腹上の[6]

「どのようなご用件でおいでになったのですか」
 客ではない。
 リスカは、ひた、と向き合う騎士に視線を定める。
 外せぬ枷に絶えず制限される砂の使徒であろうと、目に力を持つのは当然。じわじわと精神に圧力をかける作戦を、リスカは密やかに開始しようとした。セフォーにはあらゆる意味で到底太刀打ちできず無力だが、外見ばかりが整った横柄な騎士になぞ翻弄されてたまるものか。
「フェイ。あまりそいつの目を見るな。暗示に落ちるぞ」
 小柄な騎士が面白くなさそうに余計な忠告をもたらす。リスカは内心、舌打ちをしたい気分だった。厄介だ。
 フェイと呼ばれた豪華絢爛な衣装をまとう騎士は驚きに目を見開き、背後へ一瞬顔を向ける。
「落ちこぼれなのだろう?」
「だが、腐っても魔術師さ。その場しのぎの暗示程度は魔力を使うまでもないだろ」
 この小柄な騎士にはやはり魔術師の知り合いがいる。リスカは確信した。
 花を用いねば魔力を行使できぬ花術師のリスカであっても、大きな威力は秘めていないものの、こうして向き合っている間は、ある程度こちらの意のままに相手の言動を操作することが可能なのだ。全く通用せぬ相手も中にはいるが、隙だらけの無防備な騎士には十分効き目が期待できるだろう。勿論、離れてしまえば、すぐに効力は失われる。言わずもがなだが、セフォーには髪一筋分もきかない。
 もう一つ蛇足を。リスカの店を荒らしたいつぞやの盗賊が最初客として姿を現した時にも、商品の使用法を延々と訊ねるしつこさに辟易して、早く去るよう、こうして軽い圧力をかけたのである。その場限りの暗示ゆえ、結局は襲われてしまったのだが。
 ……などと悠長に意識を飛ばしている場合ではなく。
 リスカは顔色を変えるような真似はしなかったが、まずいな、と焦燥感が胸に広がるのを自覚した。
 災難の兆候が見える。
 セフォー。
 こういう時に、いない。
 違う。リスカが招いた事態だ。
 愚かな、とリスカは厳しく自分を罵った。
 結界をはると嘘をついた時に感じた胸の痛みは、まさにこの事態を予知していたためではないか!
 別の感情と混同して、身の内から響く警告の声に耳を傾けなかった己が悪いのだ。
 後悔は先に立たぬ。
 リスカは気づかれぬよう、息を深く吐いた。自嘲するのはあとだ。
「やってくれるではないか」
 まだ何もしていないというのに、フェイは顔を強張らせ、リスカを睨みつけた。
「我らに向かって楯突くつもりか。魔術師にもなれぬ外道が」
 外道。
 痛烈な罵声を、リスカは静かな面持ちで受け止める。
 言われ慣れている、蔑みの言葉など。
 悔しいと、辛いと嘆き顔を背けてしまえば、負けなのだ。一度逃げてしまうと、次に相手の目を見返すのが困難になる。
 うるさい金髪男、大体その格好は何なのだ、仮面舞踏会にでも出席するつもりなのか、全身華美すぎて目が痛いではないか、と心の中でとりあえず反発してみた。
「ぴっ、ぴっ」と、椅子の肘掛けに移動した小鳥さんが応援してくれた。多分。
 そういえば、セフォーもある意味銀づくめで派手だが、下品という印象は受けない。いや、その前に殺気を感じて震え上がってしまうせいなのだが。そもそも畏怖の念を抱いてしまうほどの力を宿しているのだから、目に鮮やかで当然である。
「ご用件は」
 あ、この声音、少しセフォーめいているかも、とリスカは内心で呟き、銀色に彩られた剣術師の姿を脳裏に描いた。
「下種が対等な口をきくのか」
 リスカは怒りを飲み込んだ。人の店に乗り込んでおいて、喋るなと言うつもりか。何様なのだ。……騎士様なのだが。
「浅ましい。二度とそのような口はきけぬと思え」
 一切口をきかなくてもいいのでそちらも話しかけずにさっさと帰ってほしいとしみじみ思った。この殺伐とした空気から察するに、店をただ冷やかしにきたのではないのだろうけれど。
