腹上の[15]

 すっかり忘れていたが、町はどこもかしこも祭りの開催準備で忙しなく、浮かれた空気が漂っていた。
 この町独自の冬華祭は、七日間続く。明日が初日で、前夜祭には祝いのための花火が威勢よく次々と上がり、人々の目を楽しませる。
 空の花。
 美しいことだろう。
 ――セフォーと見たかった。
 
 そういえば、リスカの店を襲撃した夜盗達も、この祭りを楽しむために流れてきた旅人と共に来たのだろう。
 人の流れは様々なものを運ぶ。
 善と悪。
 そうしてまた様々なものを押し流し。
 去る者もいる。
 セフォー。
 
 リスカは人生最大に落ち込んでいた。いや、落胆し嘆く度にこれほど辛いことがあるだろうかと我が身の不幸を思い、前を向く気力を自ら捨てているのだが。
 一人は堪え難いほどに寂しい。
 戸惑いも多かったが、いつもは仮面のごとく変化の乏しい表情に、奇跡的な確率で浮かぶ笑顔を見るのは嬉しかったのに。喜びはいつだって悲しみの顔を隠している。悲喜は表裏一体のものだ。どちらの感情も深く精神に食い込み、絶えず行動を左右する。
 自分は心からきちんと笑って素直な気持ちを伝えたことがあっただろうか?
 本当に、あなたを利用しようと思ったことはないのだ。
 真実だと誓える。
 
「甘えるな」
 リスカは自分の顔を軽く叩く。
 怯懦の波に揺られて目を逸らすのはもう許されない。
 肩で眠る小鳥が落下しないように、そっと手で守りつつ。
 リスカは礼拝堂を去った。
 
