腹上の[16]

「都から流れてくる量にしては不自然なほど多い。この町で作られているといっていい」
 リスカは、店主の言葉に戸惑った。
「しかし腹上死は都から広がったはずではありませんか」
「矛盾はないさ。都で、媚薬と称した劇薬を精製していた野郎が、この町を次の標的にしたまでのこと。これほど寂れた辺鄙な町のくせに、異様に貴族の総数が多い。他の町にはない特徴だ。逆の意味で狙い目なんだろうよ」
 益々、ジャヴ犯人率が強くなった気がするが、そうとも、まだ決め手にはなるまいと無理矢理意識を逸らした。
「この劇薬が、ここで秘密裏に捌かれ始めたのが初夏あたりだ」
 ジャヴがこの町に現れた頃と一致するではないか。
 まままままさか、都を追放されて自暴自棄になったのか、とリスカは大変に困った。
「だが、出回っている媚薬の全てが劇薬というわけでもない。無害なものも中には勿論ある。そのために、厳しく規制し取り締まることさえままならん。それに、死人は確かに急増しているが、町民の犠牲者は出ていないというのがまた謎だ。情事中に昇天するのは身分の高い奴と決まっているのさ。だからこそ、体面重視のお偉いさんは頭を抱える。媚薬の取り締まりに動けば、貴族の醜聞を益々世に広めてしまう。面妖なものだ」
「一体、誰がその媚薬を作っているのでしょう」
「どうもな、魔術師が関わっているという」
 ああジャヴよ、状況はとってもあなたに不利な様子。
「だが、そいつを擁護している貴族がいるとな」
 ティーナの顔が無意識に浮かぶ。最早決定打のような気がしてきた。
 それにしても随分店主は詳しい。恐らく既に渦中の貴族を知っているのだ。だからといって、自分に災いが降り掛からぬ限り、わざわざその貴重な事実を、親切などで町の警護に務める兵士達に報告はしない。情報屋の性だろう。
「誰ですか、その貴族は」
 店主が意味深な態度で、ちらっとリスカを見た。
「知りたいか」
「はい」
「銅貨一枚」
「なっ! あんまりです。欲張りすぎですっ」
「情報より高いものはこの世にないのさ」
「情報とは状況により価値が変動するものです」
「俺の情報にけちをつけるのか」
 ううううっ、銅貨一枚は痛すぎる。第一、今、持ち合わせがない。
「……つ」
「つ?」
「ツケで」
「駄目だな。情報屋にツケをせがむ馬鹿がどこにいる」
 店主はあっさり身を引き、リスカの頼みを冷然と足蹴にした。
「そ、そこを何とか」
 冷ややかな目で一瞥された。
「お前の男は、何という名だ?」
 ぐ、と喉の奥で呻く。追いつめられている。
 別に、そう別に、セフォーは身を隠しているわけではない。名を知られても本人は関係なしと平然としているだろう。
 それに、遅かれ早かれ、耳聡い情報屋ならばセフォーの正体に気づく。
 この場でリスカが意固地になり口を閉ざしても、彼の名は秘密にならない。
 だが。
 しかし。
「自分の知り合いを売るほど私は馬鹿になれません」
 ああ、あと少しだったのに、とリスカは心の中で落涙した。
「馬鹿だろう」
 即座に切り返されて、むっとする。
「なぜですか」
「知り合いだと認めている上、いかにも秘密がありますと言わんばかり。おまけに話の流れからして、お前は媚薬の問題に巻き込まれ、男は教会の大虐殺に関わっているとしか思えない」
 馬鹿です、思う存分馬鹿と言ってください。
「少しは駆け引きを覚えた方がいいぞ。たとえ男を口説く時でもな」
「一言余計です」
 仕方がない、という目で見られた。哀れな奴、という目にも見えた。