 暇潰しに難癖をつけにきたのではないのならば、一体何の目的で……と怪訝に思った直後、血の気が引いた。
 思い当たることがあるではないか。
 リスカは呻きそうになってしまった。
 もしかして、森の中におそらくは放置したままの、屍の山を発見したとか。
 あるいはリスカの店を襲撃した盗賊達の屍を発見したとか。
 せ、セフォー、死者達の冥福を祈り手厚く埋葬……などは、やはりしていないでしょうね。
 自分はかなり絶望的な状況に追い込まれているようですが、とここにはいないセフォーに泣きついた。
「思い当たることがあるだろうが」
 思わず、ありすぎますね、ありすぎて息絶えてしまうやもしれません、と同意を示しそうになって焦った。認めてどうするのだ。
「どうだったのだ、散々いい思いはしたのだろう?」
 フェイは腕を組み、暗い光を宿した目をこちらへ向けて卑しく笑った。
 いい思い? 
 リスカは、はて? と首を傾げた。惨殺死体の山を目にすることを、普通、いい思いと言うだろうか。
 まさかこの騎士、そ、そちらの趣味が……などとリスカは現実を一瞬忘れてフェイの全身を凝視し、複雑な感情を抱いた。死体愛好者の心情とは分からぬものである。
「お前のような下種が触れるには、惜しい人だ。堪能したのだろう?」
 堪能?
 益々理解不能だ。
 屍なぞに触れたくない。というか、私は屍より劣るのか? と考えて、リスカは今頃話が食い違っていることに気づいた。
 惜しい人? 堪能?
 フェイはわざとらしくにやにやと笑っている。後ろの二人も、どこか獣のように目を光らせて。
「あの、何の話をされているのでしょう」
「とぼけるつもりか。フィティオーナ夫人の身体を忘れたとでも?」
 フィティオーナ。
 ――ティーナか!
 待て、その前に、フィティオーナの「身体」とはどういうことなのだ。
 もしや。
 リスカはそれこそ下種な類いの推測をしてしまい、意識が遠のきそうになった。非常に不吉な予感がした。
 ティーナは振らせた腹いせに虚言を並べ、騎士を寄越したのか? 
「きてもらおうか」
 未だ気味の悪い笑みをはりつけたまま、フェイは投げ遣りな口調で同行を命じ、愕然としていたリスカの腕を乱暴に掴んだ。その瞬間、苛立ちを覚えるほどの強い嫌悪感に襲われる。本来、リスカはあまり人に触れられるのが好きではないのだ。
「何か誤解されていませんか」
 リスカは咄嗟に腕を振り払い、声を低くした。言いがかりも甚だしい。
「誤解。誤解だとよ」
 げらげら笑うその姿が醜いとリスカは思った。
 セフォーの仮面のような冷たさが漂う顔が見たい。表情が豊かでなくても、柔らかさが一切感じられなくても、かまわない。
「味わったのだろう。あの身体を。手を、唇を、胸を」
 残念だが先程の推測は外れていないらしい。リスカは吐き気がした。
「十分楽園にはいけたはずだろうが。来い」
「私にどうか触れなきよう」
「お前」
 フェイが一歩前に出た。背後に控えていた二人の騎士も、リスカの方へと詰め寄る。
「あ」
 リスカは瞠目した。
 小さな白い影が、突然、目の端を横切ったのだ。
 小鳥さんが。
 窮地に追い込まれているリスカを救出しようと決意したのか、「ぴぴぴ」と勇ましく鳴いた小鳥が、フェイに先制攻撃をしかけたのだ。
 ……その、髪をつくつくと嘴で引っ張るという、実に可愛らしい攻撃だったが。
 小鳥さんにとっては最大の攻撃なのだろう。まあ、確かに髪を強く引っ張られるのは痛い……だろうけれど。
 毛虫や小鼠の類いに対してであれば有効な攻撃だったに違いないが、如何せん相手が悪かった。
「何を!」
 リスカは叫んだ。
 小鳥さんが――。
「何てことを!」
 フェイが腹立ち紛れに頭上を飛ぶ小鳥さんを腕で薙ぎ払ったのだ。
 悲痛な鳴き声を上げて、小鳥がふらりと弱々しく落下しかける。
 リスカは慌てて両手を差し伸べ、すくい取ろうとした。
 その腕を、フェイが掴んで引き止めた。