●●●●●
 
 さて、どこを探すべきか。
 ジャヴの家がある場所ならば知っているが、警戒を忘れ素知らぬ顔をして何事もなく留まっているとは到底思えない。
 ティーナの屋敷を訪問しても本人と直接会う前に、取り次ぎの者に門前払いをされるだろうということは容易く想像できる。第一、屋敷がある場所も分からぬ。何より、牢破りをし騎士達を殺めたのだから、のこのこ顔を出せばまた監禁される恐れがある。
 フェイ。
 彼は、教会に転がる屍の一人となったのだろうか。確認すればよかった。
 リスカは途中で見かけた民家の庭先に干されている布を、内心で丁重に詫びながらも一枚失敬し、さりげなく顔を隠して町へと戻った。
 祭りの雰囲気をまとい騒がしく賑わう町に昨夜の血腥い気配は微塵もなく、捕縛命令を受けた兵士達が血眼で捜索しているのではないかという読みが外れ、安堵する反面、怪訝に思った。
 喧噪に身を委ねつつ、どう行動を起こすか思案する。
 通りに目をやり、随分人出があるものだとリスカは感心した。自分の店は町外れにあるので、この賑わいを今まで体感したことがなかったのだ。人々の笑いさざめく声や、浮かれた空気に身を浸すのは悪くない気分だった。深刻さに彩られた心に、活気を少し分けてもらうことができる。
 リスカはしばし考え、馴染みの雑貨店へ顔を出すことにした。人が最も寄り集まる大通りから、二本脇道へそれた奥にある店だ。
 店主は四十代の、丸刈り頭の男である。傭兵上がりと聞いたが、確かにと頷けるほど立派な体躯をしていた。隆々と盛り上がった上腕の筋肉は、年齢的な衰えを見せていない。
 愛想はよくはないが格別悪くもないという、何とも商売人らしくない不思議な性格の店主だった。ただし、口の悪さだけは一級で、一見の客や態度の横柄な者には故意に粗悪品を掴ませる。
 ひやりとするような悲痛な音を立てる木造りの扉を開け中を覗くと、奥で作業をしていたらしい店主が難しい顔のまま振り向いた。店内には、まあ、様々な商品が雑然とした様子で並んでいる。装飾具から旅の必需品となるような護身具まで、千種万様だ。干し肉などの携帯食もあれば、婦人用の華やかな布まで飾られていたりと全く節操がない。傾き加減の棚や天井からつるされている籠にも、目眩がするほど物が押し込まれていた。一級品からがらくたまで、これまた何の関連性もなく並べられている。
「よう」
 店主は作業で汚れた手を拭いつつ、皮肉な笑みと共に挨拶をした。
「こんにちは」
 リスカは会釈しながらも、熱心に商品を見て回った。目にとまったのは、銀色の耳飾りだった。繊細な細工で少し大振りだが、男性が身につけてもおかしくはないものだ。
「何だ。小僧も色気に目覚めたか」
「かもしれませんよ」
 と軽口を返しつつ、はたと気づく。そういえば、今は女の姿に戻っているのだが……全く疑われてないというのも、いささか虚しい。女の魅力に溢れているとは自分でも言えぬため、余計に物悲しさが募る。
「何を探している?」
 実は媚薬を、などと明かした場合、詮索好きな店主に誰に使うのかと根掘り葉掘り質問されそうだ。
「いやいやいや」
 などとわけの分からぬ返事で誤魔化し、引きつった笑みを返す。
「相変わらず挙動不審だな」
 う、うるさい。
「不審といえば」
 不審繋がりか? 何かの謎掛けかとリスカは首を傾げた。
「昨夜、教会が何者かに襲われたそうだぞ」
 ひえええええ、と思わず絶叫しそうになった。さすがは情報屋を兼ねているだけあり、見事な収集能力である。
「それがまあ、血の祭りでも始まったかという凄まじさで」
 そそそそうですかそうですよね、と心の中で素早く答え、視線をさまよわせた。
「転がっていた死体は優に二十を超えると」
 失神したくなった。せ、セフォー。
「面妖なことに、殆どが騎士だ。だが、中には神官まで。つまり教会にいた者も犠牲になっていた」
 リスカは目眩と息苦しさのあまり、その場にへたり込みそうになった。更に、世間に対して心から謝罪したくなった。
 ああ神よお許しください。セフォーも悪気があって聖職者を殺めたわけではないのです。きっと何かのついでとか気まぐれとか目についたからとか。言えば言うほど泥沼にはまりそうだ。
「ま、騎士の横暴もこれで少しはおさまり大人しくなるだろうしな。いい加減、奴らの態度は腹に据えかねていたし、いいさ。あの教会を根城にしていた神官も、裏じゃ随分神に背いた悪業に心血注いでいたからな」
「あ、そう、そうなんですか。それはよかった」
 何がいいのか、自分で答えた後に深く悩んだ。
 うううう、普段愛想がよくもないくせに、今日はえらく饒舌ではないか。
「ぴ」
 男の声がうるさいのか、肩の上で微睡んでいた小鳥が起きてしまった。よしよしと嘴を撫でて宥め、心を和ませてみた時。
「で、お前はなぜ、聖衣を着ている」
 がしゃんがらがらと派手な音を立てつつ、リスカは転んだ。
 小鳥が驚いたように羽根をばたつかせ、側の籠に飛び逃げる。
「ぴぴぴっぴ」
 い、痛、かなり痛い。リスカは涙目になりながら、ぶつけた膝をさすった。
「ななななぜでしょうね」
「いつにもまして挙動不審だな」
 店主が面白そうに身を乗り出し、慌てふためくリスカをしげしげと観察している。
「お前はどう見ても人殺しができるほど剛胆な気性じゃないからなあ」
 分かっているなら余計な詮索はしないでほしい。
「強烈だったらしいな? こう、見事に首がすぱんと断ち切られていて。胴体も骨ごと真っ二つ。しかもな、騎士の野郎、剣を抜いた形跡もなしだと。やった奴は尋常じゃない腕前だな」
 ついつい深く頷いた。ええ、そうでしょうともね。伝説の剣術師だし。異名は死神閣下だし。天下無敵どころか天上無敵かもしれませんよ。
「で、誰なんだ。犯人は」
 うぐっ、とリスカは呻いた。頷いてどうする。
「そういえば、どこぞの町外れの怪しい店に、奇妙な男が出入りしているとか」
 奇妙ではなく「危険な」とか「恐怖の」とかの表現が正しいですよ、と心の中で店主の言葉を訂正した。待て、怪しい店とは何だ。
「お前……女気がないとは思っていたが、そっちの専門だったか」
 思わず、はい? と聞き返す。
「術師とは因果なものだな。倒錯野郎ばかりだ」
 情報屋ならば魔術師の事情については少しばかり理解しているだろうに、リスカのことを花術師やら不具などとは言わない。こういうところが良いのである。
 ……ではなく。
 倒錯野郎とはつまり。
 自分、男色家と思われている! と悟り、むごい誤解に言葉を失った。何度目かの目眩を起こし、よろめく。ぴぴ、と心配そうに小鳥が鳴いた。
「どういう奴なんだ。お兄さんに聞かせろ」
 だっ、誰がお兄さんだ、図々しい。
 泣きそうなリスカだった。
 にやにやにやにやと店主はふざけた笑いを口元にはりつけている。
 リスカはふと、疑問に思った。
「あの、教会に地下牢があるのは、ご存知でしたか」
 店主は一瞬で笑いをおさめ、真面目な顔を見せた。
「やはりか」
「やはりとは」
「噂になっていたのさ。以前から地下の監獄があるとな。目的までは詳しく知らぬが」
 ではあの場所は、公には知られていない極秘の場所だと。
「何だお前、どうしてそんなことに首を突っ込んでいるんだ」
 突っ込まされたんです否応なしに。ええい、もう勢いに乗ってしまえ。
「あのっ、媚薬、媚薬を探しているのです!」
 まじまじと見られた。じいっと凝視された。驚きというよりも未知の語を耳にしたという訝しげな表情を返される。
「死に至る媚薬が売られていると」
「お前、まさか、そういう歪な趣味まであったのか。惚れた男の影響か?」
 馬鹿者っ、とつい激高し叫びそうになった。
「それを訊くということは、お前が売っていたわけではないな」
「当たり前です!」
「だろうな。色気とは無縁だろうからな。商売以外で色町にすら顔を出さん奴だしな」
 放っておいてほしい。リスカが娼婦を買ってどうするのだ。
「おい。男は一人じゃないぞ。色町にだとて、具合のいい男娼がいるだろうに。あまり思い詰めず憂さを晴らしたらどうだ」
「何の話ですか、何の」
「男との情死を願うとはなあ、お前がなあ」
「ちちち違いますっ」
 ぴぴぴぴ……、と小鳥が小さく鳴いた。「哀れリスカ……」と同情しているように聞こえたのは錯覚だろうか。
「あれは媚薬じゃない、毒薬さ」
 店主は難しい顔で答えた。



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