花炎-kaen-火炎:15


「それで、何を聞きたいのかな」
 とジャヴは一見親切に聞こえる問いを口にした。
 だが本当に親切な問いとは言い難い。聞かれたことには答えるが、それ以外の事柄については沈黙しようという隠された意図が透けて見える。答えを導き出すにはまずどういった問いを投げかけるか、自分が先に試されなければいけないらしい。
「一体どうやって私が囚われている場所を見つけたのですか」
 質問したいことは山ほどあったがまだきちんと整理しきれていない状況だった。ぐずぐずしていれば一つも答えを聞けないうちに、ジャヴはこれさいわいといった様子で素早く消えてしまうだろう。ある意味時間稼ぎをする目的で、ぱっと思いついた疑問を口にした。
「どうやって、とは」
 ジャヴがわずかに愉快そうな色を目に宿し、逆に問いを返してきた。うむ、何やら弟子に指南しようとする師のような眼差しだ。つまり、完璧でなくともよいから自分なりの仮説を立ててみろ、と言いたいらしい。
「蛾妖は杯の中に入れた蝋に、結界を構築しましたよね。蝋は気配を断つため、監視系の術では追えない。となると、自力で杯を探さねばいけないのでしょうが、なぜ杯の置かれている場所がお分かりに」
 もっと言ってしまえば、どの杯に結界が作られたのか、よく特定できたものだと思う。この世界に一体どれほどの蝋入り杯が存在するのか。
「あの蛾妖はあなたをまず襲ったのですか。一体なぜでしょう。そもそもあの蛾妖はなぜ大きな力を有していたのか。また、私までもがなぜ標的になったのでしょう」
「こらこらリル。質問ばかりではないか」
「質問を重ねることで、一つの答えに結びつく場合が」
「それを私に答えさせようと?」
「お願いします」
 ここでリスカはわざと殊勝な態度を作った。更には、ああ受けた傷がまだ完全には癒えておらず辛いなあ、という姑息な仕草もしてみた。ジャヴは緩く腕を組んだあと、指先をとんとんと動かして嘆息した。あっさりとこちらの演技を見抜いたらしい。
「今の答えを知らずとも、平穏に生きていけるよ」
「心の平安がほしいのです」
「もっと乱れるかもしれない」
 ジャヴがまるで脅すように言い、リスカに妖艶な笑みを向けた。
「残念な事に、ジャヴ。私ははぐらかされるともっと知りたくなってしまうようです。術師のいけない性と申しましょうか」
 かしこまりつつもきっぱりと述べると、ジャヴが腕を伸ばし、ぴんとリスカの額を弾いた。痛い。生意気な発言だと思われたらしい。
「残念な事に、リル。探りを入れられると私はもっとはぐらかしたくなるらしい。魔術師のよからぬ性というべきか」
「ぐ」
 つらっと嫌がらせ的返答を寄越したジャヴの額を、リスカも弾きたくなった。
「どうしてあなたはそんなに意地悪なんでしょう」
「君はなぜそれほど不用意に愚かであったり好奇心旺盛であったりするのだろう」
「……容姿も能力も素晴らしい、そして性情も素直であれば、もっと魅力的ですよジャヴ」
「君ももう少し、いや多大な努力をすれば女性らしいしとやかさをわずかなりとも身につけられるのでは」
 小さな嫌味を放ったら、大きな皮肉となって返ってきた。
「私は基本、女性に親切なんだがね。そうしてほしくば、せめて愛らしく振る舞ってみてはどうだ。もしかすると、私だとてほだされ口を滑らせるという奇跡が起きるかもしれない」
 嘘だっ、とリスカは内心で勢いよく反論した。親切という言葉が不正に使われていませんか、大体あなたの発言は先程の蛾妖にそっくりですよ、まさか双子だったのでは、という陰口も叩いてみたのだが、もし実際に声に出していれば、二度と笑いかけてくれなくなるだろう。うむ、沈黙は尊い。
「何か、仕返しされている気分になってきました」
 とリスカは項垂れつつ呟いた。今のは特に深い意味を持たぬ、単なる感想だったのだが、驚くべき事にどうも真意を言い当ててしまったらしい。
 それまで余裕綽々といった態度を貫いていたジャヴが、少し目を見張ったのだ。
 おや、と思ってまじまじと見返すと、ジャヴの目元がわずかに色づいた。動揺している!