「離しなさい!」
 思わず声を荒げて振り向いた時、いつもの小鳥とは思えない、本当に――ぞっと鳥肌の立つような潰れた鳴き声が響き、リスカの耳に突き刺さった。
「な――」
 視線を巡らせると、小柄な騎士が一風変わった燭台などを飾っている棚を冷ややかに眺めていて。
 その下に。
 床の上に。
 奇妙な具合に折れた、白い羽根が。
「ああっ」
 足下が大きく揺れた気がした。
 ちかちかと目の奥が点滅する。
 怒り。燃え上がり、辺りを舐め尽くすような怒り。
 何ということを。
 蹴り飛ばしたのだ、この小柄な騎士が。
 こんなに小さく稚い生き物を。
 悪意のない、柔らかな命であるのに。
「何て酷い真似を――!」
 白い羽根が痙攣している。まだ間に合う。
 間に合うのだ。
「来いと言っているだろう」
 憤るリスカの行く手を、フェイが自らの身体で阻んだ。
 誰の目にも小鳥の命など映っていない。目に映らぬほどの、価値を論じる意味すらない命だと。
 けれども、リスカは違うのだ。
 手や頬にすり寄る仕草。風と歌う声。軽い羽根の音。肩に乗るささやかな重み。愛らしいと感じる時、確かにリスカは命の鼓動に包まれたのだ。喜びを授けてくれ、その喜びという感情を胸に抱かせてくれる存在が、本当は何より得難いのではないか。過ちに塗れている世界だからこそ。
「おどきなさい!」
「黙れ」
 リスカは、この騎士を相手にしてもよいと考えた。両手足束縛してみせようではないかと、怒りに満ちた心からひどく冷静な声が響く。多少怪我をさせたとしても、罪悪感は覚えないだろう。
 怒りの炎は冷たい。冷たい熱で、全てのものを焼き尽くす。
 だが。
 リスカは懐に手を入れかけて、愕然とした。
 ないのだ。
 常備しているはずの、花びらが。
 さっと蒼白になる。そうだ、起床後、着替えてから慌てて部屋を飛び出してしまい、そのまま忘れて――。
 どこまで、どこまで、自分は愚かなのだ。
 なす術はない。リスカは花がないと魔術を使えない。
 肝心な時に使えぬ魔術になど、何の意味があろう?
「連れて行け」
 フェイが後ろの二人に顎をしゃくって命令した。
 リスカの両腕が、何の遠慮もなく無造作に封じられる。手加減のない強い力で、リスカが逃げ出さぬよう、しっかりと捕まえる。
 リスカの目には細かな痙攣を続ける小さな白い影が映っているのに。
 時間をおけば、助からぬ。
 リスカはふっと息を飲み、身体に力をためた。
 身を捻り、素早く屈んで、虚を突かれた表情を浮かべる二人の騎士に足払いをかける。体勢を崩した二人に向かって、まごついているフェイをついでに突き飛ばした。
 一時自由になったリスカは、三人が怒声を響かせて振り向く瞬間までに、商品棚へと駆け寄った。治癒の花びら。はぎ取るような勢いで瓶の蓋を開ける。
「お前!!」
 侮辱されたと受け取ったのか、激高したフェイが、瓶を抱えるリスカを剣の柄で殴り倒した。
 鈍い音と共に、後頭部に激痛が走る。
 息をつく間もなく脇腹を蹴り上げられた。痛みというより、熱に触れられたかのようだった。
 自分の身体が床に落ちる寸前、リスカは瓶を投げつけるようにして、逆さに放った。
 瓶につめていた白い花びらが、そう――
 小鳥の身体を覆うようにと。
 
 
 ああ、セフォー。ごめんなさい。
 あなたは知っていた。
 ティーナを面倒だと言ったあなたはきっと、未来へと続く無数の道に含まれていたこの事態を憂いていた。
 あの時、災いが彼女によってもたらされるという未来の選択肢の一つを、あなたは拭い去り、回避しようとしてくれていたのだ。
 セフォー。
 
 
「穢れた人殺しめ」
 そういう声が、耳に届いた。
 
 
 人殺し――。
 
 
 意味を考える前に、リスカの意識は絶えた。



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