腹上の[19]

 罪悪感に屈したフェイは物憂い表情を浮かべながら、次のような事実を白状した。
 彼の幼馴染みであるご令嬢が、死に至る媚薬の犠牲になったこと。
 ゆえに媚薬を貴族間に蔓延させた魔術師を憎んでいること――元々魔道に携わる者に好感情を持ってはいなかったのだろう。
 ご令嬢を淫靡な死の底へと導いた相手は、どうもワイクォーツ伯爵が紹介した貴族の子息であったらしい。
 また、ジャヴが頻繁にワイクォーツ邸を出入りしていること。
 ワイクォーツ夫妻共々、日々人を集めてはご乱交に勤しんでいるらしいとのこと。
 そして。
 地下牢に閉じ込めた者達。
 彼等の中には、確かに犯罪者も含まれているようだった。
 だが、もたらされた話だけで判断すれば、彼らが犯した罪は軽い懲罰で許されるものではないか。罪の程度と実際に科せられた罰はあまりにも見合わなく、公平さを欠いている。
 何より酷いのは、言いがかりで投獄された人々だ。
 もとは、ワイクォーツの屋敷に勤める勤勉な者達であったという。庭師や馬の世話係、料理番、下男。そういった素朴な人々なのだ。ちょっとした粗相をして伯爵夫妻の不興を買い、弁明の機会すら与えられずに投獄されたというのだから救いがない。
 伯爵におもねる騎士は、率先して、貴族の気まぐれにより運命を狂わされた無実の人々を鞭打ったという。伯爵が王都でとある将軍と対立し、その一派から執拗な弾圧を受けて排斥されるまで、騎士達は随分便宜を図ってもらい甘い汁を吸っていたらしい。
 つまり今現在、伯爵に恭順の姿勢を取る一部の騎士はそれまで利便をはかってくれたことへの恩返しというよりも、実はかの貴族が華々しく返り咲く瞬間を強く切望しているわけで。再興の勢いに乗じて、自分もまた確固たる地位を築き恩恵に与ろうという魂胆か。利害と損得の計算のみで描かれた単純明快な我欲の構図である。他者を陥れる罪悪の種すら躊躇いなく受け取って伯爵に迎合する騎士の、なんと卑しく浅ましいことか。まあ、生きるのに必死といえばそうなのだが。何にでも限度はあり、背いてはならぬ倫理というのが存在する。
 年月を重ねながらその倫理の柱に絡み付き肥えていくのが、封じねばならぬはずの邪欲。虜となる者もいるということだ。
 全くフェイも、品位の翳りを目の当たりにすれば部下など仲間ではないと痛罵したくなるだろう。
 
 
 フェイの話を全て聞き終えた時には、既に日が傾き出していた。
 蕩けそうな赤い太陽。不吉なほどに鮮烈だが、その禍々しさが美しい。
 もう少しで前夜祭が始まる時刻だった。前夜祭の幕開け時には祝いの盛大な花火が上がり、町中が踊り出す。
 熱狂の渦の中、若者は花を贈り、娘はその花を飾り。
 彼等が身にまとう衣装の名は、恋。
 多種多様な恋をまとい、狂乱的に身を焦がす時刻が迫る。
 華やかな舞台の裏では、欲望に塗れた悪徳の宴が頽廃を深める温度の最中で密やかに繰り広げられているのだ。
 