「し、仕返しだったのですか?」
「うるさいね」
 意外な一面を見て、リスカは純粋に驚いた。ジャヴが何やら子供のように拗ねた顔をした。誤摩化せば更に探られると先読みしたらしく、顔を少し逸らして突っ慳貪な口調で理由を教えてくれる。
「以前、散々口でやりこめられたからね」
 以前、というと、あれか。
 ティーナの死後、現実を拒絶しようとする彼を無理矢理叩き起こした時の言葉の数々についてだろう。
 まさか、それを根に持っていたのか。そういえば先程の彼は、わざとリスカの台詞を引っくり返して嫌味を寄越していた。彼を言葉で正気に返らせた時のリスカが取った方法と同じである。
 つまり、同様の戦法でリスカを論破したいと密かに企んでいたらしい。
 呆気に取られてしまい、遠慮を忘れてじいっと見つめたら、次第にジャヴの表情が渋くなっていった。
「……」
 数秒、沈黙が流れた。
「く」
 と、リスカは慌てて口元を覆い、こみ上げる笑いを隠そうと必死になった。
 いけない、笑っては更にジャヴを捻くれさせてしまう。
「リル」
「ぅく」
 子供だ、この人は。
 笑うな笑うなと懸命に念じて肩を震わせるリスカに、ジャヴは憤りを混ぜた冷たい視線を寄越した。
 そうか――とリスカは笑いながらも少し優しい気持ちになる。問いと答え。互いの心に冷たく暗い感情を隠した状態での問答ではない。必死に答えをせがむリスカの態度に、ジャヴは一瞬師弟の関係を連想したのだろう。リスカもまた、師弟の雰囲気を先程感じたのだ。まあ、ジャヴはその後、記憶の連鎖で以前リスカにやりこめられたという余計なことも思い出してしまったらしいが。
 魔術師は大抵孤独だ。理を求め、知性を重んじる反面、その孤独さゆえにひどく脆い。幾分かでも親しみをもった相手には、不意打ちのように無防備なほど子供めいた顔を見せる。
 だとすると、師の前で、ジャヴはいつもこのような態度を見せていたのではないかと思った。好意ゆえの小さな我が儘。美しく清らかで、一途に慕ってくる弟子をシエルは愛し、そして壊れた。ジャヴは取り残されてしまったのだ。
 誰でもいいから捌け口に、とジャヴも思うのだろうか。
 不意に気づく。彼は未だ、誰ともシエルの死を悼むことができていないのではと。
 死への献花は、一度きりですむものではない。何度でも何度でも、時間をかけて繰り返し捧げ、少しずつ受け入れていくしかない。慟哭、悔恨、述懐、憎悪、哀愁、安らぎ。様々な感情を吐き出しながら日々を過ごして、親しき人の死を見守るのが生者の定めだ。
 けれど彼はおそらく、そのきっかけさえ得られぬまま生きている。誇りだけで平静を保ち、変化のない静寂の時間を過ごしているのだろう。
 必要なのは立派な棺や喪服ではない。
「師とは、どういった存在ですか」
 ああまた拒絶されるだろうか。
「何?」
 訝しげな表情を見せるジャヴに微笑んだ。戸惑って当然だろう、突然話題を転じたのだ。
「私には特に目をかけてくれた師がいないので、どういった存在なのかと。普段はどういう話をされていたんですか」
 ジャヴが不思議そうに目を瞬かせた。
 お前には関係がないと突っぱねるには、もう少し彼に濁りがなければ無理だろう。ジャヴはひどく師を愛していた。罵倒されるというならいざ知らず、穏やかに人となりを聞かれて、長く沈黙を続けるのは難しい。愛する者を誇りたいという心理は誰にでもある。ましてやリスカは、シエルが関った劇薬事件の当事者の一人だった。リスカがジャヴの立場ならば、己の師は決して悪徳のみを抱く者ではないと、理解を望むのではないか。そう考えてしまうのは、シエルに死をもたらすきっかけとなった相手であるのに、彼がリスカを憎もうとはしていないためだ。どうも、リスカが不具の術師であるゆえ対等には扱えないというだけの理由ではない気がした。もしかしたら、シエルが心のどこかで死を願っていたことを知っていたのではないかと思う。