「お前、もしやその男に振られたか」
 項垂れるリスカの頭上の空気が急に重くなった。
「おい、まさか振られた腹いせに劇薬を使って無理心中とか言うなよ」
 リスカは無言で踵を返した。
「待て待て。冗談だ。駆け引きとは会話の中で相手の弱みを幾つ握れるかにかかっているものだ。お前のように感情の動きが丸分かりだと、阿呆臭くて騙す気にも金品巻き上げる気にもならねえ」
 ほれ戻ってこい、と手招きされた。渋々というのも変だが、微妙に落ち込みつつリスカは素直に戻った。からかわれるのは腹立たしいが、店主が隠し持つ情報に未練がたっぷり残っているのだ。
 上目遣いで睨むリスカの様子に店主は苦笑したあと、梁がむき出しの天井からつり下げている籠の一つに手を入れ、薄い半透明の紙に包んだ薬を取り出した。
「これが、その劇薬さ」
 言って、包みを開き、作業机の上に広げる。
 リスカは気を取り直して、媚薬を覗き込んだ。見た限り、黄色の着色料を混ぜている無害な砂糖といった様子で、単なる香辛料と思えなくもなかった。
 だが、微かに、魔力の残滓をリスカは嗅ぎ取った。残念ながら、リスカには他人の魔力を判別する能力まではない。余程親しい者ならば別だが。
 もともと魔力の感知は得意ではない。それでも、この僅かな量の媚薬から確実に魔力の波動を感じる。それが伝える事実。階級の高い魔術師が関わっているということ。魔力は、強大であればあるほど感知しやすいのだ。勿論、隠匿の術を知り痕跡を消す特殊な能力を宿す者も存在するが、稀である。
 ジャヴ。現実はとことんあなたが犯人という説に傾いていくが。
 リスカは厳しい顔で劇薬を見つめた。
「倒錯野郎のくせにお前は時々、いい目をする」
「……は?」
 反応が遅れた。
「瑞々しい、生きた目をしている。おまけに馬鹿正直だ。お前は別の国に生まれるべきだった」
「褒めているのですか、けなしているのですか」
「同情と慈悲は違うぞ。憐憫と好奇心は結びつきやすい。お前は、それをはき違えていないな?」
 リスカは顔を上げ、店主を見返した。凪いだ海のような双眸が、そこにあった。
「律の僕である術師に、人の理を説くのですか」
「術師にしちゃあ頼りない」
 反論を無情な一言で封じられ、項垂れそうになった。そうでしょうとも。自分でもよく分かってますとも。
「魔術師なんて俺に言わせればどいつもこいつも人格破壊者だ。己大事で他人の心の機微など知ろうともせぬ、傲慢な連中さ」
「そ、そこまで言わなくとも」
「術に頼りすぎて、己の五感を使わない。まるで世間を知らぬ餓鬼と大差ない」
「ぴぴぴぴぴ」
 小鳥の鳴き声が「試練だリスカ」と叱咤激励しているように聞こえた。
「好奇心なら、このまま帰れ。おまえのためさ」
「違います」
「ならば、何だ」
「私は」
 リスカは息を吐き出す。
「私が、私に失望しないためです。全く自分のためなのです」
 容易く引き下がる真似などできない。セフォーを裏切るような形で真実に肉薄することを選び、動いているのだ。好奇心よりも人としての矜持の問題だろうと思う。
「人生を悟るには、お前はまだ甘すぎるぞ」
 ああ言えばこう言う、と内心で小さく零した。
「駄目ですか。貴族の名は、いただけませんか」
 もしかしたら気を変えて教えてくれるのではないかと、一縷の望みをかけて試しに訊いてみた。
 小馬鹿にしたように店主はひょいと片眉を上げ、唇の端を歪めた。訊いた自分が馬鹿だった。攻め方を変えよう。
「この薬はどこに行けば手に入りますか」
「さてな」
 うううう、意地悪だ!
