に気がつき、ちょっぴり動揺した様子で顔を上げた。うーん、大きな怪我はないようだ。でも手の甲が切れてる。手首あたりも血がついているし。
「サザ王子、手を見せてね」
 一応声はかけたけれど、返答が来る前に無断でサザ王子の腕を取った。だってサザ王子に答えを求めたら、なんか無理難題が返ってきそうだし、と今までの、悲惨に尽きたやりとりを思い出して眉間に皺を寄せてしまった。こういう人は、押しの精神で対抗するしかない。ほら、身分の高い人だから、きっと今まで図々しい態度とか取られたことがないため驚きで拒否できないんじゃないかと思うんだよね。結構あくどいことを考えながら、想像通り戸惑っているサザ王子の手の甲に薬を塗布した。包帯がないので、さっき使った自分の帯の綺麗な部分を切って巻き付ける。
 その時、ユラスタが戻ってきた。階段をわずかに軋ませながら降りてくる。実は、この建物内に魔物達がいないことは気がついていた。そんなに大きな建物じゃないので、もし内部に侵入していれば、ソルトが気配を察して危機を伝えてくれたと思う。およそだけど、日本にある少し大きめな一軒家程度の規模じゃないかな。
「内部に危険はないようです、しかし、庭堂の周囲にレイムが集まってきています」
 ユラスタがサザ王子の側に片膝をつき、緊張した声で報告した。
「そうか」
 サザ王子は軽く頷いた。問題は、この建物が一夜破られずにすむかということだった。
「あの」
 私は恐る恐る声を出し、ユラスタの衣服の裾を引っ張った。ユラスタがびくっと肩を揺らし、振り向いた。
「腕、怪我しているから。見せてね」
「腕?」
 全然気がついていなかったらしいユラスタの腕を掴み、勝手に袖をたくし上げて薬をぺたぺたと塗った。ほら、こういう人と接する時は勝気な態度で……とサザ王子の時に思ったようなことをもう一度内心で繰り返した。それにしても、すごい腕だなあ。筋肉のつき方が違う。上腕部分なんか、両手が回らないくらいに太くて固い。一見筋骨隆々なのに動きは滑らかでしなやかだ。こっちの世界の人って体格にも運動神経にも恵まれているらしい。
 こんな悠長な考えを弄んでいる場合じゃないとは分かっているんだけれど、今は他に何もしようがなかった。私はまだ率帝やイルファイみたいに確かな「術」としては力を使えない。結界を作れたらよかった。後ほど、率帝に教えてもらった方がいいかもしれない。
 壁の強度がいつまで持つか。最悪の場合、ソルトに樹界を構築してもらうしかないだろう。だからそれまでに、私は少しでも疲労を消しておかなければならなかった。
「神の娘も、女性には変わりがないだろう」
 突然サザ王子がそう言い、余った帯をユラスタの腕にぐるぐる巻き付けつつ考えを巡らせていた私の手を取った。あ、まだ巻き途中で……と困った視線をユラスタに向けると、彼は慌てた様子で「あとは自分でできる」と言った。
「ふくらはぎと言ったな」
 ぺたりと座り込んでいた私のふくらはぎに視線を落としたサザ王子が、指を伸ばした。
「痛っ」
 思わず声を上げてしまったのは、サザ王子が傷口に触れたためだ。サザ王子はびっくりした顔で指を離した。えーとサザ王子、そんな思い切り傷口に触られたらさすがに痛いよ。
 薬は全部使ってしまったし、とりあえずはなんか巻き付けておいた方がいいかなと考え直して視線をうろうろさせた時、サザ王子がさっきの私を真似してか、自分の外帯を抜き取った。
 それをふくらはぎに巻き付けようとしてくれた、のは嬉しいんだけれど。
「痛!」
 またしても声を上げてしまった。サザ王子、そんなぎゅっと絞れそうなほどにきつく巻くのはどうかと思うよ。
 硬直しているサザ王子をついまじまじと凝視してしまった。もしかしてサザ王子って、ものっすごく不器用な人とか。というより、他人の怪我の手当てをしたことがないから要領がよく分かっていないっぽい。なんといっても現役王子様だ。
 そう考えると、痛いんだけれどなんかおかしくなってきた。サザ王子ってば本気で凝固しているし。
「何を笑う」
「ご、ごめんなさい」
 慌てて笑いを抑えようとしたけれど、駄目だった。ちょっと噴き出してしまう。皆の視線が集中した。
「違う、馬鹿にしたとかじゃないよ。あのね、ありがとうって思ったの。だけど、サザ王子がおっかなびっくりしながら、こんなにきつくぐるぐる巻き付けるんだもの」
 サザ王子は最初、不思議そうにぱちぱちと瞬きをしていたけれど、私の言葉の意味が浸透したのか、次第に顔が赤くなっていった。
「殿下に、そ、そのような」
 と反論しかけたユラスタだって、笑っていいのか怒っていいのか分からないような変な顔をしている。