 それならば、シエルについてを語っても許されるのではないか。
 勿論、死の原因には触れない。もっと以前の、安らかな日々についてを語るというのが何より大事なのだろう。
「それは、今聞きたいことなのか?」
「はい。なぜだか一番聞きたくなりました。先程、私に質問を促したあなたは、まるで弟子を見る師のようでした。それで、ふと思いました。あなたがその関係を知り、良いものと感じているからこその眼差しだと。師とは優しいものですか、厳しいものですか」
 こちらの真意をはかるような目で、しばしじっと見られた。師を持たぬ喪失者であるリスカには、やはり語れないだろうかと幾分緊張した。
 おそらくそういった目論みなど看破されてしまっただろうが、ジャヴは諦めたように一度ゆっくりと瞼を閉ざし、ふっと笑った。
「まさか、そういう問いで引き止められるとは。君、卑怯ではないか」
「口実にしたわけではないのですよ。一度、聞いてみたかったのです」
 少し困るリスカを見て片眉を上げたあと、ジャヴは身を起こし、隣に腰掛けた。そして体勢を変え、長椅子の肘掛けを背もたれにして、行儀悪く片足を折り曲げ座席に乗せてしまう。うむ、私も長椅子に座っているのでちょっと狭いですよ。
 ジャヴは視線をこの場所ではない遠い過去へと向けて、長い間沈黙を守った。その沈黙に寄り添い、リスカも静かに待つ。軽々しくは口に出せないだろうシエルの記憶。けれども。
 不意にジャヴが、小さく笑った。
「私がだらしない姿勢で椅子に座ると、シエル様は何も言わぬ代わりにただ唇を曲げ、じっと見る。私はいつもいたたまれなくなり、背を伸ばして座り直すというわけだ」
 へえ、とリスカは頷いた。作法に厳しい方だったのか。
「我が師は滅多に声を荒げない。何事も、私が及第するまで動かずに、じっと見つめるのだよ」
「頑固な方だったのですか」
「まあ、そうだね。けれども日頃の振る舞いは謙虚であり、上品でおられた」
「幼い時より、シエル殿の弟子だったのですか」
「そう。学ぶ分野を変更すれば師もかわるが、私は幼少の時、シエル様に直接見出されたのでね。ゆえにあの方以外の師を持ってはいない」
 直接見出された。
 きり、と螺子を小さく回したかのように胸が痛んだが、リスカは気づかぬ振りをした。今は自分の過去などどうでもいい。
「ではシエル殿とずっとお二人で暮らしていた?」
「ああ、学徒は塔の宿舎に部屋を持つのだったか。私はおそらく特例であったのだね。シエル様の屋敷に置かせてもらった」
 その言葉だけでも、ジャヴがどれほど期待されていたか分かろうというものだった。
 普通、塔に来たばかりの未熟な魔術師の卵は、今後の指導者となる魔術師たちの屋敷になど住めない。
「当時の私は、ひどく我が儘だったのだよ。これでも元は貴族、怪しい呪法を操る魔術師などに誰が媚びへつらうかと我を張っていた。小さな暴君といったところか」
 ジャヴがくすりと笑い、穏やかな目で過去を見た。
 リスカは頷くだけにとどめた。
「ところがだ、その幼き暴君ですら呆れるほど、あの方は何もできなかった」
「え?」
「知らなかったか、シエル様も元貴族だ。自分の面倒など一切見れない方なんだよ。そのくせ、私という弟子を取ったからにはと宣言し、全ての使用人をやめさせてしまったのだ」
「それは、また」
 剛毅な方、というべきか。
「ええと、あなたに身の回りの世話をさせようと?」
 リスカがついたずねると、ジャヴは声を上げて笑った。それはとてもくすぐったそうな笑顔だった。
「と思うだろう。だが逆だ。弟子を取ったからには己の手で育てなくてはいけないと、なぜか思い込んでしまわれたらしい。それで、食事やその他を自らの手で用意すると言われたのだが……あまりにもひどくてね」
 な、なにやらリスカの中のシエル像が崩れていく予感というか危機感が。