●●●●●
 
「ここは……」
 リスカは、戸惑うフェイを連れて、太陽に焦がされ赤く染まった道を突き進んだ。
 辿り着いた先は、今のリスカにとって悪夢の象徴ともいえる場所。
 地下に牢獄を隠し持つ教会裏である。
 この周辺は一般の町民は立ち入り区域とされているため、祭り時期であろうと人気はない。
 いや、以前は他の教会と同様に門戸は開け放されていたはずだが、いつの間にか物々しい雰囲気に包まれ町民の来訪許可がおりなくなったのだという。なぜ訪問が禁止されたのか、理由の詳細を知る者はいない。つまらぬ詮索の結果災難に巻き込まれるのはご免だと皆忌避したのだろう。
 道理で、耳聡い情報屋以外は誰も騒ぎ立てずにいたわけだ。町民達は、昨夜の殺戮の時を知らぬのである。
「なぜ、この場所に?」
 怪訝そうにフェイが訊ねた。
「さあ、勘としかいいようがありませんが」
「魔術師の勘か?」
 リスカは苦笑を返した。
「いいえ。私の勘です」
「同じことだろう」
「いえ。含まれる意味が違う。私は魔術師ではない。ゆえに、私の勘、と申し上げたのですよ」
「魔術師には変わりない」
「では、あなたは、一般の兵士を、騎士と認めますか?」
 フェイは唇の端を曲げた。金色の髪が太陽に溶かされ、炎の色に染まっていた。
「違うでしょう? 誰も傭兵や見回りの兵士を騎士とは認めない。――そういうことなのです。私は魔術師には、永遠になれない」
 ふわり、と風が吹く。
 ……いや、違う。
 ふと空気が動くと同時に、リスカの目の前に、影が落ちたのだ。
 夕焼けを遮る影。
 人が影を落とすのは、身の中に悪の要素を抱えているためだという。神の背後には、影など落ちぬ。
「俺は騎士か?」
「は」
「俺は、騎士に見えるか?」
 変なことを訊く、とリスカは当惑した。
「騎士でしょう、あなたは」
 ちょうど逆光になっていたため、フェイの顔は見えなかった。
「あ、あの」
 ぼうっとしていると、リスカの両頬に手が添えられた。
「俺は、部下を仲間だとは思わぬ。だが、心情がどうであっても部下には違いない。見ている時にしか恭順の姿勢を取らぬ部下だがな、問題が起きれば俺が責任を取らねばならないのさ。伯爵の地位など、王都内では最たるものとは言えぬ。それでも、ここでは、伯爵の財力に目をつけ容易く陥落される者がいる。この町は落ち人の町ゆえな。惑乱の町。くだらぬな、そう言った者がいる」
「それは、ジャヴの言葉ですか」
 フェイは笑った。突き抜けた疲労感の果ての、虚ろな微笑に相違ない。
 リスカは慰めの言葉がすぐには思いつかず、困った思いで彼を見上げた。肩に乗る小鳥が「何するのっ」という感じに騒がしく鳴いてフェイの腕をつついたが、頬に触れた手は離れなかった。
「都より流されてきた者は死に物狂いであがく。悪にさえ縋ろうとする。再び栄華を極めるために。そして誰もが他者の行いに顔を背ける。災いを招かぬよう。好きにせよと素知らぬ顔を見せる。惑乱の町は、人の心も惑わせる」
「栄光は、鉄の剣と申します」
「鉄の」
「磨けばすり減る。放置すれば鈍る。血を流せば、錆びるのです」
「では、どうせよと?」
「悪魔に返してしまいなさい。悪魔が去った場所に、真実の剣が落ちている」
「真実の剣とは」
「決して鞘から抜けぬ剣です」
「……術師の言葉は、やはり難解だ」
「幾重にも意味を含ませるのが、術師というものですよ」
 などと格好をつけていたが、リスカは内心、動揺していた。な、なぜ触れられているのか。
 ぴっ、と小鳥が焦れて怒ったように一鳴きし、天空へ勢いよく舞い上がった。
「あ」
 燃える空へ、高く高く飛び立ち、やがて遥か彼方へ消える。
 小鳥の名を呼ぼうとして――まだ名を与えていないことに気づいた。
「……あなたは、昨夜、どこにいたのですか」
 セフォー。あなたは、名を呼べば、来てくれますか。
「決まっている。あの魔術師に連れ去られたフィティオーナ夫人を捜していた」
 ああ、それでセフォーの刃から免れることができたのか。運のいい人だ、とリスカは頷いた。
「昨夜、何が起こったのだ。監視に立たせていた騎士のみならず、教会の神官までもが見るも無惨に命を落としている。尋常ではない出来事だ」
「……神罰がくだったのでしょう」
「神罰だと?」
「業とはいつか必ず、我が身に還るものなのですよ」
 宿業という言葉がある。この世の誰も逃れられぬ、さだめがある。業火はいつでも、人が歩んだ道を焼いている。人の心の内に宿る歴史の種に、業火は導かれているのだ。
 あまりにその炎が強くなれば、時に人もろとも焼き焦がす。
 町中に響く人々の歓声が大地にも浸透し、震えていた。ざわめきの余韻を感じれば感じるほど、世界を遠く感じた。近くて遠い。人の心と同様に。
「私は思うのです。どれほど大層な大義があったとしても、事の始まりは、個人の些細な感情から生まれるのではないかと」
 学者のように叡智の言葉を用いて難解な表現で示されるものではなく。それはきっと、子供も理解できるような容易い言葉で表せる感情なのだ。憎い、欲しい、愛しい、悔しい、羨ましい。そういった、原色のような感情。どれほど着飾った言葉より、単純な言葉の方が重く、心を打つものだ。
 国の威信をかけての戦争も、酒場での喧嘩も、貴族同士の小競り合いも、全ては、誰かの揺れ動く感情が発端となる。そう考えると、ひどく物悲しい気分になった。人はなんて小さな生き物だろう。
「……お前は変わった術師だな」
 フェイはようやく手を離し、溜息混じりに呟いた。
「行きましょう。あなたが騎士ならば、目を逸らしてはならないのです」



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