 こんな会話をしたおかげか、なんだか心が落ち着いた。相変わらず扉はがりがりと音を立てているし、レイムは去っていないけれど、冷静になれたと思う。
「大丈夫」
 私はまず、自分にそう言い聞かせた。それから、皆の顔を見る。
「大丈夫、きっと皆のところに戻れます。だから、諦めずに、投げ遣りにならずにいようね」
 心細そうな顔をするカウエスにそっと笑いかけてみた。
「けれど、夜が、夜は、まだこれから深くなるのでは」
 と、カウエスがぼそぼそと少し支離滅裂な言葉を紡ぎ、懸命な眼差しを私に向けた。
 まずは彼らの恐怖をスプーン一杯ぶんだけであっても、和らげなければ。
「夜が深まるのと同じように、負けない気持ちも深めていこう」
 膝の上で固く拳を作り恐怖を堪えようとしているカウエスにちょっと近づき、静かに語りかけた。イルファイが前に「私が動揺を見せちゃいけない」というようなことを言っていた。だから無理にでも、平気だよという顔を作らないといけない。
 別の言葉も思い出す。笑みは安堵をもたらすのだと。確かに、こういう辛い状況の時、笑顔を作るって難しい。私はちゃんと穏やかに笑みを作れているだろうか。
「――あなたは、一体どなた?」
 視線を忙しなくさまよわせていたカウエスが躊躇いがちに口を開いた時、わずかに冷たさが漂う女性の声が響いた。私もカウエスも、声のした方へ慌てて顔を向けた。声を発したのは、四番目に蘇生させたグラマラスな色っぽい女性だった。
 なんて答えたらいいんだろう。自分の母親の問題だけでなく、ディルカとも険悪な状況にいるため、年上の女性に対してはどうしてもぎこちなくなり身構えてしまう。
「この娘は天よりつかわされし神の眷属。我らを蘇生させ、国の崩壊をとめる者」
 口ごもる私に代わってサザ王子が返答してくれた。
「神の眷属?」
 全く予期せぬ台詞を聞いたという驚きの顔で、その女性が私を凝視した。うう、疑いたくなる気持ちはとっても分かるけれど! 私の見た目ってば本当に平凡だし、弱そうだし。
「普通の娘に見えますけれど」
 その女性は容姿通り、結構辛辣というか装飾のない言葉を口にして、私からサザ王子へと視線を動かした。彼女の目がサザ王子を何気なく捉え、すぐに外されたと思ったら、再び戻って驚きの色を見せた。
「サザディグ殿下! 失礼いたしました」
 どうやら彼女は、意識がちゃんとするまで相手がサザ王子だと気づいていなかったらしい。そうか、よく考えたらランプの明かりは小さくて薄暗いし、サザ王子は目元を覆うようにして頭に布を巻き付けているため、はっきりとは顔立ちが分からない状態になっている。
 サザ王子は軽く頷いたあと、小さな笑みを見せた。あれっと思う。なんていうか、日本的にいえばビジネスモードの時に見せるような笑顔だ。
「容姿は然程問題ではない、肝心なのは実だ。娘は真実、神の力と通じている。これは十祇の王、率帝も認めるところ」
「おそれながら殿下、率帝もいらっしゃるのですか」
 その女性は結構度胸があるらしく、敬う様子を見せながらもはきはきとサザ王子に質問した。
「別の場所に」
 サザ王子はわずかに目を曇らせ、答えた。
「別の場所?」
 その女性がかすかに片目を細めて不思議そうな表情を浮かべた。色っぽいんだけれど少し冷たさが漂う美人なだけに、私はちょっと気後れしていた。しかも、頭が良さそうな感じだ。ううん、なんとなくだけれど性格はどこかイルファイに通じるものがありそうな気がするかも。
「殿下……」
 と、今度はロアルが未だ覚醒しきらない表情で独白した。
「ここは一体……私たちはどうしてここに」
 何をたずねていいか分からないといった調子でロアルが視線をさまよわせながらたどたどしく問いを投げた。疑問に思って当然だろう。蘇生したばかりで庭堂にこもっている状況だものね。
「この国は一度滅びを迎えた。そして国民も大いなる災いにさらされ、異形と化した。だが、この娘が大災の鎖を解き、我らをもとの姿へと蘇生させた」
 サザ王子は感情を含まない淡々とした口調で説明し、全員を平等に見回した。皆の視線が無意識のようにサザ王子から私へと移った。
「だが今、我らは異形に囲まれており、この庭堂に避難している。まだ蘇生を果たした者は少ない。異形と闇の支配は依然として続いている」
「わ、私たちはまた死ぬのですか」
 ロアルの両手を強く握り締めていたガノッサが蒼白な顔をして思わずというふうに口を挟んだ。その言葉にカウエスと、三番目に蘇生した大人しそうな女性がびくりと身体を揺らした。どうもこの三番目の女性は、この庭堂あたりで働いていた人らしかった。
「もう嫌です、悪夢の最中にいるのでしょう」
 ガノッサは混乱しているようだった。室内は薄暗く埃臭い。そして庭堂の外からはレイムの不気味な歌声と、魔物と争う音、そして壁や扉を引っ掻く音がひっきりなしに聞こえてくる。この状況で恐れるなという方が無理だった。