「獣ですら顔を背けるような食事を連日出されたのだから、たまったものではない。しかも食べきるまで、シエル様は目を逸らしてくれぬのだ。一度耐えきれずに逃亡しようとしたのだがね、あの方は弟子に向かって、束縛の高等魔術を仕掛けたのだよ。信じられるか、まだその時の私は、魔術の基礎さえ知らぬ子供だったのに」
「……はあ」
「これには幼き暴君も降参し、我を張っている場合ではないと焦った。このままでは壮絶な食事の味に殺されるとね。私は慎重に頼んだ。是非、私に食事の用意をさせてほしいと。貴族の私がだ、他人に深く頭を下げて頼んだのだよ。初の体験だったね」
 どんな顔をすればいいのか、リスカは苦悩した。よいのだろうか、そんな初体験。
「とはいえ、私だとて食事など作った試しがなかった。そもそも当時の私は十程度の子供だ。まともな料理など作れるはずがない。作る気もなかったしね」
「はあ」
「ところが、あの方は、同期の魔術師達にわざわざ文を出して自慢し回った。『弟子が私のために食事を作る!』と。文だよ、文。しかも「重要書類」の一言を添えてだ。恥ずかしいなどというものではなかったね」
 リスカは遠い目をした。この話を本当に聞き続けていいのだろうか。
 温和な魔術師だとは噂に聞いたことがあるものの、何か違う。もっとこう、厳しくも優しい聡明な紳士、という印象があったのだが。なぜか先程までの切なさや寂寥感といったものまで薄れていくような気がする。
「そ、それでジャヴはどうしたのですか」
「あんまり『私のために、私のために!』と連呼し感激されたから、下手なものなど用意できないだろう。町まで出て料理人を探し、作らせたよ。シエル様には、私が作ったと言ったがね」
 ジャヴ、幼い頃から策士だったのですか、と咄嗟に言いそうになってしまった。危ない。
「あの方は、それはそれは喜んで食してくださったさ。まずいはずがない、町でも評判の料理人に作らせたのだからね」
「……よかったですね」
 とお愛想を口にした瞬間、きつく睨まれた。なぜ。
「何もよくない」
「う、うむ」
「シエル様は、料理人に食事を作らせたことなど見通していたのだ。その上で美味であると絶賛している。腹が立つではないか。私が作ったものではない、なのになぜ喜ぶのか」
 リスカは表情が変化せぬよう俯いたり髪を触ったりして必死に耐えた。
「私は食卓にかけていた布ごと料理を床に落とした。美味であるはずがない! と言って」
 ジャヴは真顔で言った。
 駄目だ、頬が引きつってきたではないか。
「シエル様はお怒りになったよ。折角の食事を無駄にするとは何事だと。何事も何もないだろう? 私が作ったものではないのに美味であるはずがない」
 真剣にそう言っているのですか、ジャヴ。
「それから、掴み合いの喧嘩だ」
 喧嘩。
 先程、シエルは滅多に声を荒げない上品で謙虚な方だと言わなかっただろうか。
「なんとおとなげないことか。あの方は子供相手に本気で向かってきたのだよ」
 もうどっちもどっちの師弟ではないだろうか。
 あなたも十分おとなげないです。いや、当時のジャヴは子供だったか。
「君、私の髪は美しいだろう」
 突然なんですか。
「美しいだろう?」
「は、はい」
 殆ど脅迫のような勢いで聞かれたので、リスカはがくがくと大きく頷いた。
「師に歯向かうとは許せぬと言って、シエル様は私の髪を術で燃やしたのだ。こんな師がいるだろうか。その時シエル様が見せた、勝ち誇った表情は決して忘れない」
 おかしい、リスカの読みでは、シエルの業績や美点などについてしみじみと語り合うはずだったのに、なぜ恨みの混じった低次元な喧嘩の話を聞かされているのだろうか。
「私は泣いたね。今までそのようにむごい仕打ちなど受けたためしがなかった。家族から引き離されたばかりで私だとて心細さがあったというのに、師となる者がなんというひどい真似をするのか」
 そうですね、と同情するべきなのか。
「誰が魔術師になどなるものかと、私は内心決意した」
「ええ」
「冷戦状態が半年以上続いたかな」