「この薬を作っている魔術師の名は分かっているのですか」
「魔術師というのは、真名を名乗らぬものだろう?」
「そういう意味ではなく! 霊号を訊いているのです」
「さて。霊号とはなんぞな」
 こ、この狸爺め。
 ぴぴぴぴぴ、と小鳥が寂しく鳴いた。「完敗だよリスカ」と諭されている気になった。術師でありながら一般の者に話術で翻弄されているという現実に哀愁を感じたが、どうもこういった手合いには弱い。
「情報以外の物なら、ツケはききますか」
「ほう?」
「た、たとえば、この、耳飾りとか」
「ほほう?」
「ツケが駄目なら、取り置きとか」
 にやっ、とえらく意味深な笑い方をされ、嫌な予感がした。
「何だ、男に渡すのか?」
「……」
 自分の眉間には今、彫ったように深い皺が刻まれているだろうと思った。
「おうおう、可愛いもんだ。頬染めて」
「だだだだ誰が頬を染めているのですっ」
 ぴぃ……とどこか悲しげな小鳥の鳴き声が聞こえた。「遊ばれてる……」という独白に聞こえたのは錯覚だろう。
 青ざめたり赤くなったりして憤死しかけるリスカの肩に、小鳥が飛び乗った。あまりに情けないリスカの姿を見ていられなくなったのかもしれない。
 ぴぴ、ぴぴぴ、ぴぴ、と小鳥さんは、実に憎々しい薄笑いを顔にはりつけている店主に向かって鳴いた。「もう許してあげてよ、リスカ死んじゃうよ」と庇われている気がした。
「いい品だろう、それ」
 小鳥の悲壮感溢れる願いが届いたのか、店主は底意地の悪い笑みをようやく引っ込め、荒れた太い指で銀細工の耳飾りを持ち上げた。変にぎらぎらしているのではなく、微妙に燻されていて色味が落ち着いているのがよい。縦に長い楕円形の、細い輪の連なりだが、その表面に美麗な細工が施されているのだから、余程の職人が手がけたに違いないとリスカは感嘆する。耳穴に差し込む箇所には銀水晶の欠片がちりばめられていて、一級品と呼ぶに相応しい華やかさと静謐さが窺えた。
「まけてやる。銀貨七枚」
「どこがまけているんですか」
 耳飾り一つで銀貨七枚。冗談ではない、とんでもなく高値ではないか。町民の一ヶ月分の生活費を全てつぎ込んでもまだ足りぬ。
「装飾品の価値を知らない奴だな。女に嫌われるぞ。ああ、男がいいのだったか」
 リスカにセフォーほどの優れた剣技と思い切りのよさがあれば、おそらく三回は店主を斬り伏せているだろう。
「いいか、まともに売りゃあこいつは金貨一枚以上の価値がある。なぜならこいつはミゼン=ミラクが手がけたものだ」
「誰ですそれ」
 知らぬ名に首を傾げると、心底軽蔑しているといった冷たい眼差しを向けられた。
「阿呆。百年に一人と謳われる天才細工職人だ。こいつは女にたとえるとな、高値の花に等しい貴重な飾り物だぞ」
 高値の花だろうが天才職人だろうが、たかが装飾品一つに金貨一枚は強欲すぎる。そのような詐欺にも等しい装飾品を誰が買うのか。いや、貴族は買うだろうが。
「ミゼン=ミラクはひねくれ者らしくてな。宝石と聞けば目の色を変えて何でもかき集めようとする貴族には売らないのさ。しかも謎に満ちている。誰も確かな居所が掴めぬそうだ。ひどい放浪癖があって一つ箇所に長く留まらないというが、真相はどうだかな」
 譲歩して、ちょっと見直してやってもよい。貴族に媚びないところは。
「そういった大層な耳飾りを、あなたは他の商品と同じ籠に放り込んでいたわけですか?」
 話自体に不審な何かは感じないが、肝心の耳飾りの扱いを見ると、もの凄く胡散臭いと思わずにはいられなかった。紛い物ではないのか、という疑惑の目を向けた瞬間、店主に指先で額を弾かれた。痛い。
「俺が偽物など売るか」
 売っているくせに。
「こいつは正真正銘本物だ。籠に混ぜたのは、価値の分からぬ者に売る気がないためだ。目のある奴ならすぐに気づくが、分からぬ奴ならば手にも取らぬだろう。世間には、ミゼンの耳飾りだと言えば、金貨一枚でも飛びつく者がいる。そんな輩には売らんのさ。金で購える名などに意味はないことを知らぬ愚か者だ」
「へえ」
「何だその胡乱な目は。俺はミゼンの作品に敬意を払っている。ないがしろにはせん」
 つい疑念を抱いてしまいそうになるが、まあ、どちらにせよ、リスカの手には入らないものだ。
 高値すぎる上、価値と評価を全く知らなかったのである。己が持つ技と感性を注ぎ込んで作品を仕上げた職人も、何となく気に入ったという程度で選んだリスカには持ってほしくないと思うだろう。
 ――自分の身を飾るために、購入しようと思ったわけではないけれど。べべべべ別に、銀色にこだわりがあるわけでは、などと胸中で自分に激しく言い訳して、赤面した。馬鹿である。
「どちらを選ぶ? 情報か、耳飾りか」
 試すように訊かれた。いや、試されているのか。こちらの心に秤を置く言葉。感情と理性の間で揺れる自分の声に迷う。
「……情報を」
「やはりお前は阿呆だ」
 ぐ、と怒りを堪えた。拳を握りつつ、リスカは、耳飾りを弄ぶ店主を睨む。
「情報、いただけるのですか」
「払えるものがあるのならな」
 結局売る気がないのではないか!
 少しくらい愛想を見せようという気にはならぬのか。こちらは何度かここで品を購入したことがある、れっきとした客なのだ。今は違うが。
「ああ、別の方法で払ってくれてもよいがな」
「何です」
 締まりのない微笑を浮かべる店主を見れば、次の台詞は何となく予想できたが、つい聞き返してしまう。
「今宵、俺と試してみるか?」
「試す?」
「何だ、恥ずかしがって。術師ならばそりゃ楽しい寝技を一応は知っているだろうよ。実経験はなくとも知識は豊富だな? 遊んでやってもかまわないぞ」
「馬鹿なことを言わないでくださいっ」
「男がいいのだろうが」
 器用に片目を瞑られて、リスカは卒倒しかけた。この好色親父め! 
「いや、俺もさすがに術師を相手にした経験はないな。楽しみだ。どうする、情報を受け取るか?」
 究極の選択だった。蒼白になり硬直し、冷や汗と脂汗を流して、沈黙に押し潰されそうになるほどの長い時間、店主と見つめ合った。どうするリスカ。というか、そこまで悩むほどのことなのか。自分で自分がもう分からぬほど混乱している。
 ううううっ、と自分の愚かさ加減に涙が出てきた。
 腕を組んで興味深げにこちらを見守っていた店主の顔が、次第に呆れたものへと変わった。
「お前な、どうしようもない奴だな。軽口と取引の見極めすらできぬのか。誰がどう考えても今のは冗談だろう。餓鬼でも分かる」
 本物の殺意がわいた。是非、ここにセフォーを呼びたいくらいだった。抹殺ならぬ駆除を依頼したい。
「惚れた男がいるのに、身売りを真剣に悩む馬鹿なのかお前は」
「変な表現はやめてください」
 始末に負えぬという顔をされて、リスカは深く落ち込んだ。それ以上にひどく疲労困憊していた。精神力の消耗がなぜこれほど激しいのか。謎である。
「帰ります!」
 リスカはくるりと背を向け、足音荒く出口へ向かった。ぴぴ、と心配そうに肩の上で小鳥が鳴いた。
 扉を開け、外へ出て、勢いよく閉めかけた時だ。
「――ゼクター=ワイクォーツ伯爵」
 リスカは驚いて、振り向いた。
「わっ、わわわわわ!」
 こちらへ放られたものを、仰天しつつ受け止める。対の耳飾り。
「ただではやらないぞ。金ができたら、お前の男を連れて支払いに来い」
 リスカはぽかんと、店の中を見つめた。
 口の悪い店主は既に、作業に戻っていた。



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