 ガノッサをどう慰めたらいいのか分からず、焦ってしまった。たとえば騎士とか男性相手なら、一緒に気持ちを盛り上げて戦おうと言える。でも女性に戦いを強いることなんてできない。
 両手を開いたり閉じたりして慰めの言葉を必死に考えていた時、サザ王子が身をずらしてロアルとガノッサの前に片膝をついた。私の位置からではサザ王子の顔は見えない。その代わり、俯いて涙をこぼしていたロアル達の驚いた表情が見えた。
「そうだ、まるで悪夢のような状況。だが、悪夢ではない、現実なのだ」
 サザ王子の偽りない言葉に、思わず突っ込みたくなった。サザ王子、その台詞は全然慰めになっていないよ。
「悪夢は自らの意思で消すことなどできない。しかしこれは現実、己の行動、意思で変えられる」
 ずっこけそうだったところに、サザ王子の次の言葉が聞こえ、少しびっくりした。現実にある危機を否定せず、けれどそれを嘆くだけではない言葉に、束の間聞き惚れた。
「悲嘆は悲嘆を呼ぶ。涙は明かりを消してしまうだろう。私も騎士も、守る者があってこその存在。そなたたちは守られることに誇りをもってはくれないか。なれば私たちも、誇りをもってそなた達を守ろう」
 サザ王子がロアルの手を取ってそこに軽く口づけ……たらしい。私の位置から見えないけれど、そんな仕草に思える。
 っていうか、サザ王子恰好いい! 本物の王子様にそんな台詞言われたらかなり心にくるものがあると思う。いいなと羨ましく思いつつ、ふと遠い目をしそうになった。おかしいよね、なんかサザ王子、私に対する時とあからさまに態度が違うよ。一応こっちも女性というか女の子というか、本物の王子様に憧れる気持ちもかなりあるわけで……といじけてしまった。
 涙をとめてぼうっとした表情を浮かべるロアルをちらちら見ながら、私は内心でこっそり項垂れた。そうだよね、やっぱ女の子ってこうじゃなきゃ。可愛くて儚い感じで、何があっても守りたくなる感じ。……いいんだ、別に、私はいいんだ!
 と、その時、なんだか胸中に、くっと笑う声が広がったような気がする。今の、もしかしなくてもソルトだ。ひどい、今私のことさりげなく馬鹿にした! こう見えても少しは女の子らしいところだってあるんだからね、すぐにはぱっと思い浮かばないけど!
 あとで絶対エルに告げ口して仕返ししてもらうんだと誓いながら拳を握った時、視線を感じ、慌てて平静を取り繕った。グラマラス美人な女性が、どうも私の様子をずっと窺っていたらしく、かすかに怪訝そうな顔をしていた。うわぁ今の行動を見られたに違いない。絶対、変な娘だと思われた。ソルトのせいだ。
 内心だらだらと冷や汗を流して焦っていたら、ロアルたちを慰めるのに成功したサザ王子が私の隣に戻ってきた。彼の視線が美人の方に向き、何か意味を含めたような目をしたあと、ロアルたちの方へと移った。美人が目礼し、ロアルたちに寄り添って何か小声で話しかけた。どうもサザ王子は、冷静を保っている美人にロアルたちの様子を見ていろと無言の合図を送ったらしい。うん、女性同士だから慰めになるだろう。ここで自分がその役に選ばれなかったという点にちょっぴり物悲しさと切なさを感じたけれど、うう、サザ王子って、いい視点持ってる。
 再びソルトに笑われたような気がしなくもないけれど、自分のために深く考えないことにした。いいんだ、別に。本当に気にしてないし!
「響、この建物は一夜持つか?」
 今度は二人の騎士にまたしても無言で何か合図を送ったあと、サザ王子が小声で聞いてきた。動き出したカウエス達を見ながら、私は少し考えた。カウエスとユラスタが動かそうな棚を扉の方へと押している。そうか、少しでも扉とかを補強してレイムたちの侵入を遅らせようとしたんだろう。レイム達は、そのうち諦めて、移動してくれないだろうか。
「持つのか?」
 焦れた様子でもう一度問い掛けてきたサザ王子の視線が、ふと私のふくらはぎに移った。あ、忘れていた。包帯代わりの布を巻き途中だったんだ。自分で巻き直そうと思ったら、サザ王子がぎこちない手で私の動きをとめ、ゆっくりと慎重に布を持った。代わりに巻いてくれるらしいけれど、いいのかな、王子様に手当てをさせて。というか、ここまで真剣な顔で布を巻かれると緊張するよ。
「正直、夜明けまでは難しいかもしれない」
 と私は答えた。建物の壁は厚いようだったけれど、魔物には様々な能力を持つ種がいる。
 サザ王子は一瞬ぴくりと腕をとめたあと、また慎重に手当てをしてくれた。

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