「……半年」
 凄まじい師弟だ。
「私は何度も屋敷を抜け出して、逃亡をはかった。しかしシエル様は姑息にも、屋敷の周囲に当時の私では破れぬ魔術を張り巡らせていたのだよ。おかげで散々な目に遭った」
「大変でしたね、ええ、まあ」
「全くだ。あの方は、外面はよかったために、誰も私が影でそのような目に遭っているとは思わなかったろう」
 普通は思いません。
「冷戦状態とはいえ、師ではないか。それなのに塔へいれてくれぬばかりか、術の一つすら教えてはくれなかった。ゆえに私は、書斎に忍びこんで魔術書を読み、屋敷の結界をほどこうと試みた」
 それは危険だ、とリスカは少し顔を引き締めた。
 魔力を持つ人間が、わけも分からぬ状態で魔術書を読めば危険を招く。
「適当に紡いだ不出来な術は、屋敷の結界に飲み込まれてしまった。私の身ごとね。その日、シエル様は塔の会議に出席されていたため、帰宅が遅かった。私は夜中まで結界の糸に絡めとられ、宙づりのままに」
 むしろ宙づりのみで済み、幸運だったのではないかと思う。
「ようやく救出された時、私は大声で泣き喚いたものだ。魔術師などごめんだと」
 まあ、それは、嫌になるだろう。
「あの方は、こう仰った。貴族に戻りたいかと」
「え?」
 リスカは少し驚いた。基本として、一定量を超えるほどの魔力を持つ者は、必ず塔に入れられるのだ。なぜかと言えば、危険であるためだった。魔力を操り制御する術を知らぬまま育てば、何かの拍子に暴発しかねない。
 ゆえに貴族であろうとも、魔術師の道を歩む者が出てくる。
「どうしても戻りたい、魔術師は嫌だと言うのなら、身に抱く魔力を消してやろうと仰ったのだよ。その代わり、屋敷で過ごした半年間の記憶も滅すると。シエル様の屋敷には、門外不出であるべき書物などが多く置かれていたから」
 他者の魔力を消す。禁忌の術だ。
「私は喜び勇んで頼んだ。家族の元に戻れる。平和な暮らしが戻ると」
 ジャヴは己の髪を指先でつまみ、しげしげと見つめた。
「その時シエル様が、ひどく寂しげな目をされた。悲しげ、ではないね。あぁ孤独の目だ、と子供心に思ったものだ。まるでシエル様の方が、置き去りにされる子供のような風情だった。私は腹が立った。戻ってほしくないのならそう言えばいい。子供特有の傲慢さで、シエル様を責めたよ」
 ジャヴは当時の光景をよく思い出すためか、目を閉じた。見蕩れるほどに優しい微笑が浮かんでいる。
「けれど、シエル様は仰らない。戻りたいのなら戻そうと言うばかり。私はもっと腹が立って、なぜ言わないのかと責め続けた。言ってくれれば――求めてくれれば、ここは私の居場所となるのに」
「――」
「私は求めてほしかったのだろう。孤独であるその人に。我が儘な暴君をこれまで諌める者などいなかった。私と同じ視点で立ち、本気でくだらぬ喧嘩をし、したことのない料理を作り、絶えず見守る者など、他に」
「はい」
「どれほど泣いて懇願しても、シエル様は言ってくださらぬ。ただ、あの方は、私を抱き上げ、愛おしそうに、それは真実、愛おしげに見つめてくださった」
 苦い感情がこみ上げてくる。
「結局、私が言ったのだ。側にいさせてほしいと。――いや、もう少し不遜な言い方だったかな。私はあなたの側にいるべき。何しろ混乱していたからね、両方、口にした」
 リスカは何とか微笑を作った。
 聞かなければよかった、と後悔せずにいられない。
 そういう人を、リスカとセフォーは奪ったのだから。
 いや、奪わなければ、きっとシエルは更に破滅の道を歩んだだろう。
 リスカがシエルと直接会った時はただ侮蔑の言葉しか投げかけられなかった。けれどもジャヴの口から語られる過去のシエルはなんて愛すべき人なのだろうか。
 安易に聞き出すべきではなかったともう一度悔やんだ